【コラム】フツーのクルマを作ってください

最近のクルマは賢くあるべきところがフツーで、フツーであるべきところが賢い。勘弁して欲しい。ほとんどフツーのクルマを作って売ってみて欲しい。自動車メーカーが人々に与えているものはあまりにひどいので、消費者は余分に払ってでも少ししかついていないものを買うだろう。

最近のクルマは車輪付きの格安スマートフォンのようだ。ソフトが山ほどプレインストールされていて使いにくて動きが鈍い。自動車メーカーは常にユーザーインターフェースで苦労しているが、つい最近まで我々にとって最大の問題は「ツマミが多すぎる」ことだった。あの日々がなんと懐かしいことだろう!

タッチスクリーンと液晶のまん延によって、あらゆるクルマがカラオケルームのようになってしまった。アニメーションがブレーキで再生されたエネルギーを示し、スピードメーターは制限速度に近づくにつれて色を変え、ファンの速度や方向は3階層メニューの奥にある。機能を果たさないだけでない、このインターフェースは醜悪だ!UIの種類もレイアウトもアニメーションも「委員会がデザインして使う必要のない人に承認された」と叫んでいる。

もちろんプライバシーとセキュリティも心配だ。私が初めてクルマにGPSが付いているのを見たのは、20年ほど前、母親の古いRX300だった。「そうか、そうやって捕まえるのか」と私は思った。そして今、支払いが遅れたTesla(テスラ)は自分自身を拘束する。ようこそ、未来へ。あなたのクルマは潜入捜査官です。

輪をかけた屈辱は、これらの機能が大衆向けではなく、高級オプションとして売られていることだ。スクリーンはあまりに安いので、大量に買ってきて、どこにでも何にでもつけて、客には「次世代のモビリティーをお楽しみにください!」ということができる。しかし、実際にはこれはコスト削減対策であり、部品数を減らし、ダッシュボード開発チームはずっと楽をできる。その証拠に、ハイエンドモデルはノブとダイヤルに戻って「プレミアムなフィール」などと称している。

だから私が欲しいのは「フツーのクルマ」だ。私の考えるイメージを描いてみよう。

敢えてバカになれ

何よりもまず、スクリーンは一切いらない。これにはいくつか理由がある、実用的にも審美的にも。

実際のところ、この手のスクリーンがやることのほぼすべてを、すでにスマートフォンがやっている。ひどく時代遅れで、のろまで、メーカーブランド付きのSpotify(スポティファイ)やApple Music(アップルミュージック)のアプリなど必要ない。自分のスマホが完璧にこなしている。同様に、カーナビもスマホが完璧にやってくれる。いうまでもなく、すでにボイスコマンドも使える。

GPSやデータ(あるいは隠しマイクや隠しカメラ)がないことによって、あなたのクルマのプライバシーは当然高まる。それでもやつらはあなたのスマホにつながることはできるが、少なくとも、動きを追跡するためには昔のように車体の下にGPSパッケージをつける必要がある。

画像クレジット:Bryce Durbin / TechCrunch

メディア利用に関して言えば、AUX(補助)入力があればすべて事足りる。充電ケーブルも兼ねているし、他の新しいデバイスといつでも交換できる。ちょっとスマートなケーブル配線がなされていれば、スマホをコックピット周りの便利な場所にマウントできる。ただし、運転中に見たりタッチしろという意味ではない。Bluetoothが欲しいなら、ドングルを買えばよい。どうしても必要なものはボリュームつまみと、たぶん、ハンドルに付いた基本的な3ボタン再生コントロールくらいだろう。

大きなセンターLCDについているエアコン制御については2~3個ノブがあればいい。あの「ゾーン」なるものが実際機能すると思っている人は、いないよね?ゾーンが必要になるほど大きなクルマはない。青~赤のダイヤル、風力調整、エアコンと送風の切り替えがあれば十分だ。

計器クラスターには、普通の針式メーターがあればよい。スピード、燃料、オイル、水温、あとはチェックエンジン、タイヤ圧低下などいつものランプ群。

美的観点からいって、私はこれらのメーター類のデジタル・バージョンがいつも気に入らなかった。ドライバーは路上に集中すべきなのに、パネル内で常に変わり続ける鮮やかな情報表示には気を散らされる。メーターの針の目盛りの69と70の差は3mmほどで、67と68、68と69の差も同じだ。この連続的で予測可能な変化は直感的でありどんな運転目的にも十分な精度がある。デジタル表示の数字は大きくて瞬きがちで、71から69に変わる瞬間ドライバーの注目を引き続ける。2つの数値はまったく違って見えるので、視野の隅で確認するのは難しい。

