骨太のGoogle論が魅力のSEO Bookが、米国で最近出版され話題になっている本「Who Owns the Future?」をベースにGoogleと世界の関係について書き下ろした熱い記事を。検索エンジンからメール、各種サービスまで、私含め多くの人々が様々な恩恵を受けておりそれなしには生活できない存在になっているGoogleですが、Googleをはじめとするネット技術の革新と普及により失われていったものも数多くあります。「IT技術が人の仕事を奪う」という話は日本でも昔からいわれてきた議論ですが、その現状と未来について改めて考えさせられる内容です。 — SEO Japan
当初は、目立たない存在であった。
街の郊外に一店あるのみであった。大きな、一体型の店舗であった。この店は、主に輸入された製品や委託された製品等、大量の安価な品物を売りさばいた。従業員の給与、そして、納入業者の利鞘は限界まで抑えられていた。
そして、この小売店は数を増やしていった。
規模を拡大するにつれ、この店は大通りの空洞化を招いた。大通りの店舗と巨大な店舗との力の差は歴然としていた。巨大な店舗が市場に与える影響には、歯が立たなかった。巨大店舗が持つ莫大なデータを分析することで得られる独自の情報には、太刀打ち出来なかったのだ。
ご想像通り、この巨大な店とは、ウォルマートである。
好き嫌いは別にして、ウォルマートは、人々が求めるものを与えた。しかし、そのために、アメリカの中流階級に大きな打撃を与えた。多くの小売店が廃業に追い込まれ、メインストリートの店が姿を消していった。中流階級に安定した収入を与えていた、小規模な家族経営の小売店が消えていった。
どこに行ってしまったのだろうか?
数を減らしたのは、小規模な個人営業の小売店や町工場のメーカーだけではない。この効果はその他の分野にも波及していった。このような中小企業が利用していた地域の会計士、弁護士、広告会社、金融会社、そして、中流階級の経済を調整していたサービスプロバイダーに対する需要が減った。
その結果、やはり彼らも姿を消すことになった。
ウォルマートで仕事を見つけた人もいるだろう。無職になった人もいるはずだ。事業を閉鎖し、早く退職した人もいる。仕事を変えた人もいれば、顧客が多い土地への引っ越しを余儀なくされた人もいるのではないだろうか。
それがインターネットとどのような関係があるのだろうか?
インターネットでも同じ現象が起きているのだ。
零細企業を経営しており、インターネット版の大通りと言える場所に事業を展開している、または、零細企業のビジネスのオーナーに収益が左右されるなら、この記事を読み進めていってもらいたい。
テクノロジーはミドルクラスを壊滅状態に追い込むのか?
ジャラン・ラニエ氏が綴った本「Who Owns The Future」をたった今読み終えた。この本を読むと、インターネットを利用しているなら – そして、少しでも中流階級に該当するなら、自分達の現在および未来について切実な疑問が脳裏をよぎるはずだ。
次の指摘について考えてもらいたい。
写真用品会社のコダックは、全盛期に14万人もの従業員を抱え、280億ドルの価値があると言われていた。コダックは初めてデジタルカメラを販売した企業でもある。しかし、コダックは破産した。そして、現在、デジタル写真の分野において頭角を現しているのがインスタグラムである。フェイスブックに10億ドルで売却された際、このサービスを運営しているのは、たった13名であった。
インスタグラムにとっては最高の状況だが、コダック、そして、コダックの元従業員にとっては、最悪の結果であった。しかし、進化には代償が付きものだと主張する人もいるだろう。コダックのビジネスモデルは廃れ、テクノロジーに飲み込まれてしまったのだ。
これは真実である。そして、進歩である。あらゆる行動が結果をもたらすと言う主張も的を射ている。ラニエ氏によると、革新的なテクロノジーが現れ、大きなテクノロジー企業が価値の多くを保有する場合、中流階級を破壊する結果をもたらす可能性があるようだ。
