【編集部注】執筆者のBen DicksonはTechTalksを立ち上げたソフトウェアエンジニア。
人間の目の動きを測定したり、目の動きに反応したりするテクノロジーは以前から存在するが、最近テック業界ではアイトラッキングテクノロジーに注目が集まっている。大企業がアイトラッキング関連のスタートアップを買収する動きは至るところで見られ、同テクノロジーを搭載したデバイスやソフトもいくつかリリースされている。
「アイトラッキングセンサーを使うことには、主にふたつの利点があります」とアイトラッキング企業Tobii Techでヴァイスプレジデントを務めるOscar Wernerは話す。「まず最初に、アイトラッキングデバイスは常にユーザーが何に興味を持っているかというのを把握することができます。そしてふたつめに、アイトラッキングテクノロジーによって、他のものは何も変化させずに、コンテンツとの新しいふれあい方が生まれます。つまりユーザーとデバイス間でやりとりする情報の量が増加するんです」
近いうちに、アイトラッキングが新しい世代のスマートフォンやノートパソコン、デスクトップモニターの標準機能として導入され、ユーザーとデバイスのコミュニケーションの形が変わってくるかもしれない。
「アイトラッキングテクノロジーはここ1年で、将来有望な技術という存在からさまざまな分野のコンシューマー向け製品に採用されるまでになりました」とWernerは付け加える。
デジタル広告会社Impax MediaのCEOのDominic Porcoは、安くて高機能なハードウェア、オープンソースの新しいソフトウェアプラットフォーム、そして以前よりも簡単に速くデータを収集してアルゴリズムを訓練できるような方法が誕生したことで、アイトラッキングテクノロジーが進歩したと語る。
「NVIDIAのような企業が、強力なGPUを搭載した製品を競争力のある価格で販売し、画像認識のスピードアップに貢献しています」と彼は言う。
さらにPorcoは、Amazon Mechanical Turkのような人気のクラウドソースサービスが登場したことで、これまでよりも大量で広範なデータを使って画像認識アルゴリズムを訓練できるようになったと言う。「このような技術の進歩のおかげで、アイトラッキングテクノロジーの進化の速度は大幅に向上し、研究者やディベロッパーは実験から実装までにかかる時間を短縮することができています」
特定のニーズやユースケースを満たさない限り、どんなテクノロジーも成長することはできないが、アイトラッキングに関して言えばそんな心配は無用のようだ。
仮想現実(VR)
ユーザーがより没入できるプロダクトを開発するために、VRヘッドセットメーカーはアイトラッキングテクノロジーの分野で大規模な投資を行っている。アイトラッキングテクノロジーは、さまざま観点から見てVRを補完するような存在だと考えられているのだ。
「VRは没入感が全てです」とTobiiのWernerは語る。「しかしVRヘッドセットにアイトラッキング機能がなければ、システムが勝手にユーザーはおでこの向いている方向に立っているキャラクターへ話しかけようとしていると判断してしまいます。つまり、ユーザーの注意はおでこと同じ方向に向けられていると理解されてしまうんです。でもそうではないですよね。私たちは目で見ているものに注意を向けていて、顔の方向と目で見ているところが一致しないというのはよくあることです。そのため、没入感を高めるためには、ユーザーの目の動きを計算に入れないといけないんです」
さらにアイトラッキングはフォビエイテッドレンダリング(Foveated Rendering)に欠かせない技術だ。フォビエイテッドレンダリングとは、中心窩(細かなものを認識する網膜の一部)で認識される箇所だけを高画質でレンダリングする手法のことを指す。
フォビエイテッドレンダリングを使えば、描画しなければならないピクセル数が30〜70%減少し、処理能力を節約することができるため、フレームレートを上げることができ、人間の視界を再現するには24Kくらいの画質が必要とされる中、4K対応のヘッドセットでも高画質な映像を楽しむことができるようになるとWernerは言う。
またWernerいわく、VRグラフィックをレンダリングするときに目の動きを勘案していないと、画像に歪みが発生することがあるが、これもアイトラッキングテクノロジーを使えば抑えることができる。
