書評:映画『メッセージ』原作者テッド・チャンが問いかける自由意志の意味

今回のTechCrunchブッククラブは、テッド・チャンの『予期される未来』(What’s Expected of Us)を取り上げる

今回の非公式TechCrunchブッククラブ(ニュースサイクルのおかげで現在1週間のお休み中だ。すぐに追いつくことができるだろうか!?)は、とても短いストーリーである『予期される未来』(What’s Expected of Us)を取り上げる。これはテッド・チャンの短編集『息吹』(Exhalation)所収の3番目の作品だ。ブッククラブに遅れをとっていた1人だったとしても、焦る必要はない。たったの4ページしかないからだ。この記事を読み終わるより早く、その短編を読み終わることができるだろう。

そしてまだ読んでいないとしたら、ブッククラブの1つ前の記事もぜひ読んで欲しい、そこでは最初の(やや長めの)短編2つ(宿命を巡る美しい物語の『商人と錬金術師の門』、ならびに気候変動や人びとと社会のつながりなどについて語る重要で繊細な物語である『息吹』)について取り上げている。

本記事の後半では、より長いストーリー『ソフトウェア・オブジェクトのライフサイクル』(ヒューゴー賞、ローカス賞、星雲賞受賞)も取り上げる —— この記事では読み進める中で生じたいくつかの疑問を挙げている。

いくつかの簡単なメモ

  • 話に参加したい場合は、気軽に読者の感想をdanny+bookclub@techcrunch.com宛にメールを送って欲しい。あるいはRedditまたはTwitterのディスカッションに参加してもらうのもいい。
  • こちらにある非公式ブッククラブの記事をのぞいて欲しい。このページには、書評カテゴリ専用のRSSフィードも組み込まれている(投稿量はとても少ない)。
  • 本記事のコメントセクションへの投稿も歓迎だ。

『予期される未来』(What’s Expected of Us)

私たちはまだ作品集『息吹』(Exhalation)の3つの物語を取り上げたに過ぎないが、これらの異なる物語を繋ぐものが見え始めている、技術的決定論で徐々に満たされつつある人生における運命の意味以上に、重要なものはないというテーマだ。

チャンは、私たちの運命がすでに決まっていることを証明するような、新しい技術たちを前提に置いて書くことが大好きだ。 『商人と錬金術師の門』(The Merchant and the Alchemist’s Gate)では、そこを通るものが時間を前後に旅することができるテレポートゲートを登場させたが、一方で『予期される未来』の中では、ボタンが押された時点での1秒過去に向けて光信号を送る「予言機」というデバイスが登場する。これよって利用者はデバイスのLEDが明るく輝いたときには未来がもう決まっているという事実に向き合うことになる。

この2つのストーリーにはある種の対称性があるが、私にとって興味深いのは、それらの結論が互いにどのように異なっているかだ。 『商人と錬金術師の門』でチェンは、運命は決まっているかもしれないし、タイムマシンがもしあったとしても過去を変えて未来に影響を与えることはできないかもしれないが、本質的には旅そのものに意味があるのだと主張している。過去は確かに不変かもしれないが、過去の理解には高い順応性があり、自身と他人の以前の行動の文脈を理解することが、多くの点で存在における肝心なポイントなのだ。

しかし『予期される未来』が描くのは、予言機が生み出す、人びとの無気力が広がるディストピアだ。ここに描かれているのは、わずかな時間を遡って信号を送るシンプルなデバイスに過ぎないが、自由意志が本質的に神話に過ぎないという圧倒的な証拠を示しているのだ。これは多くの人、少なくとも一部の人にとっては、カタレプシー(強硬症、自発的な動きが行えなくなること)となり完全に食欲をなくしてしまうのに十分なことなのだ。

Extra Crunch寄稿者のEliot Peper(エリオット・ペパー)は時折寄せるフィクションレビューに、チャンの解決策の中に示された、彼のお気に入りの一節を取り上げている。

「自由意志を持っているふりをしろ。たとえそうではないとことを知っていても、自分の決断に意味があるかのようにふるまうことがもっとも重要だ。現実がどうなのかは重要じゃない。重要なのはなにを信じるかだ。そして、目覚めたコーマを避ける唯一の方法は、うそを信じることだ。いまや文明の存続は、自己欺瞞にかかっている。いやもしかしたら、昔からずっとそうだったのかもしれないが」(早川書房刊『息吹』(大森望訳)所収『予期される未来』より引用)。

現実のベールの背後にある緻密な決定論を科学が明らかにして行く中で、より良い未来を築くためには、その反対を信じることがますます重要になる。自由意志への信念は、参政権を持つことと同じだ。それは私たちの人生をかたちづくる目に見えないシステムに立ち向かうために、変化の機会を生み出し、私たちを刺激する希望の火花なのだ。

ペパーはこの物語の核心的なメッセージを捉えているが、率直に言って、自己欺瞞を続けるのは簡単ではない(自分の製品について投資家を説得しようとしたことがある、完璧に自信がないスタートアップ創業者なら、そのことを教えてくれるだろう)。「すべてが重要なものではないというふりをする」と言うのは1つのやり方だが、もちろん実際には重要なことはあるし、誰もが本質的にその欺瞞を認め理解している。それは物事を成し遂げるために人為的な締め切りを設定するような、まやかし的自助努力のようなものだが、まさにその非常に人為的な点であることこそが、効果が出ない理由なのだ。チャンが「予言機」について書いているように「その後、予言機に対する関心を失ったように見えたとしても、それが保つ意味を忘れてしまえる人間はいない。それからの数週間で、未来が変更不可能であるということの持つ意味がだんだん身にしみてくる」のだ(上記書籍から引用)。運命は私たちの魂の中に閉じ込められている。

しかしチェンは、人によってこの認識に対して、異なる反応を示すことを指摘している。カタレプシーになるものもいるが、物語の中には他の経過をたどるものもいることが暗示されている。もちろん、そうした他の経過もすべて、予言機がやってくる前に定まっているものなのだ ―― 運命や運命自体の知識にどのように立ち向かうかについても、自分の運命を選べる者はいない。

だが、そうした選択の自由が与えられていないとしても、私たちは先に進まなければならない。構造的には、物語は過去に遡るかたちで語られる(これも『商人と錬金術師の門』に似ている)。未来のエージェントが予言機の未来についての警告を、時を遡って送ってくるのだ。そしたメッセージで何かを変えられるのかという疑問に、未来のエージェントは「いいえ」と答える。だが最後にこう付け加えるのだ「なのにどうしてわたしはこんなことをしたのか?なぜなら、そうするよりほかに選択の余地がなかったからだ」(上記書籍から引用)と。

つまり、実際にすべてが事前に決定されていた可能性があるのだ。人生のすべてを変えることはできないのかもしれない。それでも、私たちは生きている限り前進するつもりだし、すでに決められている行動であったとしてもそれを行うつもりだ。おそらくそのためには、自己欺瞞となんとか折り合っていく必要があるだろう。あるいは、そもそも行為を選択できるかどうかに関係なく、目の前のアクションにひたすら一所懸命に取り組めばよいだけなのかもしれない。

