フェイスブックとトランプ大統領の間には「何の取引もない」とザッカーバーグ氏が明言

Mark Zuckerberg(マーク・ザッカーバーグ)氏はAxios(アクシオス)のインタビューに答え、同プラットフォームがトランプ大統領に寛大な対応をする密約があるとする疑惑を明確に否定した。

「その憶測は私も聞いているので、はっきりさておきたい。いかなる取引も存在しない」とザッカーバーグ氏はAxiosに話した。「そもそもがばかげた話だ」。

Donald Trump(ドナルド・トランプ)大統領は他のプラットフォーム(特にTwitter)で規則違反の監視を強められているが、Facebook(フェイスブック)での大統領の行動は依然としてほぼ手をつけられていない。2019年10月に、ザッカーバーグ氏はホワイトハウスで大統領およびフェイスブック取締役でトランプ氏の盟友であるPeter Thiel(ピーター・ティール)氏と非公開のディナーに出席したことを批判された(NBC News記事)。

「私はディナーの招待に応じた。私が現地にいて、彼が米国の大統領だからだ」とザッカーバーグ氏はいい、オバマ政権時代にも同じことをしたと説明した。「私が国のトップと会ったという事実は驚くことではないし、何らかの取引を示唆するものではない」。

関連記事:フェイスブック社員がバーチャルストを敢行、トランプ米大統領の投稿に対する会社の態度に抗議

「私の見たある批判は、私たちがトランプ政権に同情的すぎる、近すぎるのではないかと言っている人がたくさんいるというものだった」とザッカーバーグ氏はいい、「誰かに発言の機会を与える」ことはその人の信念に同意することとは異なる、と主張した。

たしかにフェイスブックとトランプ政権の間には友好的な力学が働いているように見えるが、フェイスブックが利益を得る明確な契約が存在していることは、もし明るみに出た時に受ける非難の嵐を考えてもありそうにない。フェイスブックが、例えば当局による監視の緩和などの取引きを行うという発想は、フェイスブックに適用される規制の変更は他のオンラインプラットフォームにも適用されることを踏まえると想像できない。トランプ大統領が自身のツイートに対するTwitter(ツイッター)の行動を罰するための大統領令に署名(未訳記事)した際、その脅威はすべてのソーシャルメディアに適用され、フェイスブックもその1つだった。

関連記事:トランプ大統領が投稿したフェイクニュースを非難するビデオをTwitterがフェイク認定

それでも、大統領の書いた筋書きを実行するためにトランプ政権と密接に動くことの多い司法省には、反トラスト法で追求する対象を選ぶことができる。そして選んだ敵に向けて議会の政治的盟友を動かせるトランプ大統領の能力は、フェイスブックなどの企業にとって政治的偏見への主張を巡り頭痛の種になるかもしれない。ホワイトハウスとトランプ陣営に対するフェイスブックの融和的なスタンスが見過ごされる可能性は低い。

ザッカーバーグ氏がトランプ批判に後ろ向きであることはすでに裏付けられているが、ここ数日は政権にやや批判的である。先週彼は、パンデミックに対する科学界の代表であり現在トランプ氏と敵対しているAnthony Fauci(アンソニー・ファウチ)氏との雑談をライブ中継した。その中でザッカーバーグ氏は、トランプ氏を名指しこそしなかったが、国家検査のスケールアップを怠り、予防措置としてのマスク着用の推奨を拒否した米国政府を批判している。

画像クレジット:Aurora Samperio/NurPhoto / Getty Images

関連記事:On Facebook, Trump’s next false voting claim will come with an info label(未訳記事)

原文へ
(翻訳:Nob Takahashi / facebook

Facebook取締役会にザッカーバーグ氏の友人でDropboxのCEOが参加

株主は、もう何度もFacebookのマーク・ザッカーバーグ会長を追放しようと試みてきた。取締役会は、それを何度も拒否してきた。外部の投資家は、Facebook取締役会に新たに加わったメンバーに助力を期待しても無駄のようだ。その人とは、Dropboxの共同創設者でCEOのDrew Houston(ドリュー・ヒューストン)氏だ。

今回の取締役会のメンバー増員は、昨年10月にSusan Desmond-Hellmann(スーザン・デスモンド・ヘルマン)博士が取締役会を去って以来初となる。彼女は筆頭独立社外取締役だったが、その席は空いたままだった。資本関係のある「独立」の肩書きだが、ビジネスとは別に個人的にザッカーバーグ氏と友人関係にあるストレージサービスのスタートアップであるDropboxのリーダーのヒューストン氏がその地位を引き継ぐことには無理があるかも知れない。

ザッカーバーグ氏とヒューストン氏は8年来の親しい仲で、少なくとも2012年から、選ばれた人だけが参加できるAllen & Co Sun Valleyカンファレンスの会場で一緒に車を乗り回す姿が撮影されている。それほどの派手さはないが、ザッカーバーグ氏とUberの元CEOであるTravis Kalanick(トラビス・カラニック)氏がヒューストン氏の誕生日を、サンフランシスコのピンポンバーSPiNの「美女とスポーツ」をテーマにしたパーティーで祝っている写真もある。

サンフランシスコのピンポンバーSPiNで卓球を楽しむザッカーバーグ氏と、それを見るドリュー・ヒューストン氏(右)。写真:Ryan Soule of SPiN、USA Todayより

ヒューストン氏はまた、Dropboxより数年先に株式公開の試練を経験したザッカーバーグ氏を心の師と仰いでいる。ヒューストン氏は、2015年、ブルームバーグに「(ザッカーバーグ氏は)会社の規模拡大、従業員のまとめ方、そうした組織の作り方に関して、たくさんの助言をくれた」と話している。

同氏はMITコンピューターサイエンス科出身の熟達の技術者であり、在学中にDropboxのアイデアを思いついた。Facebookが終端間の暗号化を拡張するためにメッセージングアプリを統合しようとしたときは、同氏の助言が大いに役立っているはずだ。

しかし、Dropboxがそのコンテンツのモデレーションと社会的影響力という、ザッカーバーグ氏とFacebookが常に突きつけられている2つの問題に関してあまり厳しく監視されていないこともあり、彼が大きな話題になる可能性は、デスモンド・ヘルマン氏ほど高くないだろう。ヘルマン氏は、慈善団体ビル&メリンダ・ゲイツ財団のCEOを務めていたことがあり、カリフォルニア大学サンフランシスコ校の学長でもあった。

Facebookの株主は、2018年末2019年中頃、その他数回にわたり、ザッカーバーグ氏に取締役会会長の座を降りるよう求めてきた。しかし、取締役会の他のメンバーはみな、早期に安全性の強化ができなかった責任を認め、セキュリティーとコンテンツのモデレーションに投資をしたことによる現在の収益減少を警告されている同氏を支持し続けている。反発が止まず、先週の収支報告にも批判が強いFacebookだが、株価は史上最高値に近づいている。

Facebookの現在の取締役会には、ザッカーバーグ氏、PayPalのPeggy Alford(ペギー・アルフォード)氏、Andreessen Horowitz(アンドリーセン・ホロウィッツ)のMarc Andreessen(マーク・アンドリーセン)氏、General CatalystのKenneth I. Chenault(ケネス・I・シュノルト)氏、FacebookのSheryl K. Sandberg(シェリル・K・サンドバーグ)氏、Founders FundのPeter A. Thiel(ピーター・A・ティール)氏、Cranemere GroupのJeffrey D. Zients(ジェフリー・D・ザイエンツ)氏、ヒューストン氏が在籍している。

