先端技術企業を立ち上げる際に避けるべきこと、やるべきこと

【編集部注】著者のShahin FarschiLux Capitalのパートナー。

強力なツール、すばらしい才能、そして熱心な投資家からの際限のないドルの流れによって、明日のテクノロジー企業を始めるには、今は素晴らしいタイミングである。好奇心に溢れ野心的な創業者チームたちが、現実の問題を解決するためにそのスキルを注ぎ込んでいる。以下に述べるのは、私たちの未来を明るく照らす、9つのエキサイティングなスタートアップカテゴリの中で、共通する落とし穴を避けながら、堅実な価値を構築する方法についてである。

画像:Bryce Durbin/TechCrunch

拡張そして仮想現実(ARとVR)

仮想現実と拡張現実は、もうすぐ来ると言われ続けてほぼ10年が過ぎている。しかし、新しいVRコンテンツ、ポータル、ハードウェアが目白押しなのにもかかわらず、従来の2Dコンテンツが相変わらず主役の座を占めている。

避けるべきこと:コンシューマーハードウェアを開発してはならない。その通り、仮想現実ヘッドセットは高価で嵩張るものである。一方、拡張現実の忠実度はまだ低いままだ。Magic Leapは、ハードウェアの製造とマーケッティングに必要な膨大な資金を調達するという素晴らしい仕事を成し遂げた。しかし、コンシューマエレクトロニクスの設計、製造、販売、マーケティングのビジネスは、一般にはスタートアップの対象外である。

Sony、Google、Samsung、LG、Lenovo、HTC、そしてAppleのような企業は、そうした機械から利益を得ることができるし、まるで際限がないかのように、資金をそれらの作業に注ぎ込むことができる。その一方で、他のスタートアップたちは、VR/ARコンテンツを消費させる場所になろうとしている。そしてスタートアップたちと同様に、Amazon、Netflix、Apple、Google、そしてFacebookといった大手企業たちも、自身のプラットフォームのためのマーケティングに資金を投入し、それを育てるためにコンテンツに資金を提供している。

やるべきこと:消費者を引きつけて、彼らがお金を払い、時間を捧げてくれるような魅惑的なコンテンツを作り上げることに向けて努力しよう。Atariは、消費者が約800ドル(インフレ調整済み​​)を支払っても良いと思わせるだけの、魅惑的な体験を生み出すことに成功した。そのグラフィックとサウンドはいまではお話にならない位貧弱だが、Atariの初期のタイトルの成功は、イマドキのコンテンツに惨めな思いをさせるほどのものだ。

2Dのコンテンツに化粧を施してよしとするのではなく、ARならびにVRネイティブな体験を生み出すクリエイティブな才能が必要とされているのだ。パン、ズーム、そしてセリフなどで動画と写真が区別されるようなものだ。ゲームセンターや映画館に相当する、VRコンテンツを消費する場所が必要とされているのだ。残念ながら、人々が携帯電話をヘッドセットとして使用したり、家庭内に機器を設置したりすることは、もはや狙うべき戦略ではない。 ARとVRのコンテンツはまだPong時代を迎えてもいないのだ(PongはAtariが最初期に出したシンプルなビデオゲーム)。

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AI

学者や大企業は、AIをPRの材料に使っている。計算コストの低下によって、この何十年も前から存在する技術は実用的なものとなった、そして小切手を読み取り、写真の中から猫を見つけ出すアルゴリズムなどが拡大解釈されて、やがて殺人ロボットが世界を支配するのでは、という恐れにつながっている。

避けるべきこと:最高を目指すAI企業を立ち上げてはならない。投資家たちと才能がこのセクシーなキャッチフレーズに向けて引かれ合った日々は、終わりに近づいている。ユニークな実現技術で新たな数十億ドルベンチャーを始めて成功するよりも、AIが既存の製品やビジネスをより良くできる可能性の方が遥かに高い。

「AI企業」をスタートさせることは、クラウド企業、モバイル企業、インターネット企業を設立することに相当する。Salesforce、Facebook、Amazonの陰には、数千もの失敗したスタートアップがあった。また、自分たちの利便性のために、この技術を活用した多くの既存企業も存在している。失敗したスタートアップたちは、なんとか資金を調達し、誇大広告で人を集めることはできたものの、実際のビジネスを構築するための戦略に欠けていたために、それほど前には進むことができなかったのだ。

やるべきこと:AIを製品の改善や新しい市場へのアクセスのために用いる、多くのツールの1つとして活用する方法を探そう。理想的には、AIを優れた製品を支える秘密の武器として使ったり、特定のカテゴリの顧客にリーチして効率的に獲得するための道具として利用したりすることが望ましい。実際に、マーケットから会社を「AI企業」だとは見て欲しくない筈だ、その代わりに(見えない所でAIが支えている)魅力的な製品で新しい市場を切り拓く企業だとみてもらおう。

ハードウェアアクセラレーションAI

AIチップ企業は白熱している。IntelによるNervanaの4億ドルでの買収と、Nvidiaの株価の急騰が触媒となって、データセンターや、携帯ならびに組込機器上で、ディープニューラルネットを訓練するチップを開発するスタートアップたちが続出した。

避けるべきこと:従来のデジタルチップ設計をAIに向けて最適化しようとしてはならない。チップ会社を作ることは本当に難しい。多くのチップ会社が売上を増やすまでにあまりにも長い時間がかかったことで失敗している。チップ企業たちは複雑な製品を、気紛れで、保守的で、果てしないサポートを要求してくるエレクトロニクス企業に対して売っている。チップ会社が、少量しか購入してくれない顧客のサポートで手一杯になって、潰れてしまうことはありがちだ。チップのスタートアップたちは、より良い経済性を達成するために、新しいテクノロジーを追求して、より多くの資金を調達しなければならなくなり、顧客との間に一大転機でも起きない限りはその動きが繰り返される。

やるべきこと:顧客たちに対して、あなたのチップを使えばできることは何かを尋ねよう。さもなくば、現在のサプライヤー(Intel/QCOM/Nvidia/TIなど)のチップではできないことについて尋ねてみよう。もしパフォーマンス、コスト、サイズなどの改善が10倍に及ばない場合は、キッチンナイフで銃撃戦に臨むようなものだ。どうすれば、あなたの桁違いの改善が、新しいカテゴリーの製品につながる可能性が出てくるのかを考えよう。Broadcom、Qualcomm、InvenSense、Atherosなどの成功したチップ企業は、どれもみな新しい製品カテゴリー(ケーブルモデム、携帯電話、モーションセンシングビデオゲームコントローラ、ラップトップと携帯電話のWi-Fi)を可能にした。あなたのチップはどんな魅力的な製品を可能にするだろうか?

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宇宙技術

インターネットから宇宙に目を向けた起業家Elon Muskは、航空宇宙関係者でなくても奇想天外な会社を作ることができることを世界に証明した。

避けるべきこと:宇宙経済のインフラ整備に焦ってはならない。Mark Twainの言葉として引用されるものに「歴史はそのまま繰り返されることはないが、しばしば韻を踏む」というものがある。投資家たちは、産業革命が進行している最中、鉄道建設のために何十億もの損失を抱えたが、 鉄道輸送に依存した産業たちに莫大な利益をもたらした。また投資家たちはインターネットのインフラを整備する間にも、何十億ドルという金を失ったが、eコマース、ソーシャル、モバイル、そしてSaaSたちがそれを活用して利益を得た。衛星打ち上げ事業、宇宙通信、鉱業、マイクログラビティ実験室などの見通しはそれとは全く違うものになるのだろうか?

やるべきこと:大規模な既存市場および将来の市場に対応するための宇宙を活用したビジネスを構築しよう。SpaceXは、政府および商用衛星事業者の既存のニーズに対応するために、事業を開始した。Planet頻繁に地理空間画像を安価に取得する新しい市場を創出するために、新しいデザインの衛星を開発し運用している。

通信衛星を開発、打上げ、サービス、あるいは提供する計画をまとめる前に、宇宙そのもののことはとりあえず忘れて欲しい。いま事前のコスト(衛星を設計し、製造し、打ち上げるなどのコスト)が必要な総括的な事業を立ち上げていると仮定してみよう。そしてそれにはロングテール型のキャッシュフローが伴っているとする。このキャッシュフローは、その事業が地道なものであろうと奇想天外なものであろうと、他のどのプロジェクトよりも実質的に高い収益(財務用語では、IRR:内部収益率)を達成しなければならない。その収益率は、まだ成功することが証明されていない製品や、新興市場のリスクを補うのに十分なほど高い必要があるのだ

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自動運転車

自動運転車への道のりに横たわる、数々の問題に打ち勝っていく会社を始めたいという誘惑に逆らうのは難しい。ではその問題とは…

避けるべきこと:1点もののソリューションを提供する会社を立ち上げてはならない。およそ50程の大企業が、様々なレベルの技術を追いかけている。コンピュータービジョン用のセンサーから、人間と物との弁別、振舞予測、運転計画、他の車や道路との通信などまで、様々なものがある。一方バックエンドには、開発ツールや地図、そして車を安全に保つためのサイバーソリューションを開発する企業がたくさんある。

残念なことに、自動運転技術はあまりにも初期段階であるため、これらの要素をどのように組み合わせるかということも未定である。私が好きなたとえ話は1960年代の計算機事情だ:そのころIBMはなんでもやっていた。チップや回路基板の製造から、メタル・キャビネットの折り曲げ、そしてマシン上で実行される、プログラミング環境、コンパイラー、およびアプリケーションに至るまで全てを提供したのだ。もしIBM謹製の、スクリーンやキーボード用の掃除用具があっても私は驚かないだろう。

やるべきこと:あなたが売り込もうとしているサプライチェーンの流れを、近くで真剣に観察しよう。もし従来の自動車向けの運転支援機能を提供しようとしているのなら、既存の自動車業界のサプライチェーンの性質を理解しなければならない。なお伝統的にそれはスタートアップにとっては非常に過酷なものである。他のスタートアップたちが討ち死にをしたマーケットで、会社が生き残り繁栄できる程の、ユニークで特別な何かを、あなたの会社は持っているのだろうか?

もしロボットカーの技術を開発しているのなら、多くのスタートアップたちや大企業のR&Dグループによって開発されているシステムに、あなたの技術はどれくらい簡単に適用することができるのだろうか?私の予想:それは簡単ではないだろう。テクノロジーの開発を始めるずっと前に、顧客について知っておかなければならない。各顧客ごとに設計し直さなけれなならないような製品を、追い求めることは避けるべきだ。残念ながらそれは急速に成長しようとするベンチャーの足を引っ張るばかりなのだ。

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マンマシンインタフェース

心で機械を制御したり、機械で心を制御したりすることは、SFの領域に任されてきた。それが最近では、科学者は現代のAIツールを活用して私たちの心の奥底を覗き込み、病気の治療や、機械に対する未来のインターフェイスの開発に応用しようとしている。

避けるべきこと:私たちの心で制御できたり、あるいは心を制御したりする機械(恐ろしい)を作ろうとしてはならない。私たちは信じられないほど洗練された脳-機械インターフェース、すわなち私たちの体、を持って生まれてきた。私たちはおそらく、車輪が発明される前から、話したり、歌ったり、踊ったり、描いたり、書くたり、音楽を作ったり、そして物語を語ることができた筈だ。棒の先の泥で描かれた単純な絵文字は、おそらく洗練された深層学習に裏打ちされた最高級のヘッドセットよりも、より良く感情を伝えることができるだろう。そして、私たちの幅広い視覚、聴覚、嗅覚、そして触覚は、私たちの直感と組み合わさって、私たちの脳に飛び込んでくる超高速道路の機能を果たしている。

やるべきこと:私たちの体に既に備わる、豊かな入出力システムと連携して、忘れられない体験を生み出そう。このアドバイスは聞いたことがあるって?その通り、AR/VRの創業者たちがすべきことと同様のものだ。ジョイスティックはAtariの成功の鍵となったが、ゲームセンターのユーザーに積み上げた硬貨を次々と投入させたり、親たちに800ドル以上(インフレ調整済)の金をAtari 2600に払わせたのはパックマンとPongというゲームそのものだったのだ。

視覚、聴覚、嗅覚と組み合わせ、おそらく個々人の履歴によって訓練された脳のインターフェースは、忘れられない経験をもたらすことができるだろうか?それぞれの個人に合わせて調整されて、他にはない官能的な体験につながるような、刺激の組み合わせを人工ニューラルネットによって生成することは可能だろうか?

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教育

私たちの教育システムは変革の時を迎えている。edXとCourseraが世界最高の教育者たちを、地球上のあらゆる場所に連れて来ているが、そこにはまだ革新の余地がある

避けるべきこと:私たちの古典的な教育モデルの範囲内で構築してはならない。現在使われているシステムは大恐慌直後に発明されたものだ:それが生み出された時代は現在とは社会規範も、キャリアプロフィールも、雇用主も、そして学生からの期待も大きく異なっていた。私の父親の世代では、4年間の教育で生涯のキャリアのための準備を整えられると考えられていた。それに2年から5年間の大学院教育を加えることで、追加の収入とより強い雇用保証が約束されていた。

今日、学部で必要な25万ドルという学費に対して、それに見合った収入につながるという見通しは確実なものではない。伝統的な教育の要素を、電子プラットフォーム上に移植するだけでは、すでに混雑している教育用「製品」の市場に、単に別の選択肢を提供するだけのことだ。

やるべきこと:常に変わり続ける職場のニーズに必要とされるスキルを、常に予想し学生たちに与えることができるようにしよう。テクノロジーは労働のあらゆる側面に急速に浸透しており、ニュースで一般的に叫ばれていることとは異なり、それは労働者たちを置き換えようとはしていない。その代わりにそれぞれの能力を拡大しようとしているのだ(さらに詳しく後述する)。

学生と一緒に進化し、彼らのキャリアを通して寄り添い続ける教育ツールを発明しよう。価値ある生涯教育ツールは、職場の変化するニーズを予測し、自動的にトレーニングを提供する。このコンセプトは、医療従事者たちには新しいものではない。文献を追い続け、常に再認定され続ける必要がある。残念なことに、規制の緩い分野の専門家たちは、訓練を追求する先見性を個々人が持たなければならないが、年齢と共に家族への責任が重くなってくることがそのことを困難にして行くのだ。

さらに、医療以外の分野では知識は効果的に広められていない。AIを使用して、特定の分野のベストプラクティスを特定し、それらを広めることは可能だろうか?未来の教育ツールは、変化する労働に必要とされるスキルセットを予測し、パーソナライズされたトレーニングを提供できるだろうか?

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ブロックチェーン

暗号通貨(仮想通貨)の背後にある不安定性と投機性は、ブロックチェーン技術の力そのものと並んで、多くの起業家たちに、暗号通貨を使ったスタートアップの起業について真剣に考えさせている。

避けるべきこと:投機の勢いに飲み込まれて踊ってはいけない。多くの人が1990年代のIPOバブルを忘れてしまったようだ。その当時のことを振り返ってみれば、何らかの形で「インターネット」とつながりがある「いかなる」企業も、値上がりが期待されるという理由で公開を勧められていたのだ。間違って株式を買ってしまった者たちもいた。彼らの買った株はみるみる急上昇して行った…音楽が止まるまでは。なので、あなたの提供するコインが、ただコインだという理由だけで、適切だと考える投機家たちを食い物にしてはいけない。

やるべきこと:単純な質問をしてみよう:ブロックチェーン技術があなたのビジネスをどのように支えてくれるのか?それを使うことでユニークな製品は提供できるのか?それを使うことで、既存製品の売上は改善するのか?それを使うことで、市場への浸透性が増したり、ネットワーキング効果は高まるのか?

もしコインオファリングをやりたいと思っているのなら、ビジネスの成長に合わせてどのようにあなたの暗号通貨の価値が増えていくのかについての、はっきりとしたシナリオを描くべきだ。ブロックチェーンのどのような性質が、この価値創造の中核となってくれるだろうか?より多くのユーザーが参加し多くの取引が行われることで、どのように通貨の本質的な価値が生まれるのかについての、しっかりとした仮説を立てておこう。

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ロボット

ロボットが仕事を創造するのかそれとも破壊するのかについては、盛んに議論されてきた。パワフルな計算力、アルゴリズム、安価なセンサーとアクチュエーターは、創業者たちに面白い自動化企業を立ち上げるチャンスを与えてきた。このことによってより生産的で競争力のある人間の労働力が生み出される。

避けるべきこと:人間を置き換えようとしてはならない。歴史を通して、発明家たちは人間を模倣する巧妙なガジェットを作り上げてきた。しかし、最も成功したマシンたちは、人間の力を拡大するもので、それらを置き換えるものではなかったのだ。ロボット執事として働く、2足歩行のヒューマノイドを作ろうとしてはいけない。工場の床で、人間のいた場所に立つ仕掛けを作ろうとしてはいけない。受注処理センターの中を走り回り、人間よりも速く箱をピッキングするようなロボットを作ってはいけない。

やるべきこと:人間に力を与えよう。組立ライン技術は工場労働者の生産性をより高めたために、普及することができた。コンベヤーベルトとバーコードは、人間による仕分けや注文の取りまとめをより速くすることができたので、すべての受注処理センターに導入された。

工場や倉庫にはすでに多くの自動化が導入されている。これ以上人間を支援するにはどうすれば良いのだろう?そのロボット支援によって、収益にはどのような影響があるのだろうか?事業者の投資回収率はどのくらいだろうか?その回収された利益は、広く顧客に分配されるのだろうか?あるいは特殊なニーズを持った少数の見込み客に対して限られるのだろうか?

