モバイルプラットフォームとスマートウォッチと囲い込み

編集者注記: Semil ShahSwellのプロダクト担当で本誌TechCrunchのコラムニストで投資家。彼のブログはHaywire、彼のTwitterアドレスは@semilだ。

知識ある賢いIT業界人3名に、スマートウォッチについて見解を尋ねれば、少なくとも4つ以上のもっともらしい意見が返ってくる。冗談はさておき、ここ数ヵ月のスマートウォッチに関するニュースに、私は益々興奮が高まっている。Google、そしておそらくAppleが人気のPebbleや、Jawbone、FitBit(両社は既に手首を支配しようとしている)、Runkeeper等に続こうとしている今、消費者にとって重要な問題は、プラットフォーム固有のアプリや機能だけではなく、モバイルプラットフォームおよびエコシステムの囲い込みの与える影響(あるいは縛り)だ。

消費者が直面するであろう選択肢は様々だ。「もし」結局Appleが腕端末を作ることになれば、それはiOSで動く可能性が高く、iPhoneやそのアプリとシームレスに連携するだろう。Googleの “Android Wear” の初期情報に基づくと、彼らは手首を、自社の予測コンピューティング・サービス、Google Nowの威力を拡大するための新しい対話インターフェースして考えているようだ。そして、1つのモバイルプラットフォームに縛られなくない人たちのために、様々な既存あるいは新しいプラットフォームが市場に出回り、様々な形式や形状を見せている。

私たちの腕を何が飾るかについて無数の臆測がある中 ― そして臆測は楽しい ― ビッグプレーヤーたちがどう出るか、新しい体験がどれほど素晴しいものになるのか、アーリーアダプターや熱狂的ファンは携帯電話の時と同じペースで新しいデバイスに飛びつくのかどうか等、それを知る方法は何もない(本件に関わる無数の記事を再構築するつもりはないが、参考までにコードネーム “Healthbook” に関する、Mark Gurmanの良記事[ただしこれはウォッチではなくiOSについてである]、The VergeのAndroid Wearに関する記事(Dante D’Orazio記)、およびBenedict Evansによる両体験を分析したすばらしい記事を読むことをお薦めする。

そんな未知の世界で、サードパーティー製プラットフォームが活気を見せていることは、健全であるばかりでなく、消費者がどこのモバイルプラットフォームにも囲い込まれずに済むことを意味する。このシナリオで、Jawbone、Fitbit、Runkeeper等の会社は、この変化を起こし、あるいは新たなモーションセンサーの到来に合わせ、これを新たなインターフェースへと変えるのに十分な、組識化された専門知識を持っている(集中力と情熱も!)。そしてPebble。すでに高い人気を持つ独立スマートウェッチメーカーは、シリコンバレーの中心に拠点を置き、狂気じみたファンたちに次々と新しいバージョンを送り出している。Pebbleは、すでに他のサードパーティーアプリと連携しており、ユーザーはスマートフォン上のPebbleアプリを通じてウォッチと対話できる。これによってユーザーは、モバイルプラットフォームを乗り替えた時でもウォッチを変える必要がなく、囲い込み効果は小さい。今後モバイルプラットフォームが、ユーザーの腕に自社の囲い込み技法を持ち込むかどうかはわかなない。しかし、現在市場に出回っているスマートウォッチやセンサー付ウエアラブルが(さらには「つながっている」ジュエリーも)、囲い込みをせず、十分な選択肢を与えていることは間違いない。そしてそれは非常に喜ばしいことだ。

Photo Credit: Kim Carpenter / Creative Commons Flickr

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Business Insiderがジェフ・ベゾスらから1200万ドル調達―評価額が1億ドルでもおかしくない12の理由

Business Insiderが先ほど1200万ドルの資金を調達したと発表した。Ruetersの報道によると、会社評価額は1億ドルだったという。今回のラウンドかの有名なジェフ・ベゾス、RRE Ventures、IVP、Jim Friedlich、WallStreet Journalの発行人、Gordon Crovitzらがリードしたという。

私の見るところ、1億ドルという評価額はさほど高すぎはしない。なぜなら―

1. Aolが〔TechCrunchとEngadgetを〕売りに出している噂が流れたときの価格が1億ドルだと言われた。

2. Business Insiderの2013年の売上は2000万ドルで、評価額はその5倍ということになる。Aolが2011年にHuffington Postを3億1500万ドルで買収したときの売上倍率は6倍だった。

3. インサイダー取引で捕まった証券トレーダーがスタンフォードのMBAを剥奪されたというスクープをしている。

4. 傑作なツイートをするゴールドマン・サックスの幹部 @Goldmansachselevatorが寄稿している。

5. Nich Carlsonがビジネスクラスで中国に飛んだときの詳しい体験記。

6. CarlsonはまたMarissa Mayerについてもたいへん面白い記事を書いている。.

7. われわれのカンファレンスでの講演者を探すとき私はよくニューヨークのシリコンアレーの100人のスライドショーをぐぐってみる。.

8. カテゴリーが豊富

9. マーク・アンドリーセンがニュースメディアの未来だと評した。

10. マーク・アンドリーセンが投資家の一人(今回のラウンドには参加していない)

11. ヘンリー・ブロジェットはドットコム・バブル時代に証券詐欺の疑いで証券業界から永久追放処分を受けた。その経歴を考えると、人生はやり直しができると力づけられる。

12. ヘンリー・ブロジェットはいくら攻撃されてもDGAF〔Don’t Give A F**k=蛙の面に小便〕である。

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愚か者とそのBitcoinたち

今日(米国時間3/4)、ある広報マン ― 私のお気に入りの一人 ― からテキストメッセージが届き、テキサス州オースチンにできた2台の新しいBitcoin ATMと、SXSWで酔っぱらったソーシャルメディア・マーケティング・マネージャー向けに暗号化通貨を吐き出すであろう「移動」ATMについて、独占取材をしないかと誘われた。

「このネタ欲しくない?」と彼は尋ねた。

「いいや」と私は答えた。なぜなら真相は、Kim-Maiが数日前に秀逸な記事、『Mt. Goxの退場はもっとまともな第二世代のBitcoin起業家の時代を開く』で示唆した通り、われわれ暗号化通貨ファン(私も1人に数えている)は間抜けであるということだからだ。

われわれは日本で大量のBTCを持つ奇妙な男の子を信じている。われわれは、その存在以外に内在的価値を持たない通貨に投機している。「交換所」が殆どの場合プログラマーのミスによって生まれたり死んだりしているのを見ている。ちょっとこれを見てほしい。Flexcoinは、まあまあ人気の交換所だが、有り金を残らず盗まれて閉鎖した(「2014年3月2日、Flexcoinは攻撃を受けホットウォレットのコインをすべて奪われた。強盗は896 BTCを持ち去った」と管理人が書いている)。ではPoloniexはどうか。彼らは資産の12%をハッカーに奪われた。現時点でそれは、どの交換所がハック〈されない〉かに賭けるゲームだ。ちなみに私の金はCoinbaseにある。

ファンサイトでは、スマホにBitcoinウォレットを持っていてワンドリンクのオーダーをBTCで受けるバーテンダーが次のJeff Bezosになる、とばかりに喜んでいる。現実はと言えば、Bitcoin Jeff Bezosは存在しない、なぜなら、Jeff Bezosの頭脳を持つ人間は、現在のBitcoinがトンデモであることを知っているから。

現状に対する私の意見? 応援はもう十分。Bitcoinはもっと真剣になる必要がある。そこには想像を超えるチャンスがある。しかし、その「シーン」の登場人物 ― 「投資家」からハードウェアメーカーから採掘者から交換所の設立者まで ― ほぼ全員の心的自慰やばかばかしい失敗や常識外れな金欲は、Bitcoinの基本前提にとって何一つ良いことがない。われわれ人類が、誰にでもいつでも何のためにでも、匿名で支払い、スムーズな交換ができるべきであるという前提だ。それ以外のすべては無価値だ。

愚か者と子供たちがBitcoinの社交場を乗っ取った。次に何が起きるのか。ガキ共が飽き、大企業が参入して牛耳りBitcoinを無力な送金手段に変える。PayPalは喜んであなたの指定BTCプロバイダーになり、Chase Manhattanは送金手数料の一部を手にしつつ、スムーズな支払いプロセスの恩恵に預かる。Amazonは大喜びで、あなたがAmazon商品を買うための予算でいっぱいの秘密ウォレットを提供するだろう。真っ当な感覚の持ち主なら、これがBitcoinの向かう方向であるとわかるだろう。

私だって心地よいBitcoin物語は大好きだ。近所のサンドイッチショップがBTCを受け取るって? 是が非でもあなたが喜んでいることを伝えるべきだ。しかし、スクラントン市中心部でネットワーク効果を起こすためのあなたの努力が、Bitcoinの存在に何らかの影響を与えるとは思わない方がいい。老後の貯金をウォレットに入れれば、何時間かの間、ディナーパーティーの人気者になれる。最高の気分だ! 経済問題を語り反対意見を言う相手を叩きのめす。それがインターネットのやり方だ。

ただ、あなたが自分のコミュニティーに対して何か良いことをしていると思ってはいけない。なぜなら全世界はBitcoinを失敗と混乱だと考えているからだ。あなたは何らそれを和げてはいない。

BTCの素晴らしき新世界を作ろうと懸命な努力をしている善良な人々はいる。しかし、彼らはごく稀でしかない。

しかし自主規制がなければ、はるかに卑劣な何者かがBitcoinを統制するだろう。Bitcoinの現在の宣伝文句は詐欺一歩手前 ― すぐに儲かります! 今大人気です! ― であり、Bitcoin交換所は、現金を靴の箱に隠して公園のベンチに置いておく方が安全だ ― 少なくともベンチは窓から見える。Bitcoinを破壊するには頭が良い必要すらない。欲深ければそれでいい。

この市場は成熟と自制を必要としている。あるアイデアのために死のうと思う人は、大てい一人で死ぬことになる。それは何度でも起きる。これは例外ではない。大人になろう、Bitcoinファンよ、さもなくばこの夢ははかなく消えていく。

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赤ちゃん向けセルフィー・アプリ登場―社会の崩壊は間近か?