ザッカーバーグ氏に対する発言力が強い取締役を望むなら、将来的には独立社外取締役の席を埋める人物にはよく目を光らせておく必要がある。他のメンバーと違いザッカーバーグ氏に反論できる人物として知られていたNetflixのReed Hastings(リード・ヘイスティングス)CEOは、去年取締役会を去っている。

ザッカーバーグ氏とその内輪の仲間は、テクノロジーが私たちの生活を向上させると信じる楽観主義者として知られている。民主主義、人権、人々の関心にソーシャルネットワークが与える影響について健全な程度に懐疑論をもたらす独立社外取締役がいればFacebookは大いに得をする。この機会をFacebookはうまく利用できた。富と権力のためなら喜んで他人を騙したり陥れたりする人間であろうと誰彼構わず引き入れたときの弊害の予防策を講じるよりよっぽどいい。新しい取締役会のメンバーが、テクノロジーの副作用について、またそれが世界中の発展途上国に大変動を引き起こす可能性について、広い見識を持っているならば、Facebookの25億人のユーザーは多く得ることができるだろう。

画像クレジット:Kevork Djansezian / Staff / Getty Images

[原文へ]

(翻訳:金井哲夫)

Facebookの従業員グループが政治広告の嘘を規制するようザッカーバーグ氏に要求

大統領選挙の政治広告をファクトチェックに送ること、マイクロターゲティングを制限すること、出費できる広告費に上限を設けること、選挙活動禁止期間を監視すること、または少なくともユーザーに警告すること。これらは、Facebook(フェイスブック)の従業員が、政治広告の偽情報に対処するようCEOマーク・ザッカーバーグ氏と会社幹部に宛てた公開嘆願書の中の対処案だ。

この書簡はニューヨーク・タイムズのMike Isaac(マイク・アイザック)氏が入手したもの。それは、「自由な言論と有料の言論は別物だ。政治家や選挙候補者のファクトチェックに関する私たちの現在のポリシーは、Facebookの根幹である精神を危険に晒している」と主張している。数週間前、Facebookの内部協力フォーラムに投稿された。

関連記事:Facebookは選挙キャンペーン広告を禁止し、嘘を止めよ(未訳)

この考え方は、私が10月13日にTechCrunchで公開した、Facebookは政治広告を禁止すべきと訴えたコラムの内容と重なっている。Facebookの政治広告で流される歯止めのない虚報は、政治家とその支持者によって、その主張やライバル候補に関する感情的で不正確な情報が拡散され、さらにそうした広告のための資金集めを助長している。

Facebookは、金持ちの不誠実な人間ほど大金を投じて大声で嘘を拡散できる現状を制限しつつも、各自のFacebook・ページでの自由な発言を許すことは可能だ。私たちは、Facebookがもし政治広告を禁止しなければファクトチェックを行うか、攻撃される恐れのない投票や寄付といった一般的な広告ユニットを使うこと、またはその両方を行うことを提案した。さらに、コミュニティーへのマイクロターゲティングが虚報に対して脆弱であり、簡単に寄付できるリンクはFacebookの広告を、同等のテレビやラジオのスポット広告よりも危険なものにすると批判した。

10月23日水曜日、ワシントンD.C.にて下院金融サービス委員会で証言するFacebookのCEOマーク・ザッカーバーグ氏(写真:Aurora Samperio/NurPhoto via Getty Images)

3万5000名のFacebook従業員のうち、250名以上が書簡に署名をした。そこではこう明言されている。「私たちは現状のポリシーに強く抗議します。それは人々の声を擁護しておらず、反対に、政治家の投稿は信頼できると信じる人々へのターゲティングにより、政治家が私たちのプラットフォームを兵器化することを許すものです」と。現在のポリシーは、選挙の品位を保つためのFacebookの努力をないがしろにし、虚報を容認し、嘘で利益を得ることを良しとしているというシグナルを発してユーザーを混乱させていると訴えている。

提案された対処策は次のとおり。

  1. 第三者によるファクトチェックを受けない限り政治広告は受け付けない。
  2. 政治広告と政治的でないオーガニック投稿との区別がつくよう視覚デザインを変える。
  3. カスタムオーディエンスの使用を含む政治広告のマイクロターゲティングを制限する。なぜならマイクロターゲティングは、政治家の誠実性を保つとFacebookが主張している世間の厳しい目から、それを隠してしまうため。
  4. 選挙活動禁止期間中の政治広告を監視し、虚報による影響と拡散を制限する。
  5. 政治家または候補者による広告への出費を、彼ら自身とその政治活動委員会を含めた合算で制限する。
  6. ファクトチェックを受けていない政治広告がひと目でわかるようにする。

これらのアプローチを組み合わせることで、Facebookは虚報が拡散される前に、または個々の主張の監視を行う必要性が生じる前に、政治広告を止めるか禁止することができる。

この書簡に対するFacebookの反応は「私たちは今後も政治的言論への検閲を行わない立場を維持し、政治広告にさらに踏み込んだ透明性を持たせるよう検討を進める」というものだった。だが、これは書簡の論点をすり替えている。従業員たちは、Facebookから政治家を追放せよとは言っていないし、彼らの投稿や広告を削除せよとも言っていない。警告の印を付けて、金によるリーチの拡大を制限しようと言っているだけだ。それは検閲には当たらない。

報道機関や、民主党ニューヨーク州選出のアレクサンドリア・オカシオ・コルテス下院議員をはじめとする政治家たちからの反発にも関わらず、ザッカーバーグ氏は現在のポリシーを堅持している。議会証言の際にコルテス議員から、具体的にどんな虚報が広告では許されるのかと質問されたザッカーバーグ氏は言葉を詰まらせていた

しかしその後の金曜日、共和党のリンゼー・グラム議員がオカシオ・コルテス議員のグリーン・ニュー・ディール法案に賛成したとする、ファクトチェックの能力を試す目的で出された広告の掲載を取り止めた。グラム議員は実際には反対している。Facebookは、今後は政治活動委員会の広告をファクトチェックにかけるとロイターに話した。

Facebookにできる、政治家の広告のためのひとつの賢明なアプローチとして、ファクトチェックを重ねることがある。大統領選の候補者を手始めとして、より正しく精査できるようにデータを増やすのだ。嘘と判定されたものは、単に嘘を示すラベルを添付するのではなく、コンテンツをブロックする形でインタースティシャル警告を表示する。これは、一般向けにあまり目立ちすぎない、州ごとのターゲティングのみを許可する、政治広告の大きな断り書きと組み合わせて使うことができる。

広告料金の出費制限と選挙活動禁止期間の決定は、少し複雑だ。低く制限すれば、選挙活動の公平さを保つことができ、活動禁止期間を広げれば、とくに投票期間中は、有権者の投票を妨害するボーター・サプレッションを防止できる。おそらくこれらの制限は、Facebookが開設を予定し、モデレーションとポリシーの最高裁判所となる監督委員会に委ねられることになるだろう。