それが、車やiPhoneの組立であろうが、Amazonの受注処理であろうが、部屋の掃除だろうが、皿洗いであろうが、はたまたルームメイキングやグルメ調理であったとしても、尋ねられるべきことは以下の問いだ(1)そのロボットはどのように労働者の人生を良い物にできるのか?、(2)労働者の生産性の定量的な改善率はどのくらいになるか?要するに人間が中心なのだ。

ここでのアドバイスは一貫している:人間を重んじること。素晴らしく多様な人びとを引きつけて、強力な文化で絆を作り上げることで、あなたのスタートアップはわずかなリソースで予想以上の結果を生み出す力を得ることができる。投資家たちはこのような予想以上の業績達成動向を素早く把握し、より多くの人材を引き寄せるための資金を注入し、そのことが更に多くの売上を引き寄せる。こうして好循環が生み出され、あなたのスタートアップは競合相手より1歩先を行き、既存の大企業はバックミラーの中に小さくなって行く。そして新しい市場に力を与える新しい製品を可能にする新技術が創造され、すべての人類がその素晴らしい未来に近づくことになるだろう。

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(翻訳:Sako)

ベンチャーキャピタルが、おべんちゃらキャピタルに化ける時――過剰な資金調達は毒

【編集部注】Eric PaleyはFounder Collectiveのマネージングパートナーである。

これまで私は、効率的な起業家精神(efficient entrepreneurship)の利点についてたくさん書いてきた。その視点に関して私は概念的に説明し、有り余る資金が有望な企業を殺してしまう仕組みを説明してきた。そして71のIPOのデータから、たとえ成功していたとしても、資金調達額と良い結果の間には相関関係がないことも示した。こうした説明が、それでもまだ概念的過ぎるという人びとに向けて、今回私は、このブログポストをまた別の感情 ―― 富への欲求 ―― に対して訴えかけるように構成してみた。

調達額を抑えたり、調達時期を遅らせることは、単に良い会社につながるだけでなく、創業者もより豊かになることにつながるのだ。

ZapposあるいはWayfairの創業者。あなたがなりたいのはどちら?

私はハーバードビジネススクールに通うMBAの学生たちに対して、しばしば質問をして挙手をしてもらう。君たちがなりたいのはZapposか、それともWayfairか?学生は皆、Zapposが成功事例だと知っている。一方、その多くはWayfairについて聞いたことさえない。スマートな学生たちの10人中9人がZapposを選ぶのだ。

Zapposは教科書に載るような成功事例だ。彼らは、シリコンバレーの最高のVCたちから段階的に資金を調達した。創業者であるTony Hsiehは、その型破りなアプローチなリーダーシップによって、雑誌の表紙を飾り、書籍が書かれることにもなった。同社がAmazonによって、8億5000万ドルから12億ドルの間の価格で買収されたとき、Hsiehが手にしたのは2億1400万ドルから3億6700万ドルである。もちろんこれは大した額だ。この成功によって、Zapposは創業者たちが学ぶべきお手本になったのだ。

しかし、研究すべき対象だということが創業者たちにあまり知られていない、より優れたeコマースのスタートアップストーリーたちが、他にも存在しているのだ。

Zapposと違い、Wayfairは家具の工場直送販売を行うeコマース企業だ。創設者、Niraj ShahとSteve Conineはビジネスをゼロから立ち上げ、Googleのアルゴリズムに対して最適化することで素早い成長を果たした。例えば何百ものSEOフレンドリーなURL(www.racksandstands.comのようなもの)を購入し、トラフィックを集約したのだ。同社は最初の月から利益を出していたが、多くのVCからの申し出を尻目に、彼らはビジネスが5億ドルの売上を超えるようになるまで、外部の資本を導入せずに成長したのだ。同社のことを、強固で、安定し、そして少々退屈な企業だとみる人もいるだろう。しかし創業者たちは、2014年のニューヨーク証券取引所へのIPOで最高の笑顔を見せることになる。同社にまつわる数々の注目すべき属性の中には、創業者たちの金銭的成功も含まれている。

創業者のそれぞれが、IPOの時点で同社の株式の約29%を所有していた。以後彼らは定期的に株式を売却しているが、同社の現在の市場価値が69億ドルであることを考えれば、Wayfairの2人の創業者は、それぞれがZapposの全株主を合わせたものよりも多額の金を手にしたことになる。別の言い方をするなら、並外れて資本効率の良いビジネスを構築し、会社に既に大きな価値が生まれてから初めて資金を調達したことで、Wayfairの共同創業者たちは、Hsiehのおよそ10倍の金を手にすることができたのだ。私ならShahとConineの方になりたい。

早期の資本を最小化する

おそらく、この違いは家具市場と靴市場の相対的な違いによるものだ、と言いたい人もいるかもしれない。公正を期すために言っておくならば、家具ビジネスは、靴市場の約2倍の大きさである、とはいえ靴産業は、顧客の反復注文が多く、輸送コストは安く、試用と返品のやりとりが少ないため、おそらくeコマースにより向いていると思われる。

業界の動向が重要な役割を果たすことはあるものの、違いを生み出すのは企業の資本戦略であると私は考えている。Wayfairは、会社を設立するためや、早期の成長を加速するための資金調達は行わなかった。もし途中で資金調達をしようと思ったならばそれは容易だったことだろう。しかし彼らが初めて資金調達をしたのは、ビジネスを劇的に拡大し、既に大きくて健全な会社に投資を行うべきタイミングに来た時だった。彼らは多額の資本を取り込むことを躊躇うことはなかった。Waifairが調達した資金はZapposの調達した資金の3倍に達している。しかしそれは会社の市場での優位性が確立し、膨大なスケールメリットを出せるようになった後であり、希釈性は最小に抑えられた。

金が全てではない

あまりにも早期に資本を導入して、あまりにも希釈してしまうと、最終的な払い戻し金額以上の波及効果がある。Hsiehは、Amazonに売却を行った後、株主からの圧力によって会社を売却することを強制されたのだとほのめかした。関係者は皆一財産を築いたものの、個人的な意向が軽んじられて、5年も早く金銭的な決定が下されたことは残念なことだ。もしZappos自身のコントロールがそのまま続いていれば、Hsiehは彼の会社を成長させ続けることができただろう。そしてWayfairの成功に肩を並べることも可能だったかもしれない。IPOの時点でも半分以上の株式を所有しており、限定的な希釈の範囲で資金を調達したWayfairの創業者たちは、彼らの運命をコントロールできる大きな自由を持ち、現在でもなお驚異的なビジネスを展開することができた。

TrueCar対CarGurus

さて、また同じ質問をしてみよう。どちらの自動車eコマース会社がお好みだろうか?TrueCarまたはCarGurusのどちらの創業者になりたいか挙手をお願いする。以下の表を見る前に答を決めて欲しい。

その通り、遥かに少ない資金調達しか行っていないCarGurusは、TrueCarと同程度の利益率を持ち、そして遥かに速く成長している。よってその価値が3倍以上に及ぶ。

CarGurusはあまり資金調達を行っていなかったために、Langley SteinartはIPOの時点で会社の29%を所有していた。これはTrueCarの価値全体に匹敵する金額だ。IPOの時点で、TrueCarの創業者であるScott Painterは自社の株式の約14%を所有していた、もちろん相当な額であることは間違いない。しかしそれはSteinertがCarGuruで所有する額の10分の1に過ぎないのだ。

たとえ成功していても、より多くの資本がより良いビジネスにつながるとは限らない。反対に調達額を抑えることで、個人的な資産を増やし会社に対するより多くの自由を確保することが可能になるのだ。

これらは大きな成果である

これらのそれぞれの例で、どちらの会社も成功し、創業者たちは目覚ましい経済的成功を収めている。私が起業家たちに思考実験を課してみると、彼らはしばしば抵抗しながら、有名なブランドを作り上げるチャンスをものにするためなら、個人的な金銭的利益は喜んで抑えることができるなどと言う。彼らは、たったの1億ドルならびに名声と引き換えに、10億ドルの銀行口座をドブに捨てようと言うのだ。しかし実際にはこんなトレードオフが創業者に与えられることは滅多にない。

より一般的なイグジットは、数十億ドルのIPOではなく、5000万ドルから1億ドルの買収によるものだ。適度な金額を調達すれば、それは素晴らしい結果をもたらす可能性がある。しかし、もし数千万ドル(場合によっては数百万ドル)を調達したならば、すべてではないにせよ、多くの場合買収によるイグジットオプションは閉ざされてしまう。過剰資本企業が直面する可能性の高い選択肢は、5000万ドルを調達してベンチャー投資家に優先権を手渡すか、破産の危機に直面し従業員全員を解雇する羽目になるかのどちらかである。どちらの場合でも、創業者にはほとんどまたは全く返ってくるものがない可能性が高い。

設立から10年が過ぎて、WayfairとCarGurusはそれぞれそのライバルに比べて、より価値のあるビジネスとなった。そして創業者たちはその軽量金融戦略の恩恵を大いに受けている。しかしそれ以上に価値のあることは、選択の自由があるということだ。

彼らはベンチャーキャピタリストたちや並外れて大きな評価額の影響を受けていないために、その過程で5000万ドルでも5億ドルでも、売却を行うことのできる自由度を有していた。こうした創業者たちは、売却すべきか否かを、その資本構成ではなく、ビジネスの業績とリスクに対する意欲に応じて、決定することができる。1億ドルのスタートアップを恥じる必要はないのだ。しかし創業者たちは早々とそのオプションに飛びつくべきでもない。

たとえ成功したとしても、多すぎる資本はコストが高く、安心していてはならない。その一方で、効率的な起業家精神には、軽んじてはいけない多くの利点がある。Niraj Shah、Steve Conine、Langley Steinertらに尋ねてみると良い。

[原文へ]
(翻訳:Sako)

FEATURED IMAGE: RUSSELL WERGES

いまさら聞けない「対米外国投資委員会(CFIUS)」とは?

オープンソースコミュニティの大多数の人びとにとって、コードとテクノロジーは「フリー」(「自由」という意味と「無償」という意味を兼ねている)なものとして捉えられている。より良い現在と未来を追求するために、人類すべてと共有されるべきものなのだ。しかし、政府の視点はそれとは異なっている。彼らの心の中では、テクノロジーは他の国に対して競争優位をもたらす戦略的資産なのだ。これらの資産は富と雇用、そして最終的には国内の平穏へとつながるのだ。

米国はテクノロジーリーダーであり、自身の競争上の優位性を守るための、強力な経済戦争ツールを所有しているのだ。そうしたツールの1つが、CFIUS、またの名を対米外国投資委員会(Committee on Foreign Investment in the United States)という組織である。おそらく読者は最近その名前をニュースで耳にしたことがあるかもしれない。例えばBroadcomからQualcommへ行われた巨額の買収提案の影響に関するニュースや、海外からのスタートアップへの投資を規制するために、議会が条項の強化を検討しているといったニュースだ。

そして最近CFIUSは、ある一国のためにますますその重要性が増している。それは中国だ。世界の超大国としての中国の継続的な拡大よりも、基本的な経済的ストーリーは、ほとんど考えることができない。1980年代初頭の控え目な資本主義に対する実験から、今日の巨大な存在に至るまで、中国の経済的な発展はまさに驚異的なものだった。その成長を支えてきたのはテクノロジーとサイエンス研究に対する貪欲さであり、最初は海外の大学を通して、そして今では自前の開発を通して追求が行われている。

中国の富が増えるに連れ、世界で最も先進的なテクノロジー企業を所有したいという欲求も高まってきた。それがCFIUSの介入につながるのだ。米国の最新の国家安全保障戦略(National Security Strategy)の中では、中国を「戦略的な競合相手(strategic competitor)」と呼んでいる。緊張が高まるにつれて、CFIUSは技術業界を最終的に支配するのは誰か、という闘いの中心に鎮座することになった。

要するにどういうことなのか?

CFIUSについて詳しく説明する前に、例を挙げて説明しよう。あなたはテクノロジー企業の創業者であり、AIスタートアップ(AIは皆スタートアップなのだからこの表現は冗長だが)を、控え目な段階から世界レベルのユニコーン企業(評価額が10億ドルを超える未公開企業)へと育て上げた。あなたのスタートアップの名声が世界に轟く中で、シリコンバレーの主要なテクノロジー企業たちからの買収提案が入り始める。

しかし、その中に中国企業からの買収提案が混ざっているのだが、その内容が桁外れなのだ。それは国内企業からの提案よりもはるかに高額なもので、さらに素晴らしいことに、中国企業はいかなる意味でも介入は行わないと約束してくれる。これまで会社に心血を注いできたときと同様に、会社の成長には完全な自由を与えるというのだ。

あなたは彼らと契約を結ぶ…だが、やがてあなたの顧問弁護士がやって来てこう告げるのだ「大変です。CFIUSが介入してきました」。

結局CFIUSとは何か?

CFIUSは、外国企業による経済取引(合併や買収など)を調査し、国家安全保障を守る政府委員会だ。財務長官が同委員会にの議長を務め、そのメンバーには司法省、国土安全保障省、商務省、国防省、国務省、エネルギー省の長官、そして米国貿易代表部、ホワイトハウスの科学技術政策局長が含まれている。

CFIUSには膨大な数の関連する法律手続、そして規制があり、高度に専門化された弁護士たちが、関係する手続きを扱っている。「対象取引」のみがCFIUSの審査を受ける必要があるのだが、何が国家安全保障上の懸案事項とみなされるか否かはすべて解釈次第である。

通常この審査プロセスは、2社が取引を行うことを決定し、CFIUSが関与する可能性が高いと考えたときに開始される。両社は共同で委員会に対して自発的に届出を行い、その取引や会社の歴史、ならびに規則によって要求される他の情報の説明を行うことになる。そしてCFIUSは、30日以内に取引に対する裁定を行う(これはさらに45日延長することができる)。 稀に、大統領の判断に委ねられる場合もある。

関与する企業にとって最善の決定は、CFIUSが介入を行わないという決定(”safe harbor”という名前で知られる)を下す場合である。しかし、もしCFIUSが国家安全保障上の懸念があると考えたならば、関係者に対して様々なものを要求することができる。完全に取引を中止させることもできれば、承認するための特別な条件を取引に付加することも可能だ。当事者たちは、それに従って取引を完了させるか、さもなくば破談となる。

CFIUSが実際に取引を中止させたことはあるのか?

ある。しかしこの質問に正確に答えるのは難しい。なぜなら参加者たちは多くの場合、委員会の命令に従う形ではなく、自発的に取引を中止するからだ。もともとCFIUSは1950年の国防産業法の成立を受けて設立されたものであり、議会調査局が指摘するように、その運営はほとんど「詳細不明」な形で行われていた。

だがその形態は、近年2つの理由で変化を遂げた。1つは海外企業による米国企業の買収に伴う緊張の高まりによるもので、特に2005年に起きた、Dubai Ports Worldによる米国の6つの港の運用管理権の獲得の動き以降、顕著となってきたものだ。第2に、グローバリゼーションによって、世界中の企業がパートナーシップと買収目標を追求し、世界的なM&A取引量を大幅に増やしているからだ

Dubai Ports World論争の頃、2005年には、CFIUSに対して合計64の届出が行われた。その数字は2007年には138へ増加し、その後の大不況の際には減少したものの、2014年には新たなピークとなる147の届出が行われた。

さらに重要なのは、CFIUS調査の数が増えたことだ。ブッシュ政権の終わりである2005年から2007年の間に、委員会に届いた313件の届出のうち、実際に調査されたのはわずか14件(およそ4.5%)に過ぎない。しかし2009年から2015年の間に委員会に届いた770件の届出に関しては、310件が調査され、その比率は40.3%となっている。

中国が関わる件数はますます増加している。2005年から2007年にかけての、中国関連の取引は、313件の届出のうち、わずか4件(1.3%)だけだった。しかし、2013年から2015年の間では、中国の関与は387件中74件となり、全ての届出の19.1%を占めるようになった。これは大規模な増加であり、中国企業の経済的影響力の増大を示すと同時に、中国企業によるアメリカ企業の買収(特にテクノロジー分野での買収)に対する米国政府の懸念の増大を示唆している。その権力の一例として、CFIUSはAnt FinancialによるMoneyGramの買収を中止させた。Ant FinancialはJack Maならびに他のAlibabaの幹部たちを通じて、中国のAlibabaと密接に関連している企業だ。

CFIUSはより強力になりつつあるのか?