『ソフトウェア・オブジェクトのライフサイクル』(The Lifecycle of Software Objects)

短編集所収の次の作品は、もう少し広範に渡っている。仮想世界や、その中で私たちが育成する実体、そしてそれが人間としての私たちにどのような意味を持っているかに関して触れている内容だ。この物語を読んでいく中で、考えることを迫る問いかけについて挙げておくことにする。

  • 何かを愛するとはどういう意味なのだろうか? (人間の)子どもだということで私たちは愛を理解しているが、AIを愛することはできるだろうか? 彫像のような無生物を愛することはできるか? 私たちの愛がそれ以上は及ばなくなる境界線はあるのだろうか?
  • 実体を感じさせるものは何か? 他者から与えられた経験が必要だろうか、それともその感覚はどこからともなく生み出すことができるのだろうか?
  • チャンは、さまざまな状況で時間を早送りする。AI学習を促進するための特別な場所を使ったり、プロットにおける人間のキャラクター自身の時間も進める場合がある。この物語の文脈における時間の意味は何だろう? 時間と経験の概念はどのように相互作用しているのだろうか?
  • 著者は、知的な存在としての文脈におけるAIの「人権」をめぐる法的問題に関して、触れてはいるものの深くは掘り下げていない。これらの「実体」(AI)がどのような権利を持っているかを、私たちはどのように考えるべきなのだろうか? 読者の意見を最もよく代表しているのは、どのキャラクターだろうか?
  • 意識、感覚、独立などの概念は、どのように定義できるのだろうか? チャンがこれらの定義の境界を示しているように見えるのは、物語のどの要素だろうか?
  • プロットの中心的な主題の1つは、AIの金銭と収益性への挑戦だ。AIが判断される観点は、人間に提供する有益性だろうか、あるいはAIが独自の世界と文化を作る能力の観点からだろうか? これらのコンピュータープログラムができることの文脈の中で「成功」(非常に広く考えて)について私たちはどう考えるのだろう?
  • 私たちが「不気味の谷」を超えて、ますます多くの技術が私たちの感情的な心と結びつくにつれて、人間による共感は今後数年間でどのように変わっていくのだろう? これは最終的には人類の進化なのだろうか、それとも今後数年間で克服すべき課題というだけなのだろうか?

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(翻訳:sako)

LinkedIn創業者は著書「BLITZSCALING」で猛スピードこそ生き残りへの道と主張

LinkedInの共同創業者兼エグゼクティブ・チェアマンであり、Greyrock Partnersのパートナーとしてシリコンバレーを代表する投資家でもあるリード・ホフマン氏はTechCrunch読者にも名前をよく知られた人物だろう。

ホフマン氏が母校スタンフォードで続けていたスタートアップを成功させる方法の講義に加筆してまとめた本をTechCrunch Japanの同僚、高橋信夫氏と共訳した。興味深い内容と思ったので紹介してみたい。

ブリッツスケーリング 苦難を乗り越え、圧倒的な成果を出す武器を共有しよう」(日経BP)に詳しく述べられたホフマン氏の戦略は「直感と常識に反することをせよ!」というものなので、当然賛否はあるだろう。しかしスタートアップとベンチャー投資の最前線の体験から得たエピソードや観察が数多く披露されている。

本書はまず創立2年目のAirbnbが陥った深刻な危機から始まる。ホフマン氏はAirbnbの将来性をいち早く見抜いた一人で、最初期からの投資家だった。創業者たちとも親しかったため、このあたりは内側から見た手に汗握る企業ドラマだ。

Reid Hoffman

シリコンバレーで新しいアイデアが生まれるとそっくりコピーしてヨーロッパで事業化して繰り返し成功を収めてきたドイツの大企業がAirbnbにも同じ手法で攻撃をかけてきた。会社の権利のかなりの部分を譲渡するなどしてなんとか和解の道を探るべきだろうか?

しかし助言を求められたマーク・ザッカーバーグ氏らは「戦うべきだ」と言う。Y Combinatorのポール・グレアム氏の要約も面白い。「(ドイツの連中は)子供が欲しくもないのにカネ目当に赤ん坊を育ているようなものだ」とやはり一歩も引かないことを勧める。ブライアン・チェスキー氏(下の写真)らAirbnbの創業者たちも正面からの激突を選ぶ。

Brian Chesky

よろしい戦争だ。では、どうやって勝つのか?

相手は資金でも規模でも圧倒的に大きい実績ある企業グループで、Airbnbは無名のスタートアップだった。ここでAirbnbを成功させた戦略が「ブリッツスケーリング」だというのがホフマン氏の主張だ。

ブリッツスケーリングはブリッツクリークからのホフマン氏の造語だ(ブリッツはドイツ語で「稲妻」という意味で日本では「電撃戦」と訳されている)、要約すれば「いかにリスクが高くても成長スピードを最優先せよ」という戦略だ。ホフマン氏はテクノロジーのように変化が急速な世界では成長速度がすべてだと主張する。「資本効率より成長率に重点を置くのではない。資本効率などはうっちゃて急成長を追求せよ。誰にも先が見えない世界で安定成長などはありえない。そっちががむしろ幻想だ」という。

もちろんブリッツスケーリングは典型的なハイリスク・ハイリターンな戦略だ。ブリッツスケーリングのコンセプトの源となった電撃戦は第二次大戦の初戦でドイツに空前の大勝利をもたらした。しかし内情はきわどいもので、もしフランスがミューズ川、セダンなどの要衝で頑強に抵抗すればドイツは大敗していたという。しかし電撃戦を発案し指揮したグデーリアン大将は「予想していない速度で進撃し神経中枢を刺せば敵はマヒする」と確信して突進し、そのとおりとなった。ブリッツスケーリングにはこの二面性がある。

Airbnbの拡大戦略は社員わずか40人のスタートアップが世界各地に一挙にオフィスを開設するなどブリッツスケーリングというのにふさわしい猛烈なものだった。ホフマン氏はブリッツスケーリングに内在するリスクの要素を熟知しており、成功させるためには無数のハードルを日々乗り越えていく必要があると指摘する。自ら体験したLinkedInを始め、Google、Amazon、Facebookなどの実例で市場の選択、ビジネスモデル、プロダクト・マーケット・フィット、ディストリビューションなどの分野でどんな努力が払われたかを具体的に説明する。これがビジネス書として非常に面白い部分だろう。

もうひとつ興味深かったのはブリッツスケーリングは既存の大企業が生き延びるためにも必要だとした点だ。Apple(アップル)はMacとiPodのメーカーとして十分成功していたがスティーブ・ジョブズはスマートフォンというまったく新しい市場を切り開いて「大企業のブリッツスケーリング」の例となった。大企業といえども同じビジネスを永久に続けていくことはできない。日本の大企業にもこのところ気がかりなニュースが続いている。誰もがAppleになれるわけではないだろうが、どんな大企業であれブリッツスケーリングの考え方を取り入れなければ今後生き延びることは難しくなるのではないか。