ザッカーバーグ氏の主張の核心には、時が経てば歴史は検閲ではなく言論に傾く、という考えがある。しかしそれは、テクノロジーは正直者にも不正直者にも平等に恩恵を与えるという前提に基づく理想郷的な詭弁に屈している。現実には、分別のある真実よりも煽動的な虚報のほうが、ずっと遠くまで、ずっと早く到達する。無数のバラエティーに富むマイクロターゲティング広告は、嘘つきを罰するように作られた民主的な仕掛けを無力化し威圧する。その一方で、盲信的な支持者の報道機関が正直者を非難し続ける。

ザッカーバーグ氏は、Facebookが真実の警察になることを避けたがっている。だが、もし彼が、その正しいと信じる思想信条から一歩退いてくれたなら、私たちやFacebookの従業員たちが提案するように、虚報を制限するための進歩的なアプローチの可能性が開かれる。

Facebook従業員が会社幹部に宛てた、政治広告に関する書簡の全文をここに掲載する。ニューヨーク・タイムズより転載。

私たちは、ここで働くことに誇りを持っています。

Facebookは、思いを発言する人々の味方です。討論し、異なる意見を交換し、考えを表現する場所を作ることにより、私たちのアプリやテクノロジーは世界中の人々にとって有意義なものとなります。

このような表現を可能にする場所で働けることを私たちは誇りに思うと同時に、社会の変化に伴い進化することが必然であると信じています。クリス・コックスもこう言っています。「ソーシャルメディアの効果は中立ではなく、その歴史はまだ刻まれていないことを、私たちは自覚している」

ここは私たちの会社です。

私たちは、この会社のリーダーであるあなたたちに訴えます。なぜなら今の路線が、我らがプロダクトチームが、この2年間、品位の保全のために達成した大いなる前進を無に帰するものであることを憂慮しているからです。私たちがここで働く理由は、それを重視しているからであり、ほんの些細な選択も、恐ろしいほどのスケールで社会に影響を及ぼすからです。手遅れになる前に、私たちはこの懸念を表明したいと思います。

自由な言論と、有料の言論とは別物です。

虚報は、すべての人たちに影響を与えます。政治家や政界を目指す人たちを対象にした私たちのファクトチェックのポリシーは、Facebookの根幹を脅かします。私たちは、現状のポリシーに強く抗議します。それは人々の声を擁護しておらず、反対に、政治家の投稿は信頼できると信じる人々へのターゲティングにより、政治家が私たちのプラットフォームを兵器化することを許すものです。

現在の状態で、広告料を受け取り市民向けの虚報をプラットフォームで公開すれば、以下の事態が予想されます。

広告料を支払ったコンテンツと類似のオーガニックコンテンツを、または第三者のファクトチェックを受けたものと受けていないものを、同列に表示することを許せば、プラットフォームへの不信感が増加します。さらにそれは、権力の座にある人、または権力の座に着こうとしている人による故意の虚偽報道キャンペーンから利益を得ることを私たちが是認しているとのメッセージを発することになります。

品位ある製品開発が無駄になります。現在、品位の保全を担当する数々のチームは、より文脈に即した形でのコンテンツの提示、違反コンテンツの降格といったさまざまな課題に懸命に対処しています。Election 2020 Lockdown(2020年大統領選挙ロックダウン)に関して、品位保全担当チームは、支持と不支持の難しい選択を行ったところです。ところが今のポリシーは、プラットフォームの信頼性を低下させ、彼らの努力を無に帰するものです。2020ロックダウンの後も、このポリシーには、今後世界で実施される選挙に危害を与え続けることになります。

改善案

私たちの目標は、従業員の多くが今のポリシーに納得していないことをリーダーたちに知ってもらうことにあります。
私たちは、私たちのビジネスと、私たちの製品を利用される人々の両方を守るための、よりよい解決策をリーダーのみなさんと共に作り上げることを望んでいます。この作業には、微妙な見解の違いがあることは承知していますが、政治広告を完全に排除しない方向で私たちにできることは数多くあります。

以下に示す提案は、すべて広告関連のコンテンツに関するものであり、オーガニックコンテンツは対象としません。

1. 政治広告に、他の広告と同じ基準を適用する。

a. 政治広告でシェアされる虚報には、私たちの社会に並外れた不利益をもたらす衝撃力があります。他の広告に義務付けられている基準に準拠しない政治広告からは、料金を受け取るべきではありません。

2. 政治広告には明確な視覚デザインを施す。

a. 政治広告とオーガニックな投稿との見分けに人々は苦労しています。政治広告には、はっきりそれとわかるデザインを施し、人々が簡単に話の流れを把握できるようにすべきです。

3. 政治広告のターゲティングを制限する。

a. 現在、政治家や政治キャンペーンは、カスタムオーディエンスなど、私たちの高度な広告ターゲティングツールが利用できます。政治広告の広告主の間では、有権者名簿(有権者に接触できるよう公開されています)をアップロードし、行動トラッキングツール(Facebook・ピクセルなど)や広告エンゲージメントを使って宣伝効果を高めるのが一般的です。これを許可することで生じるリスクは、有権者が、私たちが称するところの政治的発言に伴う“世間の監視”に参加しにくくなることです。こうした広告は、マイクロターゲティングされていることが多いため、私たちのプラットフォームでの会話は、他のプラットフォームでのものに比べて、ずっと閉鎖的なものになります。現在、私たちは、住宅、教育、クレジットのバーティカルマーケティングでは、差別問題の過去があるためにターゲティングを制限しています。同様の制限を政治広告にも広げるべきです。

4. 政治活動禁止期間中の監視を広げる。

a. 各地方の法令や規制に従い、選挙活動禁止期間中の監視を行います。世界中のあらゆる選挙における自主的な活動禁止期間を調査し、誠実な良き市民として行動します。

5. 個々の政治家ごとに、資金源に関係なく、出費制限を設ける。

a. 政治広告を掲載する利点として、発言を広く伝えられることがあると、Facebookは主張してきました。しかし、高明な政治家は大金を注ぎ込み大きな声で主張を行い、ライバル候補の声をかき消してしまいます。この問題を解決するには、選挙活動委員会と政治家の両方が広告を出す際には、個々の広告主ではなく、両者の広告費を合算して上限を設けます。

6. 政治広告のポリシーを明確にする。

a. もしFacebookが政治広告のポリシーを変更しないならば、政治広告の表示方法を更新する必要があります。消費者と広告主にとって、政治広告が、他の広告に適用されるファクトチェックを免除されていることは、すぐにはわかりません。私たちの虚報に関する広告ポリシーでは、元の政治コンテンツや広告には適用されないことは、誰にでも簡単に理解できるようにしなければなりません。とくに、政治的な虚報は、他のタイプの虚報に比べて破壊力が大きいためです。

そのため、政治セクションは“禁止コンテンツ”(絶対に掲載不可)から外し、“制限コンテンツ”(制限下で掲載可能)に移すべきです。

私たちは、実際の変化を確かめられるよう、オープンなダイアログでこれを議論したいと思っています。

私たちは、品位保全の担当チームの仕事に誇りを持っています。今後数カ月間、私たちはこの議論を続け、共に解決策に向けて協力できることを願っています。

今でもここは私たちの会社です。

[原文へ]

(翻訳:金井哲夫)