ラニエ氏は、テクノロジーの進歩は、奪う仕事の数ほど新たな仕事を生むわけではなく、また、仕事を失う人の中では、ミドルクラスに属する人達が増えつつあると指摘している。
(多分)政治とは無関係
この記事では政治を巻き込みたくない。ただし、全ての変化には、本質的に政治が絡んでいる。それでも、政治的な側面には触れないつもりだ。この問題は、政治の範囲を超えている。テクノロジーがもたらす空想的なアイデアやメリットには異論はなく、また、技術革新を反対する時間もない。
しかし、テクノロジーによってもたらされる富と力においてシフトチェンジが行われた結果、そして、インターネットの価値連鎖の中にいる人達が、労力に対して十分な価値を得ているかどうかは、熟慮に値する。
資本主義の本質とは異なり、価値が全体に流れなくなると、一部の人達しか利益を得られなくなる。以前よりも家の中で過ごす子供達は長生きしているだろうか?同じ仕事量をこなすため、以前よりも長い時間働いているだろうか?価値連鎖は壊れてしまったのだろうか?修復するには何をすればいいのだろうか?とラニエ氏は問いかけている。
インスタグラムは本当に10億ドルに値するのか
ラニエ氏は、インスタグラムは10億ドルに値しないと指摘している。なぜなら、非常に優秀なスタッフが素晴らしい仕事をしているためだ。
インスタグラムの価値はネットワーク効果によって算定されたものだ。
インスタグラムを利用する大勢のユーザーがインスタグラムのネットワークの価値となっている。このユーザーベースがなければ、インスタグラムは単なる写真アプリに過ぎない。
最終的に誰が得をするのだろうか?ネットワークに価値を与えるユーザー達ではない。上でネットワークをまとめるほんの一握りの人達 – 「サイレンサーバー」を所有する人達だ:
権力は、ラニエ氏が「サイレンサーバー」と呼ぶ – ユーザー達が無償で提供し、また、一部の飛び抜けた裕福な人達によって、金銭的なメリットとして、許可なく利用されている、生活に関する情報を保有する巨大な企業のレポジトリに存在する。
価値は、ネットワークを構成する全ての人達によって作られるものの、その多くはデジタル処理ツールと言う形で価値のひとかけらを受けるだけである。メリットを得るためには、自分でサイレンサーバーを所有するか、あるいは、サイレンサーバーとの距離を縮める必要がある。
同様に、グーグルの価値の大半もユーザーのネットワークによって生み出されている。グーグルのユーザーは、単純にグーグルを利用することで価値を与え、その結果、グーグルにコンスタントにデータを提供しているのだ。これがグーグルの価値を高める仕組みである。提供するサービスにおいてはグーグルとビングの間に大きな差があるわけではないが、オーディエンスのサイズの差によって、価値に大きな違いが生じする。Orkutよりもフェイスブックの価値が高い理由も同じである。
価値を与えているのはユーザー
グーグルはユーザーからデータを得ている。ウェブパブリッシャーは、無償でグーグルに作品を提供し、グーグルのネットワークに価値を与えている。その後、グーグルは収集した情報のそばに広告を掲載するために、スポンサーに広告料金を請求する。
なぜパブリッシャーはこんなことをするのだろうか?
パブリッシャーは、トラフィックを得られると期待し、このトラフィックからメリットを享受するため、作品をグーグルに提供している。一部のパブリッシャーは実際に収益を得ており、住宅、食べ物、洋服等、現実世界の経費を賄っている。しかし、大半のインターネットパブリッシャーは、この非公式の取引から収益を得ていない。一部のパブリッシャーは大儲けしている。インターネットパブリッシングにおいて、ロングテールは非常に長い。富と権力の大半は、ヘッドに集中している。
同様に、グーグルのユーザーは、個人情報をグーグルに贈呈している。
グーグルを利用する度に、ユーザーはグーグルに価値のある個人情報を提供している。検索クエリ、閲覧パターン、eメールでのやり取り、連絡先のネットワーク。この情報をまとめて、パターンの分析を行い、パッケージに詰めて、その後、グーグルは広告スポンサーに販売する。
グーグルはユーザーにどんな見返りを与えているのだろうか?
ウェブサービスだ。
価値をフェアに取引していると言えるのだろうか?
ラニエ氏はフェアではないと指摘している。グーグル等の企業が籍を置くエコシステム – ミドルクラスの仕事量、そして、支出の選択肢 – そのものを破壊する可能性があるほど、不釣り合いな価値の交換が行われている。パブリッシャーが妥当な生活費を稼ぐことが出来ないなら、配信される作品の質は下がる、あるいは、作品自体が姿を消すことになるだろう。
オフラインを含め、その他の方法で収益を得ることは可能である。しかし、ウェブが既に多くのオフラインのビジネスに影響を与えている点を忘れないでもらいたい。音楽業界は、10年前と比べてみても、かつての盛況ぶりが嘘のように衰えている。音楽業界での中流階級の仕事は大幅に減っている。小規模な小売店は、オンラインストアに負けている。そのため、小売店の仕事の数も激減している。報道業界はほとんど収益を上げていない。出版社にも同じことが言える。オンラインアグリゲータが価値連鎖を断ち切ったため、上述した業界は苦戦を強いられているのだ。
次に、こういった業界を支える業界を考慮してほしい。 そして、健康、図書館、学習等、近いうちに影響を受ける業界についても考えてもらいたい。ミドリクラスを主に採用している会社は廃業、縮小、あるいは、価値の多くをインターネットに奪われてしまう。
当然ながら、中流階級の生活を破壊することがグーグルの目的ではない。私は反グーグルを訴えているわけではなく、単純に行動と結果に注目しているだけである。テクノロジー、特に、大きなウェブ企業はどのような影響をもたらしているのだろうか?その多くは、密かな、私有の場所にユーザーを出来るだけ閉じ込めておく行為に取りつかれているように見える。
グーグルの目的は、世界中の情報をインデックスし、公開することである。素晴らしい目標だ。便利であり、無料で利用することが出来る。しかし、ラニエ氏は、中流階級の骨抜きは再コンテキスト化の副作用であり、その結果、情報の価値が低下すると主張している。情報は無料の方が好ましいかもしれないが、情報を作成する人達は報酬を貰えないことになる。報酬を得ている人達の多くは、組織が弱く、事業の運営を維持するために、作品の質を落とすことを厭わない可能性がある。既に吟味されていなプレスリリースをメジャーなニュースサイトが配信している。今後の展開が気になる。
「共有」- つまり「贈呈」- を促すメッセージが至る所で見られるが、共有は大きなテクノロジー企業自体には及んでいないようだ。
クリックごとに料金を請求している。
robots.txt
グーグル、または検索エンジン全般を嫌いなら、検索エンジンをrobots.txtを使ってブロックするべきだと言う意見がある。これは、都会が嫌いなら、山の中に引っ越せと言っているようなものだ。実際に引っ越すことは可能だが、都会をもう少し住みやすい場所に変え、活気を与え、その中で成功したいのが本音である。
グーグルは便利なツールを提供している。私はiPhoneを利用するようにグーグルを利用している。取引の内容を理解しているし、情報を提供する代わりに利便性を手に入れている。しかし、この取引は、基本的にグーグルによって決められたものだ。ラニエ氏は、個人、そして、零細企業だけでなく、大きな情報サービス自体にもメリットを与える解決策を提案している。
循環するマネー
テクノロジーの改善は、成功をもたらし、強固な中流階級を生み出した。しかし、現在のテクノロジーの改善においては、商品化されているものが情報そのものであり、これが違いをもたらしている。 情報に対するインターフェースとして動作するソフトウェアによる管理が進む世界では、情報を商品化すると、その他の全ても商品化されることになる。
情報を作る人達が報酬を得られない場合、質が下がる、もしくは、量が減少する現象が起きるだろう。現実の世界で購入するものが減り、その結果、グーグルやフェイスブックの広告スポンサーにとって、アピールするオーディエンスが少なくなることを意味する。
ある社会的な概念から全てが始まった。21世紀の代わり目にグーグルのセルゲイ・ブリン氏によって、全ての情報サービスを提供し、その一方で広告から報酬を得ることで、情報を無料で公開しつつ、資本を流通させることが出来ると言う考えが生まれたのであった。しかし、通常の経済の決まりごとを守っていないと言う問題点が存在する。また、非常に範囲が狭いため、参加することで自滅する資本主義とも言える。勝者が全てを獲得する資本主義であり、これでは長続きするはずがない。
確かに長期的に維持することは出来ないだろう。一人の勝者が全てを得るシステムでは、富と力を頂上にいる一部が握りしめ、その他の人達はロングテールに群がる。グーグルは、AP、AFP、そして、その他の欧州の報道機関等の大型のパブリッシャーと手を組んでいるが、この契約は小規模なパブリッシャーには適用されていない。スポーツの世界にも同じことが言える。トップの選手はとんでもない大金を得ているものの、少しレベルが下がると、スズメの涙ほどの収入しか貰えず、家賃さえ支払うことが出来ない。
それでも、テクノロジーによって新たな仕事の機会が生まれているのではないだろうか?コダックを解雇された人達は、別の職を探せばいいのではないだろうか?
高度なテクノロジーのイノベーションが立て続けに起きているものの、過去の技術の進歩ほど多くの仕事が生まれているわけではない。フェイスブック等の象徴的なベンチャー企業は、例えば、ゼネラルモーターズのような大企業と比べ、採用する人数が圧倒的に少ない。 要するに、物々交換と評判で構成される非公式な経済に一般人の生産力の大半を導き、その一方で、抽出した富を自分達で独占しているのだ。デジタルネットワーク上で行われる全てのアクティビティは鞘取りの対象となり、ある意味、リスクはコンピュータの利用が少ない人達に向かう。
このような環境で力を発揮することが出来る人達は、グーグル等、ビッグデータを保有する企業に雇用される可能性がある。あるいは、起業および適応する能力を持ち、データを持つ企業 – ウォルマート、グーグル、フェイスブック、あるいは、大きな金融企業 – に貢献する、または利用することが出来る可能性がある。しかし、ラニエ氏は、このような企業が生まれた仕組みで社会を維持するためには、単純に仕事の数が少なすぎると指摘している。
ラニエ氏は、この状況は、あまりに多くの人々から、あまにりも早く生活の権利を奪ってしまうと主張している。この現象が起きると、ネットワークを保有する成功を収めたオーナーを含む、あらゆる人々にとばっちりが及ぶ。必要とされる情報の活性化を可能にする価値への見返りを渋ることで、貧窮していくのだ。ごく一部の人しか利益を得られない状況では、購入意欲が鈍るのは致し方ない。
検索エンジンであれ、ソーシャルネットワークであれ、保険会社であれ、あるいは、投資信託であれ、ネットワークは情報を使って、力を集中させている。ラニエ氏は、こういった企業は同じ仕組みで動いており、全て似た者同士だと指摘している。このような企業はネットワーク効果を利用して、ビッグデータを掘り出し、分析を行い、その結果、小規模な競合者、そして、その周りに存在する経済を犠牲にして、成長していく。
意図が何かは関係ない。テクノロジーは中流階級の繁栄を妨げる可能性があり、この現象が起きると、最終的に全体が損をすることになる。
どのような解決策が考えられるのか?
数日前、グーグルのスパム対策を統括するマット・カッツ氏が、動画で今後のグーグルの変更についてサイトのオーナーに情報を提供していた。
グーグルは、ペンギン 2.0と呼ばれるウェブスパムの変更を行うと発表した。ペンギン 2.0は、アドバトリアル、記事広告に“目を光らせる”と言われており、このタイプの配信形式に対して“強硬な措置”を取るようだ。また、リンクスパムの効果を弱めるため、“上流に上る”とグーグルは指摘している。
当然、グーグルがこのような動画をリリースすると、ウェブマスターのコミュニティは激震する。グーグルは変更を加え、この変更によって、ウェブマスター達は得をする、または、ピンチに追い込まれることになる。
この点に関して最も興味深いのは、力の関係だと私は思う。グーグルの検索結果で上位にランク付けしてもらいたいなら、交渉する余地はない。グーグルの命令に従わなければ、大負けするためだ。グーグルの言いなりになったものの、負けを見ることもある。富と力はパブリッシャーに分配されるのだろうか?
その答えはノーだ。
最近、グーグルは、リンクネットワークを再び葬った。
その後、カッツ氏はさらに同様のネットワークを追うと警告している。富と力はリンクの買い手や売り手にもたらされるのだろうか?
答えはやはりノーである。
検索エンジンの価値を下げると感じたサイトを削除、または、低く評価する方針自体は間違えていない。グーグルは検索の仕組みを確立した。しかし、検索は、トピックが外れたジャンクを使って結果を容易に操作されるようになった12年前に終わっている。この問題の解決策の利益がグーグルに流れこむようになったのだ。
グーグルのような企業に余りにも多くの富が流れこむことで、グーグル自身の経済の大半を破壊してしまうのではないかと言う疑問が存在する。グーグルは、単なるプレイヤーではなく、非常に影響力が強いため、中心として計画を立てている。 マット・カッツ氏は製品の品質管理を行っているが、顧客はパブリッシャーではなく、スポンサーである。
また、グーグルの動画が指摘していない点に注目してもらいたい。カッツ氏が登場する動画は、ビジネスがより大きな成功を収める方法を紹介するものではない。グーグルがより大きな成功を収めるために、グーグルの望み通りにパブリッシャーを動かそうとする魂胆が丸見えである。意見が合う、合わないは問題ではない。なぜならグーグルに逆らうことは出来ないためだ。
これが取引である。
ウォルマートの懸念材料が町の小さな子売り店ではないように、グーグルの懸念は、ウェブマスターではない。グーグルが重視しているのは、企業の目標を達成し、株主に対する価値を強化することである。影響はグーグルやウォルマートのせいではない – グーグル、そして、ウォルマート自体が影響なのだ。
グーグルが目標を達成しようとする影響は、パブリッシングの価値をえぐり出し、その結果、多くの中流階級の価値をくり抜く。グーグルの自動運転する自動車のプロジェクトは、- グーグルが焦点を絞る傾向が見られる – テクノロジーの観点では確かに魅力的に映るが、少なくとも公の場では、このテクノロジーの導入によって影響を受ける人達、具体的に名前を上げると、タクシードライバーや配送業者のドライバーの身に何が起きるのかを全く考えない人達にとっては、さらに魅力的に映るのかもしれない。通常、移民がこの層に当たる。貧しいものの、将来性が豊かな人達だ。
この社会的な影響はグーグルには気にならないようだ。
それでは誰が懸念を持つべきなのだろうか?
やはりグーグルが重視するべき問題である。なぜなら、長期的な視点でみると、グーグルにプラスに働くためだ:
現在、ギターメーカーはグーグルを介して広告を行っている。しかし、ギターのデザインが3Dプリンターで行えるようになり、ギターのデザインが“無料”になったら、誰も広告を買わなくなる。しかし、グーグルにとって、無料で提供するこの情報は生命線である。この情報をグーグルのサーバーは整理している。長期的な視点で考えると、現在のグーグルのビジネスモデルには落とし穴があると言わざるを得ない。
ラニエ氏は、マイクロペイメントを介して、全ての関係者に報酬を分配し、ウェブパブリッシャーに価値に対する見返りを与えるべきだと主張している。コードであれ、写真であれ、音楽であれ、あるいは、記事であれ、自分が所有する作品を保有している限り、支払いは継続される。
例えば、ブログで記事を作成し、誰かが記事の一部を引用した場合、小額の支払いを受ける。引用される回数が増えれば増えるほど、適切な存在と見られるようになり、その結果、より多くの報酬を受け取るようになる。検索エンジンにページをインデックスされると、見返りが与えられる。誰かがページを閲覧すると、マイクロペイメントを受け取る。同様に、誰かの作品を見たら、料金を支払う。検索を行う場合、グーグルのコードを利用することになるため、グーグルに対価を支払う。支払いは、一つ一つを見ればごく僅かだが、塵も積もれば山となる。
このシステムを作る上では大きな技術的な問題が存在するが、ヘッドからテールに金銭を流す効果は見込める。他人が作った無料のコンテンツで帝国を築くのは難しくなるだろう。つまり、コンテンツの作者にお金を返すのだ。
また、こうすることで海賊版の問題も解決される。コンテンツのプロデューサーは、より多くの人々にコピーしてもらい、リミックシしてもらい、再配信してもらいたいはずだ。それだけ支払われる金額が増えるためだ。また、ラニエ氏が提案する双方向のリンクメカニズムを導入することで、所有権とクレジットを記録し、誰がコンテンツを利用しているのかを把握することが可能になる。
情報は無料ではなくなる。しかし、広義において、手頃な価格で得ることが出来る。また、製作に対する見返りを与えるメカニズム、そして、最も適切な情報に最も多くの見返りを与えるメカニズムも存在する。インターネットへの貢献度が高ければ高いほど、コンテンツを利用する人が多ければ多いほど、より多くの収益を得られる。僅かな金額の支払いだが、徐々に増加し、継続的に行われる。
興味深い疑問
今回紹介した疑問が気になったのなら、ジャレン・ラニエ氏が執筆した「Who Owns The Future」を読んでもらいたい。時折、まとまりのない主張が続き – 良い意味で – 脱線することもあるが – 良い意味で – それでも、とても知的で、思慮深い人物である点は十分に伝わってくるはずだ。ラニエ氏は、とても重大で、適切な質問を投げ掛けている。そして、その答えは粗く、異議、主張、議論の対象となるべきであり、そして、詳しく説明してもらいたい。
大きなテクノロジー会社が、世界を変えるような難問に立ち向かうためには、全ての知力、富、そして、力を、奪い去るよりも早いペースで、エコシステムを豊かにするために活用する必要がある。
この記事は、SEO Bookに掲載された「GoogleMart」を翻訳した内容です。
軽く感想を書くのもおこがましい重くハードなテーマですが、今日世界で台頭してきた世界を代表する巨大ネット企業、従来企業と比較して時価総額や売り上げと比較して雇用の数が少ないのは確かです。さらに彼らが提供する世界や技術革新で仕事を奪われた、今後奪われるであろう人々の行先は?Googleクラスの存在になればそこまで考える責任も、社会的にもまた自らが成長し続けるためにも、また出てくるのでしょうか。
ウェブマーケティングの世界一つとっても、かつて人が行っていた作業の多くがプログラムやツールに置き換わられていますよね。企業にとっては効率的であり経済的であり今日の世界で勝ち残るためには必要なことではありますが、そこで仕事を奪われてしまう人も一定数いるのもまた事実です。以前、日本の無駄な仕事の仕方や仕組みについて雑談していた時に、「日本はこんな狭い国に億を超える人が住んでいるんだから、無駄な仕事を適度に作らないと皆が生きていけないんだ」と話した人がいてナルホドと思ったことを思い出しました。日本もグローバル競争の中で既に一億総中流の幻想は完全に消え去っているわけですが、さて今後も進化し続けるであろうIT、ネット社会の行く末は私たちのどれだけに幸せな未来を提供してくれるのでしょうか? — SEO Japan [G+]