それはほぼ確実だ。CFIUSによる規制は、過去10年の間に劇的に変化してきた。海外の企業に対してさらなる精査が行われるようになったのだ。特に海外の国家が所有する企業がアメリカの企業を買収しようとする際にそれは顕著である。現在、議会はCFIUSをさらに強化するための様々な法案を検討している。

回覧された提案の1つには、スタートアップベンチャーキャピタル投資をCFIUSの監督下に置こうとするものがあった。現在委員会は、企業の統治を完全にあるいは大部分海外に移管してしまうような取引に対して、監視の目を広げようとしている。また提案されている法律では、重要な技術分野においては、過半数の株式の取得を規制するような変更が行われるだろう。

もしこのような法案が可決されれば、シリコンバレーのスタートアップに投資する海外のベンチャーキャピタルたちに、冷水を浴びせることになる。CFIUSのレビューが、特に初期段階のベンチャーキャピタルに対して及ぼす更なる問題は、創業者たちに出資の受け入れを思いとどまらせ、何週間にもわたるはっきりしないCFIUSの意思決定プロセスに付き合わせるということだ。

この改革法案はテキサス州の上院議員John Cornyn下院議員のRobert Pittengerによって提案されている。また、カリフォルニア州上院議員のDianne Feinsteinを含む、超党派の立法者グループもこの法案に加わった。法案に対する審議は上院で行われており、法案の最終的な文言はまだ調整中であるが、成立の可能性は高い

この議会の動きとは別に、シンガポール人が所有するBroadcomがQualcommを買収しようとした試みが、何らかの動きにつながる可能性もある。Qualcommは、トランプ政権が国家安全保障上の優先事項と名付けた、5G通信規格で争うことのできる技術を持つ、唯一の米国企業なのだ。

CFIUSの改革を上院でリードしているJohn Cornynは、BroadcommとQualcommの双方が自発的に届出を行う前に、先んじて取引をレビューするように委員会に要請した 。これは標準的な慣行ではない。もしCFIUSがそもそも取引が合意される前に、一方的にそれを中止させたなら、これまであまり知られて居なかったこの組織にとって大きな転換点になるだろう。この先数ヶ月のうちに、CFIUSが頻繁に見られるようになることを期待しよう。

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(翻訳:sako)

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われわれを分断しているのはフェイクニュースだろうか?

すべてインターネットのせいだそうだ。イギリスのEU離脱派対残留派、アメリカの共和党対民主党などの対立する層は互いに別種の現実に住んでおり、相手陣営に向かってあらゆる機会をとらえて「フェイクニュース!」と叫んでいる。メディアも政治的立場によって分裂し、FacebookとGoogleが圧倒的な地位を占めるにつれてユーザーは自分の好むニュースや検索結果しか目にしないというフィルターバブル現象も生じている。現実に対するコンセサスが失われてしまった等々…。

しかし、今週私は映画『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』を見て、そもそもわれわれは現実のあり方に対するコンセンサスなど持っていたことはなかったのだと感じた。われわれがコンセンサスと思っていたのは、実は押し付けられたものだった。マスメディアや政権は常にわれわれの前にあり、大衆に届けられるべきニュースはどれとどれであるかについて暗黙の合意があった(ノーム・チョムスキーの『マニュファクチャリング・コンセント マスメディアの政治経済学』も参考になる)。現在の倫理的な危機は政府がメディアでウソをついていたことに発しているが、実はそれははるか以前からのことだった。

大昔の歴史の話ではない。イラクの政体はベトナムとそう異なるものではなかったが、ホワイトハウスは(それに英国政府も)真っ赤なウソをつき、メディアもそれを承認して拡散した。イラクを巡る戦争は何十万もの命を犠牲にし、何兆ドルもの金が投じられた。ドナルド・トランプはなるほど嫌う人間がいちばん多い大統領かもしれないが、トランプ政権は(今のところ)リチャード・ニクソンやジョージ・W.ブッシュの政権のような戦争を始めていない。

ただし、違いもある。伝統的なジャーナリズムでは、自分たちの仕事はアメリカ市民に対して判断の材料となる証拠を提供することだというのが密かな信条だった。市民はこれに基いてそれぞれの見解を作り、投票する。つまり人々のマインドセットはエンジニア的である、新たな証拠が得られた場合は見解を修正するはずだと考えられていた。たとえそれが現在の見解に反するものであっても、新たな証拠を検討し、必要であれば見解を修正するという姿勢こそ科学、工学が成功した基礎だ。おそらく民主主義の基礎でもあるだろう。

この態度はフェイクニュースに対しても有効だ。証拠を捏造するというのは今に始まったことではない。アメリカ政府はベトナム戦争当時、都合の悪い証拠を発表しないことによってフェイクニュースを作ってきた。政治的におけるセンセーショナリズム、いわゆる政治的イエロージャーナリズムの歴史は控えめに言っても19世紀にさかのぼる。しかし人々はニュースにおける偽りや矛盾を見つけようとする、すくなくともはっきりと指摘されたときはそれを喜んで受け入れるということが前提されていた。フェイクニュースはたしかに問題ではあるが、正しい情報を得ようとする性向が広く存在することによって十分に修正され得るものと考えられた。

本当の問題はフェイクニュースが存在することではない。人々が正しいニュースを探す努力を放棄したとするなら、それこそが問題だ。エンジニアリング的マインドセット、手に入れた証拠を検討し、信頼できるものであるなら現在の見解に反するものであっても新しい証拠を受け入れるという姿勢が現在ほど希薄になった時代はない(私はこうした姿勢が常に大勢だったと言っているわけではない。民主主義がなんとか機能する程度にはこうした姿勢が社会に存在したと主張しているに過ぎない)。

しかし現状は違う。エンジニアリング的マインドセットは影を潜め、弁護士のマインドセットが優勢になってきた。このマインドセットはまず最初に対立する陣営のいずれか選ぶ。そして相手側の証拠を無視し、信用を失わせ、却下させるためにありとあらゆる努力を傾ける。逆に自陣に有利なるようならどんなガラクタであろうとモーゼの十戒を刻んだ石版であるかのように麗々しく提示する。もちろん私は現実の法律家の職務にケチをつけたいわけではない。私の友人には弁護士が大勢いるし、第一は私は弁護士と結婚している。弁護士のアプローチは激しく対立する主張から真実を発見するための優れた方法だ。

しかしこれには重要な前提がある。弁護士のマインドセットが有効なのは、十分な知識があり、慎重かつ公平な判事によって双方の主張が検討される場合に限られる。しかし民主主義一般についていえばそうした法廷は存在しない。あるいは、民主主義が機能するならそれが法廷だといえるだろう。だから民主主義が機能するためにはエンジニアリング的マインドセットが必須だ。アメリカにせよイギリスにせよ他の民主主義国にせよ、こうしたマインドセットセットが一定の水準以下に衰えるなら、それは多大なコストを伴う損失だ。

だからこそ、現代の政治的、社会的危機の原因としてテクノロジーを責めるというのは皮相だ。テクノロジーに多くの欠陥、弱点があるのはもちろんだが、「自分の見解は間違っているかもしれない。そうであるなら、それを示す証拠を検討してみたい」というエンジニアリング的マインドセットこそ(少なくとも理論の上では)民主主義を機能させる最後の拠り所として賞賛されるべき美点のはずだ。

こうなったのは冷戦終結後、共通の敵と呼べる存在を失ったことが原因かもしれない。強力な帝国も次第に衰えるのは歴史の趨勢かもしれない。世界の複雑さ、理解の難しさが増すことに対する自然な反応かもしれない。富の大部分を独占する1%の富裕層と金融ビジネスが寄生的支配体制から目をそらすために対立を仕組んでいるのかもしれない。しかし原因がどうであれ、フェイクニュースは問題そのものではない。私の見るところ、それは結果の一つであって、この根深い危機の原因ではない。

〔日本版〕カット写真は映画からメリル・ストリープ(ワシントン・ポスト社主ケイ・グレアム)とトム・ハンクス(ベン・ブラッドレー記者)。

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(翻訳:滑川海彦@Facebook Google+

もちろん都市は、テクノロジー職の雇用を創出するために戦うべきだ

都市計画に携わる人びとに大きな影響を与えるものとして、例えばAmazonの新しい第2本社(HQ2と呼ばれる)を選ぶプロセスのようものは、それほど多くはない。同社は、5万人の雇用と50億ドルの投資を巨大な人参としてぶら下げて、北米の各都市から提案書を募った( Clickholeが親しみを込めて記事を書いている)。おそらく予想はできると思うが、Amazonは238件もの提案書を受け取り今週はその中から20件のファイナリストを選んだ

Appleも今やゲームに参加したようだ。同社も今週、(少なくとも最初は)テクニカルサポートに特化した新しい「キャンパス」を建築することを発表した。まだ提案書の募集は発表していないものの、候補地の決定は「今年の後半に発表される」と同社は述べている。

市政関係者が提案書のとりまとめに忙しくしている一方で、都市思想家たちは、これらのいわゆる逆RFPに衝撃を受けている。ブルッキングス研究所で、有名なメトロポリタン政策プログラムを運営し、 NPRに対してAmazonのプロセスについて語ったAmy Liuは、「実際の日々の経済開発活動がどうあるべきかに対する、大きな混乱を招いている」と述べている。これは明らかに雇用創出ではないというのだ。

もっと不吉なことに、シアトルタイムズのスタッフコラムニスト、Danny Westneatは、AmazonのHQ2プロセスを獲得しようとする都市たちに対して「Amazonは繁栄爆弾を、あなたがたの街で爆発させようとしている」と警告している。

繁栄爆弾とは!たぶんハワイが警報を発することだろう。

しかし、これらの全ての批評家たちに欠けているのは、過去30年間に経済が劇的に変化したという視点だ。労働者や市民、都市、州、さらには国の政府ですら、誰もがより良い仕事とより良い収入を得るために競争を繰り広げている。中国が猛烈な勢いでAI人材を米国から本土に連れ帰ろうとしているのは、イリノイ州が従業員給与に対する課税戦略を狙って、Amazonに対する提案を行っていることと類似の戦略なのだ。

Amazonのプロセスへの各都市からの対応は、私が把握している限り以下のようなものだ:北米の238都市は、わずか数週間で、Amazonを自分たちの地域に呼ぶために提供できるものに関する、それぞれの提案書をまとめ上げることができた。ボストンはグリーンライン(鉄道)をSomervilleに延伸するまでに、数十年もの年月を費やしたがSomervilleに対する誘致案をまとめるために必要だったのはわずか数週間だった。

これが私が好感を持ち始めた、政府の意思決定の速さだ。

こうした政府へのアプローチ方法は、いまや物事を成し遂げる唯一の方法になり始めている。YIMBY(Yes In My Back Yard:何かの開発(主に新しい住宅)を支持する)運動が過去2年間に学んだように、サンフランシスコの1棟のアパートの承認を得るために、何百時間もの議論が必要になる可能性があるのだ。しかし、都市が雇用や投資のために競争するときには、ほとんど即座に決定を下すことができるように見える。

批評家たちはしばしば、税収の点にのみ着目するが、一方これらの経済開発提案が、他の手段では陽の光を当てることができないような、インフラストラクチャプロジェクトのライフラインであるという事実には目を向けようとしない。

GEの新しい本社に対する、ボストンの入札を考えてみよう。もちろん、 ボストンは約2500万ドルに及ぶ固定資産税の優遇を提案した。しかしGEの動きはまた、様々なインフラ整備に資金を回すための動機となった。その中には Northern Avenue橋と新しい自転車専用車線も含まれる。この橋は、ボストンの中央商業地区にアクセスする車両や歩行者にとって大切な経路となっているが、何年もの間、資金を集めることができなかった。

理想的には、政府はこうした種類のインフラプロジェクトやコミュニティの改善について、議論し、投票し、資金を提供することも可能だ。しかし現実は、逆RFPプロセスのような、時間に迫られた外圧がなければ、都市や州がこれらのプロジェクトを進展させることは、ほとんど期待できないということである。米国流民主主義の中では、議論は文字通り永遠に収束しない可能性がある。

したがって、もしあなたが市長または経済計画担当者だったなら、こうした(逆RFP)プロセスをツールとして活用して、成果をあげることができるのだ。新たな雇用と税収の魅力を利用してインフラ支出を促進し、頑固な市議会を説き伏せて再開発を行う。その「繁栄爆弾」を使って、都市景観の古い部分をアップグレードし、都市を将来に向けて準備するのだ。より健康的で、より人間的な都市が、すぐそこに待っているかもしれない。

さて、これらの逆RFPには多くの批判があり、その中には良い点を突いているものもある。例えば、構築されるインフラストラクチャーや提供されるインセンティブが、最終的にはコミュニティ内の市民ではなく、企業にとって役立つものになるという意味で、それらは非民主的なものとなる可能性もあるというものだ。

しかしAmazonやその他のハイテク企業の場合、その技術従業員たちの流動性は高く、質の良い都会的な設備を備えた街を選ぶ傾向があるため、会社だけが便益を得るということは考えにくい。もしAmazonがやってきて「税金を減額し、大量輸送手段を削減せよ」と言ったなら、彼らは雇用したいと思っていた様々な人材を取り逃すことになるだろう。言い換えれば、ここには市場としての制約があり、Amazonの都市に対する目標は、都市の住人たちと多くの点で一致しているのだ。

また別の批判は、税制上のインセンティブそのものを巡るものだ。企業が場所を移動するために、政府が補助金を与えるべきかどうかは、意味のある問いかけである。特に企業と都市がお互いを活用している場合には。だがそうであったとしても、企業への補助金は特に目新しいものではなく、彼らが煽り立てるような問題でもない。

企業への補助金を、何年にも渡って監視している非営利団体のGood Jobs Firstは、およそ400社が5000万ドル以上の補助金を受け取っていることを示すデータを所有している。実際に、こうしたプログラムは何年も継続しており、中には非常に筋の悪い事例も見かけられるものの、経済開発補助金を効果的に活用した都市の成功事例も、沢山存在している。

最後に、「繁栄爆弾」の人びとがいる(別名反成長主義者としても知られている)。ビジネスを誘致する際に都市が直面する課題は、こうした人たちへの対処である。こうした人たちは新しい建築に反対し、新しい住宅に反対し、次世代の世界的都市への成長を契機を掴む代わりに、過去の「住民にやさしい」都市像に必死でしがみつこうとする。

そうした人たちに言いたいことは:では「すぐに投票しよう」だ。

これらのプロジェクトでは誰も不利益を被る必要はないし、ゼロサムである必要もない。しかし、都市はもはや、労働者や企業に場所の選択肢がなく、結果として最適ではない都市を受け入れる結果になるような行動を、この先取ることはできない。現実には、市場の働きにより、あまり野心を持たない都市は、21世紀に向けて大胆な開発を行うビジョンを持った都市の影に、隠れてしまうだろう。結局のところ、その選択肢は都市が握っているのだ。Amazonではない。

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(翻訳:sako)

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暗号通貨バブルはイノベーションを絞め殺している

以前からバブルかもしれない、バブルっぽい、と言われてきたが、いや間違いなくバブルだ。しかしこれは良いことでもあると擁護する声もある。これまでバブルは必要な分野に注目と資金を集めるために役だってきた。バブル投資がインフラを作り、それが結局イノベーションの基礎となった、というのだ。

たとえばドットコムバブルだ。大勢の投資家が金を失ったが、これによって全世界がファイバー回線で結ばれ、安価なデジタル通信が可能になった。AmazonやGoogleが登場したのも結局はドットコムバブルの遺産だ。最近の暗号通貨バブルも同じようなものだ…というのだが。

しかし私の意見ではこうした合理化の試みは脆いものだ。なるほど部分的には正しいが、それ以上のものではない。暗号通貨の現状をみると、投機的利用法が他のあらゆる利用法を押しのけてスポットライトを浴びている。現在の暗号通貨の価値上昇はもっぱら投機によるものだ。

ほとんどの「暗号通貨トークン」は大げさに飾りたてられているものの、Ethereumのブロックチェーンに格納されたハッシュ値にすぎない。実際の内容は「アドレスA:10,000、アドレスB: 20,000」といった数字の列で、標準的な規格( ファンジブル・トークンならERC20、非ファンジブル・トークンならERC721)でコード化されて取引の容易化が図られている。

つまりEthereumブロックチェーンで実行されるあらゆる取引はその時価に比例した手数料がかかる。時価がロケットのように急上昇しているので(この記事を書いている時点で1000ドル)、これに歩調を合わせてEthereum上の取引の手数料は平均して2.50ドルにまでアップしている。

ハッシュ値生成に必要な計算量に比例してgas(手数料)を決定するメカニズムも実際にはあまり助けにならない。手数料は需要と供給によって決定される。これはEthereumだけではなく、BlockstackのDNSもBitcoinブロックチェーンに依存している。Bitcoinの取引に必要なコストもBitcoin価格と共に青天井で上昇中だ。

ともかく相場で一儲けを狙って何千ドルか何万ドルかの価値のトークンを取引しているなら手数料が高騰しても構わないかもしれない。しかしブロックチェーンのメカニズムを使って投機以外の目的のアプリケーションを書こうとすると事情は変わってくる。