赤ちゃん用セルフィー・アプリが登場したということは現代社会の末期症状を意味するのだろうか? なんと新たにリリースされたAndroidアプリは赤ちゃんが自分の自画撮りするためにデザインされている。

そう、ベビーのセルフィーだ。

このアプリは確かに可愛らしくできている。デジタル版の「いないないばー」みたいにデザインされていて、カラフルな動物のアニメがまず表示される。これで赤ちゃんの注意を惹きつけておいて、きゅっと音を立てて驚かす。そこですかさずシャッターを切るという仕組みだ。

最初の1回は面白いかもしれない。99セントだから、その価値はあるのだろう。

このアプリを開発したのはピッツバーグのAndroidスタジオ、Deeplocalで働くエンジニアのMatthew Pegulaだ。6ヶ月になる娘がおり、Baby Selfieを開発したのはAndroidのプログラミングに慣れるためだったそうだ。PegulaはもともとiOS開発が専門だったという。

私のインタビューに対して「これは最初のAndroidアプリで、週末プロジェクトだった」とPegulaは語った。最初は笑顔を感知したりするもっと複雑なプロジェクトの計画だったが、まずはBaby Selfieを最初の一歩としてリリースすることにしたという。この種のセルフィー・アプリに対しては賛否両論があるのは彼も承知している。

たとえばWashington Postはこのアプリをいやに真面目に取り上げて、「米国小児科学会は2歳未満の子供にはコンピュータ・スクリーンを見せないよう勧告している」などと言って非難している。

この記事はさらに続けて「スマートフォンによるいわゆる自画撮りなるものは21世紀の社会の病患たるナルシシズム、過度の情報共有、プライバシーの軽視を象徴するものであり、赤ん坊をこれにさらすことは避けねばならない」と論陣を張っている。The Daily Beastも似たようなもっともらしい批判をしている。

あれまあ、ご大層な。

(念のために断っておくが、この記事のタイトルはまったくの冗談だ。Baby Selfieが社会を崩壊させるわけがない)

メインストリーム・メディアがこのおもちゃアプリに過度に否定的なのは自画撮りそのものに対する根深い反感があるのだろう。しかし自分を撮影するというのは人間の自然に根ざしているとみえて、写真術が登場して以来ポピュラー行為なのだが。

iPadを取り付けたFisher-Priceのゆりかごに赤ん坊を何時間も縛り付けておくような育児法には私も反対だが、こうした愉快なアプリで数分遊ばせるのが深刻な害をもたらすとは思えない。ともあれスマートフォンのフロントカメラが社会崩壊の引き金にならないことだけは確かだ。

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WhatsAppの物語は、シリコンバレーの通説を覆す

編集部注:Semil Shahは、Swellの製品開発に携わり、TechCrunchのコラムニストも務める投資家である。彼のブログはHaywireで、Twitterアカウントは@semil

シリコンバレーやIT業界全般には、さまざまな慣例的通念がある。それらはブログ投稿、ツイート、無数のメッセージボードなどで生まれ、取り込まれ、共有されていく。これらのメディアの利点は、豊富な知識の宝庫にアクセスできることだが、コストもある。われわれ全員が同じ脚本を見せられ、そこには同じ慣習が書かれており、特にそれがエコー室で増幅された時、注意していないとわれわれはその慣習を信じて、予測可能で面白味のない行動や生活になってしまう。

多くの読者と同じく、先週のWhatsApp買収騒動は私をとりこにした。これを例外中の例外(実際その通りである)と片付けるのは簡単だ。たしかにこれは極端な例外的事象だが、だからといって検証しない理由にはならない。実際このニュースはハレー彗星のようなもので、スタートアップに関わる者全員が仕事を中断し、外へ出て、ネットで読んだことしかない何かを一瞥しようと空を見上げる、そんな生涯に一度の出来事だ。こうした状況で、私はこれまでの「教訓」や通念を思いだし、WhatsAppがそうした通念のいくつかに挑戦しているところを検証せずにはいられない。

「Yahoo!には人材がいない」 様々な理由により、Yahooはマスコミやソーシャルメディアに叩かれる。この会社はいくつもの問題を抱え、その対処に追われ続けているが、その結果従業員や出身者は格好の標的になる。WhatsAppのファウンダー2人はかつてYahooで働いていた。彼らはネイティブモバイルアプリを、多くのプラットフォーム向けに開発し、複雑な国際通話システムを開発するためのチームを率いていた。

「Facebookのような会社には最高の人材がいる」 WhatsAppのファウンダーの1人は、Facebookの求人に応募して不採用になったことがある。私は、無数のスタートアップがビッグネーム企業から「そこそこ」の人材をリクルートしようと必死になるところを見てきたが、輝くものすべてが金ではない。

「消費者製品の重心はシリコンレーからサンフランシスコへと移った」 まあこれは概ね真実だが、WhatsAppの本社はまだシリコンバレーのど真ん中にある。彼らの事務所には看板すらない。街の明るい照明から隠れている彼らは、広報活動をはじめ今日のスタートアップのライフスタイルを象徴するような行動とは無縁だ。

「最高のファウンダーは比較的若い」 WhatsAppのファウンダーたちは30代半ばから後半。

「モバイル製品は楽しく美しくあるべきだ」 私はこのフレーズを聞くたびに身を震わせる。もちろんアプリは見映えが良くあるべきだが、まずは何らかの問題を解決したり何らかのサービスや娯楽を提供するべきだ。WhatsAppはただひたすら人々のために働く。凝った機能はない。解決すべき問題を解決し、以下のプラットフォームをサポートしている:iOS, Android, Blackberry, Windows Phone 7, Nokia, S40, Symbian S60等々。

「モバイルファースト。iOSとAndroid版を作れ」 Whatsappチームはあらゆる種類の携帯電話のための製品を作ることに挑戦している。その多くはこのブログの読者が触ったこともない機種だ。 J2MEの走っている古いNokiaやSamsungの端末までサポートしている。

「パーソナル・ブランディングは重要である」 WhatsAppのファウンダーたちに個人的なブランドはない。IT業界の1000人に聞いて、この会社のファウンダーか社員の名前を言えるのは5%以下だと私は予想する。

「自分のスタートアップの株は持ち続けろ」 私が思うに、初期段階にあるファウンダーの多くが自分のスタートアップの価値を高く評価しすぎている。たしかにどんな小さな会社も多くの血と汗と涙の結晶だが、競争が激しく人材も分散している今、かつてのような株や人材に関する常識は時代遅れだ。その意味で私は、ZuckerbergがWhatsAppをパートナーとして迎えるために、Facebookのかなり大きな部分を手放し、WhatsAppのファウンダーの1人を取締役に加えたという積極性には敬意を表する。Zuckerbergは、財産をためこむより、目前に迫る戦いのためにパートナーと組むことの方が重要だと気付いている。

「金のことは心配するな。とにかく成長しろ」 WhatsAppは両方をやった。プラットフォームによって、WhatsAppは1ドル程度の料金をとることも無料のこともある ― さらに、最初の1年を過ぎると年間1ドルの定期利用料を課金する。WhatsAppは運用に費用がかかるため、大した儲けにはならないが、少なくともキャッシュフローを持っているので、近年の資金調達プロセスにわずらわされることなく自分のペースで運用できる。

他にも破られている慣習はある。例えはWhatsAppは、残してきた足跡と比べて会社は小さく、わずか50名ほどの社員でエンジニアとサポートがほぼ半分ずつだ。あるいは、なぜシリコンバレーで最も成功しているベンチャーキャピタル会社 ― Sequoia ― が投資の成功やスタートアップの成長を吹聴してこなかったのか。ベンチャーと言えば、なぜこのベンチャーキャピタルは、ソーシャルネットワーク第一の波に乗り遅れ、崩壊したColorに大枚を注ぎ込みながら、その後3年間にWhatsAppに投資をして、ベンチャーキャピタル史に残る内部収益率を上げるに至ったのか。

検証方法はいくらでもあるが、ここで重要なのは、この稀有で輝かしい出来事を「一時停止」ボタンにして、われわれ自身やわれわれの製品や会社が、人から言われたり、さらされたり、どこかで読んだりした古い慣例に沿っているのかどうか、もう一度見直してみることだ。

私は、ルールをすべて捨ててカオスに身を投じろと言っているのではない。しかし、見直してみるには良い時期だ。これらの慣例的偏見を、仕事あるいは生活にあてはめていないだろうか。採用戦略や、収益化や成長への過程、製品デザインは慣習に引きずられていないだろうか。何度も耳にしたり、Twitterのフィードに何度もでてくることは容易に信じやすい。しかし、真実でなくてはならない! WhatsAppが例外中の例外になった理由は、通説を意識的に破壊してきたらなのか、知らずに無視していかららなのか、あるいはどちらてもないのだろうか。

