【FounderStory #5】17万人のコインロッカー難民を救うecboのチームワーク

Founder Story #5
ecbo

TechCrunch Japanでは起業家の「原体験」に焦点を当てた、記事と動画のコンテンツからなる「Founder Story」シリーズを展開している。スタートアップ起業家はどのような社会課題を解決していくため、または世の中をどのように変えていくため、「起業」という選択肢を選んだのだろうか。普段のニュース記事とは異なるカタチで、起業家たちの物語を「図鑑」のように記録として残していきたいと思っている。今回の主人公はecbo(エクボ)代表取締役社長の工藤慎一氏とecbo共同創業者でCCO(チーフクリエイティブオフィサー)のワラガイケン氏だ。

工藤慎一
ecbo 代表取締役社長

1990年生まれ マカオ出身 日本大学卒。Uber Japan株式会社を経て、2015年、ecboを設立。2017年、カフェや美容室、郵便局など多種多様な店舗の空きスペースを荷物の一 時預かり所にする世界初のシェアリングサービス「ecbo cloak」の運営を開始。ベンチャー企業の登竜門「IVS Launch Pad 2017 Fall」で優勝。

ワラガイケン
ecbo 共同創業者 CCO

1990年生まれ、イギリス出身。父はイギリス人、母は日本人。中学から日本で生活し、日英 の2カ国語を操る。慶應義塾大学SFC卒業後、外資系広告代理店 W+K Tokyo を経て、2015 年に工藤慎一と共にecboを創業。CCO(チーフクリエイティブオフィサー)としてデザイン、クリエイティブ全般、プロダクト周りを担当する。

Interviewer:Daisuke Kikuchi
TechCrunch Japan 編集記者
東京生まれで米国カリフォルニア州サンディエゴ育ち。英字新聞を発行する新聞社で政治・社会を担当の記者として活動後、2018年よりTechCrunch Japanに加入。

毎日17万6000人ほど存在するコインロッカー難民

2020年には東京オリンピックが開催され、4000万人もの外国人が訪日する見込みだが、日本のコインロッカー不足は深刻だ。

コインロッカーは数が少ない上、大きな荷物が入るサイズのものはあまりなく、国際イベントが開催される際には利用できなくなることも。

「『コインロッカー難民』が毎日17万6000人ほど存在する」

そう話すのはecbo代表取締役社長の工藤慎一氏。

工藤氏が率いるecboは、そんなコインロッカー難民を救済するための「荷物を預けたい人」と「荷物を預かるスペースを持つお店」をつなぐシェアリングサービス、「ecbo cloak(エクボクローク)」を展開している。

ecbo cloakを利用すればカフェや美容院などの店舗に手荷物を預けることができる。ecboいわく、荷物を預けられるまでに要する時間は平均で24.9分だが、ecbo cloakでは事前予約により「確実に」預けることが可能だ。

工藤氏は日本大学を卒業後、Uber Japanでのインターンを経て、2015年6月にecboを設立した。ecbo cloakがローンチしたのは2017年1月。サービスを思いついたきっかけは、ある偶然の出来事だった。


工藤氏2016年8月の中旬に僕が渋谷を歩いていたら、訪日外国人に声をかけられ、「スーツケースが入るロッカーを一緒に探してほしい」と言われた。一緒に探したが、いくら探しても見つからなかった


そこで工藤氏が考えたのが、店舗の遊休スペースを活用し荷物預かりができるプラットフォーム。


工藤氏それさえあれば、ニーズを大きく満たすことができる。そして、店舗にもメリットがあると考えた


店舗オーナーにとって、ecbo cloakの導入には訪日外国人などの「集客」や「副収入」などのメリットがある。

Uber Japanに勤めていた工藤氏は、同社のライドシェアサービス「Uber」のような「普遍となるインフラを作りたい」と常に考えていた。クロークサービスは「普遍となるインフラ」になると確信し、ecbo cloakの開発に踏み切った。

2人の共同創業者から成るecboのチームワーク

取材中もアイディアを絞り出し、可能な限りの情報をアウトプットしているように見えた工藤氏。その多くの情報を集約し要点を解説してくれたのは、ecbo共同創業でCCOのワラガイケン氏だった。ワラガイ氏は慶應SFCを卒業後、外資系広告代理店のW+K Tokyoを経て、ecboを共同創業した人物だ。