今月下旬にバルセロナで予定されていたMWCの開催が中止された直接の原因は、コロナウィルス感染症に対する懸念で、テクノロジーに内在するものではない。しかし「何が起きるか予測できない世界」だということの一例ではあるだろうし、その背景にはモバイルネットワークの発達で情報拡散の速度と密度が格段に高まったことがあると思う。

本書にはLinkedInを買収したMicrosoft(マイクロソフト)のビル・ゲイツ氏が内容を的確にまとめた序文を寄せている。企画から編集作業まで担当した日経BPの中川ヒロミ部長はFactfulness(『FACTFULNESS(ファクトフルネス) 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣 』)を大ヒットさせているが、こちらも最近のノンフィクションでベストの1だ。

画像:TechCrunch

滑川海彦@Facebook

チンパンジーにならない方法をFactfulness共著者、アンナ・ロスリング氏に聞いてきた

Factfulness Night

Factfulnessがベストセラーとなっている。この本は半年前にTechCrunchで書評したのでご記憶の読者もあるかと思うが、発行部数はシリアスな翻訳ノンフィクションとしては異例の41万部となっているという。副題の「10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣」が内容をよく表している。この本はその役目を間違いなく果たすと思う。

主著者のハンス・ロスリング博士はスウェーデン人で公衆衛生に関する世界的権威だったが2017年に急逝したため、子息のオーラ・ロスリング氏と妻のアンナ・ロスリング・ロンランド氏が原稿を整理、補筆、ビジュアル化して本書に仕上げた。日本で大きな注目を浴びたことを機に共著者のアンナ・ロスリング氏が来日して講演し、メディアのインタビューを受けた。TechCrunchでも話を聞く機会があったので紹介したい。インタビューは丸の内北口ビルのWeWorkの会議室で行ったが、その後アンナ氏を囲むパーティーで尋ねた部分も含まれている。

Anna Rosling

Q:連日休みなしに取材に応じてると聞きましたが大変ですね。

A:平気です。実はこんなに大きな反応があるとはまったく思っていませんでした。嬉しい驚きです。

Q:ハンス・ロスリング博士とはどういう関係ですか?

A:夫のオーラの父です。義父ということになります。

Q:ではある意味ファミリービジネスですね。しかし誰もが義父のビジネスに入るわけではない?

A:そうですね。私はデータのビジュアル化ということに長年興味がありました。その背景については私自身のことを少しお話する必要があるかと思います。私は小さいころ一人で独立して生きて行けるようになることが夢でした。就職するのもイヤ、結婚するのも、家族を持つのもイヤと思っていました。これは実は全部外れて、今は結婚して子供たちもいるんですが。

Q:アーティストになろうとしたのですか?

A:実は大学で写真と社会学を学びました。

Q:それはかなり珍しい組み合わせですね。

A:スウェーデン中部のイェテボリ大学で写真、南端のルンド大学で社会学を勉強しました。大学が300km近く離れていたので往復が大変でした。ともあれすぐに社会学は退屈な話ばかりだと思い始めたし、フォトグラファーとなるほどには写真にも打ち込めませんでしたが…そうですね、ここで得た知識や技能はデータをビジュアル化することの重要性に気づかせてくれたと思います。

Q:社会学と写真の接点にデータのビジュアル化の秘密があったのですね。

A:今でも写真は好きです。裏表紙側の写真は私が撮ったものです。

Q:そうでしたか。グラフといえば表紙側のグラフがすばらしいですね。膨大な数のデータが巧妙にまとめられ、一見して所得と寿命には強い相関があることが分かります。しかし米国は日本より所得が高いのに寿命が短い。それどころか平均回帰直線より下です。逆にキューバは米国わ日本より所得がずっと低いのに平均寿命は米国と同水準ですね。眺めているだけで次々に発見があります。

A:こうしたデータは国連や各国の官庁が大量に持っていると思います。しかしたいていの場合、数字がぎっしり詰まった表に過ぎません。無味乾燥な数字のままでは誰も意味を読み取ろうとしません。オーラ(ハンス・ロスリング博士の子息)と結婚して義父の原稿に目を通しているうちに私の能力が役に立つのではないかと気づきました。

Q:統計というのは学問から日常生活まであらゆる面でわれわれの行動の指針を提供してくれるのですがなかなか興味を集めることができません。

A:義父は貴重なデータを膨大に持っていました。オーラと私はそのデータを整理して説得力ある形で提供しようと考えました。もちろん大勢の友人の協力を得たわけですが、これほど大きな反響があるとは思いませんでした。

Q:この本では「チンパンジー」をランダムな推測の例にしていますね。「世界の1歳児でなんらかの予防接種を受けている子供はどのくらいいる?A:20%、B:50%、C:80%」という質問があります。チンパンジーなら33%の確率で当たるはず、というのですが、人間の正解率はチンパンジーより低い。(正解は「80%」)。

A:残念ながらそうなのです。しかもジャーナリストのほうが一般の人よりさらに成績が悪いという傾向が出ています。

Q:これが「賢い人ほど世界の真実を知らない」ということですね。

A:この本ではこうしたバイアスに陥らないためのチェックポイントを10章に分けて説明しています。

Q:恐怖本能、犯人探し本能などバイアス生む「10の本能」ですね。たいへん詳しく説明されています。

A:ひとつひとつのコンセプトはシンプルなのですが、義父は膨大なデータによって実例を挙げているので取捨選択がたいへんでした。たとえば、多くの人に「世界はどんどん悪くなっている」という思い込みがありますが、データはそれと逆です。世界の多くの地域で生活水準はアップし、寿命も伸びています。

Q:最後にひとつ質問です。私(滑川)もその昔、統計を扱う仕事をしていたことがあり、職場ではランダムな推測を「ゲス(guess)回答」と呼んでいました。「チンパンジー」というのはユーモラスですし、誰でも直感的に分かる比喩だと思うんですが、このアイディアはアどこから来たのですか?

