過去5年間でデザイナーの採用目標が倍増――大手6社のデータに見るデザイン人材の動向

【編集部注】執筆者のDylan Fieldは、デザインに特化したクロスプラットフォーム・コラボレーションツールFigmaの共同ファウンダーでCEO。Figma設立前には、LinkedInやFlipboard、O’Reilly Mediaでインターンをしていた。

テック業界の古風な父親的存在であるIBMがデザインに力を入れ始めた瞬間、何かが変わりつつあると気づいた。ビッグブルーとも呼ばれる同社のデザイナー対ディベロッパーの比率は、過去5年間で1:72から1:9に変化した。

これはIBMに限った話ではなく、シリコンバレー全体でこれまでにないくらいデザイナーの需要が高まっている。実はFigmaの創業から何年間も、私はこの採用傾向の変化に関する話を耳にしてきた。

統計

このトレンドを裏付けるような数字を入手するため、私たちは知り合い伝いで情報を集めることにした。そして集まった情報をもとに、6つの企業のデザイナーとディベロッパーの比率を割り出し、今年と5年前の数字を比較した結果が以下の図だ。あまりに変化が大きかったためか、このデータはKleiner Perkinのインターネットトレンド2017にも掲載されている。

図を見てもらえればわかる通り、例えばAtlassianは2012年時点ではデザイナー1人に対し、25人ものエンジニアを抱えていたが、2017年にはその割合が1:9にまで変化している。さらにUberのデザインチームの規模は、2012年から70倍以上に成長し、現在の割合はデザイナー1人に対しエンジニア8人だ。

上の数字から、「デザイン思考」とは単なるバズワードではなく、実際に企業は資金を投じてこれまでにないくらいの数のデザイナーを採用しているとわかる。サンプルの数は少ないが、テック界のデザイン人材に関する確かなデータが現状ほとんどないことを考えると、これは貴重な洞察だと言える。また、これは今日の数字でしかないということにも注意してほしい。話を聞いた企業の中には、今後数年間でデザイナーとディベロッパーの比率を1:3にまでもっていこうとしているところもあった(もちろんこれは、適切な人材が見つかればの話だが)。なお、IBMのモバイル事業に関しては、デザイナーとディベロッパーの比率が既に1:3に達している。

調査に協力してくれた企業のほとんどがB2B企業だったため、もっとデザインに力を入れているであろうAirbnbのようなB2C企業のデータはここには含まれていない。Facebookの社員の話では、同社のデザイナーの採用目標は過去2年間だけで4倍に膨れ上がったということだが、Facebookからの公式なコメントは得られていない。

しかし実際に過去数年の間に、Facebookを含む大手テック企業は、採用目標を達成するためにデザイン会社を買収してきた。詳しくは、John Maedaが今年のDesign in TechレポートにまとめたM&Aのデータを参照してほしい。

それでは、なぜデザイナーの争奪戦が始まったのだろうか?

デザインの重要性

まず、テック業界ではエンジニアのコモディティ化が進行しつつある。AWSやReact Nativeのようなフレームワークの登場で、誰でも簡単にアプリが作れるようになった。

その結果、「3人向けのTinder」や極限まで簡素化されたメッセージアプリ「Yo」が誕生した。今やサービスの違いを決定づけるのはユーザーエクスペリエンスであり、これこそデザイナーの専門分野なのだ。

IBMのデザイン部門のジェネラルマネージャーも、最近のポストに「誰もがデザインに長けているわけではないが、誰もがユーザーのことを第一に考えなければいけない」と記している。

デザイン思考は自動化できないスキルのため、大統領候補者が浮動票の多いオハイオ州の有権者にアピールするのかのごとく、各企業がデザイナーの採用にやっきになっているのにも納得がいく。

しかし残念なことに、急増する需要に応えられるだけの人材が市場にはいない。大学はシリコンバレーの動向に遅れをとっており、テクノロジーデザインを専攻できる芸術大学はほぼ存在しない。労働統計局の調査には、UX/UIデザイナーがキャリアの選択肢としてさえ含まれていないのだ。

