Vinod Khosla:「今後10年、データサイエンスの進化は全生命科学分野が成し遂げてきた以上の成果をもたらす」

他の記事に登場しているが、Khosla VenturesのファウンダーであるVinod Khoslaの話をもうひとつ取り上げておこう。ここしばらくで「最もホットである」とする分野について話をしているのだ。その分野とはメディカル分野だ。食品分野にも興味を感じているが、メディカル分野こそ、最も熱い分野だと感じているのだとのこと。「これからの十年で、メディカル分野におけるデータサイエンスおよびソフトウェアの進化に注目すべきだと思っています。これまでに生物科学が成し遂げてきたことを上回る成果をおさめるだろうと考えているのです」とのこと。

かなり大きなことを言っていて、おそらくは賛否両論のあるところだろう。しかしKhoslaはモバイル関連技術の進化と、ハードウェアの低価格化により、数年のうちにヘルスケア分野は大きな変革期を迎えると考えているのだ。但し、とKhoslaは注意を促す。「変革を担っていくのに、スタンフォードを1年で中退してスタートアップを立ち上げる、と短絡するのはどうかと思います。博士レベルの知識が必要になってくるでしょうし、またロボット工学系の学位も必要となってくるでしょう。さらに機械学習分野などについての知識も必要となってくるはずです」とのこと。

さらに続けてKhoslaは言う。「センサー技術およびウェアラブルデバイスの進化が相まって、ヘルスケアの実践方法にもいろいろと変化をもたらすことになるでしょう」。こうした時代に対処するためにKhoslaは、ビッグデータ分析やモバイル技術を用いて、精神医学面も含めたヘルスケアサービスを展開するGinger.ioなどにも出資しているわけだ。

他にもiPhoneを利用した診断用デバイスの開発を行うCellScopeにも出資しており、こちらはまずデジタルオトスコープ(訳注:耳鏡。耳管と鼓膜などの調査を行うための器具)を世に出している。「自分でiPhone上のCellScope技術を用いて安全な診断ができれば、わざわざ医者に行く手間をとる必要もありません」とKhoslaは言う。

「医者の行うことの80%は、その何分の一かのコストで、テック(技術)に代替させることができます。とくに医療後進地域ではそうでしょう」と続ける。もちろん、研究病院におけるような先端分野までもが、直ちにテックにより置き換わっていくだろうと言っているわけではない。


バックステージ・インタビュー

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(翻訳:Maeda, H)


TC Disrupt:Sun Microのファウンダー、Vinod Khosla、「ほとんどのベンチャーキャピタリスト取締役はスタートアップに害をしている」

Sun Microsystemsの共同ファウンダーでその後ベンチャーキャピタリストに転じKhosla Venturesを作ったVinod KhoslaがわれわれのTC Disrupカンファレンスに登場して忌憚のない意見を述べた。Khoslaによれば「大半のVC(ベンチャーキャピタリスト)にはスタートアップに適切なアドバイスをする能力がない」という。

実のところ、VCはスタートアップの害になっていることの方が多いとKhoslaはいう。

ステージ上の対談でTechCrunchのファウンダー、Michael Arringtonは「取締役としてダメなVCの例を上げてくれ」と水を向けた。

「誰が取締役としていちばんクソなVCかね?」とArringtonは尋ねた。

「いちいち例を挙げていたらえらく大勢の敵を作ってしまうだろう。95%以上のVCは取締役としてスタートアップに加える価値はゼロだ。70-80%のVCの取締役としての助言はスタートアップの価値を下げている」とKhoslaは答えた。

KhoslaによればほとんどのVCはスタートアップが難局を切り抜けるための有効な助言ができない。

「難局にあったことがないスタートアップの例など知らない。スタートアップのファウンダーはVCの言うことには礼儀正しく耳を傾け、それから自分の思いどおりに断固やることだ」とKhoslaは言う。

「私もスタートアップに助言する。しかし、これこれの点については確信がないとはっきり言う。たぶん私はこの会場にいる誰よりも多数の失敗をしてきたと思う。同じ轍を踏まないよう私の失敗を起業家が教訓にしてくれることを期待している。しかし新しく大胆な企てをするときには確実なことなど何一つないのだ」とKhoslaはアドバイスした。

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(翻訳:滑川海彦 Facebook


MicrosoftがFoursquareに救いの手を差し伸べる意味

Foursquareが大手テクノロジー企業から戦略的投資を受けるという噂は、複数の情報筋が候補はMicrosoftらしいと報じて以来大きくなり、BloombergのDina Bassによると、交渉は「進んでいる」。

何でまた、MicrosoftがFoursquareを欲しがるって? と思うかもしれない。これは、プラットフォームのためのアプリケーションサポートではない。その取引は既に完了している。

そうではなく、私が思うにこの投資の目的は、MicrosoftがFacebookに数億ドルを注ぎ込んだのと同じ理由、Bingだ。Facebookで唯一の企業出資者になることによって、Microsoftはソーシャル巨人にマップと検索の機能を提供する長期契約を確定させた。

Foursqureの大部分を所有することは、やり方は違うが、Bingを後押しする。Bingはローカル情報とマップデータの提供においてGoogle、Appleと競合している。モバイル地図が多面的になり、道案内よりもどう暮すかが重要になるにつれ、これら2つの領域は重なりつつある。もちろん、Windows PhoneのBingには、地理情報と地域商業情報を組み合わせるツールであるLocal Scoutがある。

Foursquareは、Microsoftが欲しいデータを持っているというだけで、ぴったりと収まる。このスタートアップは何年もかけて、レストランやホテル、家屋、その他あらゆる物に関する情報をユーザーから集めてきた。それをBingに渡せば、BingはおそらくGoogle以上のものをモバイルユーザーに提供できるだろう。

BingはすでにFoursquareのデータを使っている。Microsoftが関心を持っていると私が思う理由はそこにある。彼らはその価値を知っている。加えて、データの流入が止まったり、誰か(Yahoo、等々)が買収してアクセスを遮断するような事態は避けたい。これは、攻撃と守備を兼ねた行動だ。もちろんYahooは、現在検索技術でBingに頼っているが、1年後もそうとだは限らない。

Windows 8、8.1、Windows Phone 8のユーザー体験、およびデスクトップのBing体験を改善することにもなる。

ではなぜ、Foursquareを完全に買収しないのか? Microsoftはそうする必要がないと私は思う。Foursquareは最新の資金調達ラウンドで6億ドルと評価された。投資家は利益が欲しいだろうし、Microsoftに現金があることはわかっている。今のFoursquareの弱さを考えても、安い買物にはなりそうにない。

しかし、例えば5000万ドルで、MicrosoftはFoursquareの最近の借金を帳消しにした上で、同社収益ある未来を証明するための資金を注入できる。MicrosoftはFoursquareデータの利用が可能になり、そのために意味のある対価を払う必要がない。そして、もしFoursquareが本当に倒れた時、欲しい物を拾い集めるのは、株主であるMicrosoftだ。

本誌ではYahooにも可能性があるという情報も得ている。さあ、ゲームの始まりだ。

トップ画像提供:Robert Scoble

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(翻訳:Nob Takahashi)


ザッカーバーグのアイデア「Facebookは市民が政府を作り変える力になれる」を評価する


Mark Zuckerbergには、Facebookは途上国の人々が自分たち自身の政府を決める手助けをするようになる、という壮大なビジョンがある。それは遠大、かつ達成可能なゴールだ。エジプトが次期大統領を国民の「いいね!」で投票させることはなさそうだが、Facebookを使って専門家の意見をクラウドソースすることは理論的に可能だ。世界中の政府が、過激なオンライン直接民主主義を実験しているが、いつもうまくいくとは限らない。

ごく手短かに、Zuckerberg、E-政府に関する彼の大きなビジョンについて、WiredのSteven Levyに説明し、途上国にブロードバンドを普及させるための新しいコンソーシアム、Internt.orgについても語った。

「人々はよく、ソーシャルメディアがここ米国の文化に与えた変化の大きさについて語る。しかし、途上国が初めてオンラインになった時の変化の大きさを想像してほしい。われわれはFacebook等を使って、ニュースをシェアしたり友達と連絡を取りあったりするが、途上国では、どんな政府が欲しいかを決めるために使うだろう。生まれて初めて医療情報にも触れる。

「政府を・・・決める」と言う時、Zuckerbergは、投票、アイデアの共有、あるいは憲法の制定について話しているのかもしれない。本誌では、それらすべての可能性を評価してみることにした。

憲法/政府の選択:これまでのところインターネットは失敗している

真新しい政府を構築するというワクワクする、かつ恐ろしい立場にいる国民にとって、アメリカンスタイルの民主主義は、数ある選択肢の一つだ。例えば、英国は、議院内閣制を採用し、憲法を持たない。他には、政府が政治学者の助言に耳を傾け、「コンセンサス型民主主義」を作ろうとするケースもある。そこでは3つ以上の政党が国民や企業、政府の様々な部門と協力して、法を制定するよう動機づけられている。

少なくとも一度、インターネットを通じて新しいスタイルの民主主義を選ぶ試みが行われたことがある。世界的金融危機がアイスランド経済を破綻させた後、草原の国のハッピーな人々は、政府をやり直し、一般から助言を募る決定を下した(950人のアイスランド人がクジ引きで選ばれ、ソーシャルネットワークを通じて一般からアイデアが募られた)。アイスランドの「クラウドソース」憲法に関する多くの報道がなされた後、立候補したリーダーの殆どが拒絶されるという惨めな失敗に終った。