もしブロックチェーンを利用して分散的な身元認証のようなサービスを作ろうとしても、そのコストは禁止的に高くなる。業者からブラウザが自動的に処理してくれるインターネット・ドメインを買うよりはるかに高いものになる。ユーザーが何らかのバーチャル資産を保有していることを証明するサービス、あるいは分散的ストレージへのアクセス・サービス等々を考えてみよう。トークンの取引はおろか、トークンを利用するという点だけで、そのコストは懲罰的から不可能までのさまざまな価格となるだろう。

つまりEthereumトークンを使って少しでも処理件数が多いサービスを作るという考えは忘れたほうがいい。そんなビジネスモデルはトークン価格の高騰により破滅的な結果をもたらす。Ethereumの場合、コストは常に送り手が負担するモデルであることもことをいっそう困難にする(ただしこの点については近く変更があるかもしれない)。逆に処理件数は極めて少なく、1件ごとの価値が極めて高いようなサービスなら可能だ。つまり現在のような投機だ。

Ethereumがトークン化のコストを劇的に下げる方法を考え出せば別だ。もちろん実験的サービスは多数作られてはいる。しかしほどんど誰も利用しない。こうしたサービスには好奇心の強いユーザーが近づいてみるものの、一回限りの実験にしても高すぎる手数料に驚かされている。まして日常利用するようなことにはならない。結果として、暗号通貨テクノロジーを利用する実験もイノベーションも投機バブルが破裂するまでは一時停止状態だ。

デベロッパーはブロックチェーン・テクノロジーを使ってアプリを書いても現実のユーザーが得られず、したがって現実のフィードバックも得られない。したがって新しい有望な応用分野を発見することもできない。ブロックチェーン・エコシステムの大陸は厚い氷河に覆われて活動を停止しているのが実情だ。

長期的にみて現状より桁違いに低い手数料が可能かどうかということも不明だ。 たとえばマイクロペイメント場合、普及にあたって最大の障害は手数料やインフラそのものより、むしろマイクロペイメント・サービスを利用しようというインセンティブの不足にある。AngelListのParker Thompsonはマス市場で成功する唯一の方法は手数料ゼロの分散的アプリが登場することだと論じている。この主張は正しいと思うが、手数料がゼロになった場合、ブロックチェーンを利用したスパム取引を判別したり防止したりできるのかという別の疑問が生じる。

しかし現状ではこれはあまり現実的な意味が議論だ。誤解しないでいただきたいが、私は手数料アポカリプスによって暗号通貨テクノロジーは永遠に呪われているなどと主張しているわけではない。現に、sharding, Raiden, PlasmaなどEthereumをスケールさせるための興味深い研究や開発が数多く行われている。こうした研究に対する期待は十分に高い。

しかしそうした新しいEthereumがロールアウトするまでは、暗号通貨に対してはきわめて注意深くあるべきだろう。株の値動きについて「市場は最初は投票だが最後は秤りになる」という言葉がある。つまり最初は人気投票のように動くがやがって実質を見るようになるという意味だ。現在、投機以外の暗号通貨トークン・プロジェクトは無期限の冬眠を強制されている。 本当にイノベーティブなサービスを作ろうとしているチームにとって、現在の暗号通貨バブルが弾けることは冬ではなく、むしろ春の到来を告げるものだ。

画像: Bitterbug/Wikimedia Commons UNDER A CC BY 2.0 LICENSE

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(翻訳:滑川海彦@Facebook Google+

たとえ倒産してもTeslaは偉大な会社だ

Teslaは会社としては皆に愛されている。しかしビジネスとしては? 数多くのトップクラスの投資家がTeslaの事業について不満を口にしている。たとえば「投資に対する利益という観点からはTeslaは破滅的だ」という主張がある。また「Teslaは毎分8000ドルの金を燃やしている(毎時48万ドル)」、あるいは 「Teslaはライバルがいないのに巨額の金を失いつつある―しかも近く巨大なライバルが登場する」などだ。

空売りで名高い投資家のJim Chanosはこうした問題をシビアにまとめて、「時価総額数百億ドルの上場企業が巨額の損失を出している。このビジネスは循環的だ。貸借対照表には目一杯レバレッジがかかっている。会計処理には疑問が多い。多くの幹部が会社を去っている。運営するCEOは事実に向き合いたがらない。これだけ悪材料が揃っていれば十分だ。ダニが詰まった箱のようなものだ」と述べている大勢の人間がTeslaには倒産が迫っていると考えている。もちろんこれは今に始まったことではなく、何年も前からTeslaの財務を疑問視する声は出ていた。しかしこれまでのところそうした意見はすべて間違いだった。しかし今後はどうだろうか?

今のところはっきりしたことは誰にも言えない。しかし(たとえば私のように)Teslaに何の財政的利害もない人間はTeslaが倒産しても困りはしない。

いや、冗談を言っているのではない。金がすべての成功の尺度である資本主義における企業の目的は投資家に利益をもたらすことにある―少なくとも倒産しないことにある、とわれわれは考えがちだ。もちろんほとんどの会社についてこれは正しい。しかしTeslaは別だと思う。経済学者のチャールズ・グッドハートは、ある指標が経済運営の目標になると、その指標は間もなく指標としての用をなさなくなると述べた。 これはまさしく金というもの性質を言い当てている。 Teslaという会社の目的は金を儲けることではない。電気自動車をマス市場に普及させ、そのインフラを形成するためのパイオニアだ。Teslaが先陣を切ったバッテリーのテクノロジーは自動車以外にもあらゆる場所に用いることができる。利潤を上げることは付随的な目的に過ぎない。

つまり、企業として儲けていようといまいと、Teslaは目的を達成することに成功している。Teslaは世界最大級の工場を作った。現に世界でもっとも大きい工場を建設中だ。まだ完成していないが、一部はすでに稼働を始めている。高級電気自動車市場を支配しているだけでなく、あらゆる電気自動車市場において大きな存在となりつつあり、バッテリー・パック市場でも重要な役割を果たしている。

イーロン・マスクはこうした事業から利益を上げることができればもちろん嬉しいだろう。細かいことを言えば、それが経営者としての信任義務だ。しかし利益を上げることに失敗したら失敗ではない。もちろこれは株主、投資家以外の話だが(またTeslaがどうなろうとイーロン・マスクが貧乏になる心配はない)。

儲けを出すことが不可能な事業であってとしても、マスクは要するに市場でだぶついていた資金をTeslaという優れた目的のために使ったというに過ぎない(興味深いのは、そこで得た技術的成果をオープンソースの特許としたことだ)。マスクは、会社としては膨大な損失を出しながら単に自動車だけでなく、われわれの明日の生活を一変させるようなテクノロジーを開発し広く社会に貢献したことになる。

Teslaの株式の価値がゼロになり、会社がデフォールトに陥って投資家は1ドルについて数セントの残余財産しか得られないことになっても、Teslaという資産、つまり工場、ソフトウェア、人材はそのまま残る。どんな破産裁判所であれ、Teslaは部分をバラ売りするより全体のほうがはるかに価値が高いことを認識するだろう。Teslaはドーバー海峡トンネルのような存在ではないだろうか。ドーバー海峡トンネルは民間資本で建設されたものの、投資家にとっては完全な失敗だった。「トンネルはわれわれ全員が恩恵を被るすばらしい施設となった。ただしその建設に資金を出した人々にとってはそうではなかった」と評される。

これはもしかするとTeslaにも当てはまるかもしれない。投資家、株主に対して不公平な意見だろうか? そうではない。これは資本主義の見本だ。誰も投資を強制されたわけではない。儲けが出ると期待して金を出したのだ。そこには当然リスクがある。しかし財政的利害関係者でないなら、Teslaのビジネスについて暗い予言を叫びたてるマスコミの意見は無視してもいいだろう。Teslaの財政がどうなろうと、われわれ一般人はすべて勝者なのだ。

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(翻訳:滑川海彦@Facebook Google+

偽レビューの真実――お金で買えるベストセラーとAIの可能性

かつてMary Strathernは「指標が目的化すると、その数値は指標としての意味をなさなくなる(グッドハートの法則)」と語った。シェイクスピアに言わせれば、守るよりも破ったほうが名誉になるルールということなのだろうか。アルゴリズムが支配する私たちの社会では、多くの指標が目的に姿を変え、その意味を失っていった。この記事では本を例にとって、この問題について考えていきたい。

「No.1ベストセラー!」というのは、”集合知”を反映した高品質の証だ。つまりこれは指標であり、今日の世界では目標でもある。一体「No.1ベストセラー」とは現在どんな意味を持っているのだろうか? Kindle Storeを見てみると……

Kindle Storeがどれだけ使えないか知りたければ、全体でナンバー1の本を見てみればいい。

……New York Timesのベストセラーリストはどうかというと……

New York Timesのベストセラーリストで第1位に輝いたヤングアダルト小説が同リストから抹消された。複数のヤングアダルト小説家がTwitter上で『少女探偵ナンシー』ばりの調査を行った結果、特定の書店で問題の小説が大量に事前予約されていたことがわかったのだ。

……と、「ベストセラー」という言葉は、もはやあまり大きな意味を持っていないとわかる。どうやらKindle StoreにしろNew York Timesにしろ、ベストセラーの称号はお金で買えるようなのだ(確かにNYTは問題に対処したが、調査を行った人たちがいなければ件の本はベストセラーのままだっただろう)。

ポスト真実の現代においては、これもあまり驚くべき話ではないのかもしれない。そもそも賞やランキングといったものは程度の違いこそあれ、人の手が加えられたものばかりだ。しかし今では、ランキングの多くがキュレーションなしでアルゴリズムによって決められるため、同じようにアルゴリズムの力を借りることで、簡単に操作できるようになってしまったのだ。そして世界中(もしくは少なくともアメリカ国内)で起きていることを見ればわかる通り、いずれこのような事件は政治的な問題へと発展していく。

プライドの高い作家は、New York TimesWall Street JournalAmazonのベストセラーリストの座をお金で買おうと試み、どうやらときにはそれが成功することもあるようだ。

その一方で、Amazonが偽レビュー取り締まりを行い、偽レビューを検知するサードパーティーのプラグインが配布されているかと思えば、気に入らない本に嘘のネガティブなレビューを残す”レビューの乱用”も横行している。真実と虚偽がせめぎ合う様子は偽ニュースの問題を彷彿とさせ、どちらが優位に立っているのか判別するのも困難な状況だ。

私は何冊か小説を出版していることもあり、この問題には個人的な思いがある。これまでにも知人から、私の本に5つ星のレビューを書くから、その人のアルバムに5つ星の偽レビューを書いてくれないかという類の話をされたが、いくばくかの嫌悪感を抱きながら全ての提案を断った。友人に良いレビューを残すよう頼んだことも一度もない。Amazonのレビューシステムをミシュランと勘違いしたのか、1つ星とともに激賞の言葉が並んだレビューにため息をついたこともある。人は嘘の称賛を嗅ぎ分けられると自分に言い聞かせてきたが、本当はそうではないのではないかと不安になる。

もちろん本のレビューに関する問題は、作家という一部の変わった人たちにしか関係のないことかもしれない。しかしそれ以外にも似たような問題は散見し、偽ニュース、偽科学、資格・スキルの詐称など枚挙にいとまがない。人はある指標を攻略しようと嘘をつき、指標自体を新しく考え出すことさえある。その指標も、証明できる事実や統計からソーシャルメディア上の繋がり、学歴、功績まで内容はさまざまだ。さらに情報過多の現代では、ただでさえ短いアテンションスパンを慎重に使うために、私たちは情報を選別するための第一歩としてアルゴリズムによる雑なフィルタリングに頼りがちだ。だがそうすることで、どれだけの真実が手からこぼれ落ち、逆にどれだけの嘘が監視の目をかいくぐって頭の中に入ってきてしまっているのだろうか?

しかし私たちには人工知能(AI)という名の一縷の望みがある。細かなパターンの認識や、目標にとってかわった粗雑な指標の代替というのはまさにAIの得意分野だ。ApectivaをはじめとするAI企業は、偽レビューを検知したり、本当のレビューから有用な情報を取り出したりするソフトを開発している。

もちろんAIにもバイアスや適合性、ブラックボックスの問題があるが、今私たちが直面している問題に比べれば大したことはない。未来のニューラルネットワークが、仕組まれたレーティングや偽レビュー、偽アカウントを認識できるようになることを祈ろう。ただそれも、AIが検知できないような偽レビューを書くAIが出てくるまでの話だ。こうして真実と虚偽のせめぎ合いは続いていく。

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(翻訳:Atsushi Yukutake

悟りもアプリで開ける時代?ーー拡大するマインドフルネスのスタートアップ企業

【編集部注】執筆者のJoanna GlasnerはCrunchbaseの記者。

 

インターネットに接続している生活が良いとは限らない。スマホを片手に時間を浪費し、人と接する機会を失い、即座に得られる満足感を求める悪しき習慣ができつつある。そう感じることがあまりにも多い。

この問題を解決できるアプリがあればいいのに。できれば1日中使えて、人間とのやりとりを必要としないのなら尚良い。数分でダウンロードできるのなら言うことなしだ。

ようこそ、マインドフルネスとウエルネスの世界に。ここ1年ほどで投資家が、マインドフルネスや幸福、理想的な精神状態の促進を目的としたアプリやツールの開発を行うスタートアップ企業を支援した数は20以上になる。Crunchbaseのデータによると、これらの企業は今日までで1億5000万ドル以上を調達。最も高額なラウンドのいくつかはここ数カ月で行われ、その資金のほとんどはカリフォルニア州に本拠を置くスタートアップ企業に投じられる。

瞑想マネー

深呼吸をしたら、その金がどこに注ぎ込まれているのかを説明しよう。

今のところ、資金調達において最高額なのはHeadspace。瞑想の技術を学ぶ人気アプリを開発した企業だ。サンタモニカに本拠を置く同社は、今年6月に3700万ドルの資金を調達し、現在までの調達額は7500万ドルとなった。ビジネスモデルは至って単純で、ユーザーは無料レッスンから使用開始して、継続したい場合はサブスクリプション費用を支払う。

Headspaceは自社のアプリを、1800万ダウンロード超えの世界で最も人気のある瞑想アプリと称している。だが、その会社のミッションはアプリのユーザー数より遥かに大きい。

「瞑想は序章に過ぎない」。Headspaceの最高執行責任者であるRoss Hoffmanはそう述べる。創業7年目のHeadspaceはこれから「生まれてから死ぬまでの健康と幸福に関する包括的なガイド」を作成したいと考えている。

Headspaceは事業拡大にも励み、幸せの輪を広げるためにも尽力している。人材募集のページには、ニット生地の布張りソファがある開放的なオフィスと、サラダとご飯を口にする幸せそうなスタッフが掲載されている。Headspaceの求職者には、世界の健康と幸福を向上するという企業理念に対し、応募する役職を通してどのように貢献できるかが問われる。

潤沢な資金を調達した健康促進に取り組むスタートアップ企業はまだ他にもある。「すべての感情的なニーズに対処するべく、ユーザーの意欲を引き出すようデザインされた」デジタルツールとプログラムを開発するHappify Healthは2500万ドルを調達。オンラインでヨガ、瞑想、フィットネスのレッスンを提供するGrokker2200万ドルを獲得している。

シードファンドや初期段階のファンドを調達している興味深い企業は他にも多くある。それにはHeadspaceの競合Calmや、モチベーションが高まるテキストメッセージを届けるShine、多忙な人の燃え尽き症候群を防ぐThrive Globalなどがある。

こうした動きは何を意味するのだろう?