Facebookの最新のフェイク、監督委員会を民主的な独立機関と思うなかれ

35歳の億万長者にして、各国の議会からの彼と彼の事業が世界中の民主主義と人権に悪影響を及ぼしているかという質問の回答を拒み続けているFacebook(フェイスブック)のCEOであるMark Zuckerberg(マーク・ザッカーバーグ)氏は、さらにあなたを利用して金儲けをする説明責任劇場を立ち上げた。監督委員会だ。

Facebookの事業の話ではないのか。Facebookのブログ記事が高らかに主張する「Establishing Structure and Governance for an Independent Oversight Board」(独立した監督委員会の構成とガバナンスの設立、日本語版のタイトルは「監督委員会の構成とガバナンス」)からそう考えるのも無理はない。

昨年、まだ種まきの段階だったころザッカーバーグ氏は、自身のコンセプトを真剣な顔で広めてくれそうなポッドキャストやテレビ番組のお気に入りの司会者を厳選して直に会って伝えた。それが、いわゆるFacebookの最高裁判所だ。この追加的な意志決定機関は、それ以降(困難な問題に対して使う)同社のお決まりの無味乾燥なFacebook語をまとうようになった。Facebook語では、同プラットフォームでのフェイク活動を婉曲に「非認証の行動」と表現する。

この監督委員会は、Facebookが日々行っているコンテンツの適正化管理(モデレーション)の苦労の上に位置する。モデレーションは、密室の中で守秘義務契約を交わした人間によって行われ、アウトソーシングされた契約部隊が、一般ユーザーに代わって下水のように流れ続けるヘイトや嫌がらせや暴力に目を光らせている。これは問題解消のためのよく目に見えるメカニズムであり、口論を収めることができる(とFacebookでは期待している)。

Facebookの、ひとつですべてに適応しようとするモデレーションのポリシーには実効性がない。22億人を超えるコミュニティーには、同社が言うような地球全体を覆うユーザーベースなどというものは存在しない。非常に多様性に富むFacebookユーザーを、内容監視の最後の手段としてわずか11名の委員会が納得のいく代表者になれるのかどうかも、いまだ明らかにされていない。

「委員会のスタッフを最大まで増員すれば40名になります。委員会の人数は必要に応じて増減します」と、先週Facebookはあいまいなことを書いていた。

1人の委員がFacebookの事業のひとつの市場を担当することを意図していたのなら(そうはなっていないが)、国全体の多様な観点の代表者として1人ずつを充てる必要がある。だが、それは現実的ではない。それどころか顕在する政治的分断が誠実な業務を妨げてしまう。

どうやらFacebookは、最初の委員会の構成を、同社の企業理念を反映する形にしたいと考えているようだ。米国の企業としてFacebookも表現の自由の擁護を信条としている(同監督委員会の憲章の最初の言葉が「表現の自由」であるのは偶然ではないはずだ)。

米国的でないものは、憲章で明言されているもうひとつの基本姿勢を危険にさらすだろう。つまり「自由な表現が最重要」というものだ。

だが、ヘイトスピーチ危険な偽情報政治的暴力などなど、Facebookにどこまでも付きまとう無数のコンテンツ関連の不祥事のモデレーションにFacebookが失敗したなら、個人や社会に重大な危害がおよぶ恐れのある国際市場はどうなるのだろうか。

Facebookの事業が利益を生むためには国際市場が必要だ。しかし、同社が分配する資源からは、決してそれを知ることはできない。Facebookのデジタル植民地政策が、非難されていないわけではない。

https://platform.twitter.com/widgets.js
おそらくこれは、政治(地政学)の(短期の)レベルでは辻褄が合う。一部の委員からは、いつかFacebookの商慣習の変更が求められるかも知れない。
いずれにせよ、実用規模のプラットフォームとしてのFBは、あまりにも力を持ちすぎた毒性の無責任な企業であり続けるだろう。
私はとくに、FBの見た目に素晴らしいグローバルな監督委員会のためのグローバルな入力処理の構築にどれほど投資したかに興味があった。
– 純利益3カ月ぶんか?
– 純利益1カ月ぶんか?
– 純利益1週間ぶんか?

ある特定の記事を削除するか放置するかのFacebookの決断が及ぼす被害は、うんざりするほど大きくなる恐れがある。Facebookのプラットフォームが、民族抗争を焚きつけるロヒンギャなどの少数民族へのヘイトスピーチの運び役となったミャンマーのようにだ。

昨年、国連にけだもの”¥と言わしめたFacebookプラットフォームのミャンマーでの不名誉な失敗が、今回の自主規制の動機になった。将来の意志決定においては、さらに適正な努力を行うとするお決まりの主張とともに、Facebookは外部の人間に助けを求めるショーを開始した。

さらに大きな問題は、事業を広げすぎたFacebookが困難で異論が多く、ときには命の危険すらあるコンテンツが確実に大量に流れ込むようになり、そのモデレーションの判断を迫られていることだ。同社は私企業にとっては難しい判断だと主張している。だがFacebookは、これらすべての問題を収益化することに後ろめたさを表明したことはない(実際、ナチスのターゲット広告に使われたことすらあったにも関わらずだ)。

Facebookの規模は人道上の問題だが、Facebookはそうとは考えていない。その代わりに同社は、2020年中にモデレーションの強化を図り、監督委員会に委託した事例を通じて宝くじ並みの確率で上告する予定だ。

今回の追加的な監督がおよぶ程度は、当然のことながら非常に限定的なものとなる。これは最後の手段だ。Facebookのモデレーターが毎日毎秒拾い出しているものから比べると、信じられないほどわずかなコンテンツを扱うに過ぎず、サクランボ狩り的なアピールの場だ。だがそこから現実世界に影響が波及し、雨が降る。

「委員会は、当初はわずかな案件のみを扱うことになりますが、時が経つに連れてその範囲を広げ、業界内の多く企業も含まれるようになる可能性があります」と、先週、予定されたキックオフの時期はまだ数カ月も先であるにも関わらず、出力期待値を維持しようとザッカーバーグ氏は述べた。その後は、彼が大好きな“将来の期待”の話に移行した。

同社はまた、緊急の案件を通常の手続きを一足飛びにして直接委員会に送り、素早い意見が求められる権限を自身に与えている。会社側のコンテンツに関する質問が優先されるようにだ。

驚くべきことにFacebookは、この自らの都合に合わせた監督機関を独立機関だと喧伝している。

監督委員会という大げさで官僚的なこの名称は、独立した監督委員会という偏向した大見出しでFacebookに花を添えている。しかし、Facebookがこれまでに広めてきた監視委員会に関するその他の文書では、独立したという形容詞はなぜだか見あたらない。先日公表されたばかりの、委員会の権限、範囲、手続きなどを定めた憲章にも登場しない。

「Facebookの監督委員会への関与」と題したザッカーバーグ氏の意見をまとめた書簡を伴う9ページの文書でも、独立したという文言は外され、いつもの心地よい世界に引き戻されている。なんかおかしい。

ザッカーバーグ氏の書簡には、委員会が独立していることを示す言葉がいくつか見受けられる。「独立した組織」であるとか「独立した判断」を行うなどだ。しかし、これはあくまでマークの個人的な意見に過ぎない。