工藤氏とワラガイ氏が出会ったのは、工藤氏がUber、ワラガイ氏がW+K Tokyoに勤めていた、4年ほど前のこと。クリスマスの友人の集まりで出会い、後日、お互いのオフィスの中間地点にあるカフェで再会。ワラガイ氏は当時工藤氏が考えていたストレージのサービスに興味を持ち、そこからecbo設立に向かう。

工藤氏は自身のことを「アイディアを多く出すタイプの人間」と説明するが、「それを形にする、絵にするのはすごく苦手」と加えた。その工藤氏の「苦手」を補うのがワラガイ氏だ。


工藤氏ワラガイは細かい部分を全部拾って絵にしてくれる。工藤がやりたいことはこういうことなんじゃない?という感じに。アイディアは形にならないと意味がない。ワラガイはそれを形にする能力が異常に高い。だから「2人で1人だ」という部分もあるのだと思う。ただ、お互いのキャラが違うので、結構、毎日のように喧嘩していた。その時はシェアオフィスだったが、シェアオフィス中に響くかのような喧嘩で、他の人たちは仕事しているのに、ちょっと来てくださいと、仲介役を他の起業家にやってもらったこともあった

ワラガイ氏に「ecboにとってのターニングポイント」を尋ねると、強いて言うのならば、2017年12月に開催されたInfinity Ventures Summit 2017 Fall in Kanazawa内のピッチコンテストLaunchPadでの優勝だと話した。


ワラガイ氏色々なピッチイベントに出場したが、IVSで花開いて、そこから色々なメディアに取り上げられるようになった


B Dash Camp内のピッチコンテストPitch Arenaは予選落ち。INDUSTRY CO-CREATION(ICC)のスタートアップ・カタパルトは書類審査落ち。TechCrunch Tokyoのスタートアップバトルはファイナルラウンド進出ならず。だが、その次に出場したIVSでは見事に優勝を果たした。

工藤氏は「うちのサービスはピッチ向けじゃないから」と自分に言い訳をしたこともあった、と話した。だが、「ちゃんと自分たちの魅力を伝えきれなかった」と辞任し、IVS前日までワラガイ氏と共に資料を作成した。


工藤氏最初は、あまり(ecbo cloakを)魅力的に伝えたくなかった。魅力的に伝えすぎた結果、(類似サービスを)始める人が増えたら嫌だと考えていたからだ。だが、「自分たちはこれだけやっているぞ」「今から入っても遅い」と言えるくらいのシチュエーションを作った。プレゼンの仕方もそうだが、自分たちだからこそ独占できる、自分たちだからこそこの市場を勝ちきれる、他社が入ってきても遅い、というようなプレゼンをすれば、結果的にそれは評価される

2020年東京オリンピック、そしてその先のecbo

ecbo cloakの需要は2020年東京オリンピック開催時、過去最大になると考えられる。同年、4000万人もの外国人が訪日する見込みだからだ。だが、工藤氏、ワラガイ氏の両氏は「オリンピックが決まったのは偶然であり、良いことだが、僕たちにとっては通過点にしか過ぎない」と口を揃えた。

ecbo cloakは、当初から国際展開を狙ったサービス。サービスを開始した当初から5言語に対応していた。「ユニバーサルデザイン」であるとも言えるため、結果、外国人の利用者にも愛されるサービスとなった。ecbo cloakの利用者の7割は外国人だ。

2025年までに世界500都市への展開を宣言しているecbo。工藤氏は「自分がUberにいた時のノウハウはヒントになると思っている」と話した。


工藤氏自分が(Uberに)入った時には、世界での展開はまだ東京で70都市くらいだった。それが、1年半働いて出た時には400都市くらいになっていた。そのような「組織の作り方」を参考にして、やっていこうと思う


現在、1000以上もの店舗での手荷物の預かりを可能としているecbo cloak。毎月のように、続々と導入に関するプレスリリースを目にする上、1月には待望のスマホアプリが登場した。だが、工藤氏は「まだまだ僕らのクロークサービスは使われていない」と言う。ecbo cloakは預かった荷物の手数料を得るビジネスモデル。利用料はバッグサイズの荷物で300円、スーツケースサイズの荷物で600円。収益を上げるには、店舗と荷物を預けたいユーザーのマッチング数を伸ばし続けていくことが重要となる。


工藤氏海外展開に関しては、正直、まだまだわからない。国内に関しても、まだまだのところ。毎日17.6万人のコインロッカー難民がいるので、そういう人たちの大きな割合を無くせるように、積極的にコミュニケーションをとっていきたい