KickstarterプロジェクトのFoveは、初めてアイトラッキングを標準装備したVRヘッドセットだ。他社も彼らに追いつこうとしており、ここ数ヶ月のうちにGoogleとFacebookが、アイトラッキングスタートアップのEyefluenceとEye Tribeをそれぞれ買収し、今後彼らの製品にアイトラッキングテクノロジーが搭載されるようになると考えられている。
さらに、アイトラッキングテクノロジーの分野においてはリーダー的な存在にあるSMIも、スタンドアローンのVRヘッドセットやスマートフォンを挿入できるVRゴーグルに同テクノロジーを搭載するため、さまざまなプロジェクトや他社との協業に取り組んでいる。
またアイトラッキング機能は、現在開発中のKhoronos VR APIと呼ばれるオープンな規格にも含まれる予定で、OculusやGoogle、NVIDIAといった企業がこの動きを支援している。
「アイトラッキング機能が第2世代VRヘッドセットの重要な要素になる、と多くのメーカーが考えており、その結果、同テクノロジーの開発やイノベーションが促進されています」とWernerは言う。
PCゲーム
HTCはまた新たに、部屋全体を使ったゲームが上手く機能することを証明するようなVRデモを実施した。
何十年にもわたって、私たちはゲームパッドやジョイスティック、キーボード、マウスといった周辺機器を使って、ゲームのキャラクターの向きを変えてきた。ここでもアイトラッキングが使われれば、ゲーム機が勝手にプレイヤーの向いている方向を感知し、反応できるようになる。
「気になるモノがあれば、目を向けてボタンを押すだけでよくなります」とWernerは言う。「コンピューターはアイトラッキングテクノロジーを利用して、プレイヤーが気になっているモノが何なのかわかるので、プレイヤーはマウスやコントローラーを使ってわざわざ目で見ているものを指し示さなくてもよくなります」
気になるモノを調べるときや狙いを定めるとき、キャラクターの進む方向を決めるときや、単にカメラ位置を切り替えるときにも、アイトラッキング機能が備わっていれば、プレイヤーの操作はもっと楽になるかもしれない。マウスやコントローラーの高度な操作が必要になるゲームは、特に大きな影響を受けるだろう。
その結果、これまで難しいと思われていたゲームが急に簡単になってしまう可能性がある一方で、もっと動きの速いゲームが誕生する可能性もある。
また、UIもこれまでよりクリーンで邪魔にならなくなるだろう。
「グラフィックアーティストは、長い時間をかけて美しいゲームの世界をつくりあげていきます。その一方で、UIデザイナーは彼らの作品の上に没入感を損なってしまうようなUI要素を設置しなければいけないため、両者の間には常に争いが起きています」とWernerは語る。
しかしアイトラッキングを導入すれば、普段はUIを隠したり透明にしたりして、プレイヤーがUIの方を見たときだけ表示する、といったことが可能になるとWernerは説明する。「そうすれば没入感はさらに高まり、グラフィックアーティストとUIデザイナーの争いもなくなります」と彼は言う。
さらにゲーム内でのシミュレーションや仮想世界に関し、アイトラッキングテクノロジーを使えば、視線を感知するオブジェクトをつくることができるので、ゲーム内のアイテムやキャラクターがプレイヤーの視線に反応し、やりとりがもっとリアルになるとWernerは話す。そうなれば、お気に入りのRPGをプレイするときに、酒場で傭兵のカバンをジッと見ないように気をつけないといけない。
Tobii Techは、拡張型のアイトラッキングデバイスや、アイトラッキング機能が搭載されたノートパソコンなどを販売しているほか、ゲーム会社と協同でRise of the Tomb Raider、Deus Ex、Watch Dogs 2といった人気ゲームにアイトラッキング機能が追加されたバージョンをリリースしてきた。
アイトラッキングがすぐにコントローラーに取って代わることはなさそうだが、Wernerいわく、この技術のおかげで、「PCゲームは人間の目という、情報をやりとりする上で最も強力な手段を使えるようになり、プレイヤーは、マウスやコントローラーの補助として自分の目を使えるようになります。その結果、他の要素はそのままに、もっと自然にゲームをプレイできるようになるでしょう」
医学とアクセシビリティ
アイトラッキングテクノロジーの長所は、コンシューマー向けプロダクトの世界を超えて、データを解析したり調査結果を得たりするのに目の動きの測定が欠かせないような分野にまでおよぶ。