確立された教育プログラムがないにもかかわらず、プロダクトデザイナーにはさまざまなスキルが要される。コーディングや基本的なユーザー調査手法、データ視覚化技術、アプリやウェブサイトの設計に関する知識のほか、もちろんタイポグラフィーやレイアウトといったグラフィックデザインの基礎も必要になってくる。有名デザイナーの中には、教育が現状に追いつくのには数年かかるだろうと予想している人さえいる。

シリコンバレーでも状況はそこまで変わらない。ハッカーブートキャンプから何百万ドルものお金がつぎ込まれた教育イニシアチブまで、全てはコーディングに関するもので、まるでデザインのことは忘れ去られているかのようだ。

未来への投資

優秀なデザイナーを雇うためには、悪魔に第一子を手渡したり、自分の命をどこかに宿らせるくらいの覚悟が必要だ。そして各社がデザイナーの採用目標を増やすにつれて、状況は悪化していくばかりだ。

次世代のデザイナーを生み出すためには、教育機関やテック業界、デザインツールを開発する企業が一丸となって問題に取り組まなければならない。

Figmaでは学生ユーザーの利用料を無料にし、デザイン職への参入障壁を下げようとしている。しかし、これだけでは十分とは言えないため、現在私たちは他の手段を模索するとともに、他社のアプローチからも学ぼうとしている。もしも、あなた(もしくはあなたの知っている人)がデザイナーを増やすためにやっていることがあれば、是非私たちにも教えてほしい。

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(翻訳:Atsushi Yukutake/ Twitter

フィード型アプリなら、このPinterestの機能を皆真似るべし

これはソーシャルアプリに久々に現れた素晴らしい新機能だ。Twitterはこれを真似すべきだし、Instagramもこれをコピーする必要がある。Facebookはきっと既にコピーしている最中だ。

私が話しているのは、Pinterestが2月にテストを開始した「インスタント・アイデア」ボタンについてのことだ。徐々に多くの人たちも使えるようになっているようだ。それをタップするや否や、私はその虜(とりこ)になった。

要するにそれは、エレガントな「このようなものをもっと表示」ボタンなのだが、それはフィードの中に直接展開されるようにデザインされていて、他のタブを生成したりしない。このボタンはPinterestのホーム画面上のすべての画像の上に表示される。そのボタンをタップすると、すぐに半ダースほどの似たコンテンツが直下に展開される。

「Pinterestの新しい『もっと』ボタン」「タップすると関連した投稿が挿入される」「もう一度タップすると更に関連した投稿が挿入される」

例えば、現在フィードにパスタのレシピが表示されているとしよう、あるいは1足の靴、家の装飾、アート&クラフトプロジェクトでも良い。パスタの右下に表示されたサークルボタンをタップするとすぐに、さらに6つのパスタの投稿が同じビューの中にスライドして現れる。もう1度タップすると、さらに6つが挿入されてくる。タップする度に、複数の似たようなコンテンツが追加される。

しかし本当に巧妙な部分はここだ:残りのフィードはまだそのまま読まれるのを待っているのだ。あなたが呼び出した似たようなコンテンツを、スクロールで通り過ぎれば、再びさまざまな投稿が表示される。戻るボタンを押したり、元のタブを選択したり、何らかの設定を取り消したりする必要はないのだ。少しばかり親指でフリックするだけで、元のフィードが戻ってくる。単にパスタのレシピをもっと見たいと思ったからといって、別にずっと麺だけに興味があるわけではない。

その結果、私たちが好んできた、一直線で、無限に続き、アルゴリズムで並べられたフィードのスクロールと同時に、これまでにないレベルの選択と使い易さが実現された。これはICYMI(”In case you missed it.”:見逃した人用まとめ)に続く、パーソナライゼーションの進歩だ。このボタンは、ウサギの穴に迷い込むことなくトピックを掘り下げる、軽量でリアルタイムな1つの方法なのだ。すべてのアプリにこのボタンが必要だ。