Image by Flickr user Robert S. Donovan under a CC BY 2.0 license

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(翻訳:Nob Takahashi / facebook


インターネットに革命を: Google, Facebookなどの強大企業の打倒を主張するFred Turner

インターネットは最近、多くの批判を浴びている。でも、今のインターネットの何がまずいのかを理路整然と説明できる人はあまりいない。スタンフォード大学のコミュニケーション学准教授Fred Turnerは、その数少ない人の一人だ。

二つの重要な著書、From Counterculture to Cyberculture と、最近出版されたThe Democratic SurroundのあるTurnerは、学者としてこれまで主に、インターネットの「知」の歴史を研究してきた。そして彼は、あまり嬉しくない事実を見つけた。彼によると、Stewart Brand(Well)やSteve Jobs(Apple)、Kevin Kelly(Wired)などのヒッピーたちが、自分の思想に合う形でこれまでのインターネットの理念を作ってきた。それは、危険を冒す冒険であり、社会のルールから逸脱することだ。

Turnerが指摘する問題は、権威を逃れて自分のやりたいことをやるというヒッピーの思想が、自分たちを取り巻くものに対して無関心なGoogleやFacebookのような企業を生み出した。そこで、サンフランシスコ市民の神経を逆撫でしたGoogleの通勤バスの問題や、ユーザのプライバシーに対するFacebookの無頓着が生じ、人びとはますます、シリコンバレーを不信の目で見るようになっている。

しかしTurnerは、あきらめているわけではない。インターネットは救済できる、と彼は言う。肯定的な例としてGlobal Voices Onlineを挙げながら彼は、インターネットを少数の強力で自己満足的な企業から奪い返し、すべての人びとが力をつけていくためのプロダクトを作る必要がある、と主張する。

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(翻訳:iwatani(a.k.a. hiwa))


Keen On―『第二の機械時代(The Second Machine Age)』の著者にデジタル経済が進展する中での人間の役割を聞く

Andrew McAfeeErik Brynjolfssonの共著によるデジタル経済についての新しい本、The Second Machine Age: Work, Progress and Prosperity In a Time of Brilliant Technologies出版された

本書は人工知能、3Dプリンティング、モノのインターネットなどデジタル・テクノロジーの目覚ましい進歩にともなって経済の仕組みと人間の役割はどう変化していくのかを本格的に論じた初の著作といってよいだろう。

McAfeeとBrynjolfssonはわれわれが驚くべき進歩の時代に生きていることを認めるが、同時にデジタル経済は「勝者総取り」の傾向を強めており、社会の中間層、特に単純な情報処理に携わる労働者を取り残していくことに注意を向けている。

では何か対策はあるのだろうか?

共著者のMcAfeeとBrynjolfssonは2人ともMITの経済学の教授だ。2人は第二の産業革命といってよい第二の機械時代を理解するためには経済学の基礎に立ち戻る必要があるという。この場合、教育がカギとなる。教育の内容と同時に教育の手法を変わる必要があるというのだ。インターネットは多くの職を消滅させているが、同時に新しい、極めて効果的な「ネットワーク教育」によって人々の能力を革新するチャンスも提供している

しかしMcAfeeとBrynjolfssonによればそれは黙っていても起こるわけではないという。われわれの生き残りは、いつものことながら、われわれの変化する能力にかかっているわけだ。適応できる者には新しい職が見つかる。しかし適応できないものにとって、第二の機械の時代の到来は何ひとつメリットがないということになりそうだ。

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(翻訳:滑川海彦 Facebook Google+


Facebookのモバイル戦略を読み解く:Paperは、印刷に値する記事はすべて載せるモバイル新聞

編集部注:Semil Shahは、Swellの製品開発に携わっており、TechCrunchのコラムニストであると共に投資家でもある。彼のブログはHaywireで、Twitterアカウントは@semil

モバイルアプリの世界にとって先週最大のニュースは、Facebookからだった。ソーシャルネットワークが作ったニュースや投稿を読むための新アプリ、Paperだった。このビデオは必見だ。エレガントで感情に訴える非常にAppleチックな作りだ。Facebookがこの種のアプリを発表すると、以前のCamera、Poke、Messengerのように、メインアプリの機能を切り離した単独アプリが想起される。ITスタートアップコミュニティーの最初の反応は懐疑と期待が入り交り、その新デザインを待望する声がある一方(実際見映えはすばらしい)、単なるコピーだと失望する向きもあった(一部の動きはFlipboardに似ている)。

そしてすべては1つの疑問に集約される。Paperのたどる道はPokeなのか、それともMessengerなのか? この答はFacebookの将来に重大な影響をもたらすだろう。

モバイル端末において、MessengerはFacebookから独立することに成功した。Messengerはトップクラスのメッセージングアプリとしてよく役目を果たしており、Facebookはスマートフォンのメインアプリのユーザーを一旦Messengerへと送り出す(そして戻す)ことによってMessengerを使うことを意識させることまでしている。Pokeを思い出せばわかる通り、Facebookでさえその膨大な定着モバイルユーザーベースを使って、ライバル、Snapchatの本物の体験を再現することはできなかった。これは、Facebookの高いモバイル定着率が、あらゆるアプリをヒットチャートのトップに躍り上がらせることができる一方で、アプリがユーザーから見離されてしまえば、モバイルへの定着に与えられるる影響にも限界があることも露呈したエピソードだった。

Facebookとモバイルに関して、このところ彼らは中核機能を新モバイルアプリへと分離し配布する初期段階にある。去る2011年9月、私はここTechCrunchに、Facebookがわれわれの端末を全面制覇しようとしている戦略について書いた。その時の記事はここで読めるので写真を参照されたい。2年半後の今、Facebookはモバイルではるかに強力なポジションにいる。先週の収支会見で、Facebookはモバイルの数字を公表し、MAUが9.55億人、DAUは5.5億人だった。このスケールとモバイルアプリの定着によって、Facebookは驚くべき量の実用的データを利用することが可能となり、それはマーケティングパワーとして、モバイルアプリのインストール広告による売上へとつながっている ― モバイルで再ターゲット広告やディープリンキングを行う日も遠くない。

果たして今後Facebookは、自身のネットワークの威力とスケールを活かして、その日間アクティブユーザーを新しいモバイル体験へと駆り立てることができるのか(Messengerと同じように)、それともユーザーは一時的に群がるだけですぐ離れていってしまうのか(Pokeの時のように)? そして、具体的にPaperについて言えば、果たしてユーザーはニュースや友達に関する話題を、モバイルでリアルタイムにプッシュ通知されることに慣れていくのか、それともそれをスパム的と感じて元のニュースソース(通常のfacebookを含む)へと帰っていくのだろうか?

明日(米国時間2/3)にPaperが公開された時の世界の反応が実に興味深い【訳注:日本は未サポート】。Paperに関して、本誌のJosh Constineが、”Facebook’s Plot To Conquer Mobile: Shatter Itself Into Pieces” で詳しく分析しており、WaneloのAdam Besvinickも、アプリ分離の先にあるものを解説している。いずれも優れた記事だ。Facebookは、1年前、2年前と今日とでは大きく異なるモバイル企業だ。そのスケールは膨大であり、定着率も桁外れだ。製品体験そのものに意味があると仮定するなら、即ちニュースとパーソナルな記事が興味を引くのなら、Paperへの移行率がたとえ低くても、その読者数はかなり大きい。今われわれの端末やアプリストアに次から次へとニュースアプリが増えている理由は、ニュースをチェックすることが、1日1度のアクティブな利用形態ではなく、1日複数回の超アクティブ利用形態であるからだ。そしてFacebookは、そのモバイルユーサーデータ、アルゴリズム、およびスケールと定着性によってこの行動を活かし、人々が朝一番に読む物になろうとしている ― かつて新聞がそうであったように。結果は時が過ぎるのを待つしかない。明日の朝は是非 “Paper” を手に取ってご一読あれ!