A:これは義父がTED講演でも使っていたのですが、もともとは霊長類の研究者との会話から思いついたものです。つまりチンパンジーは複雑な問題に対しても必ずしもランダムな選択をするわけではないというのですね。

Q:なるほど。われわれは不用意に主張を始める前に、まずファクトを確認する習慣を身につけてチンパンジーに負けるようなことがないよう努力しなければなりませんね。どうもありがとうございました。

インタビューは東京駅を見下ろすWeWork丸の内北口の会議室で行われたが、これはWeWorkの鈴木裕介プロダクト・マネージャーがアンナ氏がシンガポールでTED講演をしたとき知り合ったことがきっかけだったという。

本書の成功は正確かつ読みやすい翻訳も大きな役割を果たしているが、インタビュー後のパーティーで「ゼロ・トゥ・ワン」の翻訳でも知られる共訳者の関美和・杏林大学准教授(写真下)に話を聞くことができた。それによるとボリューム(370ページ以上)とテクニカルな内容から上杉周作氏と共訳することを選んだという。上杉氏はパーティーでは会えなかったが、カーネーギーメロン大学修士、Palantir Technologiesのエンジニアなどを経てフリーランスとなったという経歴で、翻訳後にはオンラインでチンパンジー・クイズや日本のデータをベースにしたニホンザルクイズを公開するなど積極的にコンセプトの普及に努めている。

 

トップ画像はアンナ・ロスリング氏と担当編集の日経BP中川ヒロミ部長(会場は「豚組しゃぶ庵」)。

(翻訳:滑川海彦@Facebook

書評:Bad Blood――地道な調査報道が暴いたシリコンバレー最大の嘘

シリコンバレーでは毎年千の単位でスタートアップが生まれている。その中で全国で名前を知られた会社になるというのはそれだけで大変なことだ。

指から一滴の血を絞り出すだけで多数の病気が検査できると主張したTheranosはそうした稀有なスタートアップとなり、続いて真っ逆さまに転落した。

Wall Street Journalの記者、ジョン・カレイルーの忍耐強く勇気ある調査報道が起業家、ファウンダーのエリザベス・ホームズとそのスタートアップの実態を暴露した。これによりバイオテクノロジーの新星は、嘘で塗り固められた急上昇の後、あっというまに空中分解した。Theranosはシリコンバレーの歴史上前例のない大規模な詐欺だった。

Bad Bloodは調査報道報道の金字塔だ。Theranosが崩壊し、弁護士たちという盾を失ったことはこの本に大いに役立った。WSJの記事ではカレイルーが匿名にせざるを得なかった多数の取材源が実名で登場することができた。これにより、過去の多数の記事を総合し、完全なストーリーとすることが可能になった。

しかしこの本は決してスリル満点でもなければショッキングな暴露でもない。地道でストレートなジャーナリズムだった。

ひとつにはカレイルーのいかにもWSJ的な「事実を伝える」という態度と文体にあるだろう。登場人物の動機や心理の考察はごくたまに挟まれるだけだ。もちろんこのスタイルはWSJを毎日読む読者には適切だろうが、一冊の本の長さになるとややカリスマ性を欠くともいえる。

エリザベス・ホームズとナンバー2だったラメシュ・”サニー”・バルワニが連邦検事により起訴されたのだから、公判でさらに事実が明らかになってから本にすべきだったという意見もある。しかし私はそうは考えない。というのも詐欺の手口自体は比較的単純なだったからだ。

事件の核心にあるのは投資家も消費者も重大な判断をするにあたって過去の経験や評判を頼りにしがちだという点だ。またTheranosは小さな雪玉が転がっていくうちに大雪崩を引き起こす現象の例でもある。引退した有名なベンチャーキャピタリストがシード資金を提供した。その実績がTheranosを有名にし、他の投資家を呼び込んだ。10年の間にTheranosの取締役会には現国防長官のジェームズ・マティスやヘンリー・キッシンジャーを始め大勢の有名人が集まった。

その中にはNews Corporationを通じてWall Street Journalの所有者でもあったルパート・マードックがいた。この大富豪は1億2500万ドルをTheranosに投資していたことが本の最後で明かされる。マードックはシリコンバレーのあるディナーでホームズにに会った。

ディナーの席上でホームズはマードックのテーブルにやって来て自己紹介し、少しおしゃべりした。 ホームズはマードックに強い印象を与えた。後日マードックは(投資家の)ユリ・ミルナーに話したところ、ホームズを大いに称賛したので印象はさらに強められた。

しかし他の有力ベンチャーキャピタル会社とは異なり、マードックはなんのデューディリジェンス(適正な調査)をしないまま多額の投資を決めた。84歳になるマードックはデータより直感に頼って行動するほうであり、これまではそれでうまく行っていた。

マードックは電話を一回かけただけで1億2500万ドルを投資した。普通の人間には息をのむような額でもMurdochにとってははした金だったようだ。報道によればマードックの資産は170億ドルだという

マードックにとって経験則に従って行動したことは資産の1%以下の損失だった。しかも損金処理によって税金が安くなったはずだ。つまり誤った投資をしたといってさしたる痛手を受けたわけではない。

このあたりがこの本の弱点かもしれない。2008年の金融危機では抵当証券の破綻によって普通の人々が何百万人も家を失ったのに対し、Theranosの詐欺で被害を受けたのは大富豪ばかりだった。

しかしちょっとした手間が愚かな投資を防止できた可能性はある。たとえばLinkedInを少し検索するだけでTheranosでは人員の出入りが異常に激しいことがわかったはずだ。これは企業文化と経営陣になにか根本的な問題があることを示す可能性が高い。質問する気さえあれば答えは手近なところにいくらでも転がっていた。

血液検査を受けた消費者の被害を跡づけるのは投資家、社員の場合以上に難しい。Theranosの詐欺が深刻な被害を及ぼしたのはこうした血液検査を受けた人々のはずだ。Edisonと呼ばれたTheranos独自の機械による検査結果はきわめて信頼性が低く、ときにはあからさまな捏造さえ行われた。カレイルーの著書では
Theranosの検査が死亡率を上昇させたというはっきりした証拠は示されていない。【略】

Bad Bloodは〔映画キリング・フィールドと〕似ている。地味で、スリルを盛り上げようとはしない。しかしそこが優れている点だ。この本はわれわれのシリコンバレーに対するステロタイプにいわば針を刺して血を一滴絞り取る。シリコンバレーの投資家やファウンダーは優れた人々であり愚行とは無縁だという通念だ。もちろんそんなことはない。Theranosはそれを思い出させるためのかっこうのキーワードとなるだろう。

画像: Michael Loccisano / Getty Images

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書評:『エンジェル投資家 』――Uberで場外満塁ホームランのジェイソン・カラカニスが投資の極意を説く

TechCrunch翻訳チームの同僚、高橋信夫さんとジェイソン・カラカニス(Jason Calacanis)の『エンジェル投資家』を翻訳したので書評かたがたご紹介したい。

ジェイソン・マッケイブ・カラカニスはUberが誰も知らないスタートアップだったときに2万5000ドルを投資した。それが今年は3億6000万ドルの評価額となったことで、多少のことには驚かないシリコンバレーもショックを受けているらしい。

この本を読んでいると知らず知らず自分もエンジェル投資家として起業の修羅場に出ているような気分になる。この迫力、説得力はジェイソン・カラカニスというベンチャー投資家として異色の人物の経歴と分かちがたいように思う。