もしTwitterの上で、同じリンクやハッシュタグや同じ著者のtweetを、同じようにいくつか簡単に見ることができたらどうだろうと想像して欲しい。そして少しスクロールすれば、元のタイムラインに戻ることができる。Facebookでは、このボタンで同じキーワード、同じ場所またはイベント、または同じ種類のコンテンツ(ビデオやステータス更新)などを引き込むことができるだろう。Instagramでは、同じような色使いの写真や、日没や食事といった内容の類似した写真をさらに表示することができる。

収益化のチャンスもある。まずこのボタンは、エンゲージメントを深め、ブラウジング時間を引き伸ばすことができる。第2に、ユーザーの意図や関心に関するデータを生成することができる。そして最後に、タップされた投稿に関連する広告を、有機的なコンテンツと一緒にフィード内に注入することができる。

私たちは、(TwitterやFacebook、そしてInstagramなどの)フィードアプリをスクロールするために膨大な時間を費やしている。しかし現在、私たちができることは、最終的に同じ傾向のフィードが現れることを期待して、ある種の投稿に「いいね!」をつけること位が関の山だ。しかし、ニュース速報、美しい場所、大きなイベントが目を引くときは、その場ですぐに、似たようなものをもっと召喚できるようになっているべきだ。アプリには「引き下げて更新」(pull-to-refresh)に加えて「タップして挿入」を(tap-to-insert-more)。

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(翻訳:Sako)

これからのUI:耳か、手か、あるいは目か

Tin can phone on white background

【編集部注】著者のMichael EisenbergはAlephのパートナーである。

スマートウォッチが出て来る前でさえ、私は時計を着用していなかった。そのクールな要素にも関わらず、私はApple WatchもPebbleも買わなかった。iPhoneに関しては新機種が出て出荷が安定すると、すぐに機種変更をしている私なのにも関わらず。

腕時計を腕にしたときの感覚が好きになれない;いやそもそも私は腕時計の価値というものが分からないのだ。私の息子のように陸軍(G-Shockが推奨時計になっている)に属しているのでなければ、そこらじゅうの壁の上に時計がある(それはずっと昔からのことだ)。そして誰のポケットにも時間と日付を教えてくれる携帯電話が収まっている。

言うまでもなく、スマートウォッチ売上高の減少についての下のグラフは、私にとっては驚くことではない。

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革新的な新しいデバイスが普及しプラットフォームになるためには、これまでとは違う私たちの身体の部位もしくは感覚を活用する、新しいユーザーインターフェイスを開拓する必要があるのだろうと思う。

実際PCは、GUIとマウスを使うことで普及した。マウスとGUI以前の、Commodore 64のようなコンピューターを覚えているならば、コンピューターを実際に所有し利用する人は、ほんの一握りしかいなかったことを覚えているだろう。マウスが私の手を活用できるようにして、PCが普及したのだ。

次のプラットフォームだったスマートフォンは、タッチスクリーンを大々的に開拓した。指を使ったスワイプと、手を専有するマウスでは、体験も利便性にも大きな違いがある。これは新しい体験を可能にし、常にオンでかつ常に自分専用であるスマートフォンの性質が、次世代のプラットフォームを生み出した。

技術のそれぞれの新しいレベルや時代が、人間の地理的自由も拡大する。

AppleのiPodとそのクリックホイールは、指が別の部位でありマウスとは根本的に異なるUIであることを最初に示したものだ。タッチスクリーンはその技術革新の上に構築された。これに比べてみると、スマートウォッチも同じ指タッチ式スクリーンのインターフェースを備えている。これは、人間の新しい感覚をくすぐったり、異なる部位を使用するものではない。したがってそれは、新しいアプリケーションや、利用法や、最後にはプラットフォームを導き出す、十分な革新性を生み出さない。