( 取材・構成・執筆:Daisuke Kikuchi / 撮影:田中振一 / ディレクション:平泉佑真 )

【FounderStory #4】SmartHR宮田氏が「労務管理」領域からスタートした“社会の非合理を、ハックする”

Founder Story #4
SmartHR
代表取締役
宮田昇始
Shoji Miyata

TechCrunch Japanでは起業家の「原体験」に焦点を当てた、「Founder Story」シリーズを展開している。スタートアップ起業家はどのような社会課題を解決していくため、または世の中をどのように変えていくため、「起業」という選択肢を選んだのだろうか。普段のニュース記事とは異なるカタチで、起業家たちの物語を「図鑑」のように記録として残していきたいと思っている。今回の主人公はSmartHRで代表取締役を務める宮田昇始氏だ。

宮田昇始
SmartHR 代表取締役
熊本県で生まれ育ち、大学進学を機に上京。ITベンチャー、フリーランスなどを経て、医療系Webサイト開発会社でWebディレクターを務める。2013年にSmartHRの前身となるKUFUを設立。2015年にはTechCrunch Tokyoのスタートアップバトルで最優秀賞を受賞。今なお事業を急成長させ続けている。
Interviewer:Daisuke Kikuchi
TechCrunch Japan 編集記者
東京生まれで米国カリフォルニア州サンディエゴ育ち。英字新聞を発行する新聞社で政治・社会を担当の記者として活動後、2018年よりTechCrunch Japanに加入。

中高生時代から強かった「古い慣習」への反骨心

「起業当初は、プロダクトの作り方というものをまったくわかっていなかった」

――株式会社SmartHR代表取締役、宮田昇始氏は創業からの迷走期をそう振り返る。

「自分たちに何ができるか」を起点として2つのサービスを作り、いずれも失敗。次に「ユーザーのニーズ」に目を向け、いくつものアイデアを出したが、「自分たちがやる意味」を打ち出せるものが見つからない。しかし、自身の生活での実体験から社会課題を発見したとき、ようやくヒットプロダクト「SmartHR」が生まれたのだという。

SmartHRとは「クラウド人事労務ソフト」。雇用契約や入社手続きをペーパーレスで行い、従業員情報を自動で蓄積して一元管理する。年末調整の手続きやWeb給与明細の発行機能も備える。つまりは、「面倒な労務関連業務を楽にする」サービスだ。

利用企業は中小から大手まで2万社を超え、労務管理クラウドとしてシェアNo.1を誇る。

熊本県で生まれ育った宮田氏。中学・高校時代は私立の進学校に通い、寮生活を送っていた。寮の規則は厳しく、夜は早い時間に電源が落とされ、外出も当然禁止。そこで仲間たちと画策し、トイレの換気扇から電源を引っ張ってきてTVを観たり、カーテンをつなぎ合わせて雨どいをつたって抜け出したりしていたという。


宮田氏その頃から、古い規則や慣習に縛られるのがすごく嫌だったんですよね。そこを皆で工夫してハックするのが楽しかった。今も当社で掲げるキャッチフレーズは『社会の非合理を、ハックする』です

難病に苦しんで決意した「好きなことをして生きていく」

大学進学を機に上京。ITベンチャー、フリーランスなどを経て、医療系Webサイト開発会社でWebディレクターを務めていた27歳のとき、のちの起業につながる転機が訪れた。
「10万人に1人」と言われる難病「ハント症候群」を発症。三半規管に水ぼうそうができ、顔面まひ、聴覚障害、味覚障害などを引き起こす病だ。医師からは「完治の見込みは20%」と宣告された。


宮田氏自分の将来どうなっていくのか……って真剣に考えたとき、今の会社で働くよりも好きなことをやりたいと思った。この頃には、ずっとインターネット業界で食っていくという意志を固めていたので、『自分たちのWebサービスをつくろう』と。現・副社長兼CIOの内藤研介を誘って、2013年に立ち上げたのが株式会社KUFUです


社名の由来は、ジャパニーズヒップホップの先駆者Rhymesterの楽曲「K.U.F.U.」。メンバーから提案されたときはピンと来なかったが、歌詞の意味を知って納得した。


