ボットはWikipediaの便利なツールだ: 彼らは編集結果をアンドゥーする破壊行為を見つけ、リンクを加え、人間のご主人様が命じた面倒な仕事をこなす。でも、彼らのような自動化されたヘルパーたちですら、争いに巻き込まれ、同じ記事の上でお互いに、書いたり消したりを繰り返す。中には、長年続いている抗争もある。
それは必ずしも、本格的な戦争ではない。むしろ、家庭で繰り広げられる、エアコンの温度設定をめぐる争いに似ている。誰かが70度(華氏)にセットする。次の日にルームメートが71度にセット。翌日70に戻す。また71にされる。その繰り返しだ。必ずしも緊急の問題ではないが、オックスフォード大学のアラン・チューリング研究所(Alan Turing Institute)の研究者たちによると、それでも研究に値する。彼らは、単純なボットでも予想外の対話的行為に及ぶことがある、という。
彼らは10年間にわたる編集履歴を調べ、ボットがやることは、いろんな点で人間がやることとは違う、ということに気づいた。
ボットたちは機能が単純だから、自分がやってることの意味を知らない。2体のボットが長年にわたって、同じ箇所のアンドゥー/リドゥーを繰り返していることもある。その記事はいつまでも更新されず、ボットが互いに相手がやったことをキャンセルしているだけだ。人間の場合は、ミッション意識があるので、互いに相手を消し合うことはなく、一人の人間が他人の仕事の数百箇所を変えても、何も言われないこともある。
ボットが互いに相手の編集結果を消す/元に戻す行為は、国によって激しさが違う。10年間で、ドイツのボットは比較的礼儀正しく、お互い消し合う行為は、ボット1体につき平均約32回だった(1年平均3.2回)。逆に激しいのがポルトガル、ボット1体あたり188回やりあっている。それが何を意味するか、その解釈は読者にお任せしよう。
結局のところ、このような些細な小競り合いは、重大な結果には行き着かない。しかし研究者たちによると、それは、Wikipediaがとても注意深くコントロールされている環境だからだ。でも、少人数のお行儀の良い、公認のボットでも、抗争はつねにあり、それらは往々にして複雑、そして変化が激しい。野放しの環境では、もっとひどいだろう。研究者たちは、これは人工知能の分野の人たちにも参考になるはずだ、と述べている:
互いの相違を管理でき、不毛な抗争を避け、社会的かつ道徳的に許せるやり方で仕事ができる協力的ボットを設計するためには、何がどうやって、ボット間の対話的行為〔抗争など〕の契機になるのかを理解することが、きわめて重要である。
研究報告書“Even Good Bots Fight”(善良なボットでもファイトする)は、Arxivで無料で入手できる。