今にして思えば、2019年は実社会で無理なく自然に振る舞える最後の年だったように思える。パンデミック前は、しょっちゅう会議があったし、同僚とも自由に会えた。仕事帰りには楽しい時間も過ごせた。今は、Microsoft(マイクロソフト)やTwitter(ツイッター)といった企業が、これからはリモートワークの時代になると宣言しており、物理的なオフィス自体が今後も存続していくのかどうか、あやしい状態になっている。
しかし、シリコンバレーでは、物理的なドアが1つ閉じたら、仮想的なドアが1つ開く、と考える起業家が増えている。リモートワークをより自然なものにするという目的を掲げて、数十の新しいスタートアップがバーチャルオフィスを構築してチームを分散化させる取り組みを進めている。その先頭を走っているのが、Z世代のゲーマーが創業したBranch(ブランチ) 、Zoomをゲーム化したエンジニアが設立したGather(ギャザー) 、そして未だに正体がはっきりしないHuddle(ハドル) の3社だ。
この3つのプラットフォームは、バーチャルオフィス実現の準備は整っていることを証明するために競争を繰り広げている。マルチプレーヤーゲームの文化を背景として生まれたこの3社は、空間認識テクノロジー、アニメーション、生産性ツールを使用して、オフィス向けのメタバースを作り上げる。
こうしたスタートアップの今後最大の課題は、自分たちのプラットフォームが単なるエンタープライズ版のSims(シムズ)や、Zoomに常時ログオンしている状態とは異なることを、ベンチャーキャピタルとユーザーたちに納得してもらうことだ。成功すれば、ゲームとソーシャル化を融合させてチームを分散化できる可能性が出てくる。
多肉植物と空間認識テクノロジー
バーチャルオフィスを導入する企業は、生産性向上を目的とする企業からビデオゲーム開発企業まで多岐にわたる。その中間には、仕事と遊びを混在させた世界があり、ブランチはまさにそうした世界をターゲットとしている。
ブランチの順番待ち名簿には500を超える企業が並んでいる。現行ユーザーで、同プラットフォームを1か月間使った後の定着率は60%だ。同社はこれまで、Homebrew(ホームブルー)、Naval Ravikant(ナバル・ラヴィカント)氏、Sahil Lavingia(サヒール・ラヴィンギア)氏、Cindy Bi(シンディ・パイ)氏などの投資家から合計150万ドル(約1億5600万円)を調達している。
ブランチのバーチャルオフィスを眺めてみると、サンフランシスコの中心街で見る典型的なオフィスにあるものはすべて揃っている。会議室、ランチテーブル、休憩所、そして、同僚のデスクの上には多肉植物まである。大半の社員は12時間ログオンしており、大統領選の投票日には、オフィスエリアに開票速報のライブストリームが映し出され、皆が観ていた。
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バーチャルオフィスには、現行社員も解雇された社員もいる。物理的なドアがあるかないかの違いは大きい、とブランチの創業者は言う。
ブランチのプラットフォームはパンデミックへの対策として構築されたものではなく、創業者のDayton Mills(デイトン・ミルズ)氏とKai Micah Mills(カイ・ミカ・ミルズ)氏の長年にわたる実験の結果として生まれたものだ。2人の創業者はどちらも、15才のときからマインクラフトサーバーを建ててゲームを販売し、毎月数千ドルの純益を上げてきた。カイは高校を中退してマインクラフトサーバーの運営に専念し、デイトンは13才でゲームスタジオを設立してイラスト作成のためのアーティストまで雇っている。このゲームスタジオは、「13才の子供で資金もない」という理由で失敗に終わった。
共同創業者のデイトン・ミルズ氏はこう語る。「私は大半の時間、オンラインでゲームをして過ごしていた。とにかく1日中ビデオゲームをプレイしていて、バックグラウンドで皆とチャットしていたんだ。チャットはいつでも待機中になっていたからね。だから、私はバーチャルオフィスのプラットフォームをまったく問題なく受け入れられる。問題は、他の人にも同じように感じてもらえるかどうかだ」。
現時点で同氏は、このプラットフォームが成功するという自信を崩していない。結局のところ、オフィスというのは、否が応でも毎日顔を出さなければならない場所だ。それなら、もう少し面白い場所にしたっていいんじゃないか、というのが同氏の考えだ。