「アイトラッキングを神経発達症の診断、さらには治療に使っていこうという考えが広まってきています」とバイオメトリクス関連の調査会社iMotionsでサイエンスエディターを務めるBryn Farnsworthは話す。「例えば、赤ん坊は一般的に、人の顔が大きく映ったソーシャルな要素のある画像を好む傾向にあります」
彼によれば、将来的に自閉症になる可能性の高い赤ん坊は、幾何学的図形が中心の画像を好む傾向にある一方、ウィリアムズ症候群の子どもの状況は全く逆で、通常よりもソーシャルな画像を好む傾向にある。
つまり、「目の動きを解析することで、神経発達症の初期段階での診断が可能になるかもしれない」とFarnsworthは言う。
カリフォルニア大学サンディエゴ校の生徒が発表した研究では、目の動きは年齢や発達レベルに関係なく計測することができるため、アイトラッキングテクノロジーが自閉症の初期症状を見つけるための客観的な手法になり得るとされている。
iMotionsのような企業は、効率的かつ正確に患者の状態を判断・理解するため、研究者がアイトラッキングデバイスを通じてデータを収集するサポートを行っている。
RightEyeという企業は、アイトラッキングテクノロジーを使って、単純な脳震とうからアルツハイマーや失読症まで、内科医がさまざまな疾患の検査をする際や、その兆候を見つける際のサポートをするとともに、自閉症の子どもの治療にも助力している。
さらにアイトラッキングは、身体的な障害を持つ人の生活にも大きな変化をもたらす可能性があり、特に安価なコンシューマー向けデバイスが市場に出回ればその可能性はさらに広がる。「これはアイトラッキングの発展的な使われ方で、現在も研究が進められています」とTobiiのWernerは話す。さらに彼は、目線を感知するキーボードや、アイトラッキング機能を備えたコントローラーが誕生すれば、脳性麻痺の患者や脊髄を損傷してしまった人が新たなコミュニケーション手段を手に入れることができ、彼らは身の回りのものを操作できるようになるほか、セラピーを通じて色んなスキルを伸ばせるようにもなると指摘する。
広告
現状では、インプレッション数やクリック数が広告効果に関する最良の指標とされているが、このような数字は、広告キャンペーンの効果を正確には反映できていない。というのも、インプレッション数としてカウントされるものの多くは、人間の手によるものではないのだ。しかしこの状況も、アイトラッキングテクノロジーの導入で変わってくるだろう。
「広告効果を測定する世界共通の指標について、広告業界では現在大きな混乱が起きています」とImpax Media CEOのPorcoは言う。「広告ブロッカーが広まり、ボットによるトラフィックが増加する中、時代に合った形で広告効果が測定できるよう『可視性(Viewability)』のコンセプト全体が現在見直されています」
ここでもアイトラッキングテクノロジーを使えば、オンライン広告企業は、ウェブページに表示された広告を何人が実際にその目で見たかというのを測定できるようになる。現実的には、全てのコンピューターとモバイルデバイスにアイトラッキング機能が搭載されるまで、本当の意味で正確なデータを集めることはできないが、同技術を使うことで、少なくともユーザーと広告の関わり方についての洞察を得ることはできる。
しかし、オフラインでは既にアイトラッキングを使った仕組みが効果を見せはじめている。
「市場調査会社は、消費者調査を目的に、小売店内の広告のような家の外にある広告に触れている人から直接生体データを計測し、その人たちについて分析しようとしています」とPorcoは言う。
彼がCEOを務めるImpax Mediaは、自社で開発した屋内用の広告スクリーンからお店を訪れたお客さんの注目度を測定するために、最近アイトラッキングテクノロジーをはじめとしたコンピュータビジョンの分野に重点的に投資している。「そのうち広告業界は、インプレッションではなく注目度に関する指標を重視するようになると私たちは考えています。そして注目度を測定する上では、アイトラッキングが1番有効な手段であることは間違いありません」とPorcoは話す。
彼によれば、広告主や広告の掲載場所を提供しているお店は、アイトラッキングから得られたデータをもとに、さまざまな角度からお客さんが興味を持っていることについて知ることができる上、場所や時間、デモグラフィックといった別のデータとお客さんの関心事の相関関係も導き出すことができるようになる。「限られた予算で最大限の効果を得ようとしている広告主も、在庫やスタッフのシフトを管理しなければならない店舗のマネージャーも、アイトラッキングを使って有益な情報を得ることができます」とPorcoは話す。