写真提供: Je suis Samuel / Creative Commons Flickr

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Bitcoinには深刻なイメージの問題がある

世の中には「信者」というものがいる。何かの製品なりアイディアなりを熱狂的に支持し、他人がその「聖牛」を拝跪叩頭しないと怒り出す人々だ。Notion Ink信者、Apple信者、Blackberry信者、ワクチンで自閉症になる説の信者、9/11はアメリカ政府の自作自演説の信者、等々だ。こういう信者たちはその対象を全身全霊で擁護し、批判者には限りない憎悪を燃やす。歴史家のウィル・デュラントは「信念が歴史を作る―ことに間違った信念が」と述べた。古来、間違った信念に殉じて死んだ人間は数知れない。

私が思うに、Bitcoinは「間違った信念」ぎりぎりのところに位置している。

念のために言っておくが、私はBitcoinのファンだ。このシステムの価値を理解しているし、第三者が追跡できないシームレスな世界的資金移動システムが必要であることも疑っていない。しかしBitcoinのイメージには大きな問題がある。

Bitcoin信者は「自由の戦士」を自認し、部外者を声高に攻撃し、勝ち誇った調子で成果を語る傾向がある。Redditの/r/bitcoinフォーラムなどがその典型だが、どこそこのカフェが、どこそこの歯医者がBitcoinを受け入れたというようなことを際限なくまくしたてている。こういう些細な勝利には何の意味もない。そういったものは企業や組織の単なるPR作戦にすぎず、どのみちBitcoinはその場で現実の通貨に交換されてしまう。Bitcoinが世界的に成長しているかどうかとは無関係だ。

しばらく前に例のウィンケルヴォス兄弟がBitcoinを助ける白馬の騎士となって登場した。ところがウィンケルヴォス兄弟は「Bitcoin市場に対する一切の規制に反対する」と主張している。これは良識あるユーザーを遠ざけるだけの結果に終わった。現在Bitcoinを受け入れている大規模な合法的サイトは家具通販のOverstock(とSacramento Kingsの試合のチケット)くらいなもので、後はドラッグ流通に使われているのが実態だ。気まぐれな独裁者が支配するバナナ共和国の通貨よろしく乱高下し、なんの規制も受けない通貨に一般消費者が金を投じるはずがない。この欠陥を正す方法はいろいろ考えられるが、ウィンケルヴォス兄弟の「一切の規制に反対する」という主張はそのどれにも当てはまらない。

それにbitcoinユーザーには女嫌いの性差別主義者というイメージがつきまとう。Arianna Simpsonが集会に参加してひどい目にあったというエピソードはbitcoin文化の全体を代表するものではないだろうが、ひとつの好ましからざる傾向を表している。 またこの記事もそういうことになるだろうが、bitcoinを少しでも批判すると無数の攻撃が返ってくる。bitcoinの支持者が女性差別主義の偏狭なオタクだというイメージを払拭したいなら、まず自らを改める必要があるだろう。

TechCrunch自身もコメント欄には強制力のあるハラスメント禁止規則が必要だということを(遅まきながら)気づいた。これはあらゆるコミュニティーに当てはまる。間違った教条の信者はたいてい手遅れになってか気づくのだが、ファナティックな態度は自らを窮地に追い込むばかりだ。しかもbitcoinはまだ幼年期にあり、大企業が所有し、管理する新しい暗号化資金転送システムがいくつも生まれようとしている。モバイル決済サービスのStripeも暗号化通貨の実験を準備しているという噂だ。VisaやMasterCardが暗号化資金移動テクノロジーを採用しない理由はない。

BitcoinはInternetのような存在として自らを確立しなければならない。しかしインターネットとは異なり、一般ユーザーが利用したくなるような価値あるユースケースはまだ存在せず、進むべき方向は不明だ。インターネットは商品流通のあり方を一変させた。しかしbitcoinにはAmazon.comのような信頼できる安定したビジネス・プラットフォームがない。あちこちで「お山の大将」が大言壮語しているだけだ。Bitcoinは自らが何者であるか明確なメッセージを発しなければならない。そのメッセージとは「無料の資金移動」である。それ以外のもろもろはその後に起きる二次的な作用にすぎない。しかし現状ではBitcoinの発するメッセージは不明瞭であり、はっきり聞き取ることができない。まずそこから変えていく必要がある。

Image: 画像: Shutterstock photo

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(翻訳:滑川海彦 Facebook Google+


Snapchatのリプレイ機能は、Snapchat自体を消し去る時限爆弾?!

Snapchatを使っていて一番不便なのは、音声付きのスナップが送られてきたのに、うっかり聞き漏らしてしまうことがあることだ。騒々しいところで開いてしまったり、あるいは音がならないようにしているときに開いてしまったりする。Snapchatがリリースした最新版に搭載されたリプレイ機能は、そうした問題にも対処しようとするものなのかもしれない。1日に1度、送られてきたスナップをもう1度再生することができるようにするものだ。しかしこれがむしろ大きな問題を引き起こすことになる。自らの特徴である「はかなさ」(短期で消滅する性質:ephemerality)を失ってしまうことになるのだ。

Snapchatが大いに流行することになった要因は、送受信するメッセージ(スナップ)を一瞬だけ見ることが出来るという性質によるものだった。「瞬間」に集中する必要があり、それがためにコミュニケーションに集中することともなった。

しかし今回投入された「リプレイ」機能があれば、漫然と対処することが可能となってしまう。アプリケーションを開いたままにしていて、かつ他のスナップが送られてくる前であれば「すごいな。ちょっと際どくてナイスじゃん。もう一度見てみよう」などということが可能になるのだ。

もちろんFacebookのタイムライン投稿のように、永久に残ってしまうというものではない。しかしこれまでのように気軽になんでも送るようなことはできなくなる。構図はちゃんとしていただろうかとか、髪が乱れていたのではなかろうかなどと気になってしまう。

これまでSnapchatで送られるスナップは、一度だけ閲覧されてあとは記憶の中に残るのみとなるものだった。記憶というのは曖昧なものであり、それがために気軽になんでも送ることができたのだ。こんな写真を送ると何を言われるだろうなどということを気にする必要もあまりなかった。そうした性質のおかげで、馬鹿馬鹿しい内容で盛り上がったり、あるいは少々際どいスナップを送り合って笑い合ったりできたのだ。ちょっとしたおふざけ写真が後々までひと目にさらされるような危険性については考える必要がなかった。

これからはスナップの内容が再チェックされてしまうようになるわけだ。あるいは誰かに見せたり、さらには再生の様子を他のカメラで撮影したり、あるいはスクリーンショットに残したりすることもしやすくなってしまう。シモネタ絡みで楽しんでいた人たちは、少々使いにくさを感じてしまうことになるだろう。他の人に見せられたり、あるいはカメラで記録されたりする可能性がある中、際どい写真などは送りたくないと考えるのが普通だろう。

冒頭にも書いたが、リプレイが便利である場面というのも確かにある。しかしUI面でも機能面でも、あまりにひどいデザインであるように思える。機能を使うにはメニュー階層を深くたどって「Manage Additional Services」というメニューを発見して、そこから行う必要がある。ちなみにこの設定でリプレイが可能になるのは自分の端末上(人から送られてきたスナップを見る場合)であり、自分が送るメッセージをリプレイ可能性を設定するものではない。自分の送る画像やビデオのリプレイ可否を設定する方法は用意されていないのだ。

Snapchatは10月にもStories機能を発表し、短い時間で消滅するという自らの特徴とは違う方向への進化を模索しているように見える。これは24時間以内なら何度でも見られる形式でパブリックに、あるいは友人に対してスナップを公開するものだ。24時間たてば、スナップは消え去ることとなる。リプレイもこの流れにあるものと考えることが出来るかもしれない。しかしStoriesでは、何度でも閲覧可能とする設定を行うのは送信者側だった。リプレイでは、受信者が送信者の意図に関わらず、繰り返してスナップを見ることが出来るようになっているのだ。

リプレイの目的が、ビデオを見るのにうっかり音声をオフにしてしまっていたとかそうした事情に対処しようとするものなのであれば、送られてきたスナップがビデオなのか写真なのかを明示するようにすれば良いと思う(Update:実は区別されていたそうだ。赤が写真で、紫がビデオを示すのだそうだ。しかしもっとわかりやすく示してくれても良さそうなものだと思う)。間違って開いてしまって、よく見ないうちに消滅時間になってしまうということに対処しようとするのであれば、スナップを開くときの仕組みを考え直せば良いだけの話だと思う。

問題に対処しようという、ある種の「好意」からの機能変更であるにせよ、Snapchatは人気を集めた自らの特徴を捨ててしまうような形で変化してしまっている。これが正しい方向性だと思っているのなら、CEOのEvan Spiegelはちょっと考えなおした方がいい。Snapchat自体があっという間に消え去らないうちに、リプレイ機能については考えなおした方が良いように思う。

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(翻訳:Maeda, H


Bitcoinはバブルだ―暴落は絵に描いたように予想通りの展開

Bitcoinはこの24時間で大暴落を喫した。主要な換金市場のMt.Goxで500以下に落ちた後、やや回復している。 TechCrunchのJohnBiggs記者が今朝書いたとおり、中国最大のBitcoin市場、BTCChinaが中国元での預託金の受け入れを停止したことがこの暴落に拍車をかけたようだ。

しかしBitcoinの値下がりはしばらく前から兆候が現れていた。中国市場の動向は大きなトレンドの一部に過ぎない。要するにBitcoinは勢いを失っている。

Bitcoinを1200ドルという高値に押し上げたのと全く同じ力が今は逆向きに働いている。流行、メディアへの露出、投機がブームを作って価格を上げた。ところが流行が下火になり、メディアの露出が減り、投機の思惑が外れた。その結果が暴落だ。

現在この記事の執筆時点でのBitcoinの価格は606ドルだ。Bitcoinは古典的なバブルである。下にMt.Goxの日ごとの値動きのチャートを載せておこう。

バブルが破裂してBitcoinの価格が元に戻るのに何の不思議もない。Bitcoinがバブルであることを説明した過去記事を振り返ってみよう。

歴史の教訓からこれだけは言える。現在のブームは作られた希少性、熱狂的な投資家層、トラック何台分もの楽観主義の産物だ。だからじきに熱は冷め、事態は平常に戻る。なにもかもオランダのチューリップ・バブルにそっくりだ。

そして、:


Bitcoinはバブルではない」としつこく主張し続ける人々がいる。 もちろんバブルに決まっている。Bitcoinは確実な資産価値のある何ものによっても担保されておらず、それ自身の利用価値が変化していないにもかかわらず、投機的動機による買い手によって突如何倍にも値上がりしている。これがバブルでなければ何がバブルか?

