デザイン会社であるEight Inc.は、Apple Storeや最近ではニューヨーク五番街の象徴となりつつある巨大ガラスキューブのコンセプトを作ったことで知られている。その同社が、焼失したノートルダム大聖堂の屋根と尖塔の再建案を提示した。その内容は巨大なガラス製の屋根と尖塔だ。フランスがこれを採用するとは私には思えない。
これは、建物の上部全体を構造用ガラスで再構築するもので、通常のガラスより頑強なため内部の骨格がなくても自身を支えられるという考えだ。
この提案をどう判断すればいいのか私にはわからない。あまりに突飛でジョークと紙一重に思える。ガラスをきれいに保つことや、破損した場合などにとをやって一部を交換するかなどの日常的な心配は別にして、ほぼ全体が石で造られているゴシック様式の大聖堂を、巨大なサンルーフで覆うというアイデアは、教会を建てた人たちが望んでいたこととは正反対に思える。
EightのファウンダーであるTim Kobe氏の考えは違う。「フランスのゴシック建築を代表するこの建造物に対しては、当初のデザインの歴史と意図への深い感謝の意が必要だ」と建築デザイン誌Dezeenの取材に答えて語った。「新奇な建築表現のエゴを押し出すのではなく、この歴史的建造物を尊重するソリューションでなくてはならない」
この発言、中でも新しい建築表現のエゴに関する部分は、今回の提案が千年近く前の大聖堂をアップルストア風に建て直すものであることを思うと、少々受け入れがたい。
彼はガラスの屋根と尖塔を「神聖で啓発的」であり「建築の非永久性と命の非永久性」を想起させると称している。
なんとも奇妙な目標に思える。私は宗教的な人間ではないが、大聖堂の目的が、絶対的永遠の存在である神と永遠に続く王国の、永遠で確固たる表現の創造であることは理解している。人の命はたしかにつかの間だが、帝国よりも長く続く巨大な石の大聖堂は、その事実を表現していない。
もちろん、この都市にある伝統主義者たちが忌み嫌う派手なガラス建造物はこれだけではない。ルーブル美術館のピラミッドは長年大きな怒りを買い続けている。しかも(ずっと)小さい。
フランス議会は(その他多くも)大聖堂をできる限り元の状態に近く再建したい意向を表明している(できれば、数百年前の乾燥した焚き木よりも良いもので屋根を支えることも)。しかし、マクロン大統領は単なる再構築以上のものを求めており、フィリップ首相もそれを支持している。特に尖塔に関しては、比較的遅く追加されたものであり、ほかの部分ほど歴史的ではないと考えている。
デザインコンペは、「我々の時代の技術と挑戦に順応する」新しい尖塔を作るために行われる。これはさまざまな意味を持ち、さまざまな興味深いアイデアを呼び起こすテーマだ。これより少しは良いデザインが出てくることを期待したい。
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(翻訳:Nob Takahashi / facebook )