法律、特に憲法の制定は、法的に複雑だ。国民のやみくもな助言を法律用語に翻訳する系統だった方法がない限り、結果は破滅的だ。

「協同作業による草案作りを、大規模、低コスト、かつ包括的に行うことは、未だにそのやり方をわれわれは知らない」と世界銀行の参加型民主主義コンサルタント、Tiago Peixotoは言う(彼はTechCrunchが選ぶ民主主義における最も革新的な人物の一人でもある)。

Peixotoは、ブラジル政府の世界でも数少ないオンライン政策決定システムの実施を手伝った人物であり、Facebookが役に立つことに関しては楽観的だが、法案作成にはまだ使えないと言っている。

ソーシャルネットワークを使って新しい政府を作ることは、技術的には可能だが、その方法はまだ誰にもよくわかっていない。そのため、リーダーはこのアイデアを拒否することが多い。つまり、エジプトが自分たちの未来をFacebookの「いいね!」で決めることは期待しない方がいい。

Facebookが得意なこと:投票と世論を引き出す

Facebookは投票率にすばらしい影響力を持っている。ある大規模な無作為実験によると、Facebookは〈投票へ行こうキャンペーン〉の効果を4倍増させ、国政選挙の投票率に2.2%増という有意な影響を与えたという。多くの国でインターネットが普及すれば、Facebookは古き良き方式の選挙を補強するだろう。

さらには、Facebookが有権者に飽和するにつれ、民意の指標になりつつある。前回の選挙でCNNは、近況アップデートの意味データを分析し、特定の意見や候補者について一般市民がどう感じているかを解明しようとした。近況アップデートは、調査対象が思い出すのが困難な問題に関する情報源として極めて優れており、電話による世論調査よりもはるかに大量のデータを分析できる。

しかしPeixotoは、Facebookの分析が代表性のない徒労に終る可能性を警告する。第一に、Facebookは文字ベースであるため、途上国の多くの非識字人口が無視されることになる。第二に、Facebookは人が気に入ったものを見せる傾向にある。Facebookユーザーは、同性愛者の権利に対して驚くほど好意的であり、米国世論を変える力になった

しかし、女性嫌悪と人種差別の歴史を持つ途上国で、最大の声高な批判者に過度な力を与えることは破滅的である。また、同性愛者や女性が積極的に発言することが危険な場所で、社会的弱者が話す気になるかどうかさえ定かではない。

野望

TechCrunchの政策チャンネルであるCrunchGovは、常にE政府に関心を持っている。それを実現するためのツール作りにも積極的に取り組んでいる。昨年冬、われわれはクラウドソースによる立法プラットフォーム、Project Madisonを立ち上げた。これはDarrell Issa議員のオープン政府基金で作られた政府の政策立案をより透明、包括的、知的にするためのツールだ。

理論的に、Facebookはより代表性のある専門知識を推進するための大きな力になることが可能だ。Peixotoはソーシャルネットワークについて、「ブレーンストームを行えば、優先事項を集約できる」と言う。だから、いくらかのリサーチと大いなる〈大胆さ〉があれば、Facebookは民主主義の道具箱に入る強力なツールになるだろう。

「Facebookはオンライン民主主義の方法を改善する特権的立場にある」とPeixotoは結んだ。

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(翻訳:Nob Takahashi)


スティーブ・バルマー以後のMicrosoftは何をなすべきか?

編集部:この記事はBoxの共同ファウンダー、CEOのAaron Levieの寄稿。Twitter:@levie.

スティーブ・バルマーがMicrosoftのCEOを退任すると発表したことはテクノロジー企業の歴史でも10年に一度の出来事だ。ビル・ゲイツが基礎を築き、続いてゲイツとバルマーが、やがてバルマーが単独で拡大した帝国のひとつの章が終わったことを象徴している。

バルマーのMicrosoftについては対照的な2つの見方が存在する。マスコミにお馴染みのより広く知られた見方は否定的なものだ。いわく、バルマーのMicrosoftはGoogle AppsやAmazon Web Servicesのようなクラウド化の波に対応が遅れた。AppleとGoogleが開始したモバイル化への対応にも失敗し、Microsoftの独占的地位を大きく弱めた。Zune、Windows Vistaその他でも大失敗した…。

もうひとつの見方はそれほど広く知られていない。実はMicrosoftはバルマーの下で売上を220億ドルから780億ドルへと3倍以上に伸ばしている。

Office 365とAzureというクラウド・プラットフォームを開発し、成功させたのもバルマーの時代だった。またSkypeやYammerといったキー・テクノロジーを持つ企業の買収にも成功している。 またYahooとFacebookの検索エンジンとなるなどの巧妙な戦略によってMicrosoftの検索シェアをゼロ同然から30%に成長させた。またMicrosoftは創成期のFacebookに巨額の投資をして有力株主となった。Microsoftがオープンソースやサードパーティーのプラットフォームを採用するようになったのもバルマーの時代だ。

しかし白でなければ黒と決めつけずにはおかないテクノロジー市場にあっては、こうした数々の成功にもかかわらずMicrosoftは「敗者」とみなされている。

Microsoftは世界が以前に比べてはるかに多様化し、ユーザーの選好がはるかに重要になっていることを認識する必要がある

そういうことになったのはなぜだろうか? 答えは市場のあり方が劇的に変わったことを認めようとしない旧態依然たる戦略にある。今や司法省反トラスト局はMicrosoftに対して国務省がカナダに対するほどの注意も向けていない。Appleはより優れたデバイスを作っているし、Googleはより優れた検索サービス、クラウド・サービスを提供している。Microsoftは世界が以前に比べてはるかに多様化し、ユーザーの選好がはるかに重要になっていることを認識すると同時に、それに対応した戦略を採用しなければならない。

最近バルマーが実施した改革は組織の再編成という社内向けのものだった。それはそれで重要だが、社外の現実への対応はさらに重要だ。現在のソフトウェア産業もハードウェア産業もゼロサムゲームではない。こうした新たな現実を踏まえてバルマーの後継者が何をなすべきか、いくつかヒントを上げてみよう。

アプリのアンバンドル MicrosoftはOSの圧倒的成功によってアプリケーション産業を支配した。Lotus、Word Perfect、Netscape、Real Networks等々、競争相手はOSと密着したMicrosoftのアプリケーションによって踏み潰されていった。しかし現在では事情は変わった。今や「尻尾が犬を振る」時代だ。ユーザーは好みのアプリを使うために必要ならMicrosoftのOSから離れていく。

今やインターネットに接続しているデバイスのOSは圧倒的に非Windowsだ。だからMicrosoftはアプリケーションをWindowsという母艦から切り離なければならない。ところが依然としてMicrosoft Officeなどの主要アプリケーションはAppleやAndroidデバイスでは利用できないか、機能が限定されているかしている。数年後にはタブレットの出荷台数がパソコンを上回ることが確実な時代だ。Microsoftはぜひともアプリケーションを自立させ、それ自身で競争に耐えるものにしなければならない。

オープン化 クラウド化の最大のメリットの一つは、異なるベンダーのアプリケーションでもシームレスに協調動作できるようになったことだ。 以前のように、単一のベンダーからすべてのアプリケーションを買うのでなければ統合環境が整備できないなどということはない。APIを利用した連携によって、ユーザーは好みのアプリケーションを自由に組み合わせて使うことができる。NetsuiteやWorkdayのERP〔企業資源計画〕システムはZendeskの顧客サポートシステムと連携できる。ZendeskはJiveのソーシャル・ストリームと連携可能だ。クラウド・アプリケーションを相互に連携動作させるクラウド・スタックはソフトウェアのオープン化を強力に推進し、ユーザーのメリットを増大させる。しかし、現在Microsoftはこうしたクラウド・スタックで利用できるような新しいアプリケーションをまったく持っていない。

たとえばウェブ版Officeをサードパーティーのアプリ(たとえばBoxとか)と連携させようとしても、議会に法律を変えてもらえば別だが、APIをいじるだけではどうにもならない。こうしたクローズドなアプリケーションはOS独占が成立していた時代ならユーザーに選択肢がない以上合理的だったかもしれないが、IT資源が過剰なまでに溢れている現在では意味を失っている。Microsoftの新しい経営陣は、かつて「敵」とみなしていた企業のソフトウェアとオープンに協調動作していくことが決定的に重要だということを認識する必要がある。

プロダクト! プロダクト! プロダクト! (それにデベロッパーも) 全体としてみると、Microsoftのソフトウェア・プロダクトは過去の栄光にあぐらをかいていると言わざるを得ない。 ライバルがここ何年かで開発してきたiPhone、Android、Chrome、iPad、自動走行車、GoogleGlassといったプロダクトに比べると、Microsoftの成功しているプロダクトはすべてパソコン全盛時代にそのルーツがあるものばかりだ。

なんとかしてMicrosoftはサードパティーが次世代のスーパー・アプリ、スーパー・サービスを生み出せるようなプラットフォームを創設する方法を考えださねばならない

Microsoftが復活するためには、(再び)プラットフォーム企業となることが必要だ。Googleは検索をベースとした巨大なトラフィック、Chromeというブラウザの新たな標準、Androidによるアプリ市場などを提供することでいわば「善意の独占者」となっている。AppleもiOSによって巨大なアプリ市場を創設し、すでに多数の10億ドル級スタートアップを生み出している(Uber、Instagram、Angry Birds、Super Cell、Spotify等々)。なんとかしてMicrosoftはサードパティーが次世代のスーパー・アプリ、スーパー・サービスを生み出せるようなプラットフォームを創設する方法を考え出す必要がある。今回は成功したスタートアップをライバル視して片端から踏み潰すようなことをせず、エコシステムの育成に務めねばならない。

