TechCrunch Tokyo 2015の1日目である2015年11月17日、今年で2回目となる「TechCrunch Tokyo CTO Night powered by AWS―技術によるビジネスへの貢献:CTO・オブ・ザ・イヤー選出LT」が催された。スタートアップのビジネスに技術で貢献するCTO(最高技術責任者)を称えようという趣旨の場である。
まず結果をお伝えする。今年の優勝者はIoT向けモバイル通信サービスをクラウド上に構築して提供するスタートアップであるソラコムの安川健太CTOである。司会からは「非常に接戦でした」のコメントがあった。ソラコムは抜群の事業アイデアと鮮やかな事業立ち上げが強い印象を残した。とはいうものの「接戦」との表現は、他社のCTOも高水準のトークを繰り広げたことを示している。以下、その内容を紹介していこう。
このCTO Nightの審査員は次の面々だ。グリー 藤本真樹CTO、DeNA 川崎修平取締役、クックパッド 舘野祐一CTO、はてな 田中慎司CTO、サイバーエージェント 白井英 SGE統括室CTO、アマゾン データ サービス ジャパン 松尾康博氏(ソリューションアーキテクト)。以下、LT(ライトニングトーク)の登壇順に内容を紹介する。
「書いたことがなかった」Pythonベースの決済サービスを立ち上げ―BASEの藤川真一CTO
オンラインショップ開設サービスのBASEの藤川真一CTOは「Pythonを書いたことないCTOがPythonベースの決済サービスを始めるまで」と題して発表した。
同社はオンライン決済サービスPAY.JPをこの2015年9月に立ち上げた。PAY.JPは、RESTful Web APIでカード決済をしてくれる。「米国の決済サービスStripeやWebPayと互換性があるのでスイッチングコストがほぼゼロで移行できる」。スタートアップに対して手軽な決済サービスとして提供するだけでなく、将来的には「日本のエスタブリッシュ金融パートナーとの連携」も視野に入れる。単に同社のオンラインショップで活用するだけでなく、いわゆるFinTechの文脈で野心的な展開を考えているのだ。「新しいインターネットの経済を創りたい」。
同社は2014年12月にオンライン決済サービスのピュレカを買収し、そのチームとソフトウェア資産を継承してPAY.JPを立ち上げた。CTOの藤川氏によれば「CEOからメッセージが来てピュレカを知り、7分で買収の決定をした」そうだ。
この買収により直面した課題は、プログラミング言語と開発者文化が異なるチームとソフトウェア資産の評価とマネジメントだ。BASEの構築には言語としてPHP、フレームワークとしてCakePHPを使っていたのに対して、ピュレカの決済サービスはPythonで構築されていた。「CTOとして、それまで知らなかった技術、プロダクトをどうするか」という課題を乗り越えるためのチャレンジについて藤川氏は語った。
異なる開発者文化で作られたピュレカのソフトウェア資産を評価するため、「ピュレカ創業者と仲良くなったり、(Pythonに詳しい)柴田淳さん、寺田学さんにコードレビューをお願いしたり」と藤川氏は言う。日本のソフトウェア開発者コミュニティの人脈を活用して技術のデューデリジェンスを行った格好だ。
次に藤川氏は、「Pythonという技術を好きになる」ための行動を始めた。日本国内のPythonコミュニティで最大のカンファレンスであるPyCon JP 2014にBASEとして出展した。ただし、この時点では自社のPython活用プロダクトはまだできていなかったため、「脆弱性診断ということで、CakePHPのプロダクトを好きにクラックしていいよ」という出展内容とした。ここでPythonコミュニティと「仲良くなった」ことで、藤川氏は翌年のPyCon JP 2015ではある企画のモデレータ役を担当している。
このLTで、藤川氏は「買収する技術への包容力」として次の3点を挙げる。(1) チームメンバーを信頼する。(2) 開発技術を好きになる。(3) 最後はケツを持つ覚悟。企業をプロダクトごと買収するということは、相手のチームと、そのバックグラウンドにある技術文化を受け入れることだ。文化が異なる企業を買収し、無事サービス開始までこぎつけた藤川氏のトークは「やり遂げた」自信を感じさせる内容だった。