Bitcoinはこの記事を書き始めたとき606ドルだったが、今は621ドルまで上げている。しかしそんなことはバブルかどうかには関係ない。

もっとも重要なのは、上の引用でも指摘されているとおり、Bitcoinが「コンピューティング能力」というその本来をはるかに超えて値上がりしているという点だ。このことはFBIがBitcoinで麻薬取引を行っていた容疑でSilk Roadマーケットを閉鎖した後、いっそうはっきりした。 Bitcoinはそれが提供すると主張する価値に比べて過大評価されている。Bitcoin1枚で得られる価値は、投機的思惑を別にすれば、他の通貨ないし他の確実な金融資産によって得られる価値よりはるかに小さい。

投機的需要によって金融資産の長期的価値が維持されることはない。

しかもBitcoinはまだとても金融資産と呼べる代物ではない。

画像:Flickr

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(翻訳:滑川海彦 Facebook Google+


サービスの方向性が迷走し、新たな可能性は感じられない。Instagram Directは失敗だと思う

友だちは誰もInstagram Direct(IGDと略す)を使っていないようだ。少なくとも今のところは使っていないらしい。先週の木曜日にスタートしてから、これまでに受け取ったIGDメッセージは2件だけだ。その間、頻繁にメッセージのやり取りをする友だちのうち20名以上がInstagramに画像を投稿している。あるいはやはり同一期間内で、18名から60通ほどのSnapchatメッセージを受け取った。始まったばかりのサービスを云々するのは時期尚早なのかもしれないが、しかしどうやらIGDは失敗に終わるのではないかという思いを強くしつつある。

もちろん根拠を示すためのデータがあまりに個人的なものではある。しかしいろいろ考えても、やはり自分の考えが正しいのではないかと思うのだ。

多くの人が使うサービスの中で、新しい機能を提供してもあまり流行らないことが多いという一般論もある。しかしInstagramについては当てはまらなそうだ。Instagram Videoは、かなり広まっているようにも思えるからだ。IGDの問題は「新しい機能」ではなく「全く違うもの」を同じ器に盛ろうとしたことにあると思う。

Instagramは、写真をみんなと共有したいと願う人々の気持ちに訴えて大流行することとなった。写真を撮って(今はビデオにも対応している)、それをシェアする。より正確に言えば、フォローしている人たちとシェアする。今回、IGDの導入により、Instagramはプライベートな共有空間の構築を目指すこととなった。写真やビデオを撮って、それを知り合いないし、知り合いグループに送るという使い方だ。この両者は、コミュニケーションのスタイルとして全く異なるものであると思うのだ。

これまでの利用パターンと全く異なる利用法を提示して、それでもアプリケーションを使ってもらおうというのはなかなか難しい話だ。また、その「全く異なる利用法」が、他のアプリケーションで行えることであるとなれば、難しさは一層増すことになる。

もし限られた人とのみ写真を共有したいのなら、テキストメッセージで掲載場所を伝えたり、メールしたり、あるいはFacebookのメッセージング機能を使って行えば済む話だ。いずれもIGDよりも自由に使うことができる。たとえば送られてきた写真に、別の写真でレスポンスすることもできる。ちなみにIGDでこの機能を搭載していないのは、個人的には最大の謎だ。また、少しの人と写真をシェアしようとするのに手間が掛かり過ぎるのも問題だ。送る人を選んでタイトルを付けるという作業に時間がかかりすぎるように思う。仲間内で手軽に写真をシェアして愉しむという目的に沿っていないように思うのだ。

そしてこの分野にはもちろんSnapchatという存在がある。Snapchatは目的もはっきりしていてメッセージが消滅するという特徴もあり、利用者を惹きつけている。メジャーなメッセージングサービスにはメッセージが自動的に消えるという機能はなく、あまりに馬鹿馬鹿しいものや、あるいはちょっときわどいものなどを送りたいときには、自然とSnapchatを使いたくなるというわけだ。

まとめてみるなら、Instagram DirectはInstagramとは「違いすぎ」、しかしながら「新たな可能性はない」というところにあるようだ。

実はFacebookは、このことを以前に学習済みだ。もちろんSnapchatへの対抗ビジュアルコミュニケーションツールとしてのPokeをリリースした際の話だ。この試みは失敗に終わった。Facebookとしては「こちらのツールを使ってくれ」と言っていたわけだが、利用者にとっては乗り換えるメリットが全くなかったのだ。しかもFacebookは、何かを半永久的にシェアする場所として利用されることが多い。そのような中、Facebook上に自己消滅型メッセージをやりとりするというのは違和感を与えるものでもあったのだ。また、これまでにプライバシー面でも問題をいろいろと指摘されたこともあるわけで、利用者としては、本当にメッセージがきちんと消滅するのかどうか危ぶんだという面もあるだろう。いずれにせよ、Pokeが単なるSnapchatのクローンであり、新たな可能性をもっていなかったことに失敗の要因がある。

個人的には、Instagramがメッセージング機能を実装することには賛成で、先週にはInstagramはプライベートメッセージングを提供すべきだという記事も書いた。利用者がより多くの時間をサービス上で過ごすようにする仕掛けが必要だという視点から記したものだ。しかし実装にあたって、Instagramは自身のサービスを補完するものとしてではなく、ライバルに表面的に対処するようなものを作ってしまったように感じる。Instagramは、写真を利用したメッセージのやり取りを簡単に行えるような仕組みや、あるいは既に公開している写真についての話が行えるようなツールを構築すべきだったのではなかろうか。他のアプリケーションでもできるようなことではなく、Instagramならではのエクスペリエンスを提供する仕組みを熟考すべきだったと思う。

Instagramは、カメラとソーシャルネットワークをダイレクトに結びつけることにより、写真のあり方を変えた。Instagram Directは、何も新しい面白さを提供してくれないように感じている。

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(翻訳:Maeda, H


携帯電話の助成金はもうすぐ終るかもしれない

15年近くにわたって、携帯電話利用者 ― 特にアメリカの ― はある種の経済援助を享受してきた。主要キャリアーによる助成金である。これは、契約にあたって、非常に高価な携帯電話をせいぜい数万円で手に入れることができることを意味しており、数年ごとにその端末を買い換えるインセンティブになっている。こうした助成金は、言論の自由やアップルパイのごとく神から与えられてきたが、そろそろ終りが近づいているかもしれない。
私はこの行動に対する偽りの激怒を扇動しようというのはないが(そもそも行動ですらなく、単にあるカンファレンスでAT&TのCEOが発したコメントだが、オンラインの井戸端では契約と同じ意味をもつ)、裏切りじみてはいる。CEOのRandall Stephensonはこう言った。

当初ビジネスを大きくする時には、人々をネットワークに呼び寄せるために、大胆な端末助成金が必要だ。しかし普及率が90%に近づくにつれ、維持モードに入る。つまり、端末の買い換えが多くなるという意味だ。だからモデルは変わる必要がある。もはやそういう助成を続ける余裕はない。

500ドルの機種を200ドルで買い換えさせる代わりに、AT&Tは既に、買い換えをしない利用者に対して低価格のプランを提供し、買い換えサイクルを従来の18~24ヵ月よりも延ばそうとしている。これは、AT&Tが値引きを考えるより前に、われわれはiPhoneを2世代逃がすことを意味している。もし、そんなことが起きて、それが端末持ち込みが増えることを意味するのであれば。

要するに、われわれは端末助成金が実は架空のものであり、結局はわれわれが月々の請求書で端末代金を払っていることを思い出す必要がある。助成金はまた、米国ユーザーの選択の自由を妨げてきた。ヨーロッパが当初端末の助成を拒んだ ― 現在は世界中殆どのキャリアが助成している ― 結果、プリペイドSIMカード、低価格で簡単な端末、さらにはローミングによる恩恵など、数多くのサービス改善が起きた。端末が数日毎に国境を越えているなら、キャリアーが端末をロックする理由はない。しかし、米国市場は一枚岩だ。めったにローミングすることはなく、安いプリペイドを探すこともない。

私に同意できることが2つあるとすれば、われわれが端末を買い換えすぎることと、ハードウェアメーカーがわれわれを愚かだと思っていることだ。Stephensonは直接口には出さなかったものの、実際には端末メーカーに用意させている。Samsung、HTC、LG、そしてAppleも、いくつかの理由で新機種を発売しなければならない。主として、前進しているイメージを与えるため、そして株主を喜ばせるために。

例えば、この見事に並んだGalaxyスマートフォンを見てほしい。それぞれがAT&Tの次期「無料」端末を運命づけられている。泳ぐのをやめると死んでしまうサメのように、メーカーは、端末を売るのをやめるの死んでしまう。だから端末助成金はメーカーにとって素晴らしい。そして、iPhoneのバージョン毎の緩やかな変化を考えてみれば、われわれにとっては必ずしも素晴らしくない。そこには十分な供給があり、助成金のおかげで、十分な人工的需要がある。

AT&Tの動きは、その無限のサイクルを止めるものだ。しかし、フェアではない。なぜ消費者は、役立たずの機種を3年間使い続けるか何百ドルも払わなくてはいけないのか ― 既に高額なプランに加えて? キャリアはリップサービスで低料金をうたうが、もしあなたが「ベスト」なプランを望むなら、覚悟が必要だ。端末の持ち込みと緩やかな買い換えサイクルを強要するなら、まさしく泣きっ面に蜂だ。