ビジョン 最近Microsoftが公にしている自社の定義は「Microsoftはデバイスとサービスの企業だ」というものだ。これはまるでディズニーが「われわれはテーマパークと映画の企業だ」と言うようなもので意味がない。「すべての家、すべてのデスクにパソコンを」というMicrosoftの創成期のビジョンは、当時としては「月に人間を送る」くらいの壮大なスケールの使命だった。株主やアナリスト向けの戦略を立案するだけでは十分ではない。消費者一般が理解し、共感できるようなユニークなビジョンを掲げることがぜひとも必要だ。

いくつか希望をもたせる兆候も現れている。Satya Nadella Qi LuTony Batesらの新しい幹部は従来とははっきり違うオープンなスタイルをMicrosoftにもたらしている。たとえば、今年のBuildデベロッパー・カンファレンスでデモ機にMacが使われた。10年前なら神聖冒涜行為と考えられただろうが、今ではMicrosoftも新しい現実を理解するようになってきた。ウェブやプラットフォーム・プロダクトについても従来よりアップデートnペースが早まり、四半期に数回もアップデートされることが珍しくない。数年前までの「アップデートは3年に1度」という体制から比べれば大きな進歩だ。

誰がレッドモンドの巨大タンカーの指揮を取ることになるのか分からないが、Microsoftを新しい現実に適応させるよう適切に舵取りができる人物であることを祈りたい。

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(翻訳:滑川海彦 Facebook Google+


I Forgot My Phone ― 話題のショートムービーを見てみた

あちこちでかなり話題になっているようだ。今の「コミュニケーション時代」を客観的に見る面白い内容で、ある種のショックを感じる人も多いのではなかろうか。このショートムービーの主人公はスマートフォンを持っていない女性だ。時代にそぐわない人物設定かもしれない。しかし、ほんの少し前までは常に携帯デバイスを身につけているということもなかったのだった。今や、私達の現実はレンズとスクリーンによって代替されつつある。少し前まで、テレビ画面の近くに座っていると癌になると言われていたりしたものだ。しかしいまやいつでも手元に画面がある。いつまでもいつまでも、際限なく画面を見続けることが普通になっている。

コミュニケーションを支えるテクノロジーが「Glass」の形をとろうとしていることは偶然ではないだろう。現実世界はテクノロジーが作る窓(ガラス)によって切り取られて、認知されるようになってきているのだ。

デバイスを通じてしか外部との関係を保てない状況を変えるにはどうすれば良いだろうか。必要なのは「デジタル・デトックス」ではあるまい。「デジタル」は仕事や、あるいは生活の隅々にまで浸透し、もはやなくてはならないものになっているのだ。必要なのは、ネットワークやコンピューターを介しての「体験」というものが、実際のものとは違うという当たり前のことを再認識することだろう。何かを排除する「デトックス」ではなく、実際の世の中の素晴らしさを再発見することが大事なのだと思う。

世の中が変わっちまったのさと、ビールを飲みながら愚痴るのも良いかもしれない。しかしそれでは時代に流されてしまうだけだ。たまには落ち着いて座ってみて、何もクリックせず、もちろん画面のタップなどせず、もちろん「おや、このシーンをVine化したら面白いぞ」などということも考えずに過ごす。目の前に広がる現実と直接に向き合うということを「意図して」行うことが、「現実」を取り戻すための手段になるだろう。

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(翻訳:Maeda, H)


クラウドサービス・アーキテクチャーは、インテリジェントな自動化アプリケーションの新時代を可能にする

編集部注:Pete SonsiniはNew Enterprise Associatesのジェネラル・パートナー。Twitterアカウントは@psonsini.

大部分のウェブソフトウェア開発における新しい方式は、クラウドベースAPIを使うアプリケーションの集合体だ。開発者は、様々なクラウドサービスを利用して時間を節約することによって、時分たちのソリーションの新規なビジネス論理に力を集中する。

ProgrammableWebの集計によると、毎月何百もの新しいAPIが生まれている。そして、APIの追求に専心するウェブサイトの存在そのものが示すように、アプリケーション組立て方式は、ソフトウェア開発を根本的に変えた。しかし、それはとてつもなく大きいと同時に、クラウドサービスベース・アーキテクチャーの可能性を考えると、氷山の一角にすぎない。アプリケーション内のロジックを、数多くの集中クラウドサービスを横断して流通させることは、より自動化され、よりインテリジェントなアプリケーションを可能にする。そして、今以上のタイミングはない。

興味深いことに、この分離はSoftware Defined Network(SDN)が、ネットワークの構成要素を「コントロール」プレーンと「データ」プレーンに分けることによって、より自動化されたインテリジェント・ネットワークを可能にしたことと似ている。SDNコントローラーが、ネットワーク内のさまざまなノードのデータを分析し、性能やセキュリティーを改善するべく自動的にネットワークの振る舞いを変えるのと同じように、クラウドサービスは、自らを支えているあらゆるアプリケーションのデータを分析することによって、行動や性能を改善するべくアプリケーションに変更を加える。

事実、SDNを詳しく見ることによって、分離アーキテクチャーがクラウドアプリケーションに与える利益に関する重要なヒントが得られる。SDNのコントロールプレーンは、ネットワークの行動を定義するための知識(「ルール」)を含んでいる。一方データプレーンは、これらのルールに従い、ネットワーク内でパケットを移動する(「プロセッシング」)。ネットワークパケットがどう処理されるかという「ルール」を、実際の処理から切り離すことによって、自動化インテリジェント・ネットワークの実現に不可欠な、測定、分析、修正のフィードバックループが可能になる。

クラウドアプリケーション・アーキテクチャーには、たしかにSDNと類似性がある。集中化されたインテリジェント要素(クラウドサービス)は、しばしば数多くのエンドノード(この場合はアプリケーションのインスタンス)から来るデータを分析し、それらエンドノードの行動を修正する役割を担う。殆どのスタートアップはこれを活用していないが、それは単に最新のウェブベース配信モデルでサービスやアプリケーションを提供するだけで、十分大きな価値を利用者に提供できるからだ。それ自体が、彼らがスタートを切るための十分な価値提案を付加している。

しかし彼らが成長するにつれ、より多くの会社がサービスにインテリジェンスと自動化を組み込むようになる。そうすることによって、自らのSDN品質を利用して、それらのサービスが駆動する全アプリケーションのデータを分析し、性能を改善したり行動を変更するようにアプリケーションを修正できるようになる。

既に分散アーキテクチャーよるインテリジェンスを活用して、顧客に届ける価値を飛躍的に向上させている分野が、セキュリティーだ。大規模な相関分析、機械学習、その他のビッグデータ技術を活用して、脅威の存否を検出する。もし検知されれば、その情報はネットワーク全体で共有され、人々にその脅威の警告を与える。これは、インテリジェント・クラウドサービスの真骨頂だ。

クラウドベースサービスのスタートアップと話す機会があると、彼らが自分たちのサービスを構成するあらゆるアプリケーションから収集したデータの持つ厖大な価値の議論になることが多い。しかし、このデータの恩恵にあずかるためには、機械学習その他の高度な分析技術を使い、リアルタイムに行動を起こしてそれらのアプリケーションに修正を加える必要がある。集中化されたインテリジェントクラウドサービスは、その目で見たデータに基づいて自動的にアプリケーションの機能や性能を改善する — Amazonが過去の購入に基づいて推奨したり、広告技術会社が再ターゲティングの最適化を行うのと変わらない。今日のクラウドサービス・スタートアップの大半は、自社サービスを使いやすいAPIの形で提供するだけで大きな価値を生み出している。しかし、次の大きなチャンスが眠っているのは、インテリジェンスと自動化だ。

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ケビン・ローズがEvernoteのファウンダー、CEO、フィル・リビンにインタビュー―スタートアップはゼロサム・ゲームではない

〔この記事はKevin Roseの執筆〕

私のFoundationシリーズ、今回はEvernoteのファウンダー、CEO、Phil LibinをSTART SFカンファレンスの会場でインタビューした。Philは「クラウド」というバズワードについて語り、「イノベーションとかクラウドという言葉をたくさん使え会社ほどほど中身がない」と批判した。またEvernoteを100年続く会社にする戦略や暗号化を魅力的に見せる方法などについても語った。

以下はPhilのビジネス上の競争に関するバランスの取れた意見だ。

われわれはよくビジネスをスポーツのような誰かが勝てば誰か負けるゼロサム・ゲームだと考える。しかしスタートアップというのはボクシングの試合みたいなものではない。むしろむしろ音楽のようなものだ。戦いというより芸術に近い。もちろん競争相手は存在する。しかし競争相手との関係にしても単なるゼロサムではない。ゼロサムだと考えていては失敗する。競争相手が優秀だからといって自分たちが失敗するわけではない。きみたちが非常に優秀なら、他の皆がきみたちをさらに盛り上げてくれる。野球の試合をするというより、オーケストラで演奏するというように考えた方がいい。

Kevin RoseはDiggのファウンダーで現在Google Vnturesのゼネラル・パートナー。KevinのFoundationシリーズのインタビューのEv Williamsの回はこちら

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(翻訳:滑川海彦 Facebook Google+


3Dプリントは消費者の家庭で毎年2000ドルの節約になる?