「Qiitaを良くする」ことに注力―Incrementsの高橋侑久CTO
エンジニア向け情報共有サービスのQiitaのIncrementsは、2013年4月に高橋CTOが参加した時点で、エンジニアはCEOとCTOの2名だけという会社だった。「1人CTO」から始めた高橋氏は、少人数組織でのCTOの役割は「まずプロダクトを作ること。次にチームを作ること」と語る。また「同じことをずっとやっているのはつらいので、何かを自動化することを意識的にやっていた」とも語る。チーム作りは「大事にしたい価値観を共有できて、それを求める能力を持っている人を、なんとかして連れてくる」ことを続けた。そのために「どういう人と一緒に働きたいか」をリストにした。自律的に行動でき、オープンソースに積極的、といった基準だ。そして求める能力は、「学習能力と意欲があって既存のメンバーにない能力を持っている人だと考えた」。
最近、元Googleの及川卓也氏がIncrementsにジョインしたことが話題になった。「やったな! という感じです」。このようにプロダクトへの思い、チームへの思いをストレートに語り、最後に「俺達のチームビルディングは始まったばかりだ!」と高橋氏は締めくくった。審査員からの「(チームが大きくなって)CTOの仕事を他のメンバーに委譲していくとして、最後に残るものは?」との質問に対しては「Qiitaを良くしたいという気持ちです」と返した。
Webの力でものづくりを加速―フォトシンス (Akerun) 本間和弘CTO
スマートフォンでドアを解錠でき、デジタルな「合鍵」を共有できるサービスAkerunを提供するフォトシンスの本間和弘CTOは、「プレゼンボタン」と呼ぶガジェットを手にして登壇した。ボタンを叩くと、その情報がBLE Notificationによりスマートデバイスに飛び、MQTT経由でAWS IoTが中継してパソコンに渡りWebSocket経由でプッシュ、プレゼンスライドのページ送りを実行する──この一連の動作説明で審査員の笑いを取ることに成功した。いかにもテックな人たち向けの掴みだ。
本間氏は、同社のスタイルについて「ハードウェアの開発期間を、通常2年かかるところを半年に短縮したかった」と表現する。その解決方法として、次の各種を説明した。1番目は、後から変更可能なファームウェアを採用したことだ。スマートデバイスと同様に、アップデートによりファームウェアを進化できるようにした。これにより、製品出荷前に仕様や評価工数が膨らむことを抑制した。「その機能は今は必要ないよね、と言えるようにした」。また機能の一部、例えば電池の電圧をパーセント表示に変換する機能をデバイスではなくクラウドに置き、ファームウェアの仕様を増やさないようにした。
2番目は、ハードウェアの耐久試験を自動化してスピードアップしたことだ。10万回のテストを実施している。iOSでテストスクリプトを書き、Akerunの情報をBLEで取得してWeb APIでサーバーに送りグラフ化、リアルタイムで各種情報を可視化・確認できるようにした。
3番目は、ハードウェアの製造工程を「Web化」したことだ。例えば、ファームウェア書き込みの工程ではChromeブラウザで動くアプリ「ファーム書き込みくん」を活用する。エラーが発生すればSlackへ通知する。こうした工夫により、2014年9月に創業した同社は、翌年の2015年3月に記者会見で量産品のデモを見せ、同4月には出荷開始に至っている。「Webのちからをものづくり自体に組み込む」ことによりハードウェア製品の製造をスピードアップすることが同社のやり方だ。
2人CTO体制のメリットを説明したトランスリミット 松下雅和CTO
トランスリミットの松下雅和CTOは「2人CTO」についてプレゼンテーションを行った。同社はエンジニアが8割を占め、主要事業は、2本のゲームアプリ──対戦型脳トレのBrain Warsと物理演算パズルのBrain Dotsだ。累計ダウンロード数は3000万ダウンロードの実績を持つ。松下氏は2人目のCTOだ。もう一人の工藤琢磨CTOと、それにエンジニア出身の高場大樹代表取締役社長の3人による技術経営の体制を取っている。
