【抄訳】
AIを山盛りにした“スマートカメラ”Clipsがさらにスマートになったことを今日(米国時間5/11)、Googleが発表した。とくにそれの、‘特別な瞬間’を捉える能力が進化した。たとえば、ハグとかキスなんかだ。ジャンプやダンスなんかも捉える。プライベートな特別な瞬間をすべて、苦労せずに撮っておきたければ、ぜひ利用しよう。
でも、すこし、説明をしたい。
Google Clipsは、画期的な消費者製品というよりも、今の人工知能の能力を写真撮影に使ったらこんなことができる、という概念実証のような製品だ。
両親も犬もいる私なんか、まさにこのカメラのターゲットだ(かわいい犬だよん)。でも私は、撮るのが難しい瞬間を捉えることのできるスマートカメラを欲しいとは思わない。うちの子や犬が、カメラの前でじっとしててくれるとしてもね。
なぜ欲しくないのか、その説明は難しい。写真が自動的にクラウドにアップロードされて公開されるからではない。というか、勝手に自動的にアップロードされることはない。寫眞はカメラ本体の16GBのストレージに保存され、あとで見たりシェアしたり消したりできる。お値段は、最近50ドル値下げされても199ドルとお高いが、欲しくないのは値段のせいでもない。
問題はたぶん、このカメラの‘思想’だ。
ある瞬間を完全にエンジョイするためには、それをカメラで捉えなければならない、という思想。しかしそのためには、生活や仕事をそっちのけにして、カメラやスマートフォンを手に持ち、その瞬間を逃さないようにしなければならない。子どもと遊んでるときも、犬にボールを投げてやっているときも。そしてこの問題への唯一の解が、テクノロジーの屋上屋を架すこと(テクノロジーの過剰)であること。カメラ(やスマートフォン)のことを忘れてもよい、ことであってほしいね。
もうひとつ、いらつくのは、すべての貴重な瞬間を写真やビデオに撮る、というClipsの思想。実際には、一瞬で過ぎ去ってほしい瞬間もある。記憶に残るだけでよいものもある。いろんな瞬間が積み重なって絆(きずな)や愛になるけど、その全部を撮らなくてもいい。
何もかもを写真で残す必要はない。
どうしても撮りたい瞬間、赤ちゃんが初めて歩くときとか、忙しすぎてパーティーのスナップ写真を撮れないときなどは、スマートフォンのカメラを“Google Clips”モードにすればよい。そう考えると、199ドルは高い。
【後略】