宮田氏K.U.F.U.とはそのまま『工夫』。持ってない奴が持っている奴に勝つための武器は工夫だ、という意味の歌詞なんです。下剋上感、スタートアップ感があっていいな、と思って。メルカリさんの社名が最初はコウゾウだったように、一見意味のなさそうな社名でも、サービスをヒットさせて社名を変えるのがかっこいいと思ってたんですよね(笑)


しかし、創業からしばらくは苦戦が続く。

まずは自分たちが得意とする領域から着手し、Webクリエイターと企業のマッチングサイトを立ち上げた。採用成立時の仲介手数料で稼ぐことを目論んだが、双方のニーズが合わずマッチングが成立しない。1年ほどで閉鎖を決めた

次に生み出したのは、法人向けクラウドサービスを比較できるクチコミサイト。滑り出しは順調に見えたが、3ヵ月ほどで成長が止まってしまう。何がだめなのか、わからなかった。

このタイミングで、スタートアップ育成を目的としたアクセラレータープログラム「Open Network Lab」に応募した。そこで受けた指摘により、宮田氏は自らの課題に気付く。


宮田氏『ユーザーのニーズに刺さっていないのではないか。ユーザーヒアリングから始めなさい』と言われて。そこで初めてユーザーの声を探り始めたら、ニーズがない、というか『あれば使ってみるけど、これで意思決定はしない』というものだったことがわかったんです。これまで自分たちは机上の空論だけでサービスをつくってたんだな、と思い知らされました

自分たちがやるからこそ意味があることって、何だ?

それからは「ユーザーニーズ」に目を向け、世の中の課題を探った。しかし、課題とソリューションを思いついても、仮説を立てて検証してみると「やはりだめだ」という結論に至るケースが続く。つくってみたものの、世に出すことなく終わったサービスは10個に及ぶ。


宮田氏中には『まぁまぁいけそう』というものもあったんです。でも、結果的にやらなかった。
当時、アイデアを思いつくと、メンターのような存在の方々に壁打ちをさせてもらっていたんですが『それ、あなたたちがやる意味は何?』と問われて答えられなかったからです


それでも、試行錯誤を繰り返すうちに、社会課題への嗅覚は鋭くなっていった。「誰か、何か困っていることはないか」――。そしてある日、宮田氏は一つの「可能性」を嗅ぎ付ける。

それは自宅でのこと。当時、妊娠9ヵ月だった妻が産休・育休の申請手続きをしていた。テーブルに広げられたたくさんの書類をのぞき込むと、いかにも複雑そうな内容。妻はそれらを一つひとつ手書きで記入している。

「社会保険の手続きって、どんな企業もやっている。かなり面倒な作業なのに、これを便利にするソリューションって聞いたことないな」。これは普遍的な課題だ、と感じた。

そして、宮田氏はこのジャンルに「自分がやる意味」を見出す。


宮田氏難病を患って2ヵ月間働けなかったとき、社会保険制度の一つである傷病手当金を受給した。このおかけで生活費を確保でき、リハビリに専念して完治できたんです。社会保険制度のありがたみを知っている自分が、このジャンルの課題を解決する――そんなストーリーは、今後の資金調達、広報、採用などにも活かせるのではないかと考えました


しかし、当時は収益源となる製品がなく、会社の残高も個人残高も10万円を切る寸前。開発を始めていいものか悩んだ。

そんな折、Open Network Labの「DemoDay」で優勝。開発資金を獲得する。

こうして、2015年11月、クラウド人事労務ソフトSmartHRの提供開始にこぎ着けた。その後、数々のスタートアップイベントで優勝を勝ち取ることになる。
こうしたイベントは、現・CTOである芹澤雅人氏との縁ももたらした。「TechCrunch Tokyo 2015」の会場を訪れ、「今日出ている会社で、一番ビビッときた会社に転職する」と決めていた芹澤氏が、「エンジニア募集中」という宮田氏の呼びかけに応えたのだ。

HRテックを盛り上げた後、HR以外への領域に挑戦したい

ローンチから3年にして、導入企業は2万社を超えた。この成長の裏側には、ローンチ後の「2つの決断」があったという。


宮田氏実はサービス出して半年後くらいに、ターゲットユーザーをがらっと変えたんです。当初は10人未満の企業を想定していたんですが、数十~数百名規模の企業からの引き合いが多かった。それに対応するため、根幹の仕組みをリプレイスしたんです。組織体制が固まっていない時期だったので大変でしたが、初期に対応しておけたのはよかったと思います。そして1年半くらい経つと
『1000名以上規模の顧客を狙っていくべきかどうか』という議論が持ち上がった。その規模になると全国に拠点があり、拠点ごとに社会保険制度の『事業者番号』が割り当てられている。これに対応するには大きなシステム改修が必要になるので迷いはあったんですが、メンバーの『攻めましょう』の声に後押しされ、決断しました。その2つの転機が、今につながっています