冒頭の不機嫌さはさておき、よりバランスの取れた生活を送るために設計されたアプリは、インターネットで過剰に繋がった世界の隙間市場を埋めているようだ。また、過度なデジタルの刺激を電子機器で治すのは皮肉といえど、そこには論理性もある。

「テクノロジーは、この惑星にあるすべてのものに対する意識を広げてくれるかけ橋となった…しかし、テクノロジーは同時に我々をマルチタスカーにし、数千人の友達がいるのにもかかわらず、孤独にした」。社会的意識の高いマイクロVC、Mindful Investorsの共同設立者Stuart Rudickはそう語る。MIndfulのポートフォリオには、変化する気象音を使用して、ユーザーの瞑想をガイドする脳波計ヘッドバンドの開発企業Museも名を連ねる。

Rudickは、マインドフルネスと瞑想のツールに対する投資家の興味をより広域な健康的生活への関心と見ている。特に瞑想は十数年まえのヨガと似た成長をたどっており、より多くの人口に普及しつつある。

投資家の視点から見ると、ヨガやフィットネス、健康的な生活などへの投資は良いリターンと高評価の企業を生み出した。元々ベンチャー支援を受けて10年前に上場したヨガのアパレルメーカーLululemonは、現在80億ドル相当の評価額を誇る。ユニコーン企業を挙げると、屋内サイクリングブームの火付け役であるPelotonは、前回のラウンドで12億5000万ドルの評価額をつけた。(こちらにその他数社をまとめた)。

同様に失望もあった。最近の事例で言えば、未公開株式ファンドの支援を受けたヨガスタジオチェーンのYogaWorks。同社の株価は上場時すでに予想額を下回り、8月のIPOから3分の1まで落ち込んだ。

スターの力

 

だが、マインドフルネス界の投資家は単に金銭的リターンを求めている訳ではない。Rudickのようなダブルボトムライン・インベスターと呼ばれる投資家は、潜在的利益に加えて社会的利益をもたらす企業を探している。

瞑想やマインドフルネスはセレブからの人気も集めており、著名な支援者からスタートアップ企業が資金を確保するのに役立っているようだ。Headspaceの投資家にはRyan Seacrestジェシカ・アルバ、そしてJared Letoなどがいる。Museは支援者にアシュトン・カッチャーを持つ。一方Thriveは、有名なメディア起業家Arianna Huffingtonによって設立された。

とは言え、セレブからのサポートが活気のない企業をユニコーン企業に変えることはないだろう。しかし、セレブが勢ぞろいコンテンツを端末で眺め、我々がどれだけの時間を浪費しているかを考慮すれば、数分でも時間とって、気持ちをスッキリしようと提案するセレブに耳を傾ける方がおそらく利口だろう。

 

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(翻訳:Keitaro Imoto / Twitter / Facebook

Whole Foods買収はAmazonの利益にどのような影響をもたらすのか

【編集部注】執筆者のAlex WilhelmはCrunchbase Newsの編集長で、VCに関するTechCrunchのポッドキャストEquityの共同司会者でもある。

Amazonは成長を重視するあまり利益を生み出していない(もしくは赤字でさえある)というのはシリコンバレーでよく聞く話だ。しかし同社は、以下のふたつの理由から常々このコメントを否定している

  1. 成長のために巨額の赤字を垂れ流す必要がなくなった。
  2. 最近(あくまでAmazonの企業としての歴史から言っての”最近”)誕生したビジネスの利益が順調に伸びている。

ここにWhole Foodsが加わることで話はさらに面白くなってくる。一般的に食料品小売業は利幅が薄いことで知られているが、既に指摘されている通り、Amazonの利益率はWhole Foodsを下回る。それでは、Whole Foodsの買収はAmazonの利益にどのような影響を及ぼすのだろうか?

私たちの計算には限りがあるということを予め理解しておいてほしい。Whole Foodsの商品が値下げされた後とは言え、Amazonが買収によって新しく発生するコストをどうするのか正確に予測するとなると、推測がかなりの部分を占めてしまう。つまり、値下げはこれから始まる長い物語の序章でしかないのだ。

Amazonを構成する三要素

Amazonの利益(もしくは損失)について議論する際には、同社のコア事業3つを頭に入れておかなければいけない。ひとつが北米でのEC事業、もうひとつが自称”海外”EC事業、そして最後がクラウドコンピューティングサービスのAWS事業だ。

同社は事業ごとの営業利益を決算書に記載しているため、(GAAPベースの純利益の方が指標としては望ましいとは言え)各ビジネスの成績をここから確認できる。以下が2017年第2四半期(リンク先PDF)のEC事業の業績だ。

  • 北米売上:223.7億ドル
  • 北米営業利益:4.36億ドル
  • 海外売上:114.9億ドル
  • 海外営業利益:-7.24億ドル

数字を見ればおわかりの通り、北米EC事業は営業利益を生み出しながら成長を続けている一方、海外EC事業は利益を犠牲に成長しているように見える。しかし、長期的なプランを重視することで知られるAmazonは、国内事業が海外事業の成長を(概ね)支えるような構図に満足している可能性が高い。

3つめとなるAWS事業は北米EC事業よりも好調で、海外EC事業によって生まれた営業利益の穴を埋めるほどだ。

  • AWS売上:41億ドル
  • AWS営業利益;9.16億ドル

上記全てを勘案すると[4.36億-7.24億+9.16億>0]となり、Whole Foodsを計算に入れる前の段階でAmazonの営業利益は黒字だとわかる。

(もっと丁寧に説明すると、Amazonの国内EC事業はもはや海外EC事業を(2016年第2四半期のようには)支えきれていないため、Amazon全体としての営業利益を確保する上で、AWS事業の重要性が増してきている)

それでは、Whole Foodsの売上と営業利益を計算に加えてみよう。

Whole Foods買収の影響

Whole Foodsの買収が完了したところで、同社がAmazonの利益にどのような影響を及ぼすのか考えてみよう(Whole Foodsの数字は、直近の四半期報告書からとったもの)。

  • 売上:37.2億ドル
  • 営業利益:1.8億ドル

まず、Whole Foodsの営業利益率は5%弱だ。しかしGadflyの指摘通り、Amazonの利益率はこれを下回っている。つまり、Whole Foodsの買収に伴ってAmazonに4つめの要素が加わることで、全社的な利益率は向上するかもしれないのだ。

ではWhole Foodsが加わることで、Amazonのビジネスモデルは変わるのだろうか? 変わったとしてもそこまで大きな変化はないだろう。というのも、AmazonはWhole Foodsよりもかなり規模が大きいため、1.8億ドルという営業利益がもたらすメリットもそれなりでしかないのだ。

先述の[4.36億-7.24億+9.16億]という式によれば、Whole Foods買収前のAmazon全体の営業利益は6.28億ドルになる。ここにWhole Foodsの数字を加えると[4.36億-7.24億+9.16億+1.8億=8.08億ドル]になる。

営業利益が8.08億ドルに増えることで、何か変化が起きるかどうかはわからない。ただ、営業利益が29%増え、売上が9〜10%増えるというのは確かだが、それを受けてAmazonが各事業への投資のあり方を変えるというのは考えが飛躍し過ぎているように感じられる。

AmazonがWhole Foods商品の値下げを行ったことで、Whole Foodsの営業利益は今後減少することが予想されるため、結果的に同社がAmazonの営業利益に与える影響も少なくなる。そのため、Whole Foods買収によるAmazonの事業戦略への影響も限定的だと言えるだろう。

結論として、Whole Foods買収によるAmazonの営業利益への影響は軽微で、恐らく買収のメリットは他事業へと広がること(プライムメンバーの増加など)になるだろう。また、Amazonの営業利益が既に黒字であることも注目に値する。結局のところ、巨人Amazonの前ではWhole Foodsも小人に過ぎず、その利益も取るに足らないものだということだ。

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(翻訳:Atsushi Yukutake

大学別スタートアップ数&調達額ランキング

【編集部注】執筆者のJoanna GlasnerCrunchbaseの記者。

会社を立ち上げてVCから資金を調達する上で有名大学を出ている必要はない。しかし実際のデータを見てみると、出身校と資金調達には深い関係がありそうだということがわかる。

この記事では、スタートアップ投資を受けた起業家という観点から、アメリカの有名大学をランク付けしている。注目したのは卒業生が立ち上げたスタートアップの数、そして調達資金額だ。

もしも意外な結果を期待してこの記事を読んでいる人がいれば、ここで読むのをやめた方がいい。というのも、スタートアップエコシステムにいる人であれば、ほとんどの内容が想定の範囲内に収まるだろうからだ。もっと具体的に言えばスタンフォード大学がトップで、アイビーリーグや有名工科大学、研究大学がその後に続く、という結果だった。

もっとも多くのスタートアップを輩出した大学

ひとつめのランキングでは、過去1年間に100万ドル以上を調達したスタートアップのファウンダーの数を大学別にまとめている。先述の通り全くの予想外と思われるものはないが、前年比で数値が伸びた大学がいくつかあるのは注目に値する。マサチューセッツ工科大学(MIT)の卒業生によって設立され、100万ドル以上を調達した企業の数は134社だった(昨年は108社)。ワシントン大学も2015〜2016年の35社から2016〜2017年は41社に数を伸ばし、イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校の数値も同時期に39社から44社へと増加した。

ビジネススクールの状況

Crunchbaseではビジネススクールが他の教育機関と分けて記録されているので、ランキングも別のものを用意した(対象期間は2016年8月1日〜2017年8月1日)。スタンフォード大学が1位ではないということを除くと、このランキングにも大きなサプライズはない。スタンフォードの代わりにトップの座に輝いたのがハーバード大学だ(スタンフォード大学ビジネススクールの生徒数が800人強で、ハーバード大学ビジネススクールは1800人以上というのも関係しているだろう)。

調達金額は?

卒業生が立ち上げた企業の調達額合計は、これまでのランキングとは少し違う。というのも、ユニコーン企業や準ユニコーン企業の調達額はかなり大きくなるため、1社か2社そのような企業を輩出している学校が結果をかき乱しているのだ。

ニューヨーク市立大学バルーク校がその好例だ。同校の卒業生が設立したスタートアップで、過去1年間に100万ドル以上を調達した企業は4社しかない。しかしそのうちの1社が、公表されている情報だけを参照しても対象期間に40億ドル近くを調達したWeWork(ファウンダーのAdam Neumannが同校の卒業生)なのだ。シカゴ大学も同様で、東南アジアの配車サービス大手Grabが同校の合計調達金額の75%以上を占めている。

とはいっても、どの学校から調達額の多いスタートアップが輩出されているのか見るのはなかなか興味深い。以下が上位をまとめたランキングだ。

1社が合計調達額の半分以上を占めている学校の例は次の通り:カーネギーメロン大学(Argo AI)、ニューヨーク市立大学バルーク校(WeWork)、ハーバード大学ビジネススクール(Grab)、シカゴ大学(こちらもGrab)。

全体を見てみると、出身校によってスタートアップの規模が決まるということはなさそうだが、特色のある学校に通うというのはスタートアップをはじめる上でメリットがあるようだ。特にSTEM(科学・技術・工学・数学の教育分野)やビジネスの分野で名の通った学校出身のファウンダーが目立った。さらに強固なテックエコシステムが存在し、ベンチャーキャピタルが集中する都市部の学校も良い成績を残している。

調査方法

Crunchbaseの出身校に関するデータでは、ビジネススクールとそれ以外が区別されている(ハーバード大学ビジネススクールのみを卒業した人はハーバード大学の卒業生とはカウントされていない)。しかし一部のデータにはこれが反映されておらず、ビジネススクールの卒業生がその大学の卒業生とカウントされている場合やその逆のケースもある。ランキングへの影響はほとんどないが、これにより多少の誤差が生まれている。

さらに、多くのビジネススクールは、従来のMBA以外にもハーバードのAMP(Advanced Management Program:学位なしの経営人材養成プログラム)のようなサーティフィケートや追加的な学位を授与している。ビジネススクール卒業生が設立したスタートアップ数のランキングでは、学位とサーティフィケートの区別はせず、データベース上の記載内容に則ってデータを分類した。しかし、調達額のランキングには短期プログラム修了生のデータは含まれていない。

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(翻訳:Atsushi Yukutake

Google HomeがEchoとの違いを見せるべき時がきた

Google Homeにとって、昨年はキャッチアップの年だった。これは何も驚くべきことではない。Amazon EchoはGoogle Homeより2年も早く発売しているのだ。今週、Googleのスマートホームハブは1周年を迎え、I/Oでは新機能の追加が発表された。本当の意味でAmazon Echoの競合となるためだ。

見たところ、Googleは長期的な闘いを想定しているようだ。モバイルデバイスにGoogle Assistantを追加し、細かなアップグレードを重ねることで、GoogleのデバイスはAmazonのものよりも”鈍さ”がなくなった。Googleにはデータインフラストラクチャーとモバイルマーケットでのシェアがあったからこそ、これが可能になったのだ。しかし、消費者向けのマーケットでは――特に、競合がすでに独占的な地位を確立しているマーケットでは――、”細かなアップデート”だとか”堅牢性”というのは通用しにくい技ではある。もしGoogleが競合との差をつけたいのであれば、デバイスがもつ利点を大々的に見せつけなければならない。

テクノロジー業界において、2年の遅れというのは大きなロスである。競合プロダクトがそのカテゴリーの象徴として認識されているような状況では、それはなおさらだ。昨年にGoogleがHomeを発表した時、彼らが今後挑むことになる壁の大きさに気づいていたのは間違いない――しばらくの間メディアや消費者がこのデバイスのことを”Google Echo”と呼ぶことも想定していただろう。

Googleは昨年、その状況を打開するために大半の時間を費やしてきた。このプロダクトが発表されたとき、両プロダクトの間に存在する差は歴然としていた。サードパーティーのパートナーを持たないGoogle HomeとEchoとの差は明らかだったのだ。それに、EchoはAmazonに驚くほど大きな成功をもたらしていた。このカテゴリーに興味がある人々は、すでにEchoを所有している――それに、スマートホーム・ハブという製品が、例えばタブレットよりも頻繁なアップグレード・サイクルをもつとは考えにくい。

GoogleのプロダクトがAmazonに何らかの影響を与えたことは確かだが、今月はじめに発表された数字によれば、今年の音声コントロール製品分野におけるAmazonのシェアは70%ほどになると見られている。それに対し、Googleのシェアはその3分の1程度になるようだ。Amazonは今後、低価格版のEcho Dotをはじめとする様々な製品をプロダクトミックスに追加していく予定であり、Amazonの独壇場がこれからも続いていくことは容易に想像できる。

I/OでGoogleの幹部たちは、彼らがこれからもAmazonに続く2番手でいることは考えていないと話していた――でも、これ以外に何と言えるだろうか?同社はそこで、今後追加する予定の新機能などを発表してAmazonに追いつくためのプランを明らかにした。

その1つが、Google Homeを使った電話発信機能だ。これは、Amazonもずいぶん前に追加している機能ではある。しかし、Homeはユーザーごとの声の違いを認識できるため、例えば、単なる”お母さん”という言葉が”誰のお母さんを指しているのか”を理解することができる。また、AmazonではEchoかAlexaのアプリを搭載したデバイスにしか電話をかけることができないのに対し、Google Homeではあらゆる人に電話をかけることが可能だ。

この電話機能や新しい「プロアクティブ通知」などの機能によって、Googleはこのデバイスが実用に足るものであるということを示しはじめている。GoogleやAppleのようにモバイルデバイスを持たないAmazonとは違い、GoogleはHomeをAIアシスタントのバックドアチャネルとして機能させることで、ユーザーにより堅牢なプロダクトを提供しようとしていることは明らかだ。

この調子で行けば、今後数年間でGoogleがこの分野において大きなシェアを獲得できる可能性は高い――Appleが来月に開催されるWWDCでスマートホームハブを発表し、僕らの度肝を抜くようなことがなければだが。これまでのGoogleのプロダクトにも尻上がりにシェアを獲得してきたものは沢山あった。

しかし、このプロダクトが真の競争力をもつためには、Google Echoと呼ばれないように、本当の意味で新しい機能を追加していく必要があるだろう。

[原文]


(翻訳:木村拓哉 /Website /Facebook /Twitter

公募価格に関する誤解――IPO直後の株価急騰は気にするな

【編集部注】Alex WilhelmはCrunchbase Newsの編集長で、VCに関するTechCrunchのポッドキャストEquityの共同司会者でもある。

業績発表を受け、ネット業界を先導するふたつの企業の株価が動いた。その2社とはSnapとTwilioだ。

両社はさまざまな点で違っている。Twilioは消費者にリーチするためのバックエンドツールとして、数々の有名企業に愛されている。一方Snapは、最近モバイルハードウェアにも手を出しはじめたソーシャル企業だ。しかし、2017年Q1はどちらにとっても厳しい結果に終わった。

2016年に上場したTwilioは業績面では予想を上回りながらも、思わしくない通期見通しを受け、同社の株価は業績発表の翌日までに25%近く下がった

一方、2017年IPO組のリーダーであるSnapは、売上・利益・アクティブユーザー数の全てで目標に到達できず株価が急落。一晩で何十億ドルもが消え去り、同社の株価は公募価格とほぼ同じくらいの水準に戻った。

ここからこの記事の本題である、IPO後の株価の急騰、そしてどの企業が公募価格の設定を誤って本来調達できたはずの資金を取り逃してしまったのかという話につながってくる。

株価急騰とその他の幻想

企業が上場する際、初日の株価の伸びしろを残しつつも調達金額を最大化するため、公募価格は(一般的には)できるだけ高く設定される。

これを基に考えると、IPO周りの数々の現象に納得がいく。企業はできるだけ多くの資金を調達しようと、市場で株主がリターンをあげられるだけの余白を残しつつも可能な限り高い公募価格を設定し、初日の株価急騰を狙う。そして目論見通り株価が上がれば、メディアや投資家から好意的な反応が返ってくるといった具合だ。

どのくらいの株価上昇を狙うかはケースバイケースだが、市場の反応を正確に予測するのは不可能だ。例えば、上場後にピッタリ10%株価が上がるように公募価格を設定することはできない。

そしてここからが難しいところだ。もしも、ある企業の株式に対する需要の大きさと価格感度の低さがその企業や引受人の予測を超えていた場合、何が起きるだろう? この場合、当該企業は公募価格を”低め”に設定する可能性が高いので、株価の上がり幅も想定より大きくなりがちだ。もちろん、逆に上場直後に株価が急落するケースもある。

(実際に、今年上場直後に株価が急落した企業が存在する)