Michigan工科大学の研究者が発表した3Dプリンターが一般消費者の家計に与える影響を予測した研究はなかなか面白かった。それによると、3Dプリンティングを利用することによる消費の節約による利益は年間で最大2000ドルにも上るという。

その部分:

調査結果によれば、ユーザーが年間に特定の20品目しか出力しないというきわめて控えめな前提でも節約額は年間300ドルから2000ドルに上ると判明した。

この予測は「控えめ」と言っているが、かなり希望的観測が入っていそうだ。私自身、MakeXYZを使って数百ドル分のパーツを依頼者のために出力しているが、自分の家庭用としてはドライヤーのハンドル(20ドル)、ホースのクランプ(5ドル)、息子用のチェスのセット(5ドル)くらいだ。私のMakerbotはまだ元を取るところまで行っていない。まあ来年はどうかわからないが。

しかし3Dプリンティングの本当の影響は、短期的な節約の額にあるのではない。このレポートの結論にもこう書かれている。

潜在的にもっとも重要な影響は、 i)オープンソース3Dプリンティングによる分散マニュファクチャリングの急速な進展、ii) l大規模な普及にともなう消費者のライフサイクル志向へのシフト、iii) 小規模なコテージ産業の成長、iv) 手工業的生産技術教育の復活

この要約は的確だ。RepRapのような安価なオープンソースのデバイスが製造業を変貌させ、私のような1個人が他人の求めに応じてすてきな部品を作ってやることを可能にする。たとえば、上の写真のクアドラコプターの脚は私がAnthonyというMakeXYZユーザーの注文で出力したものだ。私は料金として40ドル請求したが、ホビーショップで買おうとしたらはるかに高くついたことだろう。Anthonyは脚を自分で設計し、私は自分のプリンタで出力した。そして私は自分の手間とプラスティック材料を少々の料金と交換することができた。これが3Dプリンタの製造業にもたらす驚くべき影響の第一歩だろう。

3Dプリンタは間違いなく家庭に普及する。それが家計にどれほどの節約をもたらすかは未知数だ。しかし3Dプリンタがわれわれと製造業との関係を長期的に大きく変えていくことになるのは疑問の余地がない。その点、この調査の結論は正しいと思う。

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やっぱりAndroidはモバイル時代のWindowsか?

柔軟で拡張性の高いOSがサードパーティーのハードウェア・メーカーに開放されて市場に独占的地位を築いた。どこかで聞いた話? デジャヴ?

実際、AndroidとWindowsの並行関係は驚くほどだ。ではAndroidはMicrosoftがWindowsで陥っているような落とし穴を避けられるだろうか?

ともあれまず現在のAndroidと95年のWindows 95の類似点をおさらいしてみよう。

  • Androidはほぼ無数のフォームファクターのハードウェアによって断片化(多様化といいたければそうも言える)されている。 サードパーティーのメーカーのAndroidサポートは(Windows同様)、きわえめて広範囲で、根強い。
  • Androidの柔軟性と自由性はありとあらゆる種類のアプリケーションが爆発的に生まれることを可能にしたが、アプリ市場にマルウェアや屑アプリが蔓延するなど無法状態も招いている。インターネット初期のWindowsも同様の無法時代を経てきた。
  • AndroidはAppleがパイオニアとして切り開いた市場に後発で参入した。その際にサードパーティーのハードウェア・メーカーを味方につける戦略を採用し、Appleのハードウェア製造、販売能力を凌駕することに成功した。世界市場でAndroidタブレットのシェアははiPadを2対1で上回っている。Windowsもよく似た道筋を通ってAppleを圧倒した。
  • サードパーティー・メーカーはデバイスごとの利益を最大にしようとして、Android OSに過剰なカスタマイズを行い互換性の障害となっている。またくだらない独自開発のアプリをプレインストールしてユーザー体験を損なっている。ハード・メーカーの過剰なカスタマイズとプレインストール独自アプリがユーザーを苛立たせているのは現在のWindowsも同じだ。
  • Androidデバイスは全体としてはiOSデバイスより安価だ。最小限の業務ができればよいというならWindowsノートはMacbookよりずっと安価だが、一方でおそろしく複雑なグラフィックス処理をリアルタイムで実行したいというゲームマニアは大金を投じてスーパー・ゲーム・マシンを買うことができる。Macにはそういう自由はない。iOSデバイスと巨大スクリーンのハイエンドAndroidデバイスの関係はこれに似ている。.

ただし、AndroidとWindowsを比較する上でもっとも重要な点は製品寿命だろう。 Windowsは1985年以来市場に君臨し続けている。ハードウェアで優位に立ったOSは驚くほど寿命が長い

1985年以来コンピュータは大きく姿を変えてきたが、Windowsも同様だった。スマートフォンとタブレットもこれから大きく変貌していくだろう。またモバイル時代が到来してもわれわれが依然としてPCを使っているのと同様、今後どのような新しいコンピューティングの波が押し寄せようと、10年後もわれわれがスマートフォンとタブレットを使っていることは間違いない。AndroidはMicrosoftのWindows戦略にならってハードウェアとソフトウェアのもっとも重要な2つのセグメントに支配権を打ちたてようとしているようだ。

「いやAndroidはシェアが大きいだけで、iOSこそユーザーに愛され、もっとも利益を上げているOSだ」という声も聞こえてきそうだ。しかし歴史が教訓となるならば、スマートフォン戦争は短期の利益率やアプリの数の競争ではなく、スマートフォンというプラットフォームを5年、10年、15年に渡って支配するのは誰かという戦いになる。その誰かは日増しにAndroidであるらしく思えてくる。

ここで決定的に皮肉なのは、Microsoftの過去の戦略をそのまま採用して大成功を収めたAndroidに対してMicrosoft自身が苦戦を強いられていることだ。Microsoftが早期にモバイル分野で自分自身のWindows戦略を採用することに気づいていれば状況は大きく変わっていただろう。 

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デジタル・デトックスは一人でやるべきではない


私はここ数年間で初めて、インターネットも携帯電話もない時間を72時間過ごした。一部の人々がデジタルデトックスから得られると主張する人生を変える霊感こそ体験しなかったが、今私は、数多くの非常に有意義な人間関係を楽しんでいる。それは、何千マイルも離れた何十もの人のアバターとの浅薄な対話に、周期的に誘惑される中では決してあり得なかったことだ。人と接していると、YouTubeよりも楽しいようには思えなかった会話の意味をいやでも見いだすようになることを私は学んだ。

ネットを離れるとよいアイデアが浮かぶ、などというまやかしを私は信じない。世界の情報はわれわれを知識豊富で創造的にする。しかし、インターネットは友情を与えてはくれないし、人が誰にも話したことのないアイデアを発見するのも助けてはくれならない。

先週私は、山中で続けて行われた2つのビジネスカンファレンスに参加して、「一人でデトックスしてはならない」仮説を試す機会を得た。一番目のSummit Outsideは、若い起業家800人が集まる招待制のロックフェスティバル風会合でユタ州の山間部で行われた。完全にインターネットから切り離された参加者たちは、テントで寝泊まりし、乗馬をしたり満月の下で一流DJにそってダンスをしたり、スピリチュアルなテーマの講演に参加したりした。

私はSummit Outsideで、これまでのどのカンファレンスよりも多くの友人とビジネスのアイデアを手に入れた。その中には何年も前から知ってはいたが、あまり好きではないと思っていた人も何人かいた。その一方で、日頃テク系ジャーナリストを疫病神のように避けているCEOや投資家は,居心地の悪い会話を強制された結果予想外にすばらしいアイデアにつながった。

インターネットは人びとを甘やかしてきた。ごくわずかでも退屈や不快の兆候があると、われわれはインターネットに逃避する。現代社会はエレベーターピッチの連続だ。良い第一印象を与えられない友達やプロジェクトは候補から弾かれる。

事実、Summit Series自身、最高のビジネス関係は友情から始まるという理論に基づいて、企業として成功した。2008年以来、Summit Seriesは、ソーシャルをテーマにした高額な年次カンファレンスを主催してきた。クルーズシップ、スキーリゾートなどで開催されるSummitカンファレンスには、カリブでサメを追いかけるなどのクレイジーなアトラクションや、リチャード・ブランソンやビル・クリントンなどの一流スピーカーによる講演もある。今やSummitは4000万ドルの資金を調達し、ユタ州エデンに山を買い大いなる目的のための拠点を建設している

もちろん、その贅沢で半ば排他的なネットワークによるカンファレンスが万人向けでないことは百も承知だ。何年にもわたって山ほどの批判がなされている豊かな人びとが豪勢な場所でパーティーしながら世界を救うことについて話すことの一種の皮肉は私も理解している。そして、実際に世界に 影響を与えることに関しては、言動の方が行動よりも多い。このカンファレンスは、大きく目を見開いた理想主義者たちにアピールすしている。

それでもSumiit Outsideは、週末ネットから離れていても世界が崩れ落ちてこないことを私に教えてくれた。デジタル過負荷を感じている多くの人たちと同じように、私も脱エレクトロニクス休暇を計画している。しかし今の私は、デトックスは一人でやるべきでないことを知っている。少なくとも半数が知らない人や一緒に出かけようと考えたことのない人たちと共に、キャンプ旅行を開催するつもりだ。私は、体験とランダムさの力を過小評価してはならないことを学んだ。