現在は、アップセルプロダクトの開発にも注力。『SmartHR Plus』としてプラットホーム化を目指す。


宮田氏昨年夏には雇用契約書締結のアプリを出しましたが、本体の初期の伸びよりも2倍ぐらい速いスピードで成長しています。ゆくゆくは当社の仕組みを外部に開放し、HR系のSaaSの会社さんがSmartHRに乗っかれるようにしていきたい。そうすれば、彼らは製品づくりに集中できて、SmartHRを利用している会社さんは製品を簡単に導入できる。そんなプラットホームを提供し、HRテック分野を活性化させたいですね。そしていずれはHR領域にとどまらず、テクノロジーを使って社会全体の非合理をハックしていきたいと思います

( 取材・構成:Daisuke Kikuchi / 執筆:青木典子 / 撮影:田中振一 / ディレクション:平泉佑真)

【FounderStory #3】法律の知識とITで「国境をなくす」友人の強制送還を経験したone visa岡村氏の挑戦

Founder Story #3
one visa
代表取締役CEO
岡村アルベルト
Albert Okamura

TechCrunch Japanでは起業家の「原体験」に焦点を当てた、記事と動画のコンテンツからなる「Founder Story」シリーズを展開している。スタートアップ起業家はどのような社会課題を解決していくため、または世の中をどのように変えていくため、「起業」という選択肢を選んだのだろうか。普段のニュース記事とは異なるカタチで、起業家たちの物語を「図鑑」のように記録として残していきたいと思っている。今回の主人公はone visaで代表取締役CEOを務める岡村アルベルト氏だ。

岡村アルベルト
one visa 代表取締役CEO
  • 1991年 ペルーで生まれる。
  • 2010年 甲南大学マネジメント創造学部 入学。
  • 2014年 入国管理局で働き始める。
  • 2015年 one visaを設立。
  • 2017年 ビザ取得サービス「one visa」をリリース。
Interviewer:Daisuke Kikuchi
TechCrunch Japan 編集記者
東京生まれで米国カリフォルニア州サンディエゴ育ち。英字新聞を発行する新聞社で政治・社会を担当の記者として活動後、2018年よりTechCrunch Japanに加入。

友人の強制送還を経験した少年時代

ある日突然、仲の良い友達と離れ離れになってしまったら、どれほど辛いだろうか。

one visa代表取締役CEOの岡村アルベルト氏の原体験は、少年時代に経験したそのような悲しい思い出だ。

岡村氏が2015年に設立したone visaは、2017年よりビザ申請・管理の法人向けウェブサービス「one visa」を提供している。

one visaでは「ワンクリック申請書類作成」「メンバー管理」「代理申請」の3つの機能により、外国籍社員のビザ申請、更新タイミングの管理、従業員からの問い合わせ対応までワンストップで対応。外国籍社員のビザ申請にかかる工数を大幅に削減できるほか、コストを業界平均の半額以下に抑えることを可能とする。

岡村氏は南米ペルー生まれで、ペルー人の母と日本人の父を持つ。

来日したのは8歳のとき。通っていた大阪の小学校には日本語を教える制度はなく、外国籍を持つ他の生徒たちと共に特別学級で学んだ。

当時、遠くに住んでいて、数ヶ月に一度だけ会えるのを楽しみにしている友人がいた。南米コミュニティを通じて知り合い、会えた時にはお泊まり会などをして、全力で遊んだ。


岡村氏僕たちは顔がよく似ていて、『まるでドッペルゲンガーだ』と話していた。それくらい仲が良く、よく遊んでいた


ところが、10歳のころ、異変は訪れた。ある日を境に、その友人家族がコミュニティの集まりに参加しなくなってしまったのだ。


岡村氏親からは、『もう来れなくなった』『ビザが許可されなかったみたいだ』と説明された。残念だったが、その時は知識もなく、あまり深く考えずにいた。だが、中学生になり、『あれは強制送還だったんだ』と気付き、ショックを覚えた