「まず、社員が働くスペースを構築する。それができたら、仕事の後に行けるスペースを構築する。そこから発展させて、さらにいろいろなスペースを作っていきたい」。
ブランチも、他のバーチャルオフィスプラットフォームと同様、適切な機能を備えつつも、重荷だと感じさせない程度にアプリとして受動的であるという特性を持ち、そこで時間を過ごすことが楽しいと思えるスペースになることを求められている。「このダイナミックさを実現するために、動画や音声を強制しない機能や、発話していることを示すアイコンをユーザーごとに用意し、リアルタイムで会話が行われている感じを出す機能を追加した」とデイトン・ミルズ氏は説明する。目指すのは、1日6時間ログオンしても負担を感じないカジュアルさを維持することだ。
「人々はリモートワークでSlackを使っているが、実際にオフィスに行ってもやはりSlackを使っている」とデイトン・ミルズ氏は言う。同氏は、ブランチでも同じようになることを願い、社員が一日何回くらい互いに言葉を交わすかを測定し始めた。1日あたりのチャットの回数は、数秒程度のものも含め、数百回程度だという。
ブランチやその他のスタートアップが負担の少ない自然なオフィスを作り出すために使っている主要テクノロジーは、空間ゲーミングインフラストラクチャだ。このテクノロジーの中核となるのは、近接する範囲内にいる人の声だけが聞こえるようにして、その範囲から外れていくとその人の声も徐々に聞こえなくなるというものだ。これにより、廊下ですれ違ったときのような感覚が実現される。
デイトン・ミルズ氏は、競争の激しいこの分野で勝ち残っていくのは、無理のない自然な空間を作り出せる企業だと考えている。
「セレンディピティ(偶然に出会う幸運)を直接作り出すことはできない。だから、それを生み出す環境を作る」と同氏は語る。
バーチャルオフィスの最大手と思われるギャザーは、まさにミルズ氏の提案を実現する機能を組み込んでいる。例えば、「肩をポンと叩く」という動作で同僚とのおしゃべりを促す機能や、社員が集まってきてバーチャルビリヤードができるビリヤード台などだ。オフィスを見回すと、コーギーがデスクの横に座っていたり、ジャック・オ・ランタンが飾られていたりする。この例ではフロアにいくつか観葉植物も配置されている。
ギャザーのメインフロア
「自分が見られているかどうかいつも気にかけている必要はなく、近づいて話しかけてくる人の声が聞こえるだけだ」とギャザーの創業者Phillip Wang(フィリップ・ワン)氏は言う。
オフィスには、ホワイトボードや、任意の場所に動かせるGoogleドキュメントが配置されており、いつでもアナウンスや会話ができるようになっている。
ギャザーは、ワン氏と同氏の友人が大学卒業後に創業し、現在創業18か月を過ぎたところだ。ギャザーのチームは当初、今話すことができる友人を表示して会話を始められるカスタムのウェアラブルデバイスを作ろうとしていたが、うまくいかず、アプリ、VR、全身ロボットへと方向転換を図った。ちょうどその頃、新型コロナウイルスの感染拡大が始まり、職場は閑散とし始めていた。
巨大なのか?意外と小さいのか?市場規模は未知数
ギャザーはエンジェル投資家から資金を調達したことがあるが、機関投資家からの資金調達は、資本政策表によって会社の成長と方向性が捻じ曲げられる可能性があると判断し、避けていた。
このステージでのVCからの資金調達について、ワン氏は「結局、自分がやりたくない選択肢だけが残ってしまうという状況になることはよくある」と指摘する。「我々は、ユーザーにとって有益な方向に進む原動力となるような方法で利益を出したいといつも考えている」。
エンジェル投資家のJosh Elman(ジョッシュ・エルマン)氏は、多くのVCがギャザーの製品に興味を持っているが、その理由は同社のトラクション(牽引力となる顧客数)とチームだけではない、と語る。バーチャルオフィスはバーチャルオフィスで終わらない可能性を秘めているからだ。オフィスはテクノロジーで支配できる空間だが、学校、イベント、ウェディングなどにも同じことが言える。
エルマン氏は、バーチャルオフィスの潜在市場を示す例として、最近1億2500万ドル(約130億3500万円)を調達し、評価額21億ドル(約2190億円)に達したHopin(ホッピン)を挙げる 。大半のVCは、イベントの分野で多くの勝ち組が生まれることに同意している。問題はプラットフォームのスティッキネス(ユーザーを惹きつける力)だ。