「部屋の中に象がいる」的な誰も口にしたくない大きな問題は(象の比喩を使うとすれば、例えば委員会の会議室の机に見せかけるためにFacebookによってきれいなコスチュームを着せられている象か)、最高指導者が命令に従わず有効な監督の判断に失敗し続けていることだろう。

最高指導者は、FacebookのCEOであるザッカーバーグ氏を適格に言い表している。株式構造と彼が持つ議決権により、ザッカーバーグ氏以外の何者もザッカーバーグ氏をクビにできないことになっているからだ。昨年、Recodeのカーラ・スイッシャー氏がポッドキャストのインタビューで、Facebookのプラットフォームで問題となった無数の言論関連の不祥事の責任をとって辞任しないのかと尋ねたところ、ザッカーバーグ氏は一笑に付した。

これは企業ガバナンスの独裁だ。Facebookの少年王は、一切の内部チェックなしに世界中で強大な力を行使できる。言うなれば倫理的責任を伴わない権力だ。

ザッカーバーグ氏のFacebookのCEOとしてのお詫びの旅は今年で15年目になるが、次は同じ過ちを犯さないとも、冷淡な拡張主義者の野望が消えたとも話してはいない。もちろん、彼は今もそれに専念している。国際デジタル通貨(リブラ)計画や、出会い系サービスの強気の植民地化(Facebookデーティング)だ。個人情報や広告による金の流れを確保するものならなんでもありだ。

先日、Facebookは米連邦取引委員会に50億ドル(約5400億円)の制裁金を支払った。これは、個人情報の管理態勢や規約の施行での失態に関して、上級幹部が質問を受けるのを避けるための手段だ。そしてザッカーバーグ氏とその仲間は、普段どおりのプライバシー無視の儲かる仕事に戻ることができた。ちなみに、Facebookの2018年の年間収益は558億ドル(約6兆円)を記録した。

これらすべてが、独立したFacebookお手製の監督委員会がザッカーバーグ帝国の内外を問わず、実際の規制を欠いた空洞に貼り付ける光輝く絆創膏に過ぎないことを示している。

これはまた、Facebookが民主的な説明責任から逃避し続けていることを覆い隠すものでもある。同社の広告プラットフォームが素早く、しかも杜撰に人々の人権や生活をもてあそんでいる事実から人々の目をそらすために、Facebookの創設者は国会議員からの質問には答えず、不祥事にまみれた業務上の意志決定の責任もとらず、民主主義やコミュニティーを歪めている。ザッカーバーグ氏のためにプライバシーが死ぬことなどあってはならない

責任回避などという言葉では生ぬるい。Facebookのやり方は、もっとずっと積極的で攻撃的だ。Facebookのプラットフォームは説明責任も監督もなく、私たちを変えようとしている。さらに、私たちが民主的に選出した代表者にそれを変えさることを阻止するために、偏向した情報を流したり、事業の姿をあれこれ変形させることに利益をつぎ込んでいる。

書簡の中でザッカーバーグ氏は、民間の監督や法体系といった言葉を彼が呼ぶところのプロジェクトにふさわしい形に言い換えているが(すべてを自分でお膳立てしたコンテンツ関連の意志決定を行う審査機関の条件から外れないように。Facebookが作成したその憲章では「Facebookのコンテンツポリシーと価値に沿って審査と決定を行う」と規定されている)、まったくニュース価値はない。Facebookのトップがどんなに偏向報道に精を出してもだ。

米国外で彼の製品を利用している数億人のユーザーの中から民主的に選ばれた代表者の質問に答えることにFacebookのCEOが同意したなら、それはニュース性の高い衝撃的な話となるだろう。

定期的に質問や不安に答えるべく、ザッカーバーグ氏が世界の国会議員に面会することに同意したなら、それも本当に驚きのニュースとなる。

しかしそれは絵空事だ。彼の帝国はそのようにはできていない。

その代わりにFacebookのCEOは、歴史的に前代未聞の偽情報マシンの能力に匹敵する勢いで、民主的な監視をかわしてきた。昨年の米国議会に出席して非協力的な質問のはぐらかしに終始していたし、当初非公開で行われた欧州連合の会派長会議の定型会議(欧州議員の反発で公開化された)では、質問に答えずにヤジを浴びた。

つい最近では、彼はドナルド・トランプ米大統領と握手を交わしている。その意見の一致がどこへ向かうのかは、憶測するしかない。権力が無責任と出会った。またはその逆か?

https://platform.twitter.com/widgets.js
今日、オーバルオフィスでFacebookのマーク・ザッカーバーグといい会談ができた。

世界の議員たちは、世界のFacebookユーザーの大多数を代表して、ザッカーバーグ氏を綿密に調査し、彼の広告事業を民主化しようと試みているがこれまで露骨に無視されてきた。

今月も、ザッカーバーグ氏は今年の12月にダブリンで招集される偽情報に関する国際拡大会議での説明を求める招待を3回連続で断ったばかりだ。

今年の初めにカナダで開かれた2回目の会議でも、ザッカーバーグ氏とCOOのSheryl Sandberg(シェリル・サンドバーグ)氏は出席を拒否した。そのためカナダ議会は、両氏を倫理委員会に召喚するよう議決した。

一方で昨年英国議会は、インターネット上の偽情報に関する時宜にかなった質問に対して、偏向報道やはぐらかしに長けたザッカーバーグの一連の代理人たちによって誤魔化されてしまうというFacebookの非協力的な態度に業を煮やした。それが政府をまたぐ化学反応を招き、偽情報に関する国際拡大会議が一瞬で結成された。Facebookに民主的圧力をかけようと複数の国の議会が集結する。

不誠実なFacebookの態度にフラストレーションを募らせた英国のデジタル、文化、メディアおよびスポーツ委員会も、魔法の議会権限を行使して米国での訴訟に提出されたFacebookの内部書類を入手し、ザッカーバーグ氏の疑惑の装置の中に組み込まれた世界観を暴こうとクリエイティブな試みを行っている。

それらの書類からは、Facebookの事業の実態が垣間見られたが気持ちのいいものではなかった

https://platform.twitter.com/widgets.js
Facebookの事業の実態。
(マーカー部分)「人間が切れかかっている(広告主の観点で価値のある人間を使い切ってしまった)」

米国の法的な発見は、国家規模の獣の腹からデータを引き出すことができる唯一の信頼できる外圧になりそうだ。その巨大さが民主主義の障害になっている。

そこでFacebookは自分で作った監督委員会に、すでに知れ渡っている道のこぶを平らに均す以外のことなら何でもするよう、そして普段どおりFacebookが事業を進められるように舗装するように指示を出した。これはあたかもコーク兄弟に化石燃料権益から独立したシンクタンクを作らせるようなものだ。監督委員会はFacebookの最新の危機管理ツールだ。民主主義を無効化する契約書に軽率にも署名してしまった人たちを、さらに騙すものだ。

憲章をよく調べてみると独立のボロがすぐに現れる。

監督委員会がFacebookのためだけに存在しているという最も重要で明白な事実のほかに、Facebookはそれを子どもを生み続ける親システムの運用を継続させるための従属機能にすることを目指している。さらに、その資金を提供する者も憲章に書かれた目的の責任を負う者も、まったく同一の神だ。同時にその神が監督も行うことになっている(利害が衝突する)。そして憲章にはFacebook自身が最初の委員を選出すると明記されている。その委員が、最初のメンバーとなる残りの委員を選出する。