さて、David Passig教授が(私よりも早く)指摘したように、考慮すべき別の次元が存在している — 技術のそれぞれの新しいレベルや時代が、人間の地理的自由も拡大するのだ。スマートフォンは確かにこれを実現した、今や私たちは外出先で全てを行うことができる;以前はインターネットが遠隔情報とサービスへのアクセスを通して同じことを実現していた;そしてそれ以前にはPCが地理的自由を拡大していた、仕事を終わらせるのに学校や会社に残っていなければならない必要性から解放したのだ。

これらの2つの次元のフレームワーク(新しい身体部位の活用と地理的自由の拡大)を組み合わせたところが、この先数年にわたる投資を望む、次世代のテクノロジーならびにコンピューティングとアプリケーションの分野だ。この先、情報革命の次世代のプラットフォームになろうと競い合う、2つのプラットフォームを見る際には、このフレームワークが有用だろうと考えている。

FacebookはOculusを買収した、基本的にはVRがコンピューティングのための次のプラットフォームになることに賭けたからだ。VRは確かに「視覚」という人間の他の感覚を活用している。それは異なるユーザインターフェイスを使っている、私の眼球とヘッドセット(おそらく私が見ているものを解釈する脳も)だ。しかし、私は今のところ(予見可能な将来も含めて)VRは2番目のテストに失敗していると思っている。それは人間の地理的自由を拡大するものではない。むしろ実際にはそれは制約をする方だ。これは実際にはある地点に留まっての経験であり、私の地理的自由を仮想的に拡大してくれているだけなのだ。仮想的自由は逃避である — それは実際の地理的自由ではない。

とはいえ、そのことは私たちに、どこに真の機会があるのかを指し示していると思っている:それは私のだ、そしてその延長線上の私の口だ。私はAmazonとAppleは、それぞれAlexaと無線AirPodsで、良いところに気が付いたのではないかと思っている。スマートフォンのタッチインターフェイス革命を生み出したAppleは、Bluetooth、センサー、無線チップ、そしてその他のスマートフォン・コンピューティングの基本に詰め込むことができることに気が付いた。Fireシリーズがあまりうまく行っていないAmazonは、世代を跳び越えて音声に移行することを決めた。

興味深いことに、Appleがそこ(音声)に辿り着くためにデバイスを手から耳に移動させている(と私が思っている)一方で、Amazonがそこに進んだ理由は、いまや買い物は常時オンの体験で、何か必要なものを発見したならば、即座にAlexaに対して私の口を使って命令させようとしているからだ(と私は思っている)。こうしてAlexaは、人間が冷蔵庫を埋めようと買い物をしている最中に口を使う際の仮想の役割を果たし、Appleは私のを解放するために私の人間のを使い、私の音を出す口を補助に使う。

AppleもAmazonも、どちらの方向から革新に近付くにせよ、どちらも他の部位をつかっている:私のだ。そして、コマンドまたはインタフェースとして音声を使用することにより、近接または長距離で、私たちは人間の自由に対して意味のある、また別の拡張を行うことができる。特に、それがハンズフリーインタフェースでもあるという事実を考えたときには。

を解放することによって、私たちにはまだ想像できない方法で、声、音、そして自由なを使うイノベーションを可能にできる。もしティーンエージャーのから携帯電話を取り上げたなら、人間の創意工夫をどれほど前に進めることができるかを想像して欲しい。

興味深いことに、音声についての同じ認識が、GoogleのPixel携帯電話の開発を導いているものと思われる。Googleが追っているのは実は携帯電話ではなく、音声駆動アシスタントの利用の推進、改善、そして拡大なのだ。私たちは複数の情報源から、今やInbox(Googleの開発した共同作業用メールアプリケーション)の返信の25パーセントはスマートリプライである話というを聞いたが、それは驚くべきことだ。これは、Googleが未来のインターフェイスのソフトウェアおよびネットワークレイヤーで優位に地位に立つことを確実にしようとする動きに合致する。それは、彼らの見解では、それは明らかに音声だ。