要するにStephensonはこう言っている。かつてAT&Tがまだ顧客を獲得しようとしていた頃は、助成金が有効だった。欲しいだけの顧客が集まった今、助成金はアンフェアである。何が本当に起ころうとしているのだろう? キャリアは端末メーカーとべッドを共にし、そして今別れたがっている。つけを払うのはわれわれだ。

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(翻訳:Nob Takahashi / facebook


(米国の)携帯キャリアが邪悪であることを忘れてはならない

本日の「米国携帯キャリアはアホ」シリーズは、 携帯キャリアとCTIA(セルラー通信工業会)が貴重な収入源を守るために、どうやってスマートフォン盗難防止機能を妨害しているかについてお送りする。

2012年、米国消費者160万人以上がスマートフォンを盗まれた。米国における窃盗の3件に1件がモバイル端末がらみだ。CBS This Morningのインタビューに答えたサンフランシスコ司法長官は、同市の盗難の50%にスマートフォンが含まれるていと言った。これは異常事態であり、携帯キャリアは解決方法を見過ごしている。

ニューヨークのEric Schneiderman司法長官によると、ニューヨーク、サンフランシスコ、ロンドン、およびフィラデルフィアの各当局は、携帯電話業界に解決案の提示を求めた。Samsungは今年、自社端末にこれを実装したが、米国の5大携帯キャリアはこれを顧客に提供しない。

CBSが入手したメールによると、AT&T、Verizon、T-Mobile、Sprint、およびU.S. Cellularの全5社は、自社で販売するSamsung端末にその機能を内蔵しないことを決定した。一方、携帯電話会社の業界団体であるCTIAは、FCCおよび一部の警察署と協力して、盗難携帯電話機のオンラインデータベース作成に協力した。

理論的には、このリスト ― 各キャリアが独自に作成、管理される ― によって盗まれたスマートフォンが再アクティベートされるのを防ぐことができる。しかし、データ盗難には無効であり、海外に持ち宗された電話にはほぼ使いものにならない。必要なのはキルスイッチであり、スマートフォン所有者の手に置かれなければならない。

今年、SamsungとAppleの両社は自社端末にキルスイッチを実装した。AppleはSamsungより幸運だった。Samsungスマートフォンの大半は米国内で販売され、Androidが走っているため、携帯キャリアは端末を消費者に売る前にソフトウェアを変更できる。米国キャリアは単にキルスイッチを外した。

Appleの解は完全ではないが、大きな一歩だ。Find iPhoneアプリを使えば、ユーザーはiPhoneの場所を見つけてデータを消去できる。最新のiOS 7では、端末を再アクティベートするためには、元の持ち主の認証情報を入力しなければならない ― 完全リセットした後であっても。Googleも同様の機能をAndroidに導入しており、盗難電話の位置の特定やデータ消去が可能だ。しかし、リモートで消去された後、新しいアカウントで再アクティベートできてしまう。

なぜ携帯キャリアが、このよく考えられたセキュリティー機能を顧客に提供することを拒んでいるのか、正確なところはわからないが、利益を守るためという説が有力だ。各キャリアはスマートフォン盗難のための保険を提供している。では、自分の携帯電話が盗まれた時、人は何をするべきだろうか。拘束されずに1995年のように歩き回る? ではなく、新しい端末を正規の値段で買うか、新規契約して安く端末を買うか、保険の免責金額を払うかだ。

CTIAの全国データベースがスマートフォン盗難を防ぐかどうか、結論を出すにはまだ早い。しかし論理はそれを不可能だと言っている。盗人たちは、CTIAデータベースもそれを作った携帯キャリアも手の届かない海外に売るだけだ。外国に売るのは難しいとお思いだろうか? 違法なワークフローの中のCraigslistをeBayに変えるだけ ― 盗人たちは再び準備OKだ。

携帯電話業界全体として、端末所有者にもっと力を与える必要がある。持ち主に内蔵キルスイットを与えること。盗まれた電話機をアクティベートしようとすると、端末の中核部分に組み込まれたソフトウェアが、携帯電話をレンガに変えてしまう。

自動車業界は、一時ラジオの盗難に悩まされた。この問題は、自動車メーカーが強固な姿勢を取り、盗まれたラジオが元の車の外では使えなくすることによって解決した。しかし、携帯電話業界がそうした強硬路線を取ることを期待してはいけない。窓ガラスを割られてラジオのなくなった車のオーナーは、高価な新車を買いに行ったりしない。新しいガラスとラジオを買うだけだ。

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(翻訳:Nob Takahashi)


AOLのテクノロジーについての短編ビデオが大ヒット、再生850万回を記録 (Keen On)

ウェビー賞のファウンダーで映画監督、プロデューサーのTiffany ShlainがAOLのために製作した短編ビデオ・シリーズが大ヒット中だ。The Future Starts Here(未来はここから始まる)と題されたテクノロジーについての啓蒙ビデオは短期間に850万回も再生されている。

このシリーズにはデジタル時代のテクノロジーと生活スタイルについての8本の短編が収められている。その中にはTechnology Shabbat(テクノロジー安息日)という1週間デジタル・テクノロジーの利用を止める生活やTech Etiquette(テック・エチケット)などというユニークなエピソードが含まれている。Shlaneによると、テック・エチケットの回を製作したのは、普通の常識ある人々が携帯電話を手にしたとたんにどうしようもない迷惑人間になってしまうことにうんざりしたからだという。このシリーズの製作の目的は、3分から6分の短いビデオで、テクノロジーと生活に関する重要なテーマを一般視聴者にわかりやすく伝えることだった。

製作にあたってAOLはShlainを全面的に支援した。Shlainによれば「ハリウッドなみの製作チーム」だったという。Shlainは大きなテーマを短く圧縮することに才能を発揮しており、未来のドキュメンタリー・ビデオのひとつのお手本になりそうだ。ウェビー賞(Webby Awards)のファウンダーとしてShlainは長年にわたってハリウッドをシリコンバレーに注入してきた。しかし今回のようなデジタル時代の紹介では、逆にシリコンバレーをハリウッドに輸出する役回りのようだ。

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(翻訳:滑川海彦 Facebook Google+


Bitcoinハイプを(ほぼ)信じる

Mt. Goxによると、Bitcoinはこの数時間に最高900ドルを記録した。よほどの支持者でさえとんでもない数字であることに同意するだろう。これはバブルなので、弾けた時はよろしくない。とは言え、Bitcoinの上り調子は結構なことだが、このプラットフォームの資産移動媒体としての可能性が無視されていると私は言いたい。要するに、今起きていることは、Bitcoinが変人や金投資家やホビイスとの世界から、もっとずっと強力な何かへと変わる関心の高さを示している。

Bitcoinは、一言で言えば金銭移動プラットフォームだ。通貨と呼ぼうが、経済革命の次段階と呼ぼうが、最終的には、われわれに即時かつ匿名の金銭移動の可能性を与えてくれる共有幻影だ(あらゆる通貨と同じように)。これは絶対的に重要だ。従来の銀行たちはこれを重大な危険と考えており、政府もその可能性を明確に理解している。ただし彼らの定義による「悪用」の可能性を。しかし、この惑星に住む平均的人間 ― 実家の両親に送金する若者、市場で瞬時に資金移動が可能になるトレーダー、クレジットカードが不要になる中小店舗 ― なら、少なくともこの無料でオープンな資金移動プラットフォームの威力を理解できる。

なぜ中国はそれほどBitcoinに熱心なのか? そこには群衆の狂気という側面もあるが ― CNNのStan Stalnakerの指摘によると、Tencentの作ったQQというバーチャル通貨で似たような急騰が起きた ― 、同時にある種の自由を可能にし、売買や少額取引における有効な価値移動プラットフォームになる準備が整っている。途上国の小麦取引でカードをスワイプするのは難しい。Bitcoin取引にひも付けされたテキストメッセージを送るのは簡単だ。

しかし、この急騰は異常だ。安定した変動のない価格がなければ、Bitcoinはオランダ人の財布の中のチューリップ球根ほどの価値しかない。ついに通貨としての真価を認められた、などと言うBitcoin擁護派は無限に出てくる。彼らは間違っている。現時点でわれわれが見ているのは純然たる投機だ。確かに価値はあるが、それは今見えているような活気あるものではない。Bitcoinの価値は、解放者として、変化を起こさせるものとして、そして世界初のオープンで、国際的で、使いものになる、世界共通暗号通貨としての価値なのである。

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(翻訳:Nob Takahashi)


ナンセンスなアンチ・テクノロジーの主張はこのユーモア・チェックリストでやっつけよう

画期的な次世代テクノロジーは世界から飢餓を追放できるだろうか?

 芸術を破壊するだろうか?

 ティーンエージャーがセックス目的で利用するだろうか? 