「委員会の最初の構成を支援するためにFacebookは共同議長を選出する。その共同議長とFacebookは、一緒に委員会の残りの席を埋める人間の候補を選択する」と穏やかな安心感を与える口調で薄灰色のFacebook語で書かれている。何が言いたいのか。その実質的な内容がわかれば「おい、独立性なんて欠片もないじゃないか!」となる。

初代のFacebook公認メンバーは、発達段階の判例に責任を負うことになる。つまり、彼らは基礎となる判例を積み重ね、今後はそれに(Facebookの憲章に沿いつつ)従うようになるのだ。

「すべての決定において、それ以前の委員会の決定は、事実、適用可能なポリシー、その他の要素が実質的に類似している場合、先例としての価値を持ち、高い説得力のあるものと見なされる」と「意志決定の基本」という解説部分に記されている。

この問題点を特筆する必要もないだろう。これではFacebookは変わらない。これまでコンテンツのモデレーションの決定の基準になってきたFacebook第一の精神とまったく同じだ。今回はただ、監督というピカピカに磨かれた豪華な衣装をまとっただけだ。

説明責任も果たしていない。Facebookは、透明性恐怖症の役員たちを民主主義(と倫理)の監視から隔絶するための批判対策ファイアーウォールで囲んで実際の規制から事業を守ろうとしている。そして、ザッカーバーグ氏とその仲間たちを、ケンブリッジ・アナリティカのときのような玉座を揺るがしかねない未来のコンテンツ関連の不祥事から保護しようとしている(先週起きた別の事件から判断するに、その使命はあまりうまくいっていないようだが)。

Facebookが、今後どれだけ民主主義の厳しい監視の目を避け続けるかによってインチキな監視構造をでっち上げてまで自身の代わりにネガティブな宣伝を行おうとするなら(そう、さらなるフェイクだ!)、Facebookが何を隠したがっているのかを真剣に疑わなければならない。

それはブラックホールサイズの倫理の真空地帯なのか?それとも、民主的な世界の秩序を完全に支配できるようになるまでの単なる時間稼ぎなのか。

https://platform.twitter.com/widgets.js
つまり、FBは通貨を欲しがり、今は最高裁場所で、次は何だ。軍隊か。

当然のことながら、監督委員会は実際のFacebookのポリシーを作れるわけではない。馬鹿を言っちゃいけない。委員会にできるのはポリシーの提案だけだ。そしてFacebookは、それをあっさり無視する。

監督委員会がこれから何年間も存続すると想像すれば、委員たちがFacebookの都合に合わせて設定したサポートゾーンから飛び出すことも理論的にはあり得る。しかし、憲章は別のファイアーウォールに焼き付けられているため、ザッカーバーグ氏は自分が気に入らないポリシー上の圧力はすべて無視できてしまう。監督委員会がそこまで独立心を持つチャンスは極めて低い。まさに、そこに見るべきものは何もない。

企業の利益の上に構築された機関が中立的な助言や透明な監督の役割を果たすなどというのは、つまり、はっきり言って知的な専門性の衣装を身にまとった利己的なプロパガンダを広めることだが、たいていがイカサマだ。

だからこそ、民主主義の中で生きるのが好ましいのだ。そして、透明性に関する法的執行基準に規制された民主的に信頼できる機関による管理が好ましい。ところがFacebookは、そうではなく企業の都合によって操作されることに一票を投じるよう、あなたを説得したいと考えている。

そのため、Facebookの監督委員会は透明に運用されるという主張が正しいように聞こえても、まったく意味のないことだ。それは法的な基準による透明性ではない。Facebookは商売だ。民主的な組織ではない。そこに法的拘束力は及ばない。自己規制だ。ゆえにパントマイムだ。

Facebookが、監督委員会をFacebookの最高裁判所と呼ぶことを避けている理由がわかる。それでは骨に近づきすぎるからだ。

法的な透明性の基準(または民主的な説明責任)が適用されなければ、Facebookの自己の利益が監督委員会、監督の信頼性、その他のFacebookの事業との分離が主張されているその隙間に浸透する機会を永遠に得ることになる。それは、案件の選択、決定、ポリシーの提言を形作り影響を与え、感情的になりやすい話題の周囲に物語を作り上げるための議論の種を蒔いて操作し怒りの言動を煽る。すべては独立した外部の監督に入念にかけられたカバーの下で行われる。

Facebookが作り上げ、資金を提供した機関が、Facebookにあらゆる物事に対して責任を取らせるだけの有効な力を持つなどと思い込まされてはいけない。または今回の場合は、折り合いの付かない論争での強い批判を吸収するために作られた機関なのだから、Facebookは何もしないでよいなどと思わされてもいけない。

たとえ、ザッカーバーグ氏の宣伝手段に組み込まれるのが本当に独立した委員だったとしても、Facebookのビジネスモデルが、巨大な規模で人の気を引き、プライバシーを踏みにじり個人情報を集めることから離れない限りは、同社のポリシーに人間的な方向での有意義な影響を与えられるとは、とうてい思えない。委員会のポリシー提言は、新しいビジネスモデルを要求できなければいけない。とはいえ、Facebookがこう言うのは目に見えている。「笑えるね!断る」。

監督委員会は、ひとつの国家に匹敵するほどのユーザーベースを有し、その膨大な資産をイメージ作り(とFacebookは見ている)に投入する企業の、批判を避けるための最新の宣伝活動に過ぎない。つまり、民主的な監視や政府の規制をすり抜けるためにあらゆる手段を尽くしつつ、善良な企業市民と見てもらための方策だ。蛇足ながら、まず根底に問題があると疑わない限り、何事も改善はできない。

選りすぐった独立した少数の専門家の意見が特定の企業の課題を前進させる方法の実例を探すならば、Google(グーグル)の外部委員会を見ればいい。2014年、欧州司法裁判所の“忘れられる権利”の規定に対応して、グーグルがヨーロッパに設立したものだ。この規定はグーグルの業務上の利益を損なう、上訴もできない司法判断だった。

Googleは、外部の人間による諮問委員会と名付けた機関を、おもに宣伝手段として使った。数多くの公開ヒアリングを行い、規定に反対する大きな議論を巻き起こし、ロビー活動も行った。こうした流れの中でGoogleは、EUのプライバシー規制に対するそのあからさまで利己的な批判に、学識のある、地域の事情に精通した、学術的な懸念を抱いたような雰囲気をまとわせていった。これは、外部の人間がそのプラットフォームで任期を務めてくれたお陰だ。

Googleはまた、諮問委員会には、規制の履行に関する意思決定プロセスを左右する権限があると主張していた。その最終報告書では、Googleの意向を汲んでヨーロッパのドメインでの検索インデックス除外を実施することにした(グローバルなcomは含まない)。報告書には反対意見も盛り込まれていた。しかし、Googleが望むポリシー上の立場が勝利した(Googleがお膳立てした委員会には善人も入っていたわけだ)。

Facebookの監督委員会は、また別の利己的な巨大ハイテク企業の曲芸だ。そこでは外向きに大きな出し物を見せつつ、ひと握りの難しいコンテンツに関する意志決定を外部委託するかどうかを自分で選べるようにしている。しかも、民主的な説明責任から逃げ回るために一般のそして政府の注意をそらす役割も果たしている。