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「タッチ第一」に賭けたMicrosoftの誤算

今週のMicrosoftは散々だった。壊滅的な四半期決算のおかげで株価は翌日11%も下げた。業績 悪化の大きな原因は9億ドルにも上るSurface RTの在庫処理だった。

しかしこの損失処理を別にしても、今期の状況は十分に悪かった。この決算でビジネス向け、企業向け分野(これは比較的好成績だった)を別にすれば、Microsoftは消費者が欲しがる製品を何一つ持っていないという事実が明らかになってしまった。

さほど遠くない以前にこれまでで最高のOSと評されるWindows 7という優れた製品を出した会社がいったいどうしてしまったのか? Microsoftは数年前から消費者向けプロダクトを「タッチ第一」で設計し始めた。

このことが最初に現れたのは2年前にD9カンファレンスでWindows 8のプレビューが公開されたときだった。「Windows 8ベースのデバイスはタッチのみの小さいスクリーンから大型のデスクトップまで、キーボードやマウスなしに操作できるユニークな体系となっている」と当時Windows体験担当コーポレート副社長だった Julie Larson-Greenが強調した。

それ以来、Microsoftは消費者がこぞってタッチスクリーンのノートパソコンを買うだろう、それどころかLenovo Yogaのようなノートとタブレットのハイブリッドのデバイスにさえ飛びつくだろうと期待していた。ところが問題は消費者はそんな製品に興味がないという点だった。タッチ体験の直感性を最大限に生かした究極多機能デバイスだというLenovoの宣伝文句とは裏腹に、Yogaの実態は消費者の大多数が嫌うWindows8のタッチUIが邪魔をするノートパソコンに過ぎなかった。

iPhoneとAndroidの驚異的な成功を見て、 当時のMicrosoftの誰かが「近くすべてのデバイスはタッチ化する。時代に遅れないためにはわれわれも全力でタッチ化を進めることが必要だ」と主張したのだろう。ともあれMicrosoftはその方向に突進した。Microsoftは以前にもタッチ化をちょっと試してみたことがあったが、今回はOEMパートナーも巻き込んだ全力投球だ。

ユーザーを面食らわせたSurface RTはもとも設計思想が間違っていた。消費者がタッチスクリーンに殺到するだろうというMicrosoftの予想は誤っていた。タッチスクリーンのWindows 8ノート、やChromebook Pixelを使ったことがあれば分かるはずだが、誰もめったにスクリーンには触りはしない。もちろん大型タッチスクリーンが意味がある場面も存在する(昨年Microsoftは非常に大きなタッチスクリーンのテクノロジーを開発したPerceptive Pixelを買収した)。しかしノートのタッチスクリーンはたいていの場合無用の長物だ。

Microsoftという会社は動きが非常に遅い。Ballmerは最近の組織再編でこの点を改革しようとしている。しかしその成果が現れるのはだいぶ先のことだろう。Microsoftがいったんある方向に動き始めたらそれを変えるのは容易ではない。機敏に誤りを修正できるような会社ではないのだ。Windows 8とSurfaceで始まった「タッチ第一」という戦略は間違っている。しかし船はその方向に出帆してしまった。Microsoftが正しいコースに戻るまでどれくらいかかるのだろうか? 

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(翻訳:滑川海彦 Facebook Google+


Googleサーベイを使えば誰でも調査専門家になれる

ネイト・シルバーと私は、Googleの消費者サーベイツールの大ファンだ。「おそらく、GallupではなくGoogleが、調査における最も信頼あるブランドになる日は近い」とシルバーは、2012年選挙でGoogleの調査結果が最も正確なうちの一つだったことを説明する中で書いた。

しかし、情報発信源の分析にもこれほど有用であることは、私自身がGallupの選挙以外の調査を1桁安く再現してみるまで知らなかった。先週Gallupは、アメリカ人の(比較的)反移民的な態度に関する重要な調査結果を公表した。それは移民法改訂法案の通過がなぜこれほど困難であるかを示す、これまで見た中で最良の証拠だった。

実は、この非常に重要な民意を知るためには、Gallupを含むどの専門機関を待つ必要もなかった。私がGoogleのサーベイ・ウィザード・ツールを使ってGallupの独自調査を再現するのに要した時間は約10分だった。

「移民は現在のレベルで維持されるべきか、増やすべきか、減らすべきか?」という質問に関して、GallupとGoogleの差異は、2つの分類を除くあらゆる回答に関して数ポイント以内だった(移民を減らしたい共和党持者が15ポイント、「現状維持」の共和党支持者が12ポイント異なっていた)。

詳細結果は以下の通り。

Gallup Google
増やすべき (共和党支持) 16 16
増やすべき (民主党支持) 29 28
増やすべき (中立) 22 21
減らすべき (共和党支持) 46 61
減らすべき (民主党支持) 27 28
減らすべき (中立) 35 41
現状維持 (民主党支持) 36 38
現状維持 (共和党持) 42 20
現状維持 (中立) 41 34

共和党支持者の回答に関してGoogleが〈間違っている〉かどうかは不明だ。インターネットと電話では調査対象の層が当然異なり、インターネットが若者寄り、電話は年長者寄りだ(まだ電話を持っている人がいた?)。また、移民を減らすべきだと電話で答えることには抵抗のある人もいるが、顔の見えないパソコン画面なら内在する外国人嫌いを自由に表現できる。

果たしてGoogleが専門機関の調査に取って代れるかどうかを見極めるためには、まだまだ多くのテストが必要だ。しかし、今すぐ使い始めるに十分な程度には有望と言えそうだ。
この国のジャーナリスト学校では、(非常に難解な)調査方法の理論を教えているに違いないので、これからはより客観的証拠を講義に加えることができる。Googleのおかげで、誰もが調査専門家になる能力を持てるのだから。

このライターを刺激して、さらに情報満載の統計を出させよう。

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(翻訳:Nob Takahashi)


スタートアップの成長に関して議論が必要だ

編集部注: Semil ShahTechCrunchのゲストライター。Twitterアカウントは@semil

2012年9月、Y CombinatorのPaul Grahamは、後に広く読まれることになる「Startups = Growth」と題したエッセイを書いた。メッセージは明白だった ― スタートアップは成長がすべて。ひとたびスタートアップが成長をやめたら、死が待っているだけ。Grahamの言葉はシリコンバレー人の多く(私を含む)が傾聴するため、このエッセイはAndrew Chenの同年4月の有名な記事、「Growth Hakcer[成長請負人]は新時代のマーケティング担当VP」に書かれた、新しい超成長プラットフォームに大量のユーザーを集めることは大きなビジネスの可能性を持つ、という主張を強化する結果となった。このテーマは、The Growth Hackers Conferenceというイベントに発展し、2012年秋に初回が開催され、2013年5月にも再び行われた。

今やオンラインおよびモバイルのマーケターは「万能選手」でなければならない、というChenの元の主張には疑問はないが、同時にこの時期のVC側には問題があると私は感じている。旧来のベンチャーキャピタルが大きくなり、後期段階の投資へと移行し、強い牽引力の証拠を欲しがるようになるにつれ、シード資金を受けた何千もの開花しつつあるスタートアップは、死にもの狂いの成長レースに陥り、判決を下す投資家たちに向けて「ほら見て見て、うちのサービスは成長しているんだ!」と訴えては資金調達の望みをつなぐ。投資家は、TwitterやFacebookのような超高層ビルを見て涎を流しつつ、そのためにどんな耐震地盤が必要かをおそらくわかっていない。これらがすべてが組み合わさって、投資家は超成長カーブを期待し、起業家は何が何でもこの成長を達成しなければならない ― さもなくば死ぬ ― ので生き残るために短期間に不自然ともいえる成長を追求して邪悪なインセンティブに走る、という危険なサイクルが生まれる。

そうしたレースで失われるのは、常識と品位に則った次のような疑問だ。「ユーザーはオーガニックに製品を見つけたのか?」「ユーザーは製品について友達や知人にどう話しているのか?」「これを何千万ユーザーへと自然にスケールできる独自性は何か?」。私は責任を追求するつもりはないということを強調したい ― 驚いたことに、彼らが直面する状況を考慮すればこれらはほぼ合理的な行動だからだ。おかしな数字を追いかける起業家を指差して非難することはできるが、残念な現実は、彼らがそれでVCから見返りを得られることだ。あるいは、われわれ全員の責任なのかもしれない。

多くの場合がそうであるように、真実はおそらく中間のどこかにある。初期段階のスタートアップは、技術、製品、およびマーケティングの面で成長について考えるべきであると同時に、現実的に、それに必要な様々な厄介事や、スケーリングしない作業、大企業や冷静な人間ならやりたがらない作業をこなすためのスタッフを用意する意志が必要だ。成長を追求して新たな戦術を実験する足掛かりを作ることは、チームに時間的余裕をもたらすだけでなく、オーガニックな行動を確立することにもつながる。

あるいは、成長に集中することと、スケーリングしない物事を行うこととは、あれかこれかという選択ではなく、投資家と起業家の双方が、Growth Hacker兵器の定量的要素を、よりソフトで定性的で多くがオフラインであるハードな物事とをうまく組み合わせることによって、信頼ある基盤を作り市場で差別化すべきだというシグナルなのかもしれない。