「課題を解決したい」という気持ちはすでにあったが、当時は唇を噛むことしかできなかった。

入国管理局での経験から得たone visaの構想

甲南大学マネジメント創造学部を卒業した後、入国管理局の窓口業務を委託されていた民間業者に就職。IT企業からも内定を貰っていたが、「強制送還された友達のこと」や「帰化した際に経験したこと」を思い出し、高額な初任給を蹴り、入管で働くこととなる。

現場の責任者に持てめられていたスキルは、4、5時間ほどの待ち時間をできるだけ短くすること。品川の東京入国管理局にて2万件以上の書類に対応した経験が、one visaの開発に繋がった。


岡村氏入国管理局しかり、公的機関に出す書類は自由度の高い編集ができない。法律や規定などの基づいて、フォーマットが決まっている。中でも入国管理局の書類は難しい部類だ。当時、混雑していた理由は、申請書類の分かりにくさにあった。数パーセントくらいの人しか、完璧なものを用意できなかった。それをわかりやすくするだけで、(申請者は)行列に並ばずに済むのにな、と思っていた

起業をしたいという気持ちは小学生のころからずっとあった。

ペルーでは旅行代理店を経営していた母親から、「自分の会社を持つために勉強しなさい」と常々言われていたからだ。

事業に関するビジョンはなかったが、「こんなオフィスを構えたい」、売り上げが空や宇宙を超えるように「会社名はスカイコスモスコーポレーション」、などと想像し、楽しんだ。

岡村氏が実際にone visaを設立したのは2015年のこと。当時の会社名はResidence。TechCrunch Japanで初めて紹介したのは2016年のIBM BlueHubのデモデイの時だ。その時の編集長、Ken Nishimuraが記事にしている。

翌年2017年の6月、one visaのオープンベータ版をリリースし、併せてプライマルキャピタルとSkyland Venturesを引受先とする、総額3600万円の第三者割当増資を発表した。

改正入管法の施行、one visaのこれから

2019年4月1日、改正入管法が施行され、外国籍人材の就業に関する制約が緩和。「特定技能」という新しい在留資格が制定された。

one visaでは、その特定技能ビザを活用した海外人材への学習機会提供からビザ取得、安住支援までをサポートする“海外人材の来日・安住支援サービス”を提供する。外国籍人材にとって必要なサポートを一気通貫で提供していくのが同社の狙いだ。

“海外人材来日・安住支援サービス”のスキームには「one visa work」、「one visa」、「one visa connect」の3つのサービスが存在する。one visa workでは日本語習得や採用、one visaではビザ取得、one visa connectでは生活・定着を支援する。

昨年9月には関西大学の監修のもと、カンボジアに「one visa Education Center」を設立。3ヵ月で特定技能ビザに必要なレベルの日本語能力検定試験N4レベルを取得できる日本語学習の機会を提供している。

また、セブン銀行ならびにクレディセゾンと協業することで、来日直後の銀行口座開設とクレジットカード発行を可能にし、富士ゼロックスシステムサービスとの協業により、外国籍人材がスムーズに役所への各種届出が行える環境を構築する。

そんなone visaが実現を目指すのは「国境のない世界」だ。

one visaでは国境を大きく分けて2つ定義している。


岡村氏1つは、国を跨いで移動する際にある障壁。日本人がアメリカに行く際にはスムーズに行ける。しかし、ペルーの人には面接などのプロセスがあり、様々な書類を書き、行けるか行けないかはわからないが、やっと申請することができる。国の与信に紐づいて、自分が行ける国、行きやすい国が変わってしまう

もう1つは、複雑なプロセスを乗り越えた後にやっと移住した国で、定住するために色々なハードルが存在する、という意味での国境。自分の国であれば、銀行口座やクレジットカードや家、仕事などへスムーズにアクセスできたのに、移住したことによって一気にハードルが上がってしまうこともある

one visaとしては、この2つの国境をなくしていき、フラットな世界を作っていきたい。法律の知識とITを活かし、極力フラットな世の中を作ろうとしている

<取材を終えて>

岡村氏はone visaが提供するような「外国籍人材を対象としたサービス」は日本人向けと比べると圧倒的に母数が少ないため、極めて包括的に一社で様々なソリューションを展開していく必要があると話していた。“海外人材来日・安住支援サービス”のスキームが今後、どのような広がりを見せるのか、目が離せない。(Daisuke Kikuchi)

( 取材・構成・執筆:Daisuke Kikuchi  / 撮影:田中振一 / ディレクション:平泉佑真 )