今回のFacebookの見せかけの芝居において最も悪質なことは、Facebookのコンテンツ事業の末端の現場で毎日根を詰めて働いている何千ものモデレーターたちに、世間の人々の目を向けさせないようにしていることだろう。彼らは外部委託された声なき労働者だ。Facebookにアップされた中で、最も悪質と思われるコンテンツを短時間で処理しなければならない。いくつものメディアが伝えているが、彼らは精神的ストレスや感情的なトラウマ、さらにはもっと深刻な病に悩まされている

なぜFacebookは、現在抱えているコンテンツ専門家集団の適正な地位について公表するように委員会に言わないのか。また、ポリシー提言の権限を与えると委員会に言わないのか。

監督委員会のメンバーを、コンテンツ適正化のために雇われた人たちの中から選ぶことをFacebookが積極的に支持するとは考えにくい。Facebookはすでに、パイプから何が湧き出てくるかを心底恐れる人間的な感情が事業をストップさせてしまわないように彼らに金を払っている。

監督委員会のメンバーになるための資格について憲章には「メンバーは、思慮深く、偏見を持たずチームに貢献できる経験が実証された者でなければならない。一連のポリシーまたは基準にもとづく意志決定とその説明ができる能力を有し、デジタルコンテンツ、ガバナンス、表現の自由、民間の議論、安全、プライバシー、そしてテクノロジーに関連する問題に精通していること」と書かれている。

世界広しと言えども、この技能をすべて揃えたFacebookのモデレーターなど存在しない。そんなわけで、Facebookの監督委員会は彼らからの志願書は受け付けないだろう。

[原文へ]

(翻訳:金井哲夫)

ザッカーバーグはどうやら欧州で味方をつくれなかったようだ

欧州連合の議員との会合で、Facebook創設者のザッカーバーグはEU一般データ保護規則(GDPR)の“コントロール、透明性、責任”という原則に言及した。この新たな規制GDPRは25日金曜日に施行され、そこには、反した場合に科す罰則も盛り込まれている。FacebookはGDPRを遵守すると、とザッカーバーグは明言した。

しかしながら、今回の会合では透明性や責任というものはほとんど見られなかった。会合に出席した議員からかなり突っ込んだ質問が1時間にわたって出されたが、ザッカーバーグは黙って顔をひきつらせながそうした質問を聞いたのち、そこから答えやすいものばかりを選んだ。

議員からの質問は多岐にわたり、その多くはFacebookの企業倫理について深く掘り下げるようなものだった。情報の不正使用によるプライバシーの侵害の影響はどの程度あったのか、Facebookが会社分割を必要とする独占状態にあるかどうか、データの不正使用についてユーザーはどのように償われるべきか、といったものだ。

Facebookは本当にGDPRを遵守しようとしているだろうか、という質問が何回も投げかけられた(当然のことだが、データ保護を専門とする懐疑派の議員からだ)。Facebookはなぜ15億人にものぼる世界のユーザーのデータ操作ステータスを変更し、GDPRの効力が及ばないようにしたのか。ユーザー情報をもとにしたターゲット広告をやめることを必死に回避してきた同社だが、そうしたターゲット広告のシステムを人々が拒否できるプラットフォームを提供する用意があるのだろうか。

そもそも、なぜ欧州議会との会合を公にすることを拒んでいたのか。EUのプライバシー規則に反対するロビー活動に、なぜ何百万ドルもの金を費やしたのか。サービスを運営している国で税金を払うのか。フェイクアカウントを防止するためにどんな取り組みをしているのか。いじめを防ぐ取り組みはどうか。コンテンツを規制するのか、それともニュートラルなプラットフォームなのか。

矢継ぎ早に厳しい内容の質問がなされ、ザッカーバーグは集中砲火を浴びた格好だった。しかしいざ質問に答える段になると、それは応答の体をなしていなかった。自分が選んだテーマで話したいことだけを話し、しかもそれは事前に準備されたものだった。

ここに、なとびきりの皮肉がある。人々の個人情報は、あらゆるトラッキング技術やテクニックを介してFacebookに大量に流れている。

Cambridge Analyticaによるデータ不正使用スキャンダルの詳細が物語っているが、個人情報はFacebookから大量にリークされたのだ。そのほとんどがユーザーの知らないところで行われ、もちろん同意を伴うものでもなかった。

Facebookの運営の話しになると、同社はかなりの秘密主義を展開している。ほんのわずかな’ニュースフィード“を公開し、どんなデータをどういう目的で収集しているのか詳細は一切明らかにしない。

先月もザッカーバーグは米国議会との会合に臨んだが、そこでもやはり基本的な運営についての質問にまともに回答することを避けた。もし今回の会合で真の透明性や責任の所在が明らかになることを期待していた議員がいたとしたら、完全に失望しただろう。

Facebook ユーザーは、Facebookに自らアップロードしたデータは、ダウンロードできる。しかし、Facebookがあなたについて収集した全情報をダウンロードできるわけではない。

欧州議会の会派の代表らの関心はいまやFacebookのビジネスに集中しているようだ。そして、今回のザッカーバーグの黙り芝居を、Facebookに罰則を適用するためのさらなる証拠としてとらえる向きもある。

EUの規則はお飾りではない。GDPRの欧州外への影響と、有力なパブリックプロファイルはさらなる政治的な論争を展開しそうな勢いだ。

ザッカーバーグが欧州議会の声に耳を傾け、これまで同様のことを語ることで、CEOがブリュッセルでの会合に出た、という事実を作ることをFacebookが今回望んでいたのなら、これは大きな誤算だったようだ。

「まったくザッカーバーグの対応には失望させられた。議員からの詳細な質問に答えなかったことで、欧州の市民の信頼を取り戻すチャンスを失った。それどころか、出席議員に‘より強い規則と監督が必要’との印象を与えた」と、欧州自由連盟議員でGDPR報告者でもあるJan Philipp Albrechtは会合後、我々にこう語った。

Albrechtは会合で、FacebookはWhatsAppとデータの共有をどう行なっているのか、とただした。この問題はデータ保護当局の怒りをかっている。当局がFacebookに対し、そうしたデータフローを止めるよう促しているのにもかかわらず、Facebookはいまだにデータ共有を続けている。

また議員は、そうした2つのアプリ間でのデータ交換はしないことを約束するよう迫った。しかし、ザッカーバーグは頑として約束は口にしなかった。

欧州議会で人権委員会(Libe)の委員長を務めるClaude Moraesは会合後、極めて厳しいトーンではあったものの、そつのないコメントをしていた。

「データ漏えいの結果、Facebookの信用は地に落ちた。こうした状況を打開し、Facebookは欧州のデータ保護法を完全に遵守していると人々に納得してもらうためには、ザッカーバーグ氏とFacebookは真摯に努力しなければならない。’私たちはユーザーのプライバシー問題を真剣に考えている‘といった一般的なコメントだけでは不十分だ。Facebookはそれを行動で示さなければならない。差し当たり的なものであってはならない」と述べている。

「Cambridge Analyticaスキャンダルの件はすでに現在のデータ保護ルールに違反しており、間もなく施行されるGDPRにも反するものだ。この法律に従い、欧州データ保護当局はしかるべき対応をとることになるはずだ」とはっきり語ったのは英国議会の文化・メディア・スポーツ省の委員長Damian Collinsだ。