その答えは順にノー、ノー、イェスだ。

いつも洗練されたユーモアで知られるウェブ・コミックのXKCDが、アンチ・テクノロジー・ヒステリーをやつつけるこのチェックリストでまたもヒットを飛ばした。XXXにはありとあらゆる新しいテクノロジーを代入できる。

  • XXXは人類を利口にするか? :ノー
  • XXXは人類を馬鹿にするか? :ノー
  • XXXはその産業を破壊するか? :イェス
  • XXXは人類を情け深くするか? :ノー
  • XXXは人類を冷酷にするか? :ノー
  • XXXはティーンエージャーがセックス目的で使うか? :イェス
  • XXXがあろうとなかろうとティーンエージャーはセックスしたがるか? :イェス
  • XXXは音楽をダメにするか? :ノー
  • XXXは美術をダメにするか? :ノー
  • XXXがなかった時代に人類は戻れるか? :ノー
  • XXXは世界平和をもたらすか? ノー
  • XXXは空虚な架空の体験を提供することによって人類の疎外をいっそう広めるか? :どっちみち疎外されている
  • Google makes us stupid
  • Tech destroys industries (私の記事だ)
  • Social media makes us less empathetic
  • Teens and irresponsible sexting (Googleで画像検索しないように)
  • The Internet is ruining music
  • Artists hated the invention of the camera
  • Family ditches all new technology
  • Internet is the way to world peace
  • Facebook is making us lonely
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    (翻訳:滑川海彦 Facebook Google+


    人類進化のためにTwitterを使おう

    Twitterの利用目的というのは、相変わらず多く誤解されているようだ。Twitterなんかいらないと言う人も多い。しかし実は、Twitterは人類を進化させてくれるものなのだ。理由を述べよう。

    私たちは(同じ人類であっても)各人それぞれに、いろいろと異なる道を歩む存在だ。独自の情熱に導かれ、興味を感じる対象も違い、趣味にも非常に多くの種類がある。自分で自らの歩む道を決め、そしてそれぞれに異なる知識を手に入れてやっていくことになる。そんな状況の中、自らは決して訪れない、全く異なる世界の知識を持つ人の頭の中を覗けたとしたらどうだろう。実はTwitterとは、そうしたことを可能にするためのツールであるのだ。

    もちろんTwitter自体は入れ物のようなものであり、大事なのは利用者自身だ。フォローする人によっては、朝食は何だったとか、どんなテレビ番組を見ているのかといったような情報を知らせ合うことに終始することになるだろうしかし活用法によっては、世界に存在するありとあらゆる物事を、もっともシンプルな形にして伝えてくれるツールともなるのだ。

    たとえば遠く離れた所に住む科学者をフォローしているとしよう。その科学者は、日々研究に明け暮れているわけだ。もしその科学者の研究分野に興味があるとしても、誰もが一日中研究活動を行えるわけもない。しかしTwitterを通じて繋がっていれば、当該科学者が、無駄を省き、そしてわかりやすい本質のみにまとめて、自ら発見した知識を教えてくれるのだ。複雑で難しい内容を、シンプルでわかりやすい140文字にまとめて知らせてくれる。

    発言者は、難解な部分を自分の頭の中で処理して、そして得られた結果のみを効率的に教えてくれる。一種の「server-side processing」と見ることもできよう。発言者は、最大限に情報をわかりやすくするために、懸命に苦労してくれる。発言者の目論見がうまくいけば、その発言者の得た知的成果を苦労せずに手に入れることができるということになる。研究に研究を重ね、理解を深めるために人生の全てを投入するということなく、他の人が得た知識を共有することができるのだ。

    たとえば私たちは、世の中を量子物理学者のように眺めたり、あるいは映画評論家のものの見方で映画を見てみたり、あるいはアーチスト、探検家、あるいはアントレプレナーのように感じてみることもできるわけだ。「普通」の人であっても、物事の理解の仕方には「特別」なところがある。友人の立場にたって外界を眺めてみるというのも面白いものだ。

    もちろん、ツイートを読んでいるからと言って、自らがそれぞれの分野における専門家になるようなことはない。しかし人生は短い。複雑な世の中にあって、すべての分野における専門家になるような時間はないのだ。そのような中で、次善の策を提供してくれるのがTwitterだ。物事を本当に理解している人の知見を自らのものとするチャンスを与えてくれるのだ。

    人類に、石炭がダイヤモンドになるような「進化」を遂げさせようとするのが、Twitterの大きなチャレンジだと言えよう。Twitterにはそうしたパワーがある。ただ、Twitterはそうしたパワーを利用者に充分には伝えきれていないようにも思うことがある。

    興味深いツイートをする人を見つけ出してフォローすることが難しくなり、そしてフォローしておく価値のある人をアンフォローしたりするようになっているのが現状だろう。Twitterの提供するフィルタリングなしの会話というのは、どうしても無駄話が多くなりがちだ。また何かを伝えようとするよりも、自慢話をしたいという人も大勢いる。こうした面をなんとかしなければ、潜在能力が顕在化することなく消え去ってしまう危険性もある。

    人類はこれまでのも、知識を皆で共有しようとする試みを続けてきた。しかし誰もが手軽に利用できるという形での成功にはたどり着くことができなかった。しかしTwitterのおかげで、大金を使って知識を買い漁る必要もなくなり、あるいは長い研究機関に何千冊も本をよまなくても、「叡智」を味わって見ることができるようになった。図書館や研究室閉じこもることなく、いろいろな物事を知ることが出来るようになったのだ。また、求める知識を持つ人と、直接の知り合いではなくても、いろいろな話を聞くことが出来るようになった。誰とでもコミュニケートすることのできる手段を、Twitterは提供しているのだ。

    知識などの共有ということを言うのであれば、それはTwitterに限ったことではない。情報の共有をするのが、そもそものインターネットの目的でもあった。しかしTwitterの文字数制限や、本質にあるリアルタイム性が、密度の濃い、直接的な、読む人にわかりやすい知識を伝えてくれるのだ。知識を得るための事前の努力というのが不必要になりつつある。
    また、Twitterは孤立していた熱狂的なファンなどの間にコミュニケーションを生み出させ、コミュニティを構築することもできる。被抑圧者に情報を提供して、権利行使を容易にするといった面もある。これまで声をあげられなかった人々に、意見表明の機会を与えることもできる。

    Twitterが何の役にたつのかなどと尋ねられたら、今後は自信を持って教えてあげて欲しい。世の中のいろいろな人の専門知識を、誰もが活用することができるツールなのだと。各人の進む道は違えども、ようやく「人類の叡智」によって進化することができるようになったのだ。

    (訳注:筆者はTwitterはまだまだ便利に使えるのだということをアピールしたいと、心から感じているようです。以前に同じ趣旨で書かれた「Twitterは、大勢をフォローしてもフィードを見やすく保つための方法を提供すべき」もご覧ください)

    [Images Via Fail Whale designer Yiying Lu]

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    (翻訳:Maeda, H


    強制的にメディアプレビューを表示するTwitterのやり方には大反対(但し理屈にはあっている)

    いよいよ時が近づきつつある。Twitterは上場に焦点をあてて活動を行っている。そしてもちろんマネタイズについても真剣に取り組んでいる。たとえば、最近投入された新機能も、まず広告主のことを念頭において実現されたものだ。それに加えて、いわゆるメインストリームユーザー(さほどテック系に詳しくない一般の人)の気持も掴みたいと考えている様子。

    今回の記事でまず注目しておきたいのは、ビジュアルコンテンツをタイムラインに表示するようになったことだ。ウェブ版、Android版、そしてiOS版のいずれにおいても、ストリーム内で写真および動画プレビューが見られるようになった。

    (ハロウィーンの時期と重なったことは、全くの偶然というわけでもなかろう。新機能を強くアピールするのに、ハロウィーンコスチュームの投稿による盛り上がりはうってつけの機会だ。またフロントカメラとリアカメラの写真を合成して投稿できるFrontbackなどでも、ハロウィーン関連投稿は多く見られた)

    そもそもTwitterとは、140文字の中につめ込まれた、密度の濃い情報伝達行うというところにオリジナリティを持つものであった。しかしビジュアルメディアとの連携を深めるに連れて、そのオリジナリティも変容しつつもあるようだ。

    非常に多くの写真共有アプリケーションが世に登場していることからもわかるように、写真というのは非常に魅力的な素材で、利用者の目をひくものだ。別の言葉で言えば、文字コンテンツを押しのけて自己主張をする面もある。こうした素材をタイムラインに投入することで、情報消費のやり方は大きく変わっていくことになる。

    写真があると、どうしても視線はそちらに引かれる。広告主はとしては、ぜひとも使いたいコンテンツだろう。興味のないプロダクトであっても、派手な写真にはどうしても目がいってしまう。写真素材にはそういう性質があるのだ。

    しかし文字情報のやり取りを主とするところにビジュアル要素を持ち込むと、どうしても文字情報の伝達能力を落ちてしまうこととなる。

    単純に物理的な要素もある。ビジュアルメディアを埋め込んだツイートは、文字だけのツイートよりも大きな場所を占めることになる(もちろん改行があれば話は別だが)。よってタイムラインの見た目は投稿された写真やVineのビデオが大きな面積を占めることとなっていく。

    さらに、ビジュアルを多用した広告投稿が数多く見られるようになるのだろう。ビジュアルを活用することで、文字情報中心のやり取りの中で「目立つ」広告を配信することができるわけだ。

    こうした流れはつまり、コミュニケーションの密度を希釈化してしまうということもできるだろう。タイムライン上でビジュアルコンテンツが広いエリアを消費することで、情報量が減じてしまうことになるのだ(今でもノイズだらけになってしまうと感じる人もいるかもしれないが、人気のテレビ番組やスポーツなどのリアルタイムイベントが、ますますTwitterを耐え難いものとしてしまう危険性もあると思う)。

    もちろん、流される写真やビデオは邪魔にしかならないと言っているわけではない。しかし見るか見ないかの判断が利用者の手から奪われることにはなってしまったわけだ(これまではテキストを読んで、面白そうだと思ったらリンクをクリックしてメディアファイルを表示するという流れだった)。