【FounderStory #2】「妊娠中・育児中の母親を孤独にさせない」Kids Public橋本氏が展開する遠隔相談サービス

Founder Story #2
Kids Public
代表取締役社長
橋本直也
Naoya Hashimoto

TechCrunch Japanでは起業家の「原体験」に焦点を当てた、記事と動画のコンテンツからなる「Founder Story」シリーズを展開している。スタートアップ起業家はどのような社会課題を解決していくため、または世の中をどのように変えていくため、「起業」という選択肢を選んだのだろうか。普段のニュース記事とは異なるカタチで、起業家たちの物語を「図鑑」のように記録として残していきたいと思っている。今回の主人公はKids Publicで代表取締役社長を務める橋本直也氏だ。

橋本直也
Kids Public代表取締役社長)
  • 2009年 日本大学医学部卒。
  • 2009-2011年 聖路加国際病院にて初期研修。
  • 2011-2014年 国立成育医療研究センターにて小児科研修。
  • 2014-2016年 東京大学大学院医学系研究科公共健康医学専攻 修士課程。
  • 2015年-現在 都内小児科クリニック勤務。
  • 2015年 Kids Public設立。
  • 2016年 TechCrunch Tokyo 2016のスタートアップバトルで優勝
Interviewer:Daisuke Kikuchi
TechCrunch Japan 編集記者
東京生まれで米国カリフォルニア州サンディエゴ育ち。英字新聞を発行する新聞社で政治・社会を担当の記者として活動後、2018年よりTechCrunch Japanに加入。

「不本意な虐待」の現実に直面し、取り組むべき課題を認識

「小児科医」。

Kids Public代表取締役社長・橋本直也氏のもう一つの肩書だ。

産婦人科医院を開業する医師の父のもとに生まれた橋本氏。「いずれは医師に」という周囲の雰囲気に流され、医学部へ進んだ。

橋本氏「研修で医療現場に入ってから、『いい職業だな』と思うようになりました。そして医学部5年のとき、小児科を専門にしようと決めたんです。子どもたちが健康になって退院していく姿を見て、これから何十年も続く未来へ送り出せる仕事って素敵だな、このやりがいは他の診療科にはないな、と

こうして小児科医となった橋本氏が、なぜビジネスの世界で起業するに至ったのか。そのきっかけは、「親の虐待」を目の当たりにした経験だった。

小児科には、虐待が疑われるケガを負った子どもが度々運ばれてくる。しかし真相はわからないままのケースが多い。

そんな中、橋本氏はある母子に出会う。夜中に3歳の女の子が救急車で運ばれてきた。脚がひどく腫れており、レントゲンを撮ると大腿骨が骨折していた。

「私がやりました」。

「とんでもないことをしてしまった」そんな表情で母親は娘の横に寄り添っていた。


橋本氏その母親は孤独な育児環境に置かれていた。仕事も育児も頑張ってきた結果、ストレスが爆発してしまったのでしょう。社会のサポートがあれば、この母親がここまで追い詰められることはなかったんじゃないか……そう考えるようになりました。ケガを負った子を治療するのが医療者の役割ですが、そんな事態になるのを防ぐことが先決。医師も社会の仕組みにまで介入しなければ、この課題は解決できない。病院で待っているだけでなく、家庭や社会にリーチしていくべきだと思ったんです


社会構造が子どもに与える影響を体系的に理解し、対策を研究するため、東京大学大学院へ。公衆衛生学を2年間学んだ後、2015年、Kids Publicを設立した。

病院に行く前に、不安を解決できる仕組みをつくる

「子育てにおいて誰も孤立しない社会の実現」を理念に掲げるKids Publicは、インターネットを通じて子どもの健康や子育てに寄り添うサービスを展開している。

LINE・電話を使った遠隔健康医療相談サービス「小児科オンライン」「産婦人科オンライン」を運営。現在、医療スタッフ65名が相談に対応している。法人に導入しており、法人が費用を支払うことで利用者(自治体の住民や企業の社員)は無料で利用できるシステムだ。

富士通、東急不動産、リクルート、三井住友海上、小田急電鉄など、導入企業が広がっている。


橋本氏親やママ友など、近くに相談相手がいない母親は多い。ちょっとしたことを不安に感じ、鼻水が垂れている、蚊に刺されて腫れているといったことで病院に駆け込んでくるほど。孤独からの不安がエスカレートすれば、子への虐待や産後鬱、自殺といった悲劇にもつながります。早い段階で不安を解決する手段の一つとして、活用が広がればと思います


