Appleは、FacebookやGoogleやSnapchatといった人気アプリがまだApple Watchアプリを作っていないことを憂慮すべきなのか?それが最近のNew York Times記事で提起された疑問であり、Appleの新ウェアラブルに「待ち」の姿勢で臨んでいるデベロッパーがどれだけいるかを詳しく書いている。
しかし、正しい質問は〈アプリはどこにある〉ではなく、〈そもそもアプリは必要か〉だろう。
私は個人的に、FacebookをApple Watchで見ようとは思わない ― もっと大きな画面のiPhoneが近くにあればなおさら。Facebookの通知をもらいたいとも思わない。誰かが私をタグ付けしたり友達になったり写真をシェアしたことを知ることに緊急性はない。
私はFacebookを必要としない。いや、私は何のApple Watchアプリも必要としない。
この一週間で、私がApple Watchの「アプリ」画面を見たのは1度 ― 数時間前のテキストメッセージのスレッドを見た時。それ以外に私がApple Watchと対話するのは、通知およびたまにグランス(文字盤を上にスワイプすると出てくるウィジェット風のツール)だ。
しかし、これをほぼ毎日着用するようになって数ヵ月、グランスでさえあまり見なくなった。せいぜいアクティビティーのグランスをランニングの後に見たり、天気予報を見たり、Appleマップを使う時くらいだ。ニュースの見出しやTwitterのトレンドをグランスで見ることはなくなってきた。もし、Facebookがアプリやグランスを作っても、多分使わないだろう。
Apple Watchは、従来の意味の本格的「アプリ」プラットフォームにはならない、と言ってもよい。それはアプリがないという意味ではない ― App Annieによると、現在iTunes App Storeには7567本のApple Watchアプリが掲載されている。
しかしApple Watchが登場したのは、既に山ほどのアプリがユーザーのスマートフォンに溢れている時だった。人々はスマホ利用時間の85%をアプリに費しているが、日常的に使用するサードパーティーアプリはわずか5本であることが、最近の調査でわかった。人々はそれぞれのお気に入りを選択済みで、それ以上受け入れる生活の余裕はない。
一方で、モバイルアプリのエコシステム自身は成長を続けている。アプリストアには150万近いアプリがあり、新規参入者がユーザーを見つけることは困難になり、長期間注目を引き続けることはさらに難しい。
しかも、未だに恐ろしい早さで新アプリが出てくるため、最近のアプリは爆発し、立ち消え、そして初期の魅力が失せるにつれて崩壊する一発屋のようになっている(例えば、一時は将来を約束され400万ドル近いベンチャー資金を得たFrontbackの最近の終焉。あと、まだFlappy Birdをプレイしている人っているの? Foursquareはまだ終っていないの? )。
つまり、スマートフォン、タブレットに次ぐ第3のモバイルアプリエコシステムに対する需要は高くない。今ユーザーが必要としているのはWatch〈アプリ〉ではなく、行動を起こすための〈情報〉だ。
今の優れたApple Watchアプリは、通知によってその約束を果たしている。通知はユーザーの状況や行動のコンテキストを把握して意味のある情報を提供する。あるいは緊急な出来事 ― かかってきた電話やテキスト ― について教えてくれる。Uberがやってくる。雨が降りそうだ。フライトが遅れている。上司がSlackで呼んでいる。Apple製アプリ注入版Google Nowのようだ。
優れたアプリは、小さな画面でコンテンツを見て回るようなノンビリ体験でもない。そこは退屈した時に時間を潰す場所ではない。
結局私がApple Watchで一番よく使う「アプリ」は、iPhoneアプリの大画面に対応したものではなく、今も毎日iPhoneで受け取っている通知スパムのサブセットだ。あまりに多くのアプリメーカーが、ユーザーの引き止めを通知に頼るあまり、多くのiPhoneユーザーは、「通知を無視」する習慣に陥っている。
たしかにiPhoneが鳴ったみたいだけど、本当に何か意味があったのだろうか?しかし、重要なアプリだけを正しく設定すれば、Apple Watchのアラートは意味を持ってくる。
ユーザーがApple Watchアプリに興味を失う理由の一つは、実際に使おうとした稀な瞬間に、立ち上がるのがあまりに遅いことだ。しかし、もしこれが瞬間的に起動したとしても、ユーザーの行動や興味が大きく変わることはないと私は思う。
Appleは、watchOS 2でネイティブWatchアプリの開発を可能にすると言っている。そうなればアプリはもっと強力で高機能になり、懸念をいくつか解消するかもしれない。しかし、前進するとしてもごくわずかだろう。標準アプリ以外にユーザーの欲しがるアプリがどれだけあるのか私にはわからない ― 何しろiPhoneで定常的に使うアプリでさえ5~6種類なのだから。
そして、watchOS 2アプリが登場したとしても、ユーザーがしょっちゅうアプリ画面を見に行くようになるかどうかは疑問だ ― 代わりに、行動すべき情報があれば通知を見るだろう。
これは、Apple Watchが約束されたプラットフォームでないとか、Apple Watch自身が売れないとか言っているのではない(実際売れている)。それは間違いなく魅力的で実用的なハードウェアであり、日々の生活に容易にフィットする。
ただ、もっと大きな疑問は、果たして〈誰もが〉欲しがる商品かだろう。今のところ、その答はノーだ。
今のApple Watchは未だに好奇の対象だ。友達や家族、レジの店員や見知らぬ人たちまでもが、私の手首を見ては感想を求める。「気に入ってるか? 私も買っ方がいいのか?」と彼らは知りたがる。しかし、iPhoneとは違い、私には心から「イエス!」と答えることができない。
Apple Watchは世界を変えるものではない。不可欠のアプリや利用場面はない。それはあなたのデジタルライフスタイルの素適なアクセサリーであり、実際に便利だ。見た目も美しい。素晴らしい時計であり、健康モニターであり、運動測定器だ。iPhoneをバッグに入れておけるのも好きだ。受信したテキストに「OK」や「YES」ボタンで返信できるのが嬉しい。ディック・トレーシー風に電話したことだって1~2度ある。
でも、Facebookアプリはいらない。
Apple Watch版Snapchatを欲しいとは思わない。
お気に入りのiPhoneアプリでApple Watch対応を待ち焦がれているものは一つもない(どうせ今は、やったと言うためにやっているだけだ)。
おそらく、何にでもApple Watchアプリが作られることはないだろう。おそらく、その必要も。
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(翻訳:Nob Takahashi / facebook)