ジェイソンはもともとインターネットのセレブだったが、初期のTechCrunchともいろいろ縁があった。2003年というインターネットの最初期にブログの将来性をいち早く認めてWeblogs. Incというスタートアップを立ち上げ、後にAOL(現在のTechCrunchの親会社でもある)に売却することに成功した。Weblogsという社名が時代を感じさせる。当時ウェブメディアはウェブログと呼ばれており、ブログはその短縮形として生まれた。ちなみにTechCrunchの姉妹ブログ、EngadgetもWeblogs出身だ。

ジェイソンはその後TechCrunchのファウンダー、マイケル・アリントンと共同でスタートアップによるプレゼンを中心とするカンファレンスを立ち上げた。これが現在のDisrupt SFの前身となる。

最初のカンファレンスはサンフランシスコのプラザホテルのボールルームで開催された。今から考えるとずいぶんこじんまりした会場だったが、当時のTechCrunchはまだ知名度の低いブログだったので取材してその盛況に驚いた。ジェイソンと初めて会ったのはこの時で、小柄ながら全身からエネルギーを発散して会場を仕切っていた(右写真)。

その後マイクと意見の相違があったらしくTechCrunchカンファレンスからは離れ、ロサンゼルス近郊に移ってMahaloという人力検索エンジンを立ち上げた。このコンセプトは今のQuoraに近いものでこれも先見の明があったと思うが、大ブレークするというところまではいかなかった。その後、最初期のスタートアップに少額の資金を提供する投資家になったと聞いたものの、当時ははっきり言ってその意味をあまりよく理解できていなかった。

ところがUberがアラジンの壜から出た魔神のようにあっという間に世界的大企業に成長するにつれ、ジェイソンがその最初期の投資家の1人だと聞くようになった。しかし翻訳にあたってAngel: How to Invest in Technology Startups(『エンジェル投資家』の原題)を読んで決して順風満帆でそこまで来たわけではないことを知った。

アメリカで成功した起業家はシアトルの有力弁護士の息子のビル・ゲイツ、大学教授の息子のラリー・ペイジとサーゲイ・ブリンなど上層中産階級出身が多い。マーク・ザッカーバーグもニューヨーク近郊の流行っている歯科医の家庭に生まれた。それにこの全員がハーバード、スタンフォードに行っている。ところがジェイソンはほとんど無一物からの叩き上げだった。

『エンジェル投資家』でジェイソンは「大学の夜学に通うために地下鉄に乗るときポケットには2ドルしかないのが普通だった」と書いている。ギリシャ系(カラカニス)の父はブルックリンでバーを経営していたが破産して差し押さえを受け、アイルランド系(マッケイブ)の母が看護師の仕事でなんとか一家を支えたという。

貧しい家に生まれ名門大学の出身者でもないジェイソンがどうやってIT投資で1万倍ものリターンを得るような成功を収めたのかといえば、本人も書いているとおり強運という要素があるだろう。エンジェル投資はいつもそんなにうまくいくとは限らない。しかしうまくいくこともあるというのはジェイソンが実証しているし、いわゆる「確実な投資」にも投資であるかぎり必ず大きなリスクが潜んでいるのは最近のニュースでもよくわかる。ジェイソンによれば、「当たり前のナンバーズくじでは7桁の数字を当てなければならないがこの本の方式によって投資するなら2つの数字を当てるだけでいい」という。

その正しいエンジェル投資のノウハウを解説するのがこの本のメインの目的だ。執筆の動機はスタートアップ・エコシステムの発展のためにエンジェル投資が不可欠の要素であり、具体的な役割やノウハウを広く知ってもらう必要があると考えたからだという。主としてアメリカの読者を想定しているのでそのまま日本の事情に移しかえるのが難しい点もある(「最大のチャンスはシリコンバレーにある」など)が、スタートアップを成功させる秘密を投資家、起業家両方の立場から非常にわかりやすく説明している。ベンチャー投資特有の用語についてもそのつど意味を書いているのでその面の予備知識はあまり必要ないだろう。

 

ただ「スタートアップ」だけはあまりに当たり前なコンセプトだったと見えて初出で定義していない(「スケーリング」を説明するところで触れている)。TechCrunchのほとんどの読者にはこれで違和感ないと思うが、一般読者にはまだ馴染みの薄い言葉だったかもしれない。逆に本書で「スタートアップ」というコンセプトとその必要性が広く認識されるきっかけになればいいと思う。

本書は32章に分かれており、それぞれ内容を要約するタイトルが付されている。章立てはおおむね、エンジェル投資の概要とメリット、実際の業務のノウハウ、注意すべき点、エグジット(現金化)、といった順序だ。ただし章は並列的なので読者は興味がある部分から読み始めることができる。

本書には日本を代表するベンチャー投資家の1人、孫泰蔵氏が序文を寄せている。たいへん率直かつ的確な内容紹介だと思うのでぜひご一読いただきたい。

ちなみにジェイソンは何度か来日している。左の写真は宝くじ売り場の招き猫の前でおどけているところ。左手を挙げている招き猫は「人を招く」縁起物だそうだ。ジェイソンはこの本で「私はどんなプロダクトが成功しそうかなどまったくわからないのだと気づいた。私は成功しそうだと思う人間に投資することにした」と書いているが、Uberを引き寄せたのは日本の招き猫の力もあったかもしれない。

エンジェル投資家 リスクを大胆に取り巨額のリターンを得る人は何を見抜くのか』(日経BP刊)は通常版に加えてKindle版も提供される。

画像:Umihiko Namekawa

書評:『パラノイアだけが生き残る』――今のIntelを築いた伝説的経営者の強烈な経営書

本書『パラノイアだけが生き残る』は『HIGH OUTPUT MANAGEMENT』に続くアンディー・グローブの名著復刻第二弾。Kindle版も配信している。 『インテル戦略転換』の復刊だが昨日書かれたかと思うほど内容はタイムリーだ。

現在のIntelは時価総額1700億ドル、日本最大の企業トヨタ自動車に匹敵するサイズの巨人で、モバイルチップでこそ新しいメーカーに一歩を譲るものの、サーバーやデスクトップCPU市場では圧倒的な存在だ。

Intelをこうした巨人にしたのは1979年から1998年にかけて経営を指揮したアンディー(アンドルー)・グローブだ。この時期にIntelは売上高を40倍近くに伸ばしている。ゲイツ、ジョブズ、ベゾス、ペイジ/ブリンなどの創業者経営者を別にすると、グローブは他を圧して伝説的な存在だ。グローブはなぜそのような業績を挙げることができたのだろうか?