いずれにせよ、企業が上場して物事が順調に進んでいけば、その企業が「本来調達できたはずの資金を取り逃してしまった」という内容のニュースを目にすることになる。実際に公募価格が低すぎると思われる場合もあるが、そう判断するには時期尚早というケースがほとんどだ。

つまり、企業の株価はIPO後に急騰することが多いが、上昇分はスーパーボウルにおけるファルコンズのリードよりも早く消えてなくなってしまう可能性がある。そのため、「本来調達できたはずの……」という話はナンセンスな議論である共に、公募価格の設定ミスの証拠とされているIPO直後の株価上昇こそが誤った情報を発信してしまっているのだ。

最近の例

実際の株価を追って見てみよう。

そうすると、Snapは多くの人が思っているよりも、かなり上手く公募価格を設定できていたのではないか気づく。

Snapの株式は、公募価格が17ドルで初値が24ドル、そして最高値が29.44ドルだった。この数字だけ見ると、本来Snapはもっと多くの資金をIPO時に調達できたはずだと感じられる。合計2億株を売ったSnapが公募価格を少しでも上げていれば、彼らの口座残高は増えていたはずだ。

24ドル(もしくは29.44ドル)という株価を見ると、Snapはとんでもない計算間違いをしたように見える。しかし、初めての業績発表を受け、現地時間5月11日のSnapの株価は最低で17.59ドルまで下がり、結局18.05ドルで取引を終えた。

もしもSnapが、公募価格を実際よりも1ドル高い18ドルに設定していたとすれば、上場後の株価が一時的に公募価格を下回っていたことになる。もしも公募価格が19ドルだったならば、損失幅はさらに広がっていただろうし、初値で売り出していればSnapの状況はさらに悪化していた。それ以上はすぐに推測できるだろう。

現在Snapの株式は、公募価格よりも数ドル高い価格で売買されており、株価の伸び率は20%ちょっとということになる。先述の状況を考えると、これは株価設定ミスとは到底言えない(さらに昨年ようやく粗利が黒字になった企業に値段をつけることの難しさも勘案してほしい。これはほぼ不可能なことだ)。

もうひとつの例であるTwilioの株式は、上場初日で公募価格より92%も高い28.79ドルの終値をつけた。その後も上昇を続けた同社の株価は最高で60ドルに達し、その後30ドル台に急落した。さらに最新の業績発表の後、株価は20ドル台前半〜半ばへと下降。Twilioはそもそも公募価格を予想より高く設定していたにもかかわらず、IPO直後はそれよりもさらに高い価格をつけることができたのではないか、という憶測が広がった。しかしその後継続して株価が下がったことで、その憶測が間違っていたとわかり、IPO時の株価と比較すると、現在のTwilioの株価の方が急騰時の株価よりも実態に即しているように映る。

さらにこれに対し、現在24ドルの株価がついているのだから、公募価格は少なくとも15ドルより高くした方がよかったのではと反論することもできるが、この1年でさらに成長したTwilioの現在の株価と公募価格をそこまで細かく比較することにあまり意味はない。

上記の2社の例から分かる通り、IPO後に株価が急騰したからといって、公募価格が誤っていたと判断するのは時期尚早なことが多い。その一方で、両社の現状の株価がまだ公募価格を上回っていることを考えると、本当に公募価格が間違っていなかったと言い切れるのだろうか?

これはもっともな問いなので、もう少し歴史をさかのぼって考えてみたい。

昔々の話

GoProのIPOは大成功だった。株価は初日だけで24ドルの公募価格から30%も上昇し、その後は報道の通り、連日数十%の上昇が続き、すぐに公募価格の倍に到達した。これが2014年7月の出来事だ。

その後2014年中にGoProの株価は98ドルまで上昇を続ける。なんという価格設定ミスだと思っている人もいるかもしれないが、2015年11月には「GoProの株価が公募価格を下回る」という見出しが紙面を飾ることになる。その日、GoProは23.15ドルの終値をつけた。現在の株価が8.62ドルの同社が、24ドルの公募価格をつけられたのは、今となってはラッキーだったように感じられる。

GoPro以外にも、EtsyやMobileIron、Fitbitをはじめとする企業が、IPO直後の株価急騰とその後に続く急落を経験している。

この話が現在の(アクティブな)IPOサイクルに対する警告になることを祈っている。冷静さを失わずに、自分たちが必要としている資金に対する調達額の大きさへもっと注意を払うようにしてほしい。最新の評価額と同等もしくはそれ以上の時価総額がつくのであれば、それ以外のことは気にしなくても良いのだ。

実際に業績が下がってしまった場合はまた別の話になってくるが。

クリエイティビティの罠――実務的な業務の重要性

【編集部注】執筆者のEliot Gattegnoは、ニューヨーク大学上海校でPractice of Business and Artsの客員准教授を務め、クリエイティビティとイノベーションに関する授業を行っている。さらに彼は、香港中文大学(深圳)のイノベーション・デザイン・アントレプレナーシップセンターのファウンダー兼ディレクターで、香港中文大学のビジネススクールでも教鞭をとっている。

今日のクリエイティブな職場では、実際に会社を動かしているクリエイティブでない仕事の重要性が分かりづらくなってしまっている。”クリエイティビティ”と呼ばれるものが、凝り固まった社会を変える特効薬としてもてはやされている一方で、このような考え方が、裏で会社を支えている仕事を犠牲にして、夢物語にフォーカスをあてるような企業を生み出している。

残念ながら、私たちのクリエイティビティに関する妄想はとどまるところを知らない。2000年には、「次の時代の勝者」となる企業は「今いるクリエイティブな人材を余すところなく」利用できるような企業だとする内容の本が出版され、2013年には多くの人が「社員のクリエイティビティを上げるためにテック企業が実践している12の変な制度」と題された記事を貪り読み、昨年にはクリエイティビティそのものを刺激する香水さえもが発売された。

しかし私たちは邪神を崇拝してしまっているのではないだろうか? 職場で”クリエイティブ”とされている事柄は、極めて薄っぺらいもののように感じられる(例えばビーズクッションや食べ放題の寿司ランチなど)。人々がクリエイティブだと思いこんでいるものは、オフィスの設計変更にはつながるかもしれないが、特に平社員レベルの人たちの仕事を変えるようなものだとは思えない。

社員がデスクについた(もしくはソファースペースにノートパソコンを持っていった)とき、彼らは本当に自由に創造性をはたらかせているのだろうか? それとも彼らは、会社を動かすために必要な具体的で明確なタスクをこなしているのだろうか? ほとんどの場合は後者だろう。結局のところ、誰かがコードをデバッグしたり、スプレッドシートを管理したりしなければいけないのだ。賢いマネージャーや経営陣であれば、あまり魅力的ではないが会社が機能するために必要な(ときに退屈な)仕事を、クリエイティビティで代替することはできないと気づいているはずだ。クリエティブでない仕事をしている人のこともきちんと評価しようではないか。

クリエイティビティ=投資

私たちの時代に誕生した驚くほど”クリエイティブ”なものを見てみよう。そうすれば、クリエイティビティとは一瞬の輝きではなく、むしろ孤独で長い旅なのだということがわかるだろう。例えばPixarは、素晴らしいアニメーション技術はもちろんのこと、彼らのビジョンやユーモア、そして感情表現で人々の称賛を集めている。しかし、誰が見てもクリエイティブな彼らの作品が完成するまでには、通常4〜7年の時間がかかる。そしてそのプロセスはスケッチにはじまり、ストーリーボード、モデリング、レイアウト等々、途方もないほどだ。

賢いマネージャーや経営陣であれば、あまり魅力的ではないが会社が機能するために必要な(ときに退屈な)仕事を、クリエイティビティで代替することはできないと気づいているはずだ。

どんなクリエイティブなものに関しても、その裏側には信じられないほどの量の修練や努力が隠されている。たとえ傍から見ると、一瞬の出来事のように感じられるようなものでもだ。ジャズマスターが”ゾーン”に入ったときの即興演奏(これには人生を通した練習が必要)から、”キャンプファイヤーの周りで順番に物語を語り合う仲間たち”のように聞こえつつも、形になるまで何ヶ月にも及ぶ準備が行われているThis American Lifeというラジオ番組まで、クリエイティビティの裏側には多大な努力が隠されている。クリエイティビティに欠かすことができないこの準備期間は、普通の企業にとってはかなり大きな投資を意味する。しかし他の人たちの言葉を信じれば、クリエイティビティにはそのくらいの価値があるのではないだろうか? 実はそうとも言い切れない。

”ボヘミアン”だけでは生きていけない

RedditやInstagram経由で、きらびやかな”ネット時代の寵児”を雇う企業も存在する今、”クリエイティビティ”自体が資格のように考えられがちだ。しかし数字を見てみれば、その考えは間違っているとわかる。『Economic Geography』に掲載されている調査では、”クリエイティブ層”と関連づけられることの多い生産性の高さというのは、その人のクリエイティビティよりも教育レベルによってほぼ決まるとされている。さらに、”ボヘミアン”(大卒資格のないクリエイティブな人たちを指して研究者がつけた名称)は、クリエイティブさに欠けつつも教育レベルの高い人に比べ、会社への貢献度が低いということがわかった。もちろん例外はあるだろうが、一般的に社員のパフォーマンスを左右するのはクリエイティビティではなく教育である、ということがこの調査からわかる。

実はクリエイティブな人たち自身もこの事実に気づいており、世界的に有名な作家の村上春樹氏は、クリエイティブな生活におけるトレーニングの重要さを上手く表現している。彼は自伝的エッセイ『走ることについて語るときに僕の語ること』の中で、小説を書くという作業を長距離走に例えて説明しているのだ。彼は芸術家にとって「集中力と忍耐力」は才能と同じくらい重要で、「トレーニングを通じて会得、向上することができる」という意味では、このふたつの方が才能よりもずっと到達しやすい目標だと主張する。つまり、彼にとってクリエイティビティとはスタート地点でしかなく、目指すものを成し遂げるためにはトレーニングと確固たる労働倫理が必要だと言っているのだ。

ここで私が伝えたいことはハッキリしている。他の経歴を無視してInstagram上の輝かしいプロフィールだけに飛びつくなということだ。ほとんどの仕事に関して、まずはその仕事をこなせる能力を持った人が必要であり、クリエイティビティはその次にくる。この順番を間違ってはいけない。さらに企業は、候補者が画期的なアイディアの実現に向けてきちんと努力できる人なのかどうかを見極めなければいけない。

クリエイティビティの管理

他の大事な能力よりもクリエイティビティを重視するような企業は、そのうち問題に直面することになるだろう。『Accounting, Organizations and Society』の調査は、クリエイティビティを重視する企業ほど、社員の問題行動を防ぐための管理に時間を割くことになると示している。さらに管理が行き届かなければ、社員は個々のタスクに集中するあまり、チームや会社全体のゴールを見失ってしまうとされているのだ。これを考えると、企業が”クリエイティビティ”をビーズクッションあたりで留めているのにも納得がいく。というのも、締切を無視して各タスクに過度に集中するクリエイティブな人というのは、会社にとってかなりやっかいな存在だからだ。

重要なのは、スターのようなクリエイティブな人材だけでなく、社員全員が会社への貢献度をきちんと評価してもらえるような環境を構築することだ。

職場におけるクリエイティビティ向上の最前線に立っているGoogleでさえ、社内外で崇められている制度の一部は継続できないと気づいた。都市伝説のように語り継がれていた、就業時間の20%(1週間あたり丸1日!)を自分のプロジェクトに使え、Gmailの開発に繋がったとされている制度のことを覚えているだろうか? YahooのCEOになる前にGoogleに勤めていたMarissa Mayerは、その秘密に関して「Googleの20%ルールというのは、本当のところ120%のうちの20%ということなんです」と語っている

最近ではGoogleが20%ルールを実質的に廃止し、トップダウンのイノベーション(マネージャーが承認したプロジェクトなど)を優先していると言われている。中にはこの制度変更によって、これまで褒めそやされていたGoogleの自由でクリエイティブな文化が損なわれてしまうと考えている人もいるようだ。これは魔法か現実かをめぐる難しい問題だ。クリエイティビティが全くコントロールされていないと、社員は会社のゴールを見失ってしまうが、管理されたクリエイティビティなど、もはやクリエティブではないと言うこともできる。

私は職場にクリエイティビティなど必要ないと言いたいわけではない。誰かがスプレッドシートを管理して、電話に応えなければいけないように、誰かがGmailのような革新的なプロダクトを考えつかなければならないのだ。しかし、クリエイティビティが何よりも重要で、これこそ成功への近道だという考え方には同意できない。

誰かを採用する際には、年齢や性別、人種といった表面的な多様性だけでなく、「クリエイティブVS現実的」「内向的VS外交的」「夢見がちなイノベーターVS地に足の着いた実行者」といったそれぞれの性格も考慮しなければならないのだ。Slack Technologiesでは、アーティスティックな社員(例えば哲学の学位を持つ共同ファウンダー)とエンジニアの面白い組合せによって、会社とプロダクトの両方が大きく成長した。

重要なのは、スターのようなクリエイティブな人材だけでなく、社員全員が会社やプロダクトや企業文化に対する貢献度をきちんと評価してもらえるような環境を構築するということだ。そもそもクリエイティブな人とそうでない人を分けて考える必要もないのではないだろうか? 表面的なことだけにとらわれず、現代でもっともエキサイティングでクリエイティブなエンジニアをはじめとする、実務的な仕事にもしっかりと目を向けなければいけない。クリエイティビティを重視し過ぎると、何も実行せずに夢物語についてばかり考える会社になってしまう。

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(翻訳:Atsushi Yukutake/ Twitter

起業、失敗、そして新しい挑戦――私が起業から学んだこと

創造への欲求というのはなかなか消すことができない。私も人生を通してこの欲求を感じてきた。小学校時代の友人Rickとつくった漫画や曲、執筆した(そして執筆しようとした)本、これまでにつくり上げてきた数々のプロジェクトまで、その例を挙げると枚挙にいとまがない。今日の世界では、オンライン上で意義のあるものをつくるのはある意味簡単で、ある意味難しい。だからこそ私は、昨年あるスタートアップを畳んだ後に、Jaywalkというプロダクトを新しいチームと共に作ろうと決めた。

初めて設立したスタートアップからは多くのことを学ぶことができた。企業家精神そのものについても学べたし、会社設立から、資金調達、そして最終的に会社を畳むまでの浮き沈み(主に沈み)も経験できた。何かを夢見て、その夢が消えようとする中で生まれる特別なプレッシャーに押しつぶされ、ある友人との関係はねじ曲がり、また別の友人との関係は崩壊した。

起業は決して愉快なものではないのだ。

結局のところ、私は自分が特別だと思っていた。長い間スタートアップ業界について書いていたし、私自身は生意気でちょっと変わっていて、何か意味あるものをつくろうとしている人が経験しなければならない痛みについては何も知らなかった。もちろんシードラウンドやエンジェル投資家、開発やメディア露出など机上の知識は持ち合わせていたが、実際に起きることを身をもって経験していなかったのだ。今ではそうじゃないと思いたい。少なくともこれまでの経験から、未来についてもっと現実的に考えられるようにはなっただろう。

テックメディアは、スタートアップをまるで何かのパーティーかのように見せている。友だちとたむろして、少しだけコーディングして、そうすればお金が手に入るといった感じで。若い頃はラーメンを食べてヘビメタを聞いていれば生きていけたし、会社をひとつ潰しても無傷で次の目標に向かえる。アクション映画の中で、爆発するヘリコプターを背後に立ち去っていくヒーローのように。

しかし現実はもっと奥深い。まず、アメリカに住むスタートアップファウンダーの平均年齢(かつ年齢の中央値)は39歳だ。世界をまたにかける若いファウンダーの話を耳にすることが多い一方で、何年もの経験を持った、もっと年上のファウンダーの話を聞くことはめったにない。ある業界について熟知しているであろう彼らは、経験を活かしたアイディアでその業界を変えようとしているのだ。良いスタートアップというのは、従来のビジネスを文字通り”破壊(ディスラプト)”するわけではない。彼らは物事を改善し、そのような努力が集積した結果として既存のやり方が破壊されるのだ。

また、私は起業を経験したことで、以前よりも人を思いやれるようになった。それ以前の私は、世界中を駆け回って、仕事を辞めてやらなければいけないことをやり、できるだけ速く前進して改革していけと声高に叫んでいた。それも今は昔の話だ。今では副業やサイドプロジェクトの価値も理解しているし、事前の調査や計画の重要性についても知った。スタートアップが成功する確率がどれだけ低いかも分かったし、今では私なりのやり方で、来たる日が来るまで世界は冷たく無慈悲で自分のアイディアには興味がないということを(私のように)理解しつつある、遠く離れた地に住む新米ファウンダーの悲しみを和らげようとしている。数々の口論や失敗、気まずい沈黙の中、彼らを支えているのはいつか起きるであろうブレイクスルーへの期待なのだ。