私が、Grahamの最新エッセイ、「スケーリングしないことをやれ」に興味をひかれた理由はそこにある。 ウェブはスケーリングを愛し、それは正しかった。それは、まるでかつての〈是が非でも成長せよ〉カルチャーに逆戻りするかのようだ。今こそ一度立ち止まり、基本的な質問を投げかける時だ。「消費者には無限に供給されるアプリを集中して使う時間があるのか?」「ある製品が本当に使われオーガニックにシェアされているかに関して、どうすればもっと誠実でいられるか?」「初期段階スタートアップ製品に対して信念を持ち、単なる数字ではなく、アートや信念に基づいて支援する投資家が、少なくとも何人かはいるのだろうか?」。

正しい答えが何なのかはわからないが、会社ごとに異なる可能性が高い。私に言えるのは、現在の配合比は正しいとは言えず維持可能ではないということだけだ。私は読者がどう考えるかに大いに興味がある。スタートアップは成長だけなのか、あるいは、スケールしない物事に集中すべきなのか、あるいは、手遅れになる前に企業と投資家が到達すべきバランス点は存在するのか?」。これらはいずれも、われわれの行動の信用に関わる重要な質問であり、答を受け入れることは難しいかもしれないが、今こそこれを問う時であると私は信じている。

写真提供: Carl Glover / Flickr Creative Commons

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(翻訳:Nob Takahashi)


Keen On…将来のビジネスは体験の提供がすべて―WTF:What Is The Future Of Business? の著者、Brian Solisインタビュー

シリコンバレーでもっとも切れるアナリストの一人として知られるAltimeter GroupBrian Solisが、TwitterやFacebookへの投稿とは比べ物にならない長い文章を書いた。Solisは「デジタル・ビジネスの本質は共有された体験だ」と主張する。

共有された体験? WTF(そりゃ一体何だ)?

いや実はSolisのイラストをふんだんに使った美しい単行本(それ自体、新しいメディア体験であることは間違いない)はWTF(What’s The Future of Business (WTF): Changing the Way BusinessesCreate Experiences〔WTF(ビジネスの未来とは何か)?:ビジネスは体験の創造を変革しなければならない〕というタイトルなのだ。 Solisはあらゆる新テクノロジーを利用するビジネスは必ず実験的であらねばならないと強調する。

「実験的なビジネスというのは、現在でいえば、FacebookよりむしろUberのようなタイプだ。Uberは〔アメリカの大都市ではタクシーをつかまえにくいという〕問題を解決するだけではなく〔サービス精神旺盛なドライバーによる快適な〕乗車体験を提供する。Uberを利用するたびに私は目を開かせるようなエピソードをドライバーから聞く。Uberの利用は一回ごとに記憶に残る体験だ」とSolisは言う。Fitbitのようなヘルス・テクノロジーも体験だという。「体験、すべては体験に帰着する。優れた体験を提供できるかどうkがビジネスの将来を決める」というのがSolisの主張だ。

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(翻訳:滑川海彦 Facebook Google+


コンピューター雑誌のスターはインターネットに消された

かつて「紙」のコンピューター「雑誌」の雄と言われた『PC World』の終焉について、関わるべきか否か私は迷っていた。Ziff-Davis PublishingがPC Magazineを買収した後創刊されたPC Worldの物語は、昨今の主要ブログとよく似ているので、一考する価値がある。

PC MagazineとPC Worldの競争は、Ziffに買収されたPC Magazineの社員らが移動を拒否した時に始まった。似たような状況はGizmodoの創成期にPeter RojasがGawker Mediaに引き抜かれてEngadgetをスタートした時にも起きた。私がこの2つのブログを読んでいたのは、10年前にLaptop MagazineやPC Upgradeであくせく働いていた頃で、お察しの通りどちらも印刷版はもう存在しない。このちょっとした勢力争いが、この10年の2大巨頭を生みだし、コンピューター雑誌のプリンスを廃刊に追い込んだ。

その結果起きたオンライン出版の隆盛は、印刷時代の巨人たちを食い続けた。コンピューター雑誌 ― 殆んどがDVDの付録つき ― は今でもインターネット普及度の低い地域では人気だが、米国は紙媒体の荒れ地となりつつあり、ニューススタンドで売られている雑誌は、一般的な大衆市場向けのニュースやゴシップか、驚くほどニッチで印刷版でしか成立しないものくらいだ。広告も(徐々にではあったが)GizmodoとEngadgetに流れ、ついにはこれら紙メディアの主役たちの息の根を止めた。この数年間は印刷版終末が相次ぎ、技術系ライターの友人たちは大変悔しい思いをしている。

かつてコンピューター雑誌は、今のブログと同じくらい重要だった。われわれ1980年代少年の多くは、AnticやComputeなどに載った長いリストをタイプすることでプログラミングを覚えた。私はライターになろうと思う以前から、John DvorakやSteven Levyに傾倒していた。2人のライターは作品に魂を込めていた。PC Magazineでモリス・ワームについて読んだことや、巻末の三行広告欄でボイスシンセサイザーや高速モデムが数百ドルで売られているのをよだれを垂らして見ていたことを思い出す 

Gateway以前、パソコンを買う唯一の方法は部品を集めて自作することだった。もちろん、TandyやIBMから完成品を買うこともできたが、高価な上にパワー不足だった。これも廃刊になったComputer Shopperは、テク好きな父と子のチームが食卓で組み立ちてれる工作材料を山ほど載せていた。雑誌の休刊を伝えるBBSを大きく取り上げたこの記事をご覧あれ

私はPC Worldが消えたことを悲しんではいない。もう何年も読んでいなかったし、そこで働いていた人たちはまだ雇われている。インターネットは、まるでKindleがペーパーバックを消しつつあるように、紙の雑誌を消した。巨大な機械の「印刷」ボタンを押し、一連の流通経路を始動させるためにはトラックや箱が必要だ。ニューススタンドは、タブレットで「購入」ボタンを押すのとは競争できない。もし違うことを言う者がいれば、そいつはインクのセールスマンだ。

かつて私はダンボール箱一杯のPC WorldとPC Magazineを持っていた。私は熟読し、アセンブラのプログラムを打ち込み、EGAグラフィクスに驚嘆し、自分のハードディスクを買える日が待ち遠しかった。物事は間違いなく変わったが、技術系出版は今も生きていて、大いに活発だ。紙雑誌、PC Worldはその役を演じきった。今がステージを去る時だ。

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(翻訳:Nob Takahashi)


Facebookのグラフ検索がGoogleに追いつくには課題山積―精度の向上とサードパーティーのデータへのアクセスが必須

今日(米国時間7/8)、Facebookはアメリカで英語版のグラフ検索の一般公開を開始した。実際にこのサービスを利用してみると、Facebookから構想が発表された当初には予想されなかったような問題が表面化している。

現在、Facebookサイト内の検索はユーザー、投稿された写真、場所、施設などをより適切に発見させることを対象としている。 しかしこのグラフ検索が機能するためには、たとえばレストランの推薦やお気に入りの音楽アルバムなどのユーザーデータを利用することが必要だ。

一言でいえば、グラフ検索はさらに広範囲なユーザー・データへのアクセスを必要とする。ところがPRISMスキャンダルで、NSAがFacebook、Google、Yahoo、Microsoftその他のサイトから情報を得ていたことが明らかになり、ユーザーの不安が増している。

Facebook自身のデータだけでは十分ではない

現在のグラフ検索の核心をなす検索エンジンは、Facebookユーザーが友だち、友だちの友だちと共有し、あるいは一般に公開しているデータを対象としている。この中には居住地域、訪問した場所、位置情報タグのついた写真、「いいね!」したFacebookページなどの情報が含まれる。

残念ながら、Facebookの「いいね!」データは、特に企業のページに対する「いいね!」はユーザーが本当に推薦していることを意味しない。 「汚い「いいね!」(dirty likes)と呼ばれたりするが、企業はFacebookページでファンを増やすためにあの手この手でキャンペーンを仕掛けて「いいね!」をかき集める。「いいね!」を押すと懸賞に応募できたり、特別なコンテンツが見られたり、割引クーポンが入手できたりするなどの仕掛けが頻繁に使われている。 こうして集めた「いいね!」は本来の意味からはかけ離れたものが大部分だ。

これに加えて、ユーザーは定期的にアップデートを受け取るために仕方なく「いいね!」をする場合がある。たとえば近所の生鮮食品店やショッピングモール、子供の通う学校などだ。実際に意見を聞いてみれば別に推薦しているわけではないということもよくある。また「いいね!」を押さない主義のユーザーもいるし、Facebookにページが作られていない企業のプロダクトを強く推薦するユーザーもいる。

つまりFacebookの「いいね!」は、検索エンジンが関連性を判定する情報、検索用語でいう「シグナル」として利用できる。しかしこれ単独ではユーザーが「いいね!」の対象を推薦していると判断する材料にはできない。

Facebookはユーザーがレストラン、店舗、施設などにチェックインしたときに残すレビューも利用しようとしてしている。しかしレストランやホテル、観光地などのユーザー・レビューの分野ではFacebookよりはるかに知名度が高く、膨大なデータを抱える専門サイトがいくつも存在する。だからグラフ検索の精度を高めるためにはFacebookはユーザーがサードパーティーのサービスで共有した情報にもアクセスする必要がある。しかしFacebookはこの点では将来どういう連携策を取るつもりなのか、スケジュールを含めて明らかにしていない。