Intelはゴードン・ムーア(ムーアの法則で知られる)らによって設立され、半導体メモリーのパイオニアとして1968年にスタートした。アンディー・グローブはIntelの社員1号だったという。シリコンバレーの発展と歩調を合わせて業績は順風満帆だったが、80年代に入ると日本メーカーがDRAM製造分野の主導権を握り、その攻勢にIntelは倒産の瀬戸際まで追い詰められた。

この本で印象的な一節は1985年半ばに会長、CEOだったゴードン・ムーアと社長だったグローブとの会話だ。

グローブ:もしわれわれが追い出され、取締役会が新しいCEOを任命したとしたら、その男は、いったいどんな策を取ると思うかい?ムーア:メモリー事業からの撤退だろうな。グローブ:(略)それをわれわれの手でやろうじゃないか。

グローブは打ち寄せる大波を押し返すような力技を発揮してDRAM生産を終了させ、IntelをCPUメーカーへと方向転換した。

その後もIntelにはペンティアムCPUの浮動小数点演算におけるバグという問題が降りかかる。この問題は本書の冒頭で扱われているがグローブの眼前で問題が爆発したのは「1994年11月22日、感謝祭2日前の火曜日だった」という。詳細に日時が書かれているところかして激しいショックを受けた事態だったのだろう。このトラブルはIntelに4億7500万ドルの損害をもたらしたものの、グローブはこの嵐も全面的な方針転換によって乗り切った。

グローブによれば、どんな企業もいずれ「戦略転換点」に遭遇するという。これは「10X(桁違いの巨大な)の変化が起き、ゲームのルールが根本的に変わる」ことによって生じる。たとえばコンピュータ業界ではデスクトップPCの登場によってこの変化が起きた。1980年ごろのコンピュータ業界は縦割りだった。つまりIBMの占める位置はハードの製造からOS、アプリケーション、さらには流通販売まで強固に垂直統合されていた。それが1995年にはチップはIntelが、コンピューターはコンパックやデルが、OSはWindowsが、というように水平分業の世界に変わる。IBMが立てこもっていた強固なサイロは消滅した。

日本製DRAMの販売攻勢によってIntelが直面したのも「メモリー製造では食っていけない」という戦略転換点だった。ペンティアム・チップのバグ問題も実は問題はバグそのものではなかったようだ。Intel Insideキャンペーンが成功したことにより、Intelがコンピューター・メーカーに部品を供給する企業ではなく、むしろコンピューター市場そのものをリードする消費材メーカーに変化していた。グローブによれば、その変化にまず自分が気づいていなかったことが失敗だったという。

本書に挙げられたさまざまな「戦略転換点」はMBAの教室で教えられるような概念ではなく、グローブの体験に基づいたものだったことが強く感じられる。グローブが世界的大企業のCEOという激務にありながら、「事業経営の勘所」を細かく伝授する本を執筆して後進の起業家、ビジネスパーソンのために非常に大きな影響を与えるようになったのはこの体験とその反省にもとづいたものだったと思う。

グローブの経営書に大きな影響を受けた1人がベン・ホロウィッツだった。ホロウィッツはマーク・アンドリーセンと共にラウドクラウドを起業したクラウドビジネスのパイオニアで、現在ではシリコンバレー最大のベンチャーキャピタル、アンドリーセン・・ホロウィッツを運営している。ホロウィッツのグローブへの傾倒ぶりは異色の経営書、『HARD THINGS』にも詳しく述べられており、『HIGHOUTPUT MANAGEMENT』の序文も寄稿している。

実はこの本の末尾に「本書を執筆している最中にネットスケープの株式が公開された」という一節があり、書かれた時代を感じさせる。世界初の商用インターネット・ブラウザ、ネットスケープの大成功はシカゴ大学を卒業したばかりのファウンダー、マーク・アンドリーセンを初の「テクノロジー起業家富豪」とした。創業直後のアンドリーセンの会社に飛び込んだのがベン・ホロウィッツで、この二人がやがてクラウド・サービスという事業分野を苦闘しつつ開発することになる。

上でも触れたように本書が書かれた1995年頃、日本経済はジャパン・アズ・ナンバーワンと囃されており、構造的な危機を乗り切るためのノウハウと哲学を述べたグローブの経営書は十分理解されたとは言えなかった。前途不透明な現在こそグローブに学ぶべき時期なのかもしれない。

今回のグローブ本の装丁も白地に黒のゴシックでPARANOID SURVIVEという原文を大きく配置してあり印象的だ。グローブの経営指揮は強烈でグローブの厳しい指摘に幹部が気絶したという伝説もある。グローブ自身はあまりに隔絶した存在なので、グローブのようになることを目指すことはベーブ・ルースになろうとするくらい非現実的だろう。しかしグローブは他の天才とは違い、自分が得た知識、ノウハウをできるかぎり後進に伝え、参考にさせようとしたように思える。その意志が伝わってくるだけでも一読の価値があるように感じた。

滑川海彦@Facebook Google+

書評「MBAより簡単で英語より大切な決算を読む習慣」――ARPU、テイクレートが重要なわけ

すでにシバタナオキ(柴田尚樹)氏の新刊、MBAより簡単で英語より大切な決算を読む習慣を読まれた読者も多いと思う。まだ読んでない(積んである方を含む)向きのために簡単に紹介してみたい。

柴田尚樹氏はシリコンバレーのモバイル・アプリ検索最適化ツールのスタートアップ、SearchManの共同ファウンダーで、その経営が本業だ(TechCrunch Japan寄稿記事

柴田氏はしばらく前から決算資料をベースにテクノロジー系企業のビジネスを解説する記事をnote上に発表していた。 この連載が増補、加筆されて日経BPから出版されることになった。シリアスなビジネス書としては異例のヒットになっている、

念のため情報開示しておくと、柴田さんとは2009年にサンフランシスコで開催されたTechCrunchカンファレンスで会って以来(オフでお会いする機会は少ないが)お友達だ。しかしそれと別に、これは間違いなく素晴らしい本だと思う。裏側帯に「ファイナンス・リテラシーは一生モノの仕事力」とあったが、起業家、起業家志望者はもちろん、少しでもビジネスに関係する読者全員に必ず役立つはず。

企業会計についての本は大型書店の棚をいくつも占領するほど発行されているが、どれも面白くない。面白くないという表現が適切でないなら、わかりにくい。これから資格を取ろうと勉強中の学生ならともかく、多忙なビジネスパーソンが割ける時間にも気力にも制限がある。しかしこの本はeコマースならYahoo!とAmazon、FintechならSquareとPaypalというように(少なくともTechCrunch読者なら)誰でも知っている有名企業の最近の決算を例として「読み方のカンどころ」が解説されている。読んでいくうちに自然と解釈の基礎となる会計知識も身につく仕組みだ。

本書は柴田氏の経歴の中から生まれたものだ。柴田氏は2010年にシリコンバレーでスタートアップを立ち上げるまで楽天の最年少執行役員だった。当時楽天では経営トップが毎週全社員向けに業界トピックスを紹介するコーナーがあり、柴田氏はその「台本づくり」を任されたのだという。役員は超多忙だし、とおりいっぺんの業界情報なら社員は皆知っている。

そこで柴田氏は「(当時すでに)楽天はECから金融、広告などさまざまな事業を運営しているので、競合他社は国内外にたくさんあります。ライバルの決算を分析して、そこから読み取ることのできるサービス動向や経営戦略を解説すれば、社員の日常業務にも役立つ」と考えたという。