学生時代には映画製作に取り組み、映像編集を経験するほか、WordPressを使ってWebメディアの記事も執筆していたという橋本氏。IT・ネットを活用するのは、ごく自然な発想だった。

そして、強くこだわるのは「無料で利用できる」ということだ。


橋本氏日本の医療体制は素晴らしい。国民皆保険の仕組みにより、家庭の経済格差に関わらず、平等に医療にアクセスできます。次は『病院に行く前の相談』においても、皆が平等にサービスを受けられるようにしたい。今は利用契約を結んでいる法人の社員や自治体の住民で、スマホを持っている人、LINEを使える人が対象となっていますが、なるべく利用の壁を取っ払っていきたいと思います


また、利用者に不安が生じたときに相談を受け付けるだけでなく、こちらから伝えたい情報やメッセージを定期的に発信していきたいと考え、「小児科オンラインジャーナル」「産婦人科オンラインジャーナル」も発行している。医療者が執筆し、医療者が編集するメディアだ。

想いを同じくするパートナーと手を結び、これから目指すもの

起業に踏み切れた背景には、さまざまな人との出会いがあった。

大学院で学び始めた頃は、自分がビジネスをするイメージはまだ持っていなかった。そんなとき、Webメディアを立ち上げた経営者に出会う。


橋本氏彼は専門知識を社会にわかりやすく伝えていくことに、社会的な使命感を持って取り組んでいた。『社会を変えるために起業する人がいるのか』と、衝撃を受けました。サービスを開発し、マネタイズし、スケールさせ、サスティナブル(持続可能)経営を行う。そうしたノウハウを学んでビジネス化することは、自分の想いを叶え、目指す社会を実現させるためのエンジンになる、と思ったんです


こうして起業を決意。創業パートナーとなったのは、女性小児科医の千先園子氏だ。

橋本氏と千先氏が初めて会ったのは大学1年の頃。大学は別だったが、国際医学生連盟で活動を共にした。国際問題・医療問題への意識が高い医学生が集まる、世界各国に支部を置く団体だ。その後、国立成育医療研究センターでの小児科研修で再会した。

以前から社会課題への認識が合致していたこともあり、橋本氏のビジョンに賛同。夫も起業家であり、フレキシブルな思考力を持つ千先氏は、心強いパートナーだ。

また、「育児の孤立を防ぐには、妊娠期からのサポートが必要」と考え、産婦人科領域の知人に相談。紹介により、産婦人科医の重見大介氏と出会った。もともと同じ構想を持っていた重見氏と意気投合。重見氏は現在、産婦人科オンラインの代表を務める。


橋本氏『子どもに投資する社会であるべき』。そんな共通認識を持っている人とパートナーシップを結んでいます


今後は、女性の健康全般、思春期の子どもたちの悩みなどにも接点を持っていきたいと考えている。婦人科も巻き込んだ女性の健康サポート体制の構築、子どもとドクターがオンラインで対話できる場などを設けていく構想を練っている。


橋本氏もっと多くの人にとって『医療』を身近なものにする役割を担っていきたいですね

<取材を終えて>

国立成育医療研究センターなどのチームは2018年9月、2015年から2016年に102人の女性が妊娠中から産後にかけて自殺しており、妊産婦死亡の原因の中で最も多いと発表。また、日本労働組合総連合会による「働きながら妊娠をした経験がある20歳〜49歳の女性」への調査(2015年)によると、過度の就労が早産などのトラブルのリスクを高めることについて「自分も職場の人も十分な知識がなかった」と回答した割合が4人に1人。

気軽に相談ができる産婦人科オンラインは母親たちのストレスや悩みを軽減する心強いサービスとなっている。

「近くに相談相手がいない母親は多い」と橋本氏は話していたが、“ICTのちから”を使い寄り添うことで孤独から救える対象はまだまだ多く存在すると思う。

僕はこれまでに“いじめ防止プラットフォーム”の「STOPit」などを紹介してきたが、子供たちには家族や友人に相談しにくい“健康”に関する悩みもあるだろう。そんな彼らを救うための遠隔相談サービスのローンチに期待したい。(Daisuke Kikuchi)

( 取材・構成:Daisuke Kikuchi / 執筆:青木典子 / 撮影:田中振一 / ディレクション・動画:平泉佑真 )