iPhone 5が発売された頃から、私はAppleを「アーキタイプ」[元型]製造元だと考えるようになった。本質的でない装飾を取り去ることによって、彼らは自社製品を純粋なエッセンスにまで煮詰めた。
彼らは、テクノロジーを改善するための金と人月を、目に見えるより見えない方法に費やす意識的決断を下した。しかし、この決断は両刃の剣だ。私は当時これを書き、今でも真実だと思っている。
…物事がアーキタイプになった時、それは不協和音や破壊を生きがいにする人々にとって本質的につまらなくなる。iPhone 5が発表された時、IT記事で不評だった理由はそこにある。それは正確さと制約の行動であり、われわれの見果てぬ創造性のための遊びではない。
iPadは、iPad Airで似たような変革を遂げた。そのことが市場に出す際に興味深い問題を引き起こす。
何かがその最も純粋な形にまで洗練された時 ― 自分たちにそれを改善する能力があることを、どう人々に納得させられるだろうか? iPad Air 2は、様々な基準で初代から改善され、画面のラミネーション等、見るべきところを知っていればすぐにわかる部分もある。
そして、今日から放映される最新CM ‘Change’ でAppleは、iPadと他製品との決定的な違いであり続ける部分を真正面から強調した:人々が使う有能なアプリだ。iPadは、デベロッパー ― 主として自分の使っているもののために作る人々であり、iOSを使っている ― の間で驚くべきマインドシェアを占め続けているため、Appleは作りではなく出来映えを見せることができる。広告でスペックを誇張することはできるが、結果は意図せぬ笑いを呼び、本当に人々がデバイスについて考えることとはかけ離れてしまう。
“Change” CMの要点をいくつか挙げる:
- 極めて新しいビジュアルスタイルを取っており、これは新しいiPadの広告に関して、代理店の提案モデルではなく、より協働的アプローチを取っているからかもしれない。
- iPadは、人々が自分なりの利用場面を書き込める白紙として焦点を当てられている。からっぽのデバイスがそれを使う人々によって満たされていくのは、アーキタイプとして正しい。Appleはデバイスを消えさせることも厭わない。
- Appleの主要な長所であるアプリと利用率の高さに焦点を当てているのは、うまいやり方だ。世界のタブレット市場シェアは、OSではAndroidが支配しているが、純粋な金銭的価値と利用時間は、未だにiOSから生まれている。iPadの販売は前年から減少しているので、今年のホリデーシーズンはAppleにとって興味深く、このCMは良い足がかりだ。
- CMは、iPadを崇拝の対象ではなくツールとして位置付ける仕事もきちんとこなしている。以前のCMには、20世紀半ばの2~3人の子供たちがいるモダンなリビングルームでiPadを愛でる場面がよく登場した。Appleが前のiPad Airキャンペーンを延長した時、私は人々がもっと「普通」のことをしていてもワクワクさせられると指摘した。今回は、それが実によく実行されていると感じた。
新CMはAppleのウェブサイトで見られる(YouTubeでも公開されたので上に埋め込んである)。
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(翻訳:Nob Takahashi / facebook)