    たとえばTwitterのウェブにも、ビジュアル情報が流れてくるのを止める方法はない。強制的に視線を持っていかれるという意味で、Google+やFacebookでのコンテンツ消費スタイルに近づいたということが言えるかもしれない。

    Twitterによるモバイルアプリケーションではビジュアルメディアの表示をオフにすることもできる(おそらく速度とデータ量を気にする人が多いからだろう)。しかしウェブ版には、これをオフにする機能はつけていないとTwitterが言っている。

    オプトアウト機能を実装しない理由があるのかという質問に対しては、今のところまだ返信はない。

    すなわち、もしTwitterの魅力が迅速な情報伝達にあると考えている(ビジュアル情報などは余計なものだと考えている)場合、たとえばTweetbot(Mac App Storeにて2000円で販売されている)などのサードパーティー製クライアントを使う必要があるわけだ。

    (Twitterは提供APIの機能を制限することにより、サードパーティーの動きをコントロールしてきた実績がある。ビジュアル系をオプトアウトする仕組みも、そのうちに制限されてしまう可能性はあるだろう)

    個人的には、強制的にメディアプレビューを表示する今のやり方は、とても「クール」とは言えないものだと思う。サービスのクオリティが下がったようにも感じてしまう。但し、もちろん逆の見方もあるのだろう。ビジュアル情報というのは、情報をわかりやすく伝えることもできる。また、メインストリームユーザーを取り込むのにも役立つだろう。全ての情報がテキストの中に埋め込まれている状態が、誰にでもわかりやすいものだとは言えないのだ。つまり、今回のTwitterの判断にも合理的意味があるわけだ。

    文字情報のみで構成されるタイムラインは、使い慣れた人にとっては便利なものだろう。しかし、いったいどういうものなのかとTwitterを使いはじめる人にとっては、とっつきにくい面があったことも事実だ。Twitterの狙いとしては、より広いそうにアピールして、そしてメインストリームユーザーを獲得していくことが大事なのだ。巷間言われる成長の課題に対応しようとしているとも言える。

    つまりTwitterはテック系以外の人にも、より多く使ってもらうようにしていきたいと考えているわけだ。そうした方向性を示すのは、ビジュアルコンテンツのプレビューを行うようになったことのみに現れているわけではない。

    たとえば8月には、@リプライによる会話の流れを示す会話ビューにおける表示順の変更を行っている。但し、物理的な表示幅が広がってしまったことと、通常のタイムラインと別の考え方で接する必要が出てしまったことで、既存の形式に馴れた利用者からは、むしろ改悪であるとの声も聞かれた。

    しかし新しくTwitterの世界に入ってきた人にとっては、会話の流れがわかりやすくなり、どういうサービスなのかを理解する助けになったのではないかと思われる。

    Twitterがこうした「一般化」の方向性を目指す中、ちょうど母親のTwitterアカウント開設を手伝う機会があった。設定するうちに、誰もフォローしていない状態からTwitterを役立つものにしていくのは、なかなか大変であることを思い知らされた。

    自分のタイムラインに表示する人を探すのもなかなか苦労する。自分が興味を持っていることを呟いている人を探すのも簡単なことではないのだ。Facebookは知り合いとのネットワークを構築するというのが第一の目的だ。しかしTwitterについては、母の周辺では使っている人もほとんどいないという状況なのだ。こうした状況もあって、Twitterは新加入者に対して有名アカウントのフォローを推奨しているのだ。多くをフォローする中で、Twitterの愉しみを理解して欲しいと考えているわけだ。

    TwitterのIPOが間近に迫り、投資家たちの注目も改めて集まることとなっている。そうした中でTwitterは、サービスを一般の人の中で広げていく方法を多く提示していく必要があるのだ。そうした中で本質部分にもいろいろと手を加える必要があり、それは時にベテラン利用者の気持ちを逆撫ですることになったりもしている。

    また、多くのサービスが写真共有や、Instagramなどのようなビジュアル要素を活かしたソーシャルネットワークの開発に注力していて、また注目も集めている。Twitterとしてもそうした流れにのるために、テキストだけの世界から抜け出す必要性を感じていたりもするのだろう。

    タイムラインに写真などを表示して見栄えをよくしてみるというのは、Twitterの今後の方向性の沿った改良だということだ。ただ、ずっとTwitterを使っていて、文字情報による伝達密度の高さを気に入っていた人たちに対し、オプトアウトの手段を与えていないことには不満を感じる。

    対象とするメインストリームユーザーがオプトアウトしてしまうような間違いを防ぎたいという気持ちもあるのだろう。ならば設定画面を非常に深いところに置いてもらっても結構だ。これまで使い慣れていて、そして気に入っているTwitterを奪い取らないで欲しいと思うのだ。

    視線をあちこちに彷徨わせて、面白そうなものをうろうろと眺めていたいということなら、もうとっくにGoogle+などのサービスに移っていたと思うのだが…。

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    (翻訳:Maeda, H


    ザッカーバーグ、新たな使命を語る―次のターゲットはインターネットにアクセスできない50億人

    ユーザーが10億人に達した後もFacebookは前進を続けている。それどこころかインターネット・ユーザーの全員がFacebookに加入しても終わりではない。「世界をよりオープンでより結び付けられた場所にする」というFacebookの使命は地域や収入を問わず文字通り「世界中の人々」を対象としている。ファウンダー、CEOのマーク・ザッカーバーグが「われわれはインターネットを拡大するというより困難な課題に取り組むためにFacebookを再編成中だ」と語った理由はその点にある。

    先月、ザッカーバーグはInternet.orgを立ち上げ、自ら執筆した10ページのホワイトペーパーを掲載した。これはテレコミュニケーションとモバイルのハード、ソフトの6社(Samsung、Ericsson、MediaTek、Nokia、Opera、Qualcomm)をパートナーとするインターネット・アクセス拡大のためのイニシアチブだ。

    Internet.orgの目的は、新たなデータ圧縮技術、ネットワーク・インフラ、ビジネスモデルを創出することによってデータ・アクセスのコストを劇的に下げ、誰もがスマートフォン経由でインターネットにアクセスできるようにすることだ。これは非常に重要な点だ。というのもスマートフォンを利用するコストの大部分はデータ通信料金にあり、本体の価格はほんの一部に過ぎないからだ。

    Interet.orgはFacebookがもっとユーザーをかき集めるための仕掛けにすぎないという批判も出そうだ。しかし、これは本質的には利他的な事業である。インターネット・アクセスは教育を普及させ、ひいては人々の自己実現、貧困の追放を助ける。インターネットの普及は常にGDPの増大をもたらしてきたし、親しい人々が常にコミュニケーションを取り合うことを可能にする。たしかにインターネットのさらなる普及はFacebookの売上を伸ばすだろう。しかしザッカーバーグがこの事業を始めた動機は単にそれだけではない。一言でいえば「世界中の人々を結びつける」というのはFacebookの新たな使命だ。

    TechCrunch Disruptカンファレンスのステージで「手法は変わってきたが使命そのものは変わらない」とザッカーバーグは語った(インタビューのビデオは下にエンベッドしてある)。

    ザッカーバーグはこのインタビューで「会社には2種類ある。何をするかが本質の会社と具体的に世界を変えることを使命とする会社だ。Facebookは後者でありたい」と語った。ザッカーバーグはビル・ゲイツをもっとも尊敬する人間の一人として挙げたが、その理由はMicrosoftが「世界のあらゆる家庭とオフィスにコンピュータを」という使命を持ち、かつそれを実現させたからだ。

    ただし、ザッカーバーグによれば「本当に意味のある価値というのは賛否の議論を巻き起こすような主張からしか生まれないというのが私の信念だ。正直であれ、などという誰も反対しようのないお題目は意味のある価値を生むことはない」という。

    Facebookの「賛否の議論のある主張」の一つが素早い行動は完璧にまさるというものだ。Facebookの社員はプロダクトを作り、作ったら即座に試し、それを繰り返すことを求められる。プロダクトが完全なものになるまでじっと座っていることは許されない。「このモットーのおかげでこれまでとんでもないトラブルを背負い込んできた」とザッカーバーグは笑う。ときには「ブレーキをかけて不具合を直せ」という主張が正しい場合があることも認めた。しかし本質的にみれば「速く動け」の哲学がFacebookに停滞を許さず驚異的な速さで進歩させた原動力なのだという。

    この哲学がFacebookに10億人のユーザーをもたらした。しかしザッカーバーグは「もちろん始めからそんな目標を持っていたわけではない。誰も朝起きて、『そうだ、人類の7人に1人をユーザーにする事業を始めてやろう』などと思うわけはない」と謙遜した。しかしマイク・アリントンが「本当に世界中の人間をユーザーにするつもりか?」と尋ねると持ち前の強気で「もちろんそうだ」と答えた。しかし現実には無理だろう。というのも特定の仕組みを嫌う人間が必ず存在するからだ。インターネットには「Facebook嫌い」はいくらでも存在する。しかしそういう人々もSMSやメールやTwitterは使っているかもしれない。Internet.orgとFacebookの使命は人々にインターネットへのアクセスとコミュニケーション手段の選択の自由を与えることだ。

    「人間はお互いに密接に結びつくことを欲する存在だ」というのがザッカーバーグの信念だ。ザッカーバーグは目を輝かせて「それがわれわれがこうしてFacebookを運営する理由だ」と断言した。

    [画像:Anton Balazh / Shutterstock.com]

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    (翻訳:滑川海彦 Facebook Google+