同委員会はこれまでに3度ザッカーバーグを召喚しているがいずれも実現していない。完全にザッカーバーグに拒絶され、容赦ない姿勢は当然だろう。ザッカーバーグの代理として英国議会で証言に立ったCTOが質問に対してあいまいにしか答えなかったことでもFacebookを非難している。

Collinsはまた「欧州議員からの極めて重要な質問について綿密に調べる機会を逸したのは残念だ。シャドープロファイルやWhatsAppとのデータ共有、政治広告を拒否できるかどうか、データ不正使用の実際の影響度合いはどうだったのか、といったことに関する質問は図々しくも回避された」と指摘した。「残念ながら今回とった質問形式ではザッカーバーグに質問の選り好みをさせる結果になり、各指摘についての回答はなかった」。

「出席議員の、今回の会合はまったく意味をなさなかったという明らかな不満をここに代弁する」とも付け加えた。“ユーザーが知りたいこと”を議会で明らかにするという点では、今回の会合は結局4回目の失敗に終わった。

今回の会合の最後の方では何人かの議員が明らかに激昂した様子で、これまで答えなかったことについて再度ザッカーバーグを質問攻めにした。

ザッカーバーグが話しを次に移そうとするタイミングで、1人の議員は「シャドープロファイル」と言葉を挟んだり、ザッカーバーグが鼻息荒く笑ったり時間を稼ぐためにあらかじめ用意したメモをみたりすると別の議員が「賠償」と叫んだりといった具合だった。

そうした後に、やや不満な態度をあらわにしたザッカーバーグが追求する議員の1人をみて、議員のシャドープロファイルについての質問に答えると言い(実際のところ、認識していなかったというのを理由に、ザッカーバーグはシャドープロファイルという言葉を使わない)、Facebookはセキュリティ目的でそうした情報を収集する必要があると持論を展開した。

議員の1人が、Facebookは非ユーザーの情報をセキュリティ以外の目的で使用することがあるのかと質問したのに対し、ザッカーバーグは明確に答えなかった(後付けしたセキュリティ目的というのは、隠そうとしていることを逆に明らかにするようなものだ)。

ザッカーバーグはまた、非ユーザーはどうやって“データの収集をやめさせる”ことができるのか、という再三の質問も無視した。

話すべきポイントについて隣にいる弁護士の方を向く前に(“他に話しておくべきことはあるだろうか”と尋ねた)、ザッカーバーグは「セキュリティという面で、私たちは人々を守ることは大変重要だと考えている」と素っ気なく述べた。

FacebookにとってCambridge Analyticaの件は、将来あるかもしれないデータ強盗を未然に防ぐのにどうやってプラットフォームを厳重に監視するかということをPRする材料となった。弁護士は、話がCambridge Analyticaに戻るのに不満を表したものの、すぐさまそうしたスキャンダルの危機PR術を行動に移した。

今回の会合ではっきりとしたのは、Facebook創業者のコントロール方法の好みだ。それは、彼が現在訓練中のものだ。

Facebookが欧州の議員と会うことについて同意するのに先立って決められた会合形式の制限により、議員に追及を許可しないというのは明らかにFacebookにとっては好都合なことだった。

ザッカーバーグはまた、それとなくほのめかしたり、時間になったようだと言ったりして何度も会合をたたもうとした。議員はこうしたザッカーバーグのたたみ掛けを無視したため、自分の言うことがすぐさま実行に移されなかったザッカーバーグはかなりの不快感を露わにしていた。

議員から出されたそれぞれの質問について、Facebookから書面による回答を受け入れるかどうかという、議会議長と議員との間で展開されたやり取りをザッカーバーグは見守り、その後に書面で回答することにAntonio Tajani議長とその場で合意することになった。

あらかじめCollinsが議員に警告していたように、Facebookは自らのビジネスのプロセスについての質問に対し、多くの言葉を語りながらその実は何も語っていないという回答方法を十分に練習している。その回答方法というのは、質問されていることの意図や目的を巧みに避けるというものだ。

ザッカーバーグが演じた会合でのショーで見られた自制というのは、明らかに欧州議員がソーシャルメディアに必要だと考えているようなガードレールではない。何人かの議員がザッカーバーグの顔から感じた自制は、効果的ではなかったようだ。

最初に質問した議員はザッカーバーグに謝罪が十分でないとせまった。他の議員は、15年悔恨し続けることになる、と指摘した。

Moraesは、Facebookは欧州の基本的価値観に対し“法的そして道義的責任”を果たす必要があると発言した。Libeの委員長であるMoraesはさらに「GDPRが施行されるEUにあなたは今いることを忘れてはならない。EUのデータ保護法を確認し、また電子上のプライバシーについて考え、EUのユーザーならびに何百万ものEU市民、非ユーザーのプライバシーを守るために、法的そして道義的責任を果たしてほしい」と述べた。

自制、もしくはザッカーバーグがいうところの次善の策であるFacebook流の規則は、欧州議員の規制の話に対し、米議会で述べた言葉で答えるというものだった。その言葉とはこうだ。「ここでの問いは、規制があるべきかどうかだと考えていない。何が正しい規制なのか、ということだと思う」。

「インターネットは人々の暮らしにおいてとても重要なものになりつつある。ある種の規則が重要であり、不可欠のものでもある。ここで重要なのは、この規制を正しいものにすることだ」と彼は続けた。「人々を守る規則体系を有すること、革新の余地があるようフレキシブルであること、今後さらに進化するAIのような新技術を妨げるようなものでないことを確認しておく必要がある」。

彼はスタートアップのことも引き合いに出した。’好ましくない規制‘は将来のザッカーバーグの登場を妨げるものになると言っているのだろう。

もちろん、ザッカーバーグは自身が所有するFacebookというプラットフォームが注意を十分にひく存在であり、我こそはというエントレプレナーがひしめく次世代の中でも飛び抜けた存在であることに言及していない。

ブリュッセルでの会合で、味方をつくったり人々に影響を与えたりする代わりに、彼は欠席するよりももっと失うものがあったようだ。Facebookに適用されるEUの規則を刷新するのを仕事とする人たちを怒らせ、遠ざけたのだ。

皮肉にも、ザッカーバーグが答えたいくつかの質問の一つに、Nigel Farageによるものがある。Facebookが“政治的に中立なプラットフォーム”なのか、1月にアルゴリズムに変更を加えた後、中道右派の発言を差別しているのではないか、といったものだ。Facebookはフェイクニュース監視を行う第三者のファクトチェッカーの名前を明らかにしていない。

つまり、米国の上院と議会でも明白だったが、フェイスブックはあらゆるところから集中砲火を浴びている。

実際のところ、Facebookはファクトチェックのパートナーシップについて情報を開示していない。しかし、ザッカーバーグが大した意味もない質問に限られた時間を費やしたのは、十分に意味するところがある。

Farageは、彼の持ち時間の3分の間に、「Facebookや他のソーシャルメディアの存在なしには、英国のEU離脱やトランプ政権、イタリアの選挙結果はあり得なかった」と述べた。

ザッカーバーグがこの発言についてコメントする時間がなかったのは、滑稽としか言いようがない。

[本文へ]

(翻訳:Mizoguchi)