私は、音声および音声アプリケーションだけでなく、耳を使ったワイヤレスコンピューティングについてもとても期待している。私はそこには別の利点もあると考えている。の中の小さな画面から私たちを解放することで、現在の曲がったホモサピエンスの頭を、目の高さに戻すことになるだろう。そして、私たちはまたお互いに話し合うようになる — Alexaに対してだけではなく。

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(翻訳:Sako)

日本の90年代テレビゲームからUXデザインについて学ぶ

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編集部記:Benjamin BrandallはProcess Streetでコンテンツ制作を行っている。

私の大好きなスーパーファミコンのRPGを再度プレイしてみて気づいたことがある。この記事はやや切ない気分で、そのことについて書いていきたい。

こんなにモダンなUXデザインに甘やかされていたなんて知らなかった。

この感覚は世界共通なようだ。Quater to ThreeのフォーラムでHuginはこう書いている

「『コンソールゲームのRPG』と聞いて思い浮かぶのは、意図が不明なキャラクター情報やナビゲーションが雑な冊子くらいだ。基本アイテムの比較表があると嬉しくて涙が出るよ」。

「良いUX」だったということだ。

過去、私はゲームは取るに足らないものだと思っていた。昔、父が運転する車の後部座席で、蛇が自分の尻尾を食べないように動き回るゲームをNokiaのキーパッドで必死に打ち込んでいたことを思い出す。「やった」「すごい」「あー、残念」以上深く考えたことはなかった。

しかし、昔の定番ゲームをまた試すのは思ったほど悪くなかった。誰もデザインをしたがらないということの他に、現在最も人気があるアプリにも引き継がれている要素がいくつかあることを発見した。

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この記事はUXの進化について書いた。今でこそUXは ユーザーがサービスを使い続ける方法として知られるようになったが、この記事で取り上げる時代にはそれは一番重要なことではなかった。

多種多様なゲームをプレイして、画面を録画した。そうする中で、テレビゲームのUXを新たな観点から見ることができた。日本の90年代のテレビゲームの良い部分と悪い部分について書き出し、そこから現在でも適応すべき部分とそうでない部分を考えたい。

チュートリアルの一部として活躍する「明滅する円」

「ファイナルファンタジーVI」(英語名: Final Fantasy III)の最初の10分を過ぎた頃、プレーヤーは小さく瞬く光を見つける。価値あるものを探すゲーマーを魅了する光だ。ただそこで得るのは操作方法のレッスンだ。誰も読まない冊子にではなく、ゲーム内にレッスンを埋め込んでいる。

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以前、Microsoftがオンボーディングのレッスンをマインスイーパーに忍び込ませ、ユーザーがGUI(マインスイーパーでは右クリックの動作)に慣れるように仕向けた方法も見てきた。これは、古典的な手法のようだ。

ファイナルファンタジーのこの要素が興味深いのは、Slackが最近まで同じことをしていたこと、そして他の多くのSaaSアプリも現在使っているからだ。

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RPGの洞窟の地面で瞬く光と同じだ

 

ただ、Slackのユーザー・オンボーディングのプロセスは変わっていたので、Process Streetが採用している動きのあるgif画像も掲載しよう。

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同じ考え方だ。一時的に、ユーザーの興味を引く。そう、洞窟の中で瞬く光と同じだ。UIの中にちょっとした情報が隠れていて、ぶ厚いユーザーマニュアルを持ち出さなくてもユーザーはサービス内を進みながら使い方を学ぶことができる。

操作マニュアルを撤廃し、実践しながら学ぶ方法は、さまざまなオンボーディングに共通するようになった。他に教える方法がある今、ユーザーがコンセプトの理解がない状態から自分で習得していくことは必要不可欠なことでもユーザーに期待するものでもなくなった。

マイクロインタラクションは、デザインに時間と手間を惜しんでいない証拠

Nick Babichは、マイクロインタラクションに関する記事にこう書いている。

「最良のプロダクトは2つのことを上手く仕上げている。機能とディテールだ。機能は、人をプロダクトに惹きつける。ディテールは、プロダクトから人を離さない。そしてディテールこそが、私たちのアプリが他の競合アプリから際立つ理由だ」。