目次は下のとおり。お急ぎの向きは自分の興味あるセクションから読み始めてもいっこうにかまわないが、できれば最初のページから順に読む方がお得だ。フォーマットがとても親切にできていて、「決算を読むカンどころ」となる知識が自然に身につくよう配慮されている。

第1章: 決算が読めるようになると何が変わるのか?
第2章: ECビジネスの決算
第3章: FinTechビジネスの決算
第4章: 広告ビジネスの決算
第5章: 個人課金ビジネスの決算
第6章: 携帯キャリアの決算
第7章: 企業買収(M&A)と決算
終章: 決算を読む習慣をつける方法

テイクレートとARPUを覚えるだけでも役にたつ

各章のトビラには「その章のカンどころ」と「重要な3step」が掲載されている。たとえば「ECビジネスの決算」の章なら

ネット売上=取扱高xテイクレート(Take Rate)

が「カンどころ」だ。

本文を見ると、取扱高は流通総額、Gross Merchandise Sales、テイクレートはMonetization Rateと表記される場合があると説明されている。eコマース・ビジネスではA社プラットフォームでの販売(流通)総額が1000億円でもそれがA社の売上になるわけではない。ごく一部がA社の売上になる。この率がテイクレートで、eコマース・ビジネスはこのテイクレートを中心に回っている。たとえばeBayのテイクレートは9.2%、個人出品の手数料課金は10%なのでeBayの売上は取引手数料が主だろうと推定できる。

eコマースにはeBay、アリババ、楽天、Yahooなどの多くのプレイヤーが存在し、ビジネスモデルはそれぞれ異なる。一見すると比較は難しいように思えるが柴田氏によればそれぞれのテイクレートを計算することで横断的な考察が可能となるという。

ただし、Amazonだけはやや異色だ。「Amazonはほとんど利益を出していないのになぜ株価がここまで上がるのだろう?」と不思議に思っている読者も多いかと思うが、柴田氏は「競合他社の斜め上を行くAmazonという異端児」の章で具体的に分析している。

もうひとつ重要なのは次の式だ。

売上=ユーザー数×ユーザーあたりの売上(ARPU)

ARPUはAverage Revenue Per Userの頭文字だ。民放テレビは視聴者から料金を取らないのになぜ成立しているかといえばもちろんスポンサーから広告費を得ているからだ(広告モデル)。NHKは視聴者から料金を徴収している(サブスクリプションモデル)。新聞・雑誌は購読料と広告費の両方から収入を得ている(混合モデル)。こうしたビジネス・モデルはオンライン・メディアの場合でもまったく変わらない。本書ではARPUをカギとして民放テレビ、Facebook、ヤフーなどの広告を主たる収入源とするビジネスが解説されている。ここではMAU(月間アクティブ・ユーザー)、DAU(1日あたりアクティブ・ユーザー)も重要な指標として取り上げられている。

柴田氏はFacebookの「地域別DAU&ARPU」の経年変化をグラフ化して非常に興味深い結果を得ている(図4-7)。柴田氏はFacebookの売上は「アジア+その他地域」に関しては、まだまだDAUが伸びる余地がある」と結論している。数字だけを見ていたのでは気づかないが、グラフ化すると北米、ヨーロッパ、アジアではまったく異なった動きになっていることが一目瞭然だ。余談だが、TechCrunch Japanはオンラインメディアなのでスペースは比較的自由だ。そこで「1日あたりアクティブ・ユーザー」などと繰り返しても困らない。しかし紙媒体やオンラインでもスペースに制限がある媒体ではDAUという単語をどう処理するから頭が痛いだろうと思う。

この調子で重要なポイントを挙げていくとキリがない。ともあれ本書に目を通していただくのがよいと思う。ちなみに本書のフォーマットだが章立てやトビラの構成などは日経BP出版局の中川ヒロミ部長がいろいろとサゼスションを出し、柴田氏が対応して原稿を書き、担当編集者の後藤直義氏が具体的なページに落とし込んだものだそうだ。noteに連載された内容が優れていたのはもちろんだが編集段階でのブラッシュアップも大きな役割を果たしていると感じた。

ちなみに柴田氏は本書のニックネームとして「より決」を提案されている。たしかにニックネームが必要なほど反響は大きく、Amazonでは予約段階で総合2位となった。惜しくも予約総合1位を逃したのはローラのSpeak English With Meを抜けなかったからだそうだ。本書にはKindle版も用意されている。

『20 under 20』書評:ピーター・ティールの若き起業家育成プログラムを実感的に描く

TechCrunch Japanの同僚、高橋信夫さんと共訳した『20 under 20』(Kindle版)(日経BP)がこの週末から書店に並び始めたのでご紹介したい。ピーター・ティール(Peter Thiel)からの奨学金10万ドルを資金としてシリコンバレーで苦闘する若い起業家たちを描いたノンフィクションだ。

著者のアレクサンドラ・ウルフはWall Street Journalのベテラン・ジャーナリストで、家族ぐるみでティールと親しかったことからフェローシップとシリコンバレーに強い興味を持ち、2011年から2016年まで足掛け6年にわたって若いフェローたちに密着して取材した。

大学なんか止めてしまえフェローシップ

TechCrunch読者にはピーター・ティールの名前はおなじみだと思う。PayPalの共同ファウンダー、CEOからベンチャーキャピタリストに転じ、Facebookの最初の大口投資家となった。現在でもFacebookの8人の取締役の1人だ。起業の重要性を力説した著書『ゼロ・トゥ・ワン 』(NHK出版)は日本でもベストセラーとなっている。

ピーター・ティールは2011年のTechCrunch Disruptで「大学をドロップアウトしてシリコンバレーで起業させるために20歳未満の優秀な若者20人に10万ドルずつ与える」というプログラムを発表した。20 under 20というのは「20歳未満の20人」という意味で、発足当時のプログラムの名前だった。現在では22歳未満に条件がやや緩められ、ティール・フェローシップと呼ばれている。

クレージーな若者たち

このプログラムには小惑星探鉱から不老不死の研究までありとあらゆるクレージーなアイディアを追う若者たちが登場する。そうしたアイディアには結実するものもあるが中断されたりピボットしたりして消えるもの多い。しかし「失敗などは気にするな。シリコンバレーで失敗は勲章だ」というのがティールの信念だ。

ティール・フェローにはTechCrunchで紹介された起業家も多数いる。睡眠の質を改善するヘルスモニター、Senseを開発したJames Proudもその一人だ。Kickstarterで製造資金を得るのに成功したことで注目された。

KickstarterでSense睡眠トラッカーを紹介するJames Proud(2014)