同社は、最重要課題として「技術力を向上したい」と考え、2人CTO体制を導入した。工藤氏はクライアント側、新規事業の創出を担当する。「工藤は0から1を作るタイプ。Brain Warsをほとんど1人で作り上げたスーパーエンジニア」と紹介する。一方の松下氏は、「1をスケールするタイプ」でサーバー側と開発体制の強化を担当する。「攻めの工藤、守りの松下です」。ダブルCTO体制のメリットとして、得意分野を分担して注力できること、多様な視点で技術選択ができること、技術軸と事業軸で経営判断できることを挙げる。「分業ではなく、分担です」と、いわゆる縦割りとは違うことを強調した。
松下氏が個人として大事にしていることは、「自走できるチーム、スケールできるチーム」と説明。そのための「会社で一番の球拾い」を自認している。審査員からは「2人CTOでケンカはしないんですか?」と質問が飛んだが、「一緒にテニスをしたり仲良くやっています」とのことだった。
技術的チャレンジが会社の強み―Vasily (iQON) 今村雅幸CTO
「女の子のためのファッションアプリ」iQONを展開するVasilyの今村雅幸CTOは、同社にとって「技術的チャレンジが、ビジネスの源泉、会社の強みになっている」と語る。
今村氏は、同社の事業を支える3本柱と、それぞれの技術的チャレンジについて説明した。(1) iOS/Androidアプリはすべて内製し、特にUIにはこだわった。iOSアプリはApp Store BEST OF 2012を、Android版はGoogle Playストア2014ベストアプリに選出された。(2) ECサイトクローラーも内製し、AWS上で動かしている。カテゴリ分けの自動化も徹底し、精度97%を実現。700万アイテムと「日本一のファッションデータベースを構築できた」。OEM販売で数千万円の売上げに結びつけている。(3) ネイティブアド配信では、開発期間3週間でiOS/AndroidのSDK、配信ツール、入稿ツールなどをすべてAWS上で内製した。「iQONが持つビッグデータと統合することで効率的に売上げを上げることができた」。このように、技術的チャレンジが同社の活力の元になっているというわけだ。
今村氏は技術を活性化するため、「技術でユーザーの課題を解決する」「技術的チャレンジをし続ける」ほか全5項目の「VASILYエンジニアリングマニフェスト」を作った。「毎日マニフェストを口にする。目が合ったら言う」。「CTOの仕事は技術的チャレンジが生み出されやすい環境を生み出すこと」と表現する。
チームもアーキテクチャも疎結合で非同期―ソラコム安川健太CTO
IoTプラットフォームを提供するソラコムの安川健太CTOは、以前は大手通信機器メーカーの研究機関であるEricsson ResearchでIoT関連の研究開発に従事していた。「クラウドのことをもっと知りたい」とAmazonにジョイン、AWSのソリューションアーキテクトとして活動、その後米シアトルのAWS開発現場も目にした。その過程で「テレコムのコアネットワークをクラウド上で実現できるはずだ」と思った。ある晩、ある人(ソラコムCEOの玉川憲氏のこと)と飲みながら思いをつぶやいたことがきっかけとなり(関連記事)、「世界中の人とモノをつなげよう」という思いを持つに至った。こうして立ち上げたのがソラコムである。
2015年9月30日に、2サービスをローンチした。SORACOM Airは、「一言でいうとプログラマブルなセルラー通信サービス」だ。特徴として、コアネットワークをソフトウェアで独自に構築、AWS上で運用している。帯域制御や回線の開け閉めもAPIでコントロールする。APIは公開しているので、自動化も容易だ。「例えば監視カメラで静止画を低速で送っているが、アラートが上がったときに通信帯域を広げて動画を送るシステム」も作ることができる。
SORACOM BeamはIoTデバイス向けのデータ転送支援サービスだが、インターネットを経由する通信を、デバイスではなくクラウドのリソースを使い暗号化する。APIによる操作も可能なので、データの送り先を、APIで切り替えることもデバイスの設定を変えることなく実現可能だ。
クラウドサービスとしてプログラマブルなこと、すなわちAPIにより操作可能なことが同社サービスの大きな特徴だ。そこで開発者支援は同社にとって重要となる。先日開催されたデベロッパーカンファレンスも大盛況のうちに終了した。プラットフォームなのでエコシステム形成も重要だ。そこでSORACOMパートナースペース(SPS)と呼ぶプログラムを立ち上げ、すでに100社近くの企業が参加している。