さらに私は、VCの良さや危険性、自己資金でのスタートアップ運営に誇りを持っている人たちの気持ち、さらには小さな街で光る起業家精神の大切さについても学んだ。なぜ起業経験が将来の役に立つのかということも分かった。だからこそ私は、さまざまな場所を訪れてスタートアップのファウンダーと会うときには、いつもよりも親切に、そして否定的になるのではなく救いの手を差し伸べるように努めている。ようやく私も「親切であれ、誰もが厳しい戦いを強いられているのだ」という古い言葉の意味を理解したのだ。

幸運にも私の周りには賢い人たちがいる。最近立ち上げたJaywalkでは、私にとって初めてのスタートアップでも運命を共にした、大学時代からの友人Richと再びタッグを組むことになった。コロラド州ボールダーで行われているアクセラレータープログラムのBoomtown内で出会った強固なチームも加わり、現在私たちは開発・UXチームを構築しながら、近所を歩き回って新しいものを発見することの喜びを味わえるようなアプリを開発している。このアプリが私にとってとても大切な理由はいくつかある。その中でも分かりやすいのが、子どもを外に連れ出すときに、公園に行こうと言うよりも帰りにクッキーを買おうと言う方がずっと楽というものだ。私たちは、人々を携帯電話の世界から現実世界に呼び戻そうとしているのだ。

1年前くらいに、最初のスタートアップが失敗に終わった後どのように感じたか、というテーマで講演を行った。「This is fine」という講演のタイトルは、火の上がった喫茶店の中で座っている犬が描かれた漫画からとったもの。そして私は次の言葉に焦点を当てた。

「人生に火をともしなさい。そしてその火をあおいでくれる人を探しなさい」
ルーミー

当初私はこの言葉に困惑し、スピリチュアルなデタラメだと思っていた。スタートアップの失敗に困り果てていた私は、この言葉を警告のように捉え、「人生に火をつけ、燃え上がる様子を眺めておけ。この愚か者」という意味だと理解したのだ。しかも、私が実際にやっていたことと、この理解はマッチしていた。素晴らしいフルタイムの仕事を辞め、家族をリスクにさらし、愛を持って接していた人たちとの関係を壊し、まさに人生が燃え上がっていた私に、ルーミーはさらにその火を燃え上がらせろと言っている。燃え上がった私の人生をどうあおぐかで誰が敵かわかるだろう、と彼は言っているのだと私は考えていたのだ。

完全に間違っていた。

その後、このルーミーの言葉は全く別のことを意味していることに気がついた。私を成長させ、人生という冒険の可能性を最大限に引き出す手助けをしてくれるような仲間を見つけろ、というのが本当の意味だったのだ。自分の心にともされた火を大きくしてくれるような人。燃え尽きるのではなく、明るく燃え上がるのを手伝ってくれるような人だ。

そして私は、家族や友人、オンラインコミュニティーの中にそんな人がいることに気づいた。さらにはアクセラレーターで早くから私たちの可能性にかけてくれた人、そして一緒にプロダクトをつくっている仲間にもそんな人がいた。

私はこれまでの20年間、心理的に閉じこめられた状態で執筆活動を行ってきた。私にとって、何かをつくるというのは孤独な道のりだった。しかし私の火をあおいでくれる仲間が、屋根裏部屋のようなところに閉じこもった私を引っ張り出してくれ、ようやく私は誰かと何かをつくりはじめることができた。コンサートで複数の音楽家がひとつの演奏をつくりあげるような、この取り組みこそが人間を人間たらしめるものなのだ。私の仲間は、燃え尽きようとする私に追い打ちをかけるのではなく、闇に光をあてるために私の心の火を燃え上がらせてくれた。

何か新しいものをつくっている、ということを伝える内容としてはかなり長くなってしまったが、何かニュースがあればまたお知らせしたい。もしもあなたが何か必要であれば声をかけてほしい。

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(翻訳:Atsushi Yukutake/ Twitter

オンラインでのカスタマージャーニーはカスタマー体験のほんの一部に過ぎない

ここ何年もカスタマー体験を管理することで企業が得られる利点について聞いてきた。カスタマーについて詳しく理解するほど、適切なコンテンツ、プロダクト、サービス、さらにはカスタマーに関連する(少なくとも理解できる)広告を提供できるという話だ。

現代のマーケティングソフトウェアは、そうした理想を現実のものに近づけている。

しかしブランドとコンシューマーのストーリーにおいて、テクノロジーはほんの一部にしか過ぎない。オンライン上の行動からカスタマーのことが分かったからと言って、企業がその人との対面する場でもスマートに価値がある関係性を築けるとは限らないのだ。企業はオンラインで得た知見を、カスタマージャーニーの全ての過程に適用する必要がある。しかし残念ながら、必ずしもどの企業もそれができているとは言えない。

信頼の問題

ユナイテッド航空での出来事とそれに続いたPRの失敗を例に挙げよう。ユナイテッド航空はカスタマーを飛行機から引きずり下ろしただけでなく、既存のロイヤルカスタマーや潜在的なカスタマーとの信頼関係までも壊してしまった。

ユナイテッド航空の例は、テクノロジーの力でオンラインの文脈でのカスタマーのウォンツやニーズを知るだけでは足りないということを示している。企業は、オンラインで得た知見を対面でのエンゲージメントにも応用しなければならない(もちろん、常識的に考えて行動することも良いことだ)。

成功している企業を見ると、企業がどこでカスタマーと接点を持つかに関わらず、企業の活動や選択の中心にあるのはカスタマーであることが分かる。アマゾンのCEOであるJeff Bezosは株主に宛てた手紙で「執拗なカスタマーフォーカス」が会社とブランドに付いて回る衰退の道とを分ける唯一の要素と記した。

セールスフォースもカスタマー満足に固執する企業だ。セールスフォースの会長でCEOのMarc Benioffは定期的に会社のコアバリューについて話をしている。コアバリューの内の1つは信頼で、信頼がなければビジネスを行うことは不可能だと彼は述べている。

カスタマーとの間で起きた一連の不名誉な出来事から、ユナイテッド航空はそのように考えていなかったのは明らかだろう。今回の一件は特に目立つものだったが、どの企業も教訓として捉え、オンラインでも対面の場でも、すべてのカスタマーとの接点で、すでに得たユーザーに関する知見を活用できるようにすべきだと言える。

テクノロジーは答えの一部に過ぎない

マーケティングテクノロジー企業は、企業がカスタマーのことをより詳しく理解するためのサービスを提供している。セールスフォースは、セールスからマーケティング、サービスに至る企業とカスタマーとの全ての接点におけるあらゆる要素を洗い出すソフトウエアを提供している。同社はカスタマーに最良の体験を届ける重要性について度々発信している。

今月初旬、セールスフォースのBenioffがワシントンDCで行ったプレゼンで、彼は増加傾向にあるインターネット接続端末からのシグナルをブランドがいかにカスタマーの理解に役立てることができるかについて話した。「全てのものがインターネットにつながる時、それらは全て中心にあるカスタマーに帰着します」。

彼が言っていることは正しいし、彼の会社やその他の会社もブランドがそのような状態になることを後押しをしている。しかし、毎回そうして集めたデータをうまく活用し、従業員がカスタマーと接するその瞬間に必要なデータが手元にある状態とは限らないだろう。テクノロジーはパズルを解くピースの1つに過ぎないのだ。

企業がより多く、詳細な情報を持ってカスタマー対応ができるようにするソフトウェアを販売している企業はセールスフォースだけではない。ちょうど今週、カスタマーのソーシャル上のシグナルを理解するサービスを展開するSprinklrは、新しくExperience Cloudというプラットフォームをローンチした。

数週間前には、 Adobeが同名のマーケティングプラットフォームをリリースしている。この2つのプロダクトがそれぞれ焦点としている分野はやや異なるものの、どちらもユーザーが彼らにとって重要なカスタマー体験を管理するためのプロダクトという点で共通している。つまりカスタマーが要望を表明していなくても、それを理解し、サービスを提供できるようにしている。

従業員に裁量を与える

ユナイテッド航空の出来事から学んだように、テクノロジーはスタート地点に過ぎず、データベースに膨大なデータがあるだけでは、ある程度しか役に立たない。カスタマーはどこかのタイミングで店舗に来店したり、飛行機に搭乗したりするだろう。その時、対面での対応でもカスタマー中心の体験を届けられるようにする必要がある。オンラインで得た知見を従業員と共有し、彼らが大事なカスタマーに対応をする時、適切な判断ができるよう裁量を与えなければならない。

アマゾンやセールスフォースがカスタマーを中心とするアプローチに固執するのは、それぞれのCEOは、ブランドとカスタマーとの関係性が自然に発生するものではないということを深く理解しているからだ。ユナイテッド航空のようにその関係を傷つけることは、これまで多大な労力をかけて築いた信頼関係を一瞬で壊すことに直結しかねない。

カスタマー満足のためにコミットすることが重要だ。マーケティングテクノロジー企業がそれを良く理解しているのは、それが彼らの販売するプロダクトと深く関っているからだろう。とりあえずテクノロジーを使ってみるだけでは課題は解決しない。従業員に知見を共有したり、研修を実施したりすることで、それを現場の仕事に活かすことが重要なのだ。

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(翻訳:Nozomi Okuma /Website

動画の次はオーディオ―、群雄割拠のメディア界で成長を続けるポッドキャスト

ライターが目を引くタイトルでPVを稼ごうとする中、教養があり新しいコンテンツを求めているモバイルリーダーが、モバイル”リスナー”へと変化しつつある。文字に起こされたニュースが、あらゆる角度から消費者に向かってなだれ込んでいる一方で、イヤホンを通して私たちに優しく語りかけてくるメディアが存在する。そう、ポッドキャストだ。その内容は、体制への反抗や映画評論、亡くなった人とその人の遺産に関する長編ストーリーなど多岐にわたる。

まず、ポッドキャストがだんだんと消費者の間に普及しはじめているというのは間違いないだろう。かつては、ノートパソコンのスペックやケムトレイル(飛行機雲に見せかけて化学物質を散布し、誰かが人口操作を行っているとする陰謀論)に関して、素人がボソボソと喋っているだけにすぎなかったポッドキャストが、今では一大ビジネスとなり、リスナーは真剣にポッドキャストを聞いているのだ。そこで私は、ポッドキャストが長編のジャーナリズム作品や評論作品を消費する上でのデフォルトのメディアへと成長し、ライターやジャーナリストもポッドキャストに注目しなければいけないのではないかと考えている。

ポッドキャストのジャンル:①誰かが何かについて熱く語ってるもの ②何を言ってるかよくわからないもの ③ミレニアル世代がお互いについて話しているもの ④20分未満に作り直すべきもの

まずはポッドキャストに関する数字を見てみよう。過去6年間の間に、12歳以上のアメリカ人でポッドキャストを聞いてことがある人の割合は、23%から36%へと13%増加した。さらにLibsynがホストしているポッドキャストの数も、2012年の1万2000番組から2016年には2万8000番組にまで増えている。米ラジオ局のWNYCは、1500万ドルの調達資金を使って”ポッドキャスト部門”まで立ち上げた。また、アメリカ南部に住む一風変わった時計技師の人生を追ったシリーズは大ヒットし、ローンチ以降180万人もの登録者を獲得している。

ケーブルテレビやウェブメディアに比べれば、ポッドキャストの規模はまだ小さい。TechCrunch(英語版)を見てみても、公式ツイッターのフォロワー数は800万人以上で、PVは数時間で180万に達する。しかし、情報自体に価値はあるが、情報を受け取る側に長文を読むだけの時間と体力がないという分野では、文字メディアの力がグッと下がる。実際に私の知人のシステム・アドミニストレーターは、毎日の通勤時間を利用して何百という数のポッドキャストを聞いている。その人以外にも、サークルビルからコロンブス、バックスカウンティーからマンハッタンへと毎日移動する無数の長距離通勤者にとって、ポッドキャストは欠かせない存在だ。つまり、ポッドキャストは新時代のラジオトーク番組となり、(少なくとも調べられる範囲では)公共ラジオのリスナーの支持を獲得しつつある。

また、スポークン・ワードの人気は長らく停滞していたが、それも変わろうとしている。スポーツファンやベビーブーマーに人気のラジオトーク番組だが、長い文章を読むのが好きな人には、これまで全く目も向けられていなかった。しかし現在、ポッドキャストがゆっくりと文章に取って代わろうとしている。素晴らしいノンフィクション作品の数々が、『This American Life』や『Serial』といったポッドキャストの形をとってリリースされ、少し前のオンデマンド動画のように、オンデマンドオーディオが”次なる大ブーム”になろうとしているのだ。

それでは、この記事の大げさなタイトル(原文タイトル:Can podcasting truly save the world?=ポッドキャストは本当に世界を救えるか?)に立ち返ってみよう。まず、世界中の人々はネットに長編の文章を求めていると仮定する。個人的にはこれは真実だと思っている。私たちは物語が好きだし、長い物語を音声で楽しむというのは素晴らしいことだ。というのも、音声という形式をとることで、時間や注意力といった長い文章を読むのにかかるコスト(そもそもそこまでかからないとは言え)を最小化できる。

次に、各ポッドキャストの質も向上している。これは数字から証明できることだ。Libsynがホストしているポッドキャストの多くは、『Radiolab』や『Serial』とほど掘り下げた内容ではないものの、少なくとも『Hardcore History』や『A History of the World in 100 Objects』のような作品は、知的好奇心旺盛なリスナーを対象とし、これまでに数千ダウンロードを記録している。

こうして、ポッドキャストという形をとった、素晴らしいコンテンツが無料で配信されているのだ。そして、通常新たなコンテンツは、既存のコンテンツを代替することになる。新聞報道を真似たブログが、ある程度許容できるコンテンツを世に配信し始めると、ブログが新聞に取って代わった。また、ウェブサイトや掲示板に掲載されている製品レビューがコンピューター雑誌の内容を凌駕し始めると、雑誌の発行部数が減少した。ポッドキャストも同様に、消費者をノンフィクション作品の世界に連れ戻し、消耗的ではなく観想的なメディアを推進することで、世界を変えていくだろう。

私はポッドキャスト人気が高まるにつれて、テレビやラジオの人気が下がってくると予想している。ニュースや評論、歴史番組はポッドキャストと相性がよく、ユーザーは、日々のニュースポッドキャストを空いた時間に聞くのと同じくらい簡単に、人気の長編ポッドキャストをゆっくりと時間をかけて楽しむことができる。さらに、テレビ番組やラジオ番組の趣向は制作側に委ねられているが、ポッドキャストであればどんな人の好みにも合う作品が揃っている。もしもHoward Sternのラジオ番組を聞く時間を使って、同じくらい下品でありながら、もっと得るものがあるポッドキャストを3エピソード分聞けるとしたら、わざわざ彼のラジオ番組に耳を傾けるだろうか?