Twitter のハートは、「楽しい」マイクロインタラクションの1つだ。以前は、星をクリックすると灰色から黄色に変わるだけだったが、誰もが知っている通り、今はこういうことが起きる。

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マイクロインタラクションに時間をかけるべきか否かについては議論もあるが、テレビゲームの場合、マイクロインタラクションは没入的な体験の一部分だ。

「クロノ・トリガー」は、ありふれた部屋でも色々試す価値のある、スーパーファミコンのRPGゲームの1つだ。ゲームを始めると、母親に起こされ、目覚める最初の部屋がある。ここではカーテンを開けたり閉めたりできる。

ストーリー性の高いゲームで、こういった仕掛けは補足的なものに過ぎないことを考えると、これは結構すごいことだ。見ての通り、5回は試してみたくなる。

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メニューは(ありがたいことに)格段に改良された

90年代の乏しいUIデザインを体験してこなかったのなら、現代の良質なメニューナビゲーションにありがたみを感じることはできないだろう。

RPGゲームにおいてメニュー画面は重要な要素ではない(いずれにしろ最も批判されている要素である)ことは分かっているが、それでも「ブレス オブ ファイア」の最初のメニューシステムは意味不明だ。ゲームが始まる前に提示されることを頭に入れた上でこれを見てほしい。

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大きな問題点:

  • 「Fast(速い)」「Norm(普通)」「Slow(遅い)」に量的な指標が全くない
  • 矢印が何もないところを指しているように見えるため、Y、X、L、Rのキー設定に混乱する
  • 何もない場所を指す矢印で「選択」を押しても、そこで選択できる項目の説明がない。なぜ「魔法(Magic)」をRボタンに設定しようと思うのか?そもそも魔法ってなんだろう?

ゲームを始める前にこの設定を強要するのではなく、ゲーム内の設定メニューにしておいた方が親切だろう。

90年代のゲームとSaaSプロダクトのメニュー画面を比較するのは公平ではないかもしれないが、良いゲームもある。「スーパーマリオRPG 七つの星の伝説」は、優美なデザインで知られたゲームだ。このゲームの断然良いメニュー画面を見てみよう。

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ゲームがどんな画面かを知るより先に登場した「ブレス オブ ファイア」のメニューとは違って、これにはちょっとしたメニュー画面のオンボーディング説明まである。

ユーザー詳細にスマートな初期設定

ソーシャルメディアの発展、スマートに進化したデザイン、そして誰も空白のプロフィール写真や詳細情報を埋めたりするのに時間を使いたくないということへの気づきがあったおかげで、今ではアプリがサインアップした時に自動でサムネイル画像と名前を引っ張ってくるようになった。例えば、Mediumだ。

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Peachのユーザー・オンボーディングの流れを詳細に説明した記事でSamuel Hullickが指摘するように、それはシルエットだけの画像と未入力のユーザー名が並ぶデフォルト画面より遥かに良い。

カーソルを事前に置く「クロノ・トリガー」のアプローチを見てみよう。デフォルト名が入っていて、名前を変更する場合は左から右に上書きが可能なことを示すカーソルがある。

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これで、 最もサービスにとって重要な時間、ユーザーの初使用時における難しさを低減する。

画面のどの部分がインタラクティブかを示す

大枠でいうと、ユーザーインターフェイスは2つに分けられる。インタラクティブな要素とそうでない要素だ。

デザインが未熟なインターフェイスではユーザーは、それがインタラクティブな要素なのか、情報を表示しているだけなのか、飾りなのかを瞬時に判断できない。

スーパーファミコンのゲームの場合、画面のどの部分を操作できるかどうかを知るためには試行錯誤しなければならないかもしれない。ただ、自由度の高い(マウス、タッチスクリーン)操作が可能なアプリと違って、方向キーの操作でカーソルを動かして選択できる項目は限られている。カーソルがその場所に行かないのなら、操作できないということだ。

先ほど見た「ブレス オブ ファイア」のインターフェイスが分かりづらいのはそれが原因でもある。こんなところに選択項目があるなんて分からないだろう。

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これは一体何?