Facebookはさらにユーザーデータを必要とする

アメリカの英語版Facebookユーザーは今日から新しい検索インタフェースが利用できる(全員に公開されるまでには数週間かかるもよう)。さて、そこでユーザーはまず何を検索するだろう? ある会社に友だちが働いているかどうか、近く訪問する予定の都市に友だちがいるかどうかを調べるかもしれない。あるいは「パリの写真」を検索して友だちの目でパリ観光を楽しもうとするかもしれない。

しかし長期的な視野で考えると、Facebookはグラフ検索をGoogle検索の代わりとして使わせ、Facebookへのトラフィックと滞在時間を大きく増加させたいだろう。前述のようにFacebokkは今後ローカル・レビューやSpotifyのような音楽ストリーミングなどサードパーティーのサービスと提携して検索対象のデータを拡大する計画だ。

今年中にはグラフ検索をモバイル化すると同時に、ユーザーの近況アプデートのテキストを解析して場所や友だちとの関係に関する情報をさらに詳しく収集し、推薦情報を得られるようにするという。

プライバシーに関する懸念

PRISMスキャンダルが暴露される以前は、 「いいね!」やチェンクイン、レビュー投稿などの情報をベースにしたグラフ検索は、Google検索に代わって、それまで個々のユーザーのソーシャルグラフ中に囲い込まれていたデータを広く共有し、役立てることができる素晴らしいツールになるという楽観的な見方が強かった。しかし現在ではユーザーはFacebookの主張する「もっと透明でもっと結び付けられた世界」に対して懐疑的になっている。グラフ検索はもちろんユーザーのプライバシー設定を尊重する仕組みになっているが、ユーザー情報の共有の拡大を目指していることには変わりがない。行き過ぎたソーシャル化への懸念とゆり戻しが起きている現在、ユーザーの関心は情報の共有範囲を狭め、匿名性を拡大する方向に向いている。これはFacebookを含むさまざまなソーシャル・サービスにとって逆風だ。

Facebookはグラフ検索を広告プラットフォームに利用する計画なので、PRISMスキャンダル以後の懐疑的な空気の中で、個人情報を検索エンジンに入れることに対するユーザーの警戒心を解くためにさらに努力する必要があるだろう。その点からも、Spotifyで聞いている曲とかひいきの寿司レストランといった公開することに抵抗の少ないサードパーティー・サービスの情報にアクセスできるかどうかはグラフ検索にとって決定的に重要だ。

残念ながら現在のFacebookのグラフ検索はこうした点で大いに改善の余地がある。しかしこのサービスは今誕生したばかりだ。Facebookには膨大なサードパーティーのデベロッパーとアプリ、そのデータが存在する。グラフ検索はウェブ検索でGoogleに及ばないとしても、この強みを生かすことができればFacebookに少しでも長く滞在させ、Facebook広告を少しでも多くクリックさせるのに役立つだろう。

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(翻訳:滑川海彦 Facebook Google+


人はなぜ止めどなく悲劇をリツイートするのか?

被害者と遺族に最大限の敬意を表して、なぜ人々は悪いニュースを広めたがるのかを考えてみたい。爆発や災害が起こるたび、われわれは先を争って起きたことを人に伝えようとする。リアルタイムにニュースを伝えるソーシャルメディアの力をわれわれは知っている。それはわれわれに同情心を表現させてくれると同時に、恐怖や誤った情報も広げる。こうした情報発信が、どんな時あるいはそもそも役立っているのかを考える時期が来ている。

必要としている人々に正確な情報を伝えることは重要だ。しかし、炎上する機体や破壊された都市を伝えるリツイートの中で、それを達成しているものがいくつあるだろうか。

もしその場に居合わせれば、何を見たかを言う。友達に自分の無事を知らせ、事実確認を行う報道機関が現場の話を繋ぎ合わせるのを助ける。

もし未だに危険があなら、危険にさらされている人々に伝える必要がある。工場火災が近隣に有毒ガスをまき散らしているのか、ハリケーンは突然方向を変えるのか、武装した容疑者が逃走中なのか。、危害の起きる地域に多くのフォロワーを持つ人なら、ツイートが人々を救うかもしれない。

そして、何がニュースでシェアする価値があると考えるかは、誰もが持つ権利だ。

しかし、気配りは必要だ。

われわれを脳は、今の時代やわれわれが作った驚くほど強力な情報伝達手段に慣れていない。数千年前は文字通りの口コミだけだった。何か悪いことが起きていると聞いたなら、たぶんそれは自分に影響することだろう。「剣歯虎がやってくるぞ! 走れ!」「その水を飲むな、毒だ」。

おそらくわれわれは、この情報をできるだけ遠く、広く、速く、大声で知らせる本能を養ってきた。それが部族に役立つからだ。しかし、ツールがないのでメッセージは必要以上に広まることがなかった。

今は全く違う。直面する脅威は、われわれのテクノロジーほど早く拡大しない。数十、数百、数千人にとっての危険が、瞬時にして数百万人に伝わる。ニュースを発信する障壁はワンクリックにまで下がった。われわれがこれほど悲劇をリツイートしたがるのは、人を気にかけ、同情を感じ、何か役に立ちたいと思うわれわれの本質によるのかもしれない。しかし、悲報を速く増幅しすぎると、それ自身がリスクを引き起こす。

十分客観的に見て、早すぎるリツイートは不正確な情報を流布しやすい。つい先ほど、アシアナ機がサンフランシスコ空港で衝突し、ある目撃者は飛行機が横転し、怪我はずっとひどくなるに違いないと思ったと話した。しかし、横転したことを確認した者はおらず両翼とも装着されていたが、その情報はすでに数百回数千回リツイートされていた。ニュータウンでは、誤って学校内射撃犯とされたライアン・ランザがデジタル集団リンチにあったが、真犯人は弟だった。そしてボストンでは、人々が殺されたという誤報からリツイートのたびに被害者に1ドルが贈られるというニセキャンペーンまで、誤情報が氾濫した

恐怖による負の効果もある。商用機による移動は実際には驚くほど安全だ。死亡事故は稀で、米国内で走行距離1億マイル当たりの死亡者が1.27人の自動車より、ほほ無限に安全だ。しかし、リツイートされた墜落機の写真は別のメッセージを伝える ― 飛行機は危険。暗黙の誤情報は、経済を損うだけでなく、もっと危険な道路へと人々を駆り立てる。

テロリストにとって主目的に一つは注目を集めることであり、ソーシャルメディアはそれを提供する。彼らの起こした破壊と悲痛を無限にリツイートすることが、実は彼らの攻撃をより効果的にしているかもしれない。

そしてより抽象的なレベルでは、われわれは互いに現実から気をそらせるリスクを負っている。それぞれの命、貢献、さらには話題にしている悲劇の被害者を救う能力まで損っている可能性がある。

ソーシャルメディアを善用できる時は、そうすべきだ。信頼できる救援団体への寄付の呼びかけや、ボランティアに関する情報。必要な時に人々に真の危険を知らせること。1対多のメディアだと情報が広がるすぎる時は、プライベート・メッセージングを使うべきだ。全員に恐怖を押しつける必要はない。

今、われわれは世界レベルのやじ馬になっている。ショックと悲しみの合唱を切望するあまり、良いニュースが無視される。世界が否応なく直面する問題を、単にオウム返しにするか、それとも自らの声でそれを解決しようとするかの選択がわれわれ一人一人にはある。ツイートの前に考えてみよう。

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(翻訳:Nob Takahashi)


シリコンバレー独占から全国複数化へ向かうアメリカのイノベーション拠点

シリコンバレーは、今でもイノベーションで世界をリードしているか? Gary Shapiroによれば、答はイエスだ。長年、Consumer Electronics Association(CEA, 消費者電子製品協会) のCEOで理事長、そして最新のベストセラーNinja Innovation: The 10 Killer Strategies of the World’s Most Successful Businesses(忍者イノベーション: 世界的な成功企業の経営極意10条)の著者であるShapiro…彼はデトロイトに住んでワシントンDCで仕事をしているが…はしかし、バレーの優勢が脆弱であることを忘れるな、と言う。まず、シリコンバレーは先行者の有利性の上にあぐらをかいている。第二に、アメリカだけでも今では新興のテクノロジセンターが数多くある。ナシュビル(テネシー州)、シャーロット(ノースカロライナ州)、オースチン(テキサス州)、それにニューヨーク市すら。いずれも、バレーに劣らぬ成功を収めている。そして第三に、Shapiroによると、カリフォルニアは税率が高いので、これからはますます起業家たちの起業拠点になりにくい。今はまだバレーがトップの忍者だが、それは今後長くは続かないだろう、と彼は言う。

しかしそれでは、毎年Consumer Electronics Show(CES)を主催するGary ShapiroとCEAにとって、シリコンバレーから学ぶものは何か? 忍者イノベーションの著者に尋ねてみた: スタートアップの起業家が来年1月のCESにぜひ行くべき理由があるとすれは、それは何か?

〔訳注: Ninjaとは、(1)決断と行動が素早い+(2)勇猛果敢大胆+(3)機敏で身軽(アジャイル)であること。〕

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(翻訳:iwatani(a.k.a. hiwa))


ビデオ投入でInstagram上でのエクスペリエンスは悪化。ぜひとも選択的ストリームの導入を!