シリコンバレーの生活の空気感

『20 under 20』はスタンフォード大学にほど近いベンチャーキャピタリストの本社が並ぶサンドヒル・ロードに新築されたローズウッド・サンドヒルというホテルの中庭のプールの描写から始まる。ベンチャーキャピタル、アンドリーセン・ホロウィッツの本社もこのホテルの隣だ。しかし創業パートナーの一人ベン・ホロウィッツが書いた『HARD THINGS』(日経BP)が起業や経営の困難と対処の実態を描いたのに比べて、『20 under 20』はむしろファッションから朝のコーヒーまで起業家たちとシリコンバレーで生活を共にしているような感覚を与える。

本書では政府・自治体による規制とスタートアップにも1章が割かれ、Uberなどがどのようにして規制と戦ったかが、敏腕ロビイーストの目を通じて描かれていたのも興味深かった。バイオテクノロジーにも重点が置かれている。下のビデオは『20 under 20』の主役の一人、不老長寿を研究するローラ・デミングのTEDプレゼンテーション。

TEDで不老長寿研究はビジネス化できると主張するLaura Demming(2013)

アレクサンドラは『ザ・ライト・スタッフ』(中央公論)や『虚栄の篝火』(文藝春秋 )などの作品で有名なトム・ウルフの娘だ。トム・ウルフは対象に密着して取材する「ニュージャーリズム」という手法の先駆者で、この言葉を作った本人でもある。アレクサンドラのシリコンバレーの描写はは父親ゆずりのニュージャーリズムの手法かもしれない。

10億ドル企業を作るのが目的ではない

ティールは信じることは即座に口にし、かつ実行してしまう性格のためとかく論議を巻き起こしているが、この「大学なんか止めてしまえ」というフェローシップ・プログラムにはことに激しい賛否の議論が起きた。反対派の急先鋒、ヴィヴェック・ワドワ(Vivek Wadhwa)はTechCrunchに大学教育の意義を主張するコラムを書いたので記憶している読者もいるかもしれない。この経緯も本書に詳しい。

アレクサンドラは起業家を一方的に賞賛するわけではなく、激烈な競争社会に疑問を感じて東部の大学に戻ったフェローも十分時間をかけて取材し、いわばシリコンバレーの光も闇も描いている。

またこの本にはTechCrunchも繰り返し登場する。アレクサンドラの言うことにすべて賛成だったわけではないが、シリコンバレーを中心としてテクノロジー・エコシステムをカバーするTechCrunchの影響力をあらためて感じた。

アレクサンドラ・ウルフはティール・フェローシップをこう要約している。

〔ティール・〕フェローシップはミレニアル世代の縮図なのだ。このフェローシップは「きみたちが本当に優秀ならここに来たまえ。きみたちの世代の『ベスト・アンド・ブライテスト』に何ができるか証明してもらおうではないか」という挑戦なのだ。そのうちの誰かが10億ドル企業を作れるかどうかは問題ではないのであろう。

ご覧のようになかなか目立つ装丁なので書店で見かけたら手に取っていただけるとうれしい。

滑川海彦@Facebook Google+

書評―『グーグルに学ぶディープラーニング』

TechCrunch Japanでも機械学習やディープラーニングを含めた人工知能について何度も取り上げている。最近ではGoogleのリアルタイム翻訳や日本発のニューラルネットワークを利用した線画着色システムの記事を掲載している。

そこでこうしたトレンドを横断的に見渡せる入門書があると便利だろうと考えていたが、 最近、日経BPから刊行された『グーグルに学ぶディープラーニング』が役に立ちそうなので紹介してみたい。

本書ではまず人工知能の一部が機械学習、機械学習の一部がディープラーニングという位置づけを説明し、続いてGoogleのデータへの取り組みを中心として実例が紹介される。「入門」篇ではニューラルネットワークを利用したディープラーニングが解説されている。ニューラルネットワークの入力層では画像の各部分の明暗などの物理的情報が得られるだけだが、脳のシナプス構造を模した層を重ねるにしたがって高度な情報が生成され、最後に「この写真はネコだ」というような判断が下される。60ページのイラストはこの関係が直感的にわかりやすい。

後半では企業の導入事例が紹介されている。特に三井住友フィナンシャルグループではディープラーニングをクレジットカード不正の検知に利用して大きな成果を収めているというのが興味ある例だ。オンライン取引の不正検知では数年前からアメリカでディープラーニングを利用した取り組みが注目されているが、日本の大手銀行系組織でもすでに実用化されているようだ。

本書はIT実務者、企業管理職向けの入門書なのでディープラーニングの積極面の紹介が中心となっている。そこからはやや脱線するかもしれないが、「弱いAI」と「強いAI」について補足しておいてもいいかもしれない。「強いAI」というのは「人間の知能そのものを再現する」ことを目標にしたアプローチで、初期のAI研究の主流だったが、実はことごとく失敗している。通産省が主導して鳴り物入りで10年間も開発を続けた日本の第5世代コンピュータは「強いAI」のいい例かもしれない。

その後「汎用知能」を目指す「強いAI」に代わって、「結果を出せればよい」とする「弱いAI」が登場した。1997年にチェスの世界チャンピオンを破ったIBMのDeep Blueに対して「強いAI」から「本当の知能ではない」という批判が出た。このとき、コンピュータ科学者のDrew McDermottはNew York TimesにYes, Computers Can Think (イェス、コンピュータは思考できる)という記事を書いた。この中の「Deep Blueが本当は考えていないというのは飛行機は羽ばたいていないから本当は飛んでいないというのと同じだ」という反論は「弱いAI」の立場を代表する言葉としてあちこちで引用されるようになった。

本書でも詳しく紹介されているが、機械学習が成果を挙げるには、機械の能力の進歩と同時に機械に学習させるための膨大なデータが必要となる。つまりハードウェアの能力とインターネットの普及によるデジタル情報量の爆発が「弱いAI」を可能にしたといえるだろう。あるマシンにネコが写っている写真を10万枚入力するとそのマシンはネコが認識できるようになる。「弱いAI」の立場からは機械がネコを認識できれば当面それでよい。

人工知能は現在ガートナーのハイプ・サイクルにいう「流行期」に入ってきた。人工知能がニューラルネットワークやディープラーニングによって強化されると、次第に「汎用知能」を構成したいという誘惑が生じる。つまり「強いAI」的な考え方の復活だ。「機械が知能をもち、なんでもできるようになる」という「強いAI」的約束はわかりやすく、流行期の過剰期待を作り出すのに非常に効果的だ。

しかし、流行期の山が高ければ幻滅の谷も深くなる。このあたりは人工知能利用にあたって現在もっとも警戒しなければならない点だろう。『グーグルに学ぶディープラーニング』の末尾ではGoogleの機械学習の責任者ジア・リー氏にインビューしている。そこでリー氏が「AIの技術ありきではなく、現実世界で解決すべき課題の内容そのものが私たちにとって最も大切」と語っているのは重要な指摘だ。

本書は日経BPの専門誌、日経ビッグデータに掲載された記事を中心に再構成、補筆したものだという。日経ビッグデータの杉本昭彦編集長から献本いだいた。

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