2015年に登場した日本国内スタートアップの中で、ソラコムは初期段階から注目されていた企業だった。AWS(Amazon Web Services)エバンジェリストとして知名度が高い玉川憲氏が創業し、その直後に7億円の資金を調達した。9月には、それまでステルスモードで開発を進めていたサービス内容を明らかにした。IoT向けのSIMを提供するSORACOM Airと、暗号化サービスのSORACOM Beamである。しかも発表と同時にサービスを開始し、さらに多数のパートナー企業の名前も公表した。まさに「垂直立ち上げ」と呼ぶにふさわしい鮮やかな手際を見せてくれた。
そのソラコム創業者で代表取締役社長の玉川憲氏に、TechCrunch Japanの西村編集長がざっくりと切り込んでいくセッションがTechCrunch Tokyo 2015の2日目、2015年11月18日に行われたファイア・サイド・チャット「創業者に聞く、SORACOMが開くクラウド型モバイル通信とIoTの世界」である。
どのような問題を解こうとしているのか
ソラコムは、会社名でもあり、IoT向けプラットフォームの名前でもある。
同社は何の問題を解こうとしているのか。「IoTの世界観はすばらしい」と玉川氏は言う。実は玉川氏は約15年前、IBM東京基礎研究所の所員だった時代に「WatchPad」と呼ぶLinux搭載の腕時計型コンピュータを開発していた。「今でいうスマートウォッチですよね」と西村編集長。WatchPadのプロジェクトは途中で解散してしまい、これは玉川氏のキャリアの初期に遭遇した挫折となった。
だが、ここにきて、いよいよコンピューティング能力を持った小さなデバイスが世界を変え始めている。クラウドの普及、そしてRaspberry Piのようにプロトタイピングに活用できる安価で小型なコンピューティングデバイスの登場で、今ではモノとクラウドの組み合わせをごく手軽に試せるようになった。
「その一方で、通信回線がボトルネックになっている」と玉川氏。そこに目を付けたのがソラコムだ。IoT向け通信回線にモバイル通信を使うアイデアは有望だが、多数のデバイスにそれぞれSIMカードを挿すことになる。多数のSIMカードの調達や管理は、現状では非常に人手もかかるし高コストになる。「この問題を解くのがソラコムのサービス」と玉川氏は説明する。
携帯電話事業者は、基地局やパケット交換機などの設備に1兆円規模の巨額の投資が必要だ。基地局を借りてビジネスをするMVNO(最近は「格安SIM」といった呼び名の方が通りがいいかもしれない)の場合は基地局への投資の負担はないが、それでも携帯電話事業者とレイヤー2で相互接続する「L2卸し」のMVNOを立ち上げるにはパケット交換機などに数十億円規模の投資が必要だった。通信事業者には巨額投資が必要との常識をクラウドでディスラプト(破壊的革新)してしまったのが、ソラコムだ。
ソラコムは、NTTドコモの基地局を借り、さらにパケット交換設備に替えてパブリッククラウドを活用することで、設備投資の費用がかからずスケーラビリティがあるサービスを構築した。玉川氏は「NTTドコモの基地局とAWSのクラウド、両巨人の肩に上に乗ってバーチャルキャリア(仮想通信事業者)を作っている形です」と表現する。
クラウドで低レイヤーの通信設備を実現するというアイデアは、世界的に見ておそらく初めてだ。「パケット交換機能まですべてパブリッククラウドで実装した例は、他には聞いたことがない」と玉川氏は言う。顧客管理システム、課金システム、APIをパブリッククラウドで実現している例はいくつかあるが、低レイヤーのパケット交換システムまで含めてクラウドで実現した例は見たことがないそうだ。
さらに、ソラコムのサービスを使うさいの流儀も、いかにもクラウド的だ。Webブラウザから管理コンソールを操作でき、SIMごとに契約内容の変更、速度の変更、さらには解約まで手軽に行える。AWSのクラウドを使う場合と同等の手軽さで、多数のSIMとモバイル回線の管理ができてしまう。
Amazon流に「事業アイデアのリリースを書いた」
ソラコムの事業アイデアが誕生した瞬間のことが話題に上った。玉川氏と、現ソラコムCTOの安川健太氏が飲んでいたときのことだ。「パブリッククラウドはサーバーを使いやすくする。何でも動かせるよね」という話をしていくうちに、通信設備のようなレイヤーもクラウドで作れるのでは、という話が出た。
Amazonには、製品開発を始める時点で、完成イメージを発表文(プレスリリース)の形式にまとめる「Working Backward」と呼ぶ文化がある。玉川氏は当時勤めていたAmazonの流儀に従って、アイデアをリリース文に書き起こしてみた。翌朝になって、前の晩に書いたリリース文を見ると「なかなかいいじゃない」と思った──これがソラコムの事業アイデア誕生の瞬間だ。
ソラコム創業者で代表取締役社長の玉川憲氏
AWSは、初期の設備投資なしにサービスを開始して、巨大サービスまでスケールできるメリットがある。DropboxやInstagramのようにAWS上でサービスを構築して成功したスタートアップも数多い。「AWSのエバンジェリストだった時代に、『AWSを使ったら日本のみんなもすごいスタートアップを作れる』と1万回以上は言った。そのうち、自分でもやってみたくなっちゃったというか」。
資金調達で良い待遇、そしてスケールできるビジネスを目指す
ソラコムのメンバーは13人。そのうち8人がエンジニア。ほとんどが15年以上の経験を持っている。
2015年春の時点で7億円の資金調達を行った理由の1つは一流のメンバーに「ちゃんとした給料を出したかった」ことがある、と玉川氏は打