小売企業は顧客情報を集めることで常に何かを得ることができるものの、顧客情報を集めること自体はグレーエリアでたびたび物議を醸しており、個人情報に関する法規制の対象となり得る。しかし個人と結びついた情報を集めなくても、年齢、性別、視点、どのくらいの間広告を眺めていたかといった匿名データを入手できれば、十分有用な洞察が得られるとPorcoは強調する。
市場調査
マーケットリサーチャーにとっては、「全ての販路とタッチポイントで、製品やサービスに対する消費者の思いや関わり方を評価すること」が大事だとイタリアの市場調査会社TSWでUXリサーチャーを務めるSimone Benedettoは話す。
さらに彼は、最近のアイトラッキングテクノロジーの進歩によって、ニューロマーケティングの実験に(研究所内外どちらで行われる実験についても)新たな可能性が出てきたと説明する。
「製品やサービスの設計・評価にあたって、ユーザーの意見は欠かせません」とBenedettoは話す。「しかしこの意見という言葉には、ただユーザーが質問に答えた内容だけでなく、製品やサービスに触れたときの彼らの目や脳から得られる客観的なデータも含まれています」
TSWはモバイルアイトラッキング機器やその他のウェアラブルデバイスを使って、デジタル(オンライン広告、モバイルアプリ、ウェブサイト、ソフトウェアやデバイスの操作画面など)とフィジカル(印刷物、製品パッケージ、車、家具、小売店舗など)の両方で、さまざまな製品やサービスに対するユーザーや顧客の反応を正確に計測しようとしている。
ユーザーと製品・サービスの自然な触れ合いの様子を測定することができれば、ユーザビリティ上の本当の問題点や、ユーザーのフラストレーションがたまりやすい箇所を特定できるようになり、顧客満足度やエンゲージメントの向上にむけた施策や、設計に関する判断を下す根拠となるような情報を集められるようになる。
「この業界における昨年の動きで最もインパクトがあるのが、モバイルアイトラッカーから収集したデータの解析に、オブジェクトトラッキングが導入されたことです」とiMotionsのFarnsworthは話す。ここで彼が言っているのは、人の目が向いた先にあるモノを背景とは切り離して認識し、それぞれのモノがどのように観察されていたかという情報を記録するプロセスのことだ。
「例えば、ある被験者が小型のアイトラッキングメガネをかけていつも通り過ごした場合、身の回りにあるものにどのように注意を向けていたか――外を歩いているときにどのくらい地図を眺めていたかや、通り過ぎた広告に気づいたか――ということを、自動的に分析することができるんです」とFarnsworthは語る。「どこに、どのように注意が向けられているかということが自動的に分析できれば、人間についての理解が深まるだけでなく、もっとさまざまな可能性が広がっていくでしょう」
「個人的には、UXやニューロマケティングの調査にアイトラッキングテクノロジーを利用したいというニーズはかなりあると思っています」とBenedettoは言う。「アイトラッキングを使えば、バイアスをできるだけ排除した形でユーザーの行動を測定できる上、その測定結果を客観的かつ量的なデータに変換することができます。これまで長い間、私たちは主観的なデータに頼ってきましたが、この状況を変えるときがきました」
アイトラッキングテクノロジーの未来
回路が埋め込まれた青眼の拡大写真(デジタル合成)
TobiiのWernerは、この先コンピューターの使い方が大きく変化すると言う。タッチスクリーンやマウス・タッチパッド、声、キーボードに続く5つめの入力手段として目が使われるようになり、他の入力手段と目を組合せて使うことで、生産性や直感的な使いやすさがさらに向上していくと彼は考えているのだ。「マウスやキーボード、声などを使ったどんな操作にも視線は先んじるため、今後アイトラッキングを利用したもっとスマートなインターフェースが誕生すると思います」とWernerは話す。
視覚は五感の中でもっとも情報摂取量が多いため、目の動きをデジタルにトラックして測定できるようになれば、意識的かそうでないかはさておき、コンピューターへの意思の伝え方が大きく変わってくるだろう。
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(翻訳:Atsushi Yukutake/ Twitter)