安川氏は「ソラコムの裏側」として同社のチームを紹介した。同じチームが開発し、運用し、サポートも手掛ける。「これはAWSの開発チームと同じ運用で、フィードバックを生かした素早い改善ができる」。チームは1日1回30分の全体進行のシェアをするが、それ以外はSlackで連携しつつ非同期で動くチームとなっている。サービスローンチ後も、次々と新しい機能の追加、改善を続けている。システムはマイクロサービス群として作られており、独立して開発、運用できる。「チームもアーキテクチャもふだんは疎結合で非同期、でもインテグレートすると大きな力を発揮する」と締めくくった。
2015年、CTOオブ・ザ・イヤーに選ばれたソラコムCTOの安川健太氏
「技術的に大変だったところは?」との質問には「ユーザーのネットワーク通信をソフトウェアでターミネートしている。これは世の中には出回っていない、技術者が多くない技術。本来はアプライアンスでやることが多い。そこを一から設計してクラウドネイティブにしたところが、我々の一番の成果」と説明した。
「ゴール駆動開発」を提唱―airClosetの 辻亮佑CTO
女性向けファッションレンタルのairClosetの辻亮佑CTOは、「DevOpsとゴール駆動開発」について語った。
「ゴール駆動開発は私が作った言葉。DevOpsという言葉にはよく分からない部分がある。本質は、開発者と運用者による自動化および効率化。それを実現する手段がゴール駆動開発だ」と辻氏は話す。
同社のサービスは「服を扱う」という固有の事情からヒューマンエラーが必ず発生する。そこでエラーの発生を監視するシステムを作った。またデータベース分析のためのツールを導入、非エンジニアでも分析できるようにした。アパレル業界では「シーズン」の概念があり、服に対して「どのシーズンで着るのか」という情報が必ずある。ここで1つの服に複数のシーズンを設定できるようにし、服のライフサイクルの長期化、検索の最適化を実現できた。
辻氏によれば、同社では「エンジニアがハブになってビジネスを動かしている」。「エンジニアは効率化が得意。最適な解を見つける上でゴール駆動開発はわかりやすい」。
紙という強敵と戦う―トレタ増井雄一郎CTO
レストランの予約管理、顧客管理サービスを提供するトレタの増井雄一郎CTOは、同社のサービスについて「競合は、紙です」と表現する。飲食店の受付、予約管理は「紙」を使う場合が多い。「紙は直感的で誰でも使えて応答速度が速く安価。でも処理ができないので、入力内容をコピー&ペーストもできなければ、バックアップを取ることも難しい」。コンピュータ操作に慣れていない人も多い飲食店の分野でいかに使ってもらうかが同社にとって最大の課題だ。「紙という強敵と戦っています」。
同社のサービスはリリースして2年で約4000店舗に導入されている。初めて使う人でも紙と同様に使えることを目指した。端末はiPadだ。紙がライバルなので課題の解決も独特のために方法を採る場合がある。例えばレストランにはたいていファクスが置いてある。そこで、iPadにトラブルが発生したときのバックアップや、印刷が必要な時に備えてファクスに情報を出力できるようにした。バックアップの一環としてマルチクラウド対応も予定している。
「顧客目線を持ったエンジニアであること」が同社のチームのスタイルだ。ユーザーニーズをエンジニア主導で吸い上げて開発を進めている。「エンジニアはお客さんのことを知りたいと考えている。エンジニア自らが現場に行って使い方を見る。こうした主導性を持っていることがチームの特徴」。例えばiPadアプリがクラッシュしたときには、実際に店舗に行ってどのような状況でクラッシュしたかをヒアリングすることもする。ちなみに、同社は24時間サポートを実施しており、夜間のエスカレーションは増井氏のところに電話がかかってくる。これからのトレタについて「(レストラン向け情報サービス)ハブとして使われるようになりたい」と話す。
以上、8人のCTOによる熱いトークを紹介した。審査員らのコメントを見ても、新しいスタートアップ企業のCTO、エンジニアのチームがそれぞれの工夫を追求している姿は刺激になっていたようだ。「僕らがあの規模の会社だったときより、ずっと凄い」とグリー 藤本真樹CTOはコメントした。
審査員を代表して総評したグリーの藤本真樹CTO