先日の記事はご覧になっただろうか。Instagramには1億3000万もの利用者がいるのだそうだ。

Instagramは、その利用者を失おうとしているのではなかろうか。Instagram Videoの導入は、映画「プリティ・ウーマン」風に言って逃した魚は大きいという結末に繋がりそうな気もしている。

Instagramというのは、他のどのソーシャルネットワークと比較しても「消費」傾向の強いサービスだ。「写真を撮る」ためのサービスだと思っている人も多いだろうが、「撮る」人よりも、それを「見る」人の方がはるかに多い。

利用者がどの程度の割合で写真を撮り、そしてどのくらいの人が写真を見ているのかという、正確な統計データが公表されたことはない。先日リリースされたデータから、その割合を伺うことができる。これまでに登録された写真の数は60億枚だとのことだった。サービスを開始して3年少々に過ぎないことも考えれば、これは相当に大きな数字だということができる。

しかし、Instagramは既に1億3000万の月間アクティブユーザーを抱えるサービスでもある。これらの利用者の中には数百枚ないし数千枚の写真を公開した人もいるだろう。一方で数枚程度しか公開していない人もいて、個人ごとにばらつきがあるのは当然の話だ。それは理解しつつも強引に平均をとってみると、利用者毎の平均投稿写真数は46枚ということになる。

但し、Instagramのアナウンスによれば、写真に対して付される「いいね」の数は1日あたり10億件にものぼるそうだ。これを利用者当たりの数字になおすと、月間230回「いいね」を付けていることになる。

先にも書いたように、数千枚の写真を投稿する人もいれば、ごくわずかしか投稿しない人もいる。昔からInstagramを使っている人もいれば、つい最近になって使い始めたという人もいるだろう。目にする写真のすべてに「いいね」を付けている人もいれば、なかなか「いいね」しない人もいるだろう。しかしいずれにせよ、投稿する写真の枚数よりも、閲覧ないし「いいね」する枚数の方が遥かに多いことは間違いない。

そして、これこそInstagram利用方法の本道であると思うのだ。すなわち、いろいろと写真を見て回って、気に入れば「いいね」をクリックしてみるというスタイルだ。そういう楽しさこそ、多くの人がInstagramに求めているものだと思うのだ。日々の中で、ちょっとした時間に味わう幸せのひとときといった具合だ。新機能の導入は、多くの人の楽しみを奪い去ってしまうことになったと思う。

サービスを開始して3年、内部にはビデオをやりたいという声もあったようだが、写真に専念してやってきた。

そもそもInstagramは、モバイルフォンの低機能カメラで撮影した無様な写真をなるべく綺麗な見せかけでシェアしてみようというものだった。そして大ヒットとなった。以来、モバイルカメラの性能も向上し、そして撮影が一般的となって、撮影者の技術も向上していった。そこに見えてきたのが「ビデオ」という新しいフロンティアだ。

Instagramとしては、写真のケースと同様に、市場がホットなうちに参入を果たしたいという考えだ。ロークオリティなビデオにエフェクトや手ブレ防止を施して、簡単に共有できるようにしようというわけだ。大ヒット間違いなしと考える人もいる。

しかしここで改めて考えて欲しいのが、Instagramは作成ツールとして人気を集めているわけではないということだ。フィルタで加工したり、おしゃれなスタンプをつけて公開できる写真共有サービスはたくさんある。しかしそのいずれも1億3000万もの利用者を獲得してはいないのだ。大量の写真がストリームに流れてくることもない。Camera+やLineを使って写真の加工を行うことができる。しかしInstagramと同じような楽しさを感じることができるだろうか。できないと応える人が多いと思う。

Instagramには、写真を閲覧していくときにこそ感じる大いなる楽しみがあった。しかし今回のビデオ機能の追加により、自らの魅力を大いに減じてしまうことになるのではないかと思うのだ。

魅力を減じてしまうだろうと考える理由のうち、いくつかは対処可能なものだ。たとえば組み込まれてしまったバグなどはなくすこともできる。たとえば、ネットワークの状態がよくないときにInstagramにVideo(たとえばVinstagramなんて呼び方はどうだろう?)があると、読み込む前にスクロールしていくことになるだろう。しかしそのようなとき、ビデオの読み込みが完了すると、そのビデオが既に画面上に表示されていないにも関わらず、音声付きで再生されてしまうのだ。

そうした問題がないにしても、しかし動画がより大きなデータ量を必要とすることには違いない。確かに現在は、多くの人のAndroidないしiOSデバイスはLTE接続を利用していることだろう。しかしもっと遅い速度でネットワークに繋いでいる人もいる。また、どうにも速度の遅いWiFi環境を利用する場合もある。常に快適な通信環境を利用できる保証など、どこにもないのだ。

これまでのInstagramなら、表示するのが写真だけに限られていたために、ネットワーク環境が問題になることも少なかった。

公衆回線もWiFiも、ともに利用できない状況でもない限り、ストリームに流れる写真を眺めて楽しむことができた。ときにアップロード出来ないことはあったかもしれないが、それでも「いいね」をクリックするようなことまでできなくなるということはなかった。

しかしビデオ機能導入により、閲覧して楽しむのにも時間がかかるようになってしまった。個人的にはLTE環境でiPhone 5を使っているが、それでも時間がかかりすぎるようなことが何度もあった。そのような場合、場所を変えてネットワークの様子を見るとか、あるいはWiFiに切り替えるというようなことをしたりはしない。単純にInstagramを終了してしまう。

Instagramは写真の投稿も閲覧も簡単に行えることがウリのひとつだったはずだ。しかしVinstagramになって、少々ハードルが上がってしまったように思う。

問題はネットワーク接続絡みのもののみではない。コンテンツについても問題だ。言うまでもないことだが、Instagramに投稿される写真の全てが美しい、面白い、興味深いものであるわけはない。しかしトリミングやフィルタのおかげで、まずまず見られるものに仕上がっていることが多い。

また、写真というのは慣れてくればそこそこに撮れるようになることもある。根気強く狙えば、まさにベストと言える瞬間をカメラに収めることができたりもする。最初はうまく撮れなくても、何度か撮ってみるうちに、なかなかのものが撮れることがある。そんなときには、うまく撮れたものだけを公開すれば良いわけだ。

しかしビデオとなるとそうもいかない。最大で15秒もの間、魅力的なシーンを映しださなければならないのだ。確かにInstagramにはCinemaと呼ばれる仕組みが有り、手振れを補正してはくれる。また13種類のフィルタも搭載されている。しかしそれでも「どうしようもない」レベルのビデオになってしまいがちだ。

Instagramの投稿者たちが、人の注目しそうなものではなく、つまらないものばかり撮っているにしても平気だ。つまらない食事、コーヒー、ビール、ペット、飛行機の窓からの風景、ときには自分の足ばかり写している人もいる。そうした写真や、道端の鳩などの写真が表示されれば、どんどんスクロールしていけば良いのだ。ただ、隅の方にビデオであることを示すアイコンが表示されると、つい待ってみたくなるのが人情だと思う。何か面白いVinstagramが表示されるのではないかと期待してしまうのだ。

しかしその期待が満たされることはほとんどない。

人々は新しいInstavids(こんな呼び方も良いかもしれない)の魅力を引き出そうといろいろと試してみているところだ。それで今のところはつまらないものばかりが流れているということもできよう。かくいう自分自身もつまらない動画を流している。これまでに2本の動画を流したが、今は後悔している。申し訳なかった。

おそらくは練習を重ねて、上手なビデオを撮ることができる人も増えてくるのだろう。これまで同様に食べ物撮りを練習して、そこそこのクオリティのものが流れてくることになるのだろうと思う。

しかしもしそうなっても、個人的にはInstagramを起動するのに躊躇ってしまうようになると思うのだ。無駄な時間がかかってしまうことになるからだ。

Instagramはそもそも時間を消費するアプリケーションだ。開いてみるのはレストランでオーダーが届くのを待っている時間だったり、トイレでしゃがんでいるときだったり、あるいはちょっとした休憩時間であることが多い。ここに読み込みにも閲覧にも時間のかかるビデオがやってきたわけだ。15秒などさほど長い時間ではなかろうという人もいるだろう。しかし写真を見るのには0.5秒もかからない。いろいろな意味で長い時間を必要とするようになり、Instagramはもはや「隙間時間」に利用できるアプリケーションではなくなってしまった感じだ。

覚悟を持って時間をつぎ込むアプリケーションになってしまったと思うのだ。

Instagram Videoが全く下らないというつもりはない。TwitterのVineも非常な人気を集めている。Facebookは、ソーシャル部門で人後に落ちるつもりはないようで、今や「ソーシャル」にビデオも含まれる状況とはなっている。したがって、Vineの人気をみたからにせよ、あるいは以前から計画していたからにせよ、ビデオサービスを始めること自体は良いと思うのだ。

但し、Instagramには1億3000万もの利用者がいる。しかしうまくいっているものに手を加えるなという言葉もある。Instagramの提供するエクスペリエンスに手を入れてしまうのは非常にリスキーなことだと思う。ただ、対処のしようはある。

たとえば、勝手に名付けているだけだが「フィルターストリーム」を導入してはどうだろう。ストリームに流れてくるものを、写真だけ、Vinstagramだけ、あるいは両方というように設定できるようにするのだ。世の中にはDivvyのように写真関係のストリームをアグリゲートするアプリケーションがある。自分が見たいフィードを自分自身で選ぶことができるものだ。Instagram自身が、そうした仕組みを導入して悪いわけがない。

そうした仕組みが導入されるまで、少なくとも個人的にはInstagramの閲覧頻度を下げることになるだろう。これまでInstagram上で交流してきたみなさん。こちらからの「いいね」が減っても気を悪くしないようにお願いしたい。

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(翻訳:Maeda, H)