「ファイナルファンタジーⅥ」の画面にもインタラクティブな部分とそうでない部分があるように、現代のアプリでもそれらの要素は共存している。

Peach(左)とBuffer(右)のアプリでインタラクティブなUI要素をどのように表示しているか比べてみよう。

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(左)これはタップできそう(実際はできない) (右)グレーアウトされている。タップできないのが分かる。

タッチやマウスで操作するUIでは、ユーザーは基本的にどこでもクリックすることができる。「ブレス オブ ファイア」の不自然なメニュー画面は、「クリック」可能な場所が限定されていたとしても、ユーザーをミスリードしてしまうことがあるということを示す。Peachの目を引くボタンはタップできそうに見えるが、タップするとエラーメッセージが出る。Bufferは、ボタンをグレーにしておくことで、インタラクションが起きないことを示し、良いバランスのデザインだ。

ストーリーがユーザーの関心を得る

ファイナルファンタジーの定番ゲームはどれも同じ構造を辿る。シェイクスピアの劇のように、ユーザーはすぐにストーリーの中に放り込まれる。「この光はなんなんだろう?」といった最初の画面の語り口調ぐらいでしか何が起きているのか分からない。

辛抱が必要な冒頭の5分から10分のシーンでストーリーが展開する。妖精が飛び回り、全く何のことだか分からない人物や場所の名前がたくさん出てくる。

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けれど、ファンタジーの物語って大体そういうものだろう?

最初から説明があるわけではないし、例えばシンプルな「私は誰々で、どこどこの町から来ました」形式で始まったとしても、それでもユーザーは存在していたことすら知らなかった世界に投げ込まれているのと同じなのだ。(以前書いた記事に、ユーザーを驚かせることは良い方法ではないことに言及している)。

それは新しいアプリを使う時も同じだ。ユーザー・オンボーディングのプロセスには、ユーザーが初めてサービスを使う時、いっぱいいっぱいになってしまわないようにする役割もある。Quartzのアプリは、ユーザーを「テキストのやりとり」という親しみのある環境に置いてチャットするAIを提示することで、この問題にうまく対処している。

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Quartzの初使用時、親しみやすいキャラクターとチャットする。返信もテキストチャットの要領。

90年代のテレビゲームはUXについて考えていたか?

「Dragon Age 6」や「ブレス オブ ファイヤ」など使いづらいゲームは別として、SaaSアプリのユーザー体験には、過去の教訓が活かされているようだ。DuolingoHabiticaといったサービスは、昔ながらのRPGゲームに大きな影響を受けている。

90年代ビデオゲームはUXのことなんて考えていなかったとは言わないが、初のUXの基礎が世に出てから14年が経過した現代とは違い、当時のUXの優先順位は高くはなかっただろう。

スーパーファミコンのテクノロジーでは、それで遊ぶゲームの複雑さや美しさに制限があったが、今使ってみても、単にぎこちない印象しか受けないのは、ゲーム自体が上質で滑らかなインターフェイスと「喜び」を私たちに存分に提供していたからだ。

結局の所、私は一度もファイナルファンタジーのUIに不満を持ったことがない。黙ってゲームに向かい、朝4時までプレイし続けてきたのだから。

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(翻訳:Nozomi Okuma /Website/ twitter

[寄稿] 何のために数値化するのか?「ユーザエクスペリエンスの測定」読書会レポート

こんにちは、わかさ分析塾の若狹です。 先月1/11(日)ヴォラーレさんにて、「Measuring the User Experience(訳:ユーザエクスペリエンスの測定)」という洋書を対象に読書会を行いましたので、その時のことを書こうと思います。これまで、主にUXリサーチ系の本を題材として会を開いており、内容説明だけでなく事例をもとにディスカッションするような進め方をしています。