私たちには文字を読む時間はないが、ポッドキャストを聞く時間ならある。ギャンブルの場に身をおいているとすれば、私はポッドキャスト人気が今後右肩上がりに高まっていくことに賭けるだろうし、もしもこれからメディアの世界に入ろうと考えているならば、ポッドキャストの制作や営業のノウハウについて学ぼうとするだろう。私たちの目の前で、ここまであるモノが大きな成長を遂げるのも珍しい。今後ポッドキャストからは目(もしくは耳)が離せない。

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(翻訳:Atsushi Yukutake/ Twitter

本はまだ死んでいない―、ウェブメディアが出版業をはじめた理由

【編集部注】執筆者のChris Lavergneは、Thought.isのCEOでThought Catalogの創設者でもある。

2012年に私たちはThought Catalog Booksをローンチした。それ以前に、Thought Catalogと名付けられたウェブサイトを通して、ウェブ用の短い文章に関する技術をマスターした私達には、新たな挑戦が必要だったのだ。本を出版することで、デジタル出版という時流に乗ったThought Catalogブランドの対極にある、もっと観想的なブランドを構築しようというのが、Thought Catalog Books設立の狙いだった。

私たちはスタートアップを設立することで、あるふたつの問いに対する答えを見つけようとしていた。そのうちのひとつが、アルゴリズムとソーシャルメディアの時代に、クリエイティビティや知性の高さが重要視されるような世界を創り出すことができるか。そしてもうひとつが、広告主ではなく読者に焦点を当てた出版モデルを構築できるか、というものだ。

Thought Catalog Booksのことは、ウェブサイト(Thought Catalog)との関係性の中で捉えなければいけない。というのも2010年のローンチ当時、同ウェブサイトは、バイラルパブリッシャーではなかったからだ。”Thought Catalog”という名前からも、バイラルメディアというトレンドへの展望を持っていなかったことがハッキリわかるだろう。つまりThought Catalogは、”実験的なカルチュラルマガジン”として作られたのだ。

しかし、ジャーナリスティックな文章を使った実験的な試みは、悲惨な結果を生むことになった。ミュージシャンの特集書評カルチュラル・スタディーズといった内容の長い文章ではお金にならないため、私たちは方向転換を余儀なくされたのだ。すると、Facebookのデータを基にした読者層に関する情報が私たちにとっての出版社となり、Googleのデータがエディター・イン・チーフ、Twitterがマネージング・エディターに取って代わることとなった。その結果、Thought Catalogはソーシャルメディアの情報の上に成り立つウェブマガジンの先駆けとなり、BuzzFeedやその他のメディアと共に、デジタルパブリッシング初のゴールドラッシュを迎えた

しかし、お金だけが目的だったわけではない。どんな企業にとっても資本は重要だが、私たちはもっと崇高なゴールも持っていた。(ただの訪問者ではない)読者、芸術的な評価、ソーシャルメディア上のLike以外のものを私たちは求めていたのだ。このような欲求こそが、コンテンツ企業をメディア企業と区別するものであり、私たちは自分たちのことを後者として捉えていた。資金豊富なメディア企業は、”重要な文章”とされているものを、赤字覚悟の客寄せパンダとして使ってこの問題に対処しているが、自己資金で運営を賄っている私たちには、赤字を垂れ流す余裕はなかった。そこで、以下のふたつの理由から、本の出版を行おうと決めたのだ。

  • 本の出版には、長い文章の方が適している。5000ワードのウェブ記事の執筆を、1ワードあたり1ドルで外注した場合、広告を最適化したとしても、費用を回収するために約100万PV必要になる。バイラル化を目的としたリスト記事でも、なかなか100万PVに到達することはなく、調査報道や綿密につくり上げられた創作物であれば、なおさらそれは難しい。一方、本の出版であれば、4.99ドルの電子書籍を2000冊売るだけで投資分を回収できるのだ。
  • 書籍の形をとることで、ビジュアル面にもお金をかけることができる。ウェブ出版は執筆周りのコストを削減するだけでなく、文章に彩りを添える複雑なビジュアルの必要性さえ縮小させたのだ。現代のビジュアル界では、携帯電話上で作られたミームが、素晴らしいアーティストによって描かれた美しいイラストよりも多くのビュー数と利益を生み出すということがよくある。ウェブ上の経済がこのような状態を作り出したのだが、本のカバーやパッケージに関しては、目を引くようなビジュアルのためであれば予算を割くことができる。使い古された言葉だが、本当に人はカバーから本を判断するものなのだ。

上記から、本が私たちにとって最適なプラットフォームだと判断した。本の出版は、シンプルなお金の流れ、ビジュアルや文章のあり方への影響力、マーケットフィットを兼ね備えている。これこそ、私たちが過去5年間に業界全体に関して学んだ教訓だ。

メッセージとしての媒体

紙の本と電子書籍が、それぞれに独自のオペレーションモデルを持った、ほぼ別領域のビジネスであると知ったとき、私たちは驚いた。消費者に届けられるコンテンツは同じだが、両者はそれぞれのフォーマットを反映した正反対の性質を持っている。高級品としての書籍と実用品としての電子書籍。この性質の違いが、マーケティングや製造面における戦略・ワークフローに大きな違いをもたらしているのだ。

以下が、私たちの考える両媒体の違いだ。


この性質の違いは、消費者行動からも見て取れる。安価で即座にアクセスできる電子書籍は、一般的に紙の本に比べて6倍近い数が売れると言われている。その一方で、販売額に関して言えば、物理的な本は電子書籍の7倍だ。電子書籍から大きな売上を上げるのは難しい。というのも電子書籍の目的は、早く・安くコンテンツを提供することだからだ。逆にデジタル時代における紙の本は、紙の方が読みやすいという人や、ページをめくる感覚が好きだといった人を対象とした高級品として存在している。

そういった意味では、紙の本については今以上の実用性はそこまで望めないが、その分高級品としての機能でカバーできる。 恐らくこの考え方は、Thought Catalog Booksの成長を支えてきた重要な要素のひとつだ。つまり、紙の本を出版する主体は、高級品を販売している企業と同じように運営されなければならない一方で、電子書籍を扱う主体はテック企業のようなスタイルをとるべきなのだ。コンテンツは同じでも、媒体によってビジネスモデルは全く違うということだ。

書籍出版の驚くべき経済的メリット

思慮深い広告主は紙の本を気に入っているようで、Thought Catalog BooksはThought Catalogの営業部隊にとって、重要なツールになっている。ウェブ上のネイティブコンテンツは、短い物語を伝えるのには効果的だが、もっと深い物語を伝えようとしている企業にとっては、紙の本こそ完璧な媒体なのだ。ネイティブコンテンツやスポンサードコンテンツだと、読者(もしくは訪問者)がコンテンツに触れ合う時間は数分間程度しかない。しかし紙の本という、時代を超えて愛されているストーリーテリングの手段を利用することで、広告主はもっと深いところでブランドを構築できる可能性がある。実際に紙の本の読者は、一冊の本を読むことに何日とは言わずとも、何時間かを費やし、本自体は持ち主の本棚に一生残る可能性もある。

スポンサー付の本の販売だけでなく、私たちは現在爆発的に広まっているオーディオブックにも大きな売上のチャンスが眠っていると考えている。さらに、昔から存在する書籍の映画化にもまだまだ可能性がある。

書籍出版の世界にも存在する赤字覚悟の作品

商業的な成功と芸術を貫き通すという精神というのは、なかなか両立が難しいものだ。確かにホメーロスやシェイクスピタ、ヴァージニア・ウルフ、ジョナサン・フランゼンを含め、傑作は発表直後から”売れる”というのは間違いない。特にフィクション作品に関して言えば、傑作は発表直後から傑作として扱われることが多い。

そうは言っても、売上という側面ではフィクション作品に劣る、哲学やジャーナリズム、伝記といったジャンルの作品も、社会的には大きな意味を持っている。このような作品は、洗練された数学の問題のようなもので、ほとんどの人には関係がなくとも、アプローチの方法を知っている人にとっては大変有用なものなのだ。

そのような作品の例となる、Elizabeth Wurtzelが書いたメディア論の傑作Creatocracyや、自殺に関する悲痛な調査をまとめたSimon CritchleyのSuicide、ニューヨークのクイーンズにある悪名高いCreedmoor精神病院を描いたSabine HeinleinのThe Orphan Zooなどは、たとえポップカルチャーや市場の大部分が求めるものには合致していなくとも、お金には代え難い価値を持っている。本を出版することで、このような作品を世に送り出す手助けができ、著者にしっかりとお金を払い、恐らく利益は出せずとも、作品を求める人のところに届け、一冊の本というきちんとした形に残すことができるのだ。

Amazonも恐るるに足らず

Amazonは出版ビジネスのあらゆる側面に深く関わっているため、独占企業であるかのように感じられる。しかしAmazonの力も、以下の3つの重要な点において無限ではないと言える。

電子書籍市場における、Amazonにとっての本当の競合サービスはiBooksだ。Publishing Technologyが2014年に発表した調査では、iBooksが電子書籍市場の31%を占めるとされている。この数字は、電子書籍売上の33%がiBooks経由という、私たちの2016年のデータとほぼ一致する。さらに、消費者が従来の電子書籍リーダーを離れ、携帯電話やパソコンで本を読むようになっている中、この分野ではAmazonに大きく水をあけているAppleのiBooksが、さらに成長を続ける可能性が高い。

また、四大出版社のことも無視できない。Amazonは常に出版社という”門番”を取り除いて、著者と読者を直接結びつけることを夢見てきた。しかし、誰かにお気に入りの本は何かと尋ねたとき、その本が自費出版されたものである確率は、誰かのお気に入りのテレビシリーズがYouTubeシリーズである確率と同じくらいだ。現実として大手出版社は、映画やテレビ業界のように、クリエイティビティと資金のどちらの面においても、業界の中での重要な役割を担っているのだ。その役割は今後も変わることはないだろう。

そして電子書籍の人気が高まる中、Amazon上で紙の本を販売することの意味が薄れてきているのかもしれない。Thought Catalog Booksが製作する電子書籍や一部の紙の本に関して言えば、Amazonは夢のような流通パートナーだ。その一方で、高品質な書籍に関しては、私たちがAmazonと手を組む意味はあまりない。自前のサイトやインディペンデントな書店を通して書籍を販売した方が、私たち独自の色を演出することができるからだ。書籍が本当の意味での高級品だとすれば、ハイブランドがAmazon上で商品を販売しないように、スペシャルティ出版社としての私たちも、自社の商品をAmazonでは販売したくないと考えている。大手出版社もいつかはこのような動きをとり、少なくともAmazon上での販売数を制限するような施策に打って出るかもしれない。

本の明るい未来

Richard Nashは『What is the Business of Literature』の中で、「映像や音声がないというのは、本の機能であり、欠陥ではない」と記している。これこそまさに、Thought Catalogの出版に対する考え方だ。本は古びれたテクノロジーではなく、むしろ最先端のテクノロジーだ。実際のところ、本は現在世にでているものの中でも最高のVRマシンなのだ。Oculus RiftのようなVRデバイスが、ユーザーの脳を包みこんで別の世界を映し出す一方、本は読者の脳を働かせ、彼らと本の創造的なやりとりを通して、違う世界を映し出している。

書籍の存続というのは、出版社にとっては良い知らせとなるだろうが、私たちのような企業がFacebookや従来のテック企業のように驚くべきスピードで成長することはない。短期間での急激な成長というのがテック企業の魅力である一方、出版の世界では、深い関わり合いこそが重要なのだ。

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(翻訳:Atsushi Yukutake/ Twitter

“Oath: A Verizon Company”という名称の長所と短所を考える

コーポレート・アイデンティティ!もちろん皆が大好きだ。いや、しかし、良いものに出会うことは難しい。どうやら“Oath: A Verizon Company.”(Oathは「宣誓」といった意味)という名前で行くらしい。すでに別の記事も投稿されているが、ここでは私はグループにフォーカスし、気が付いたことを述べたい(この別の記事“Yahoo + AOL = Oath”では、VerizonによるYahooの買収と、それに伴ってVerizonの子会社AOLとのブランド統合がOathという名前で行われることが書かれている、なおTechCrunchはAOLの子会社であるので、以下の記事もその視点からのものになる)。

長所:

  • これは、他のいくつかの企業のアイデンティティとは異なり、実際の言葉だ。
  • もし「カルトのためのTinder」に方向転換するなら良いブランドだ(Tinderは米国で有名な出会い系アプリ)。
  • フォントがきれいだ(ジオメトリック・サンセリフでは悪くなりようがない)し、私たちの青は、Facebook、Google、そしてTwitterのいずれの青とも異なっている。
  • 今のところグラデーションがない。

短所/その他:

  • Oathというのは誓いを立てる行為の別名だ。古代の Oath は極めて興味深いものだ。あなたはキリストを十字架に磔(はりつけ)にするときに用いられた釘を示す、”by god’s hook”、略して”gadzook”という言葉を知っているだろうか?それは、沢山のカラフルなOathのひとつだ。
  • “Take the Oath”(「宣誓せよ」)という表現は、基本的に恐ろしいキャッチフレーズのように響く。しかし、企業が押し付けがましい広告やトラッキング(失礼)、そして独占的なやりかたで収益を生み出そうとするとき、顧客に対して攻撃的な印象を与えかねない。例えば”Take the Oath and like it”(「宣誓し、それを愛せ」)といった具合に。
  • コロン(:)はあるものの、実際には何も宣誓されていない。何を約束するかを、私たちが決めかねているように響く。「これが私たちからあなたへの永遠の誓いです:『誓いは後からやってきます』」。
  • “taking the oath”という内部でのやり取りは、自殺協定もしくは、少なくとも何らかの流血を想起させる。私は公式な「忠誠の誓い」(Oath of allegiance)のためにこれを書く:

Weave a circle round Tim thrice, (Timの周りを3度回り)
And click your mouse with holy dread(神聖な怖れでそのマウスをクリックせよ)
For he on revenue hath fed, (彼の得る収入のために)
And drunk the MAUs of Yahoo sites.(そして飲み込むYahooサイトのMAUのために)

  • どうやらoath.comを登録し忘れているようだ。  (日本時間4月4日13:00現在)
  • “oaf”(無骨、のろま)のようにも響くし、あるアクセントを持つ人たちは実際にそのように発音する。残念ながら無骨者たちは、一般に思慮深いと思われていない。私たちが悪いわけではないだけに尚更残念だ。
  • 人びとが嘘を言わないようにと、裁判中表面的に誓約が行われる。また就任の際には、一般に「宣誓の下にあることを忘れないように」と念押しされる。いくつかの理由から、本当によい関係とはならない。「宣誓の下」であることは、新たな”A-o-hell”(AOL hell:AOLの使いにくさを揶揄した表現)なのかもしれない。
  • OAuthジョーク

まあ、もっと酷いものになる可能性だってあった。思いを巡らせてみれば、オンラインにあるものは、ほぼ全てが酷い名前を持っている。”Yahoo!”に慣れることができたのだから、”Oath”に慣れることだってできる。あるいは”Oath:”、もしくは”Oath: A Verizon Company”に。これがどのようになるものか、全く明快ではない。

(訳注:途中に引用された詩はSamuel Taylor Coleridge. (1772–1834)の、Kubla Khanのパロディ。なおTimはAOLのCEOであるTim Armstrongを指していると思われる)。

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(翻訳:Sako)

ハイテク産業のイノベーションの中で、いまだに女性の力は過小評価されている

【編集部注】著者のAllyson KapinはWomen Who Techの創業者である。また共著者のCraig Newmarkはcraigslistの創業者である。彼の最新ベンチャーであるcraigconnectsは、退役軍人や軍関係者の家族を支援するピア・ツー・ピアの草の根市民運動と慈善活動、信頼できるジャーナリズム、投票の権利とテクノロジー産業における女性たちへの支援などを推進している。

女性ハイテク創業者たちは、VCたちへの対応と資金調達で苦しい戦いを強いられている。そしてそれは、いまだに大学のフラタニティ(男子学生のための社交組織)があるように見えるシリコンバレーでも、そしてロンドン、ベルリン、アムステルダムといったハイテクハブの都市でも同様だ。それは女性にとっては問題だが、同じくらいハイテク業界にとっても問題なのだ。何故なら才能ある女性の排除はイノベーションと成長を阻害するからだ。

ハイテク業界における男女格差は世界的に拡大している投資家の資金のわずか10パーセントだけが女性主導のベンチャーに向けられている。そして大手ハイテク企業内のポジションの、わずか10パーセントだけが女性で占められている。

シリコンバレーのこの傾向はヨーロッパでも同じである。著しい成長、それに見合わない女性のリーダーの比率、そしてVCから女性の率いるスタートアップ企業への乏しい投資。ベルリンに続く、ヨーロッパ第2の規模のスタートアップハブである英国では、 男性の起業家は女性の起業家に比べてVCの資金を受ける可能性が(ほとんどの場合)86%も高い。エンジェルからの投資確保をみても、可能性は56%も高くなっている。ハイテクの世界は能力主義(meritocracy)の筈なのに、実際にはまだ「類友主義」(mirrorocracy:自分に似たような人を選んでしまう)なのだ。

資金調達の困難さを考えれば、ヨーロッパにおいて女性起業家によって設立されるスタートアップの数が15%以下であることは驚きではない。彼女たちは生き延びるために、自己資金もしくはクラウドファンディングを使わざるを得ないのだ。

さて、以下のことを考慮して欲しいと思う。VCに支援を受けた、女性によって率いられている企業は男性によって所有されている企業よりも12%高い収益を挙げているということを。そして、女性の率いる企業のROIは、なんと35%も高いということを 。もしサポートを得ることができるなら、ハイテク企業の女性は上手くやるだけではなく、素晴らしい実績を挙げるのだ。これは世界的に見ても同様だ。

女性起業家による資金源への公平なアクセスが広範な経済に与える影響はどのようなものだろうか?英国だけの推計でも、もし起業したい女性の全員が、それを可能にする支援を得ることができたなら、直ちに34万の新規事業と、42万5000の新規雇用を生み出すことだろう

私たちは、女性主導のスタートアップに資金を提供することは、消費者やビジネスが望む、より良い製品と技術革新につながることを知っている。また、女性主導のベンチャー企業は、強力なROIを実現できることも知っている。

ほとんどの資金調達ネットワークは、多くの場合、昔ながらの少年クラブだ。しかし、世の中を変える多様なベンチャーへ意識的な資金提供を行ったときに、どのような変化が起きるかは、米国のBB Ventures、Kapor Capital、そしてBackstage Capitalや、英国のAllbrightといった女性たちが率いる投資会社たちが、VCの世界で証明している。

私たちが見ているもう一つの変化は、女性主導のスタートアップの数の急激な増加だ。実際、過去18ヶ月の間に、私たちは米国とヨーロッパで、Women Who TechのWomen Startup Challengeに申し込みをした2000近くの女性主導のアーリーステージベンチャーに出会ってきた。これらのスタートアップの中には、旧来の常識を打ち破り、全てのものに多大な影響を与えるようなものもある。

注目すべき新製品のアイデアが流れるパイプラインを保つために、ハイテクならびにVCコミュニティは(ありがちな疑り深い姿勢を捨てて)意識的にドアを開き、女性主導の新興ベンチャーに扉を開く必要がある。

ともあれ、次の「ユニコーン」の創業者は、才能あふれる「彼女」かもしれない。だから、検索の視野を広げて、彼女のスタートアップを見つけよう。

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(翻訳:Sako)