シンプル、かつ安全に

メディア機能とカーナビをなくすことで、多くのコンピューティング能力を載せる必要はなくなるが、全部なくして欲しいわけではない。ここ数年、すべての新車に搭載することが義務付けられている安全機能がいくつか導入された、スマートなものもそうでないものも。トラクションコントロール(タイヤの滑りを制御する)やブラインドスポットモニター(後側方警戒支援)、車線逸脱警報、さらには自動緊急ブレーキ装置にもある程度のCPU能力が必要であり、使用されるべきだ。命を救うのだから。バックカメラは多くの人たちが手放したくないものの1つだろうが、基本的な近接センサーがどれほど役に立つかを知ったら驚くだろう。

エンジン自体も昔よりはるかにコンピュータ化されている。ただし室内のコンピュータ化とは異なり、これにはプラス効果がたくさんある。燃費改善、排ガス減少、信頼性向上、保守のための診断の簡易化などだ。安全で敏感なペダルとハンドルに必要なエレクトロニクスの正確なレベルが何かは議論のあるところだろうが、そこは専門家に委ねる。

実は、ウィンドウとドアロックのマニュアル式も提案する誘惑にもかられたのだが、それはわざとらしたの一線を越えそうだ(すでに大きく踏み出しているかもしれないが)。我々はビンテージカーを作ろうとしているのではない。過剰なテクノロジーを廃した現代のクルマを作りたいだけだ。ちなみにパワーシート位置調整は、今でも贅沢品だ。レバーを使おう。

私が提案したものはガゾリン車に限らないで念の為。電気自動車もまったく同じく悪い方向に走っている。これはノスタルジアではなく、有害なのに広く受け入れられているデザイン哲学を捨てようと言っている(わかった、多少のノスタルジアはある、でもほんの少しだけだ)。

もちろん、私の提案はシンプルさを謳っているにも関わらず、おそらく一種の高級車の類に行き着くだろう、つまりコストの最小化を目指しているわけではない。事実上現存するすべてのクルマは「最新」テクノロジーで設計されており、それは既存の金型や組み立て作業、品質管理などからの大がかりな離別を意味している。加えて、私はこのコンセプトが多くの人々を引きつけると思っているが、そんなに売れるものではない。ニッチなクルマであることに間違いはなく、価格はそれを反映したものになるだろう。

それでも、私が欲しいのは、すでに所有している他のデバイスのように通知を送ってきたり、ベルを鳴らしたり、エラーを報告してきたり、私に許可を求めたり、アップデートが必要になったりするような高圧的なところのないクルマだ。偽りの「昔はよかった」議論はおくとして、今の一連の機能にはとにかく大した意味がなく、もちろんそのでしゃばり方や質の悪さは正当化しようがない。ドライバーが運転するための、そしてみんながポケットに入れて持ち歩いているスーパーコンピューターを置き換えようするのではなく、必要なものを提供することに焦点を当てたクルマを作ることが、いったいどんなものなのか考えてみよう。

画像クレジット:Bryce Durbin / TechCrunch

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(文:Devin Coldewey、翻訳:Nob Takahashi / facebook

投稿者:

TechCrunch Japan

TechCrunchは2005年にシリコンバレーでスタートし、スタートアップ企業の紹介やインターネットの新しいプロダクトのレビュー、そして業界の重要なニュースを扱うテクノロジーメディアとして成長してきました。現在、米国を始め、欧州、アジア地域のテクノロジー業界の話題をカバーしています。そして、米国では2010年9月に世界的なオンラインメディア企業のAOLの傘下となりその運営が続けられています。 日本では2006年6月から翻訳版となるTechCrunch Japanが産声を上げてスタートしています。その後、日本でのオリジナル記事の投稿やイベントなどを開催しています。なお、TechCrunch Japanも2011年4月1日より米国と同様に米AOLの日本法人AOLオンライン・ジャパンにより運営されています。