正しい価値提案を行えば、マルチプレーヤーゲームの可能性を人々に理解してもらうことはそれほど難しくない。例えば、Epic Games(エピック・ゲームズ)のFortniteは、サイケデリックなTravis Scottのライブを配信し、1230万人を超える視聴者を動員した 。
このように、ゲームテクノロジーが持つ可能性はすぐに理解できる。しかし、きらきらした照明の中で音楽を楽しむライブではなく、ただ同僚だけがいるバーチャルオフィスで毎日過ごすとしたらどうだろう。ビジネス用途のソーシャルゲーミングのTAM(獲得可能な最大の市場規模)は未知数だ。これらのプラットフォームが、いつか1000億ドル(約10兆4000億円)規模になる潜在能力を秘めたベンチャー企業ではなく、普通の事業よりも少し大きくなる程度のものだという可能性だってある。
画像クレジット:Bryce Durbin
しかし、ハドルのFlorent Crivello(フローレント・クリベロ)氏 はそうは思っていない。同氏は自分の会社(正体は不明だがリモートオフィス事業の会社らしい)は、不動産、輸送機関、そしてマクロ的には都市全体に大きな変革をもたらす潜在性を秘めており、その市場規模は数兆ドルに達すると考えているからだ。
「Uber(ウーバー)時代の同僚には、『自分は今でも輸送関連のビジネスに取り組んでいるよ。ただ、輸送機関は将来消えてなくなると考えているというだけのことだ』と話す」とクリベロ氏は言う。
ハドルが6か月前にローンチした非公開ベータ版は、アップルやウーバーのチームで使用されている。ハドルのプラットフォーム上ではすでに数万時間におよぶ会議が行われており、クリベロ氏によると、中にはSlackやZoomを使うのをやめた顧客もいるという。
「Slackは、画面に表示される名前の一覧を見ることと名前をクリックすることは違うということを理解していない。オフィスで誰かを見かけることは、『やあ』と声をかけることとは違う。後者のほうが人間味にあふれていると思う」と同氏は語る。
Gumroad(ガムロード)を創業したSahil Lavingia(サヒール・ラヴィンギア)氏は、ガムロードの物理的なオフィスを2016年に閉じてしまった。元に戻るつもりはまったくないという。
ラヴィンギア氏はブランチのシードラウンドでは次のように語った。「オフィスは維持費が高すぎるし、週40時間もそこで過ごす必要性はない。物理的なオフィスがなくなることはないと思うが、こうしてリモートでも効率的に働けることがわかってしまった今、大幅に減少するだろう。経費もリモートのほうがはるかに安くすむ」。
Sweat Equity(スイートエクイティ)のパートナーで人事部に在籍していた経験のあるMegan Zengerle(メーガン・ゼンゲール)氏は、バーチャルオフィスの導入を検討している企業は、ソリューションの賞味期限について考えておく必要があると指摘する。
「それが本当に会社のために構築したい文化なのか。会社にとって長期的に有益なものなのか。そうした方向に進むことは論理的に意味をなすことなのか。こうしたことを考える必要がある。文化は生きており呼吸している。一度設定してそれで終わりといった静的なものではない」とゼンゲール氏は言う。
バーチャルオフィスは、チームの知的能力と扱う製品によって大きく異なってくるとゼンゲール氏は考えている。明らかに同氏は、バーチャルオフィスがすべての会社に適用できる万能ソリューションだとは考えていない。
「パンデミックに対応するための数々の戦略が提言されているが、そうした対応策は、組織ごとではなく、組織内の社員ごとに異なるものだ」とゼンゲール氏は指摘する。
これまでもスタートアップが大規模な顧客ベースを惹きつけることを阻害するさまざまな障害があった。2011年のTechCrunch Disruptの勝者であるShaker も例外ではない。
パンデミック以前の世界ではリモートワークを普及させる文化が整っていなかった。新型コロナウイルスの感染拡大によって、オフィスは閉鎖され、社員は適応することを余儀なくされた。本記事で取り上げたスタートアップ各社は、社会全体の大規模な適応によって新しい文化的シフト、メタバース(コンピューターが作り出す3次元の仮想空間)が主流となるような新しい文化的シフトが起こると確信している。
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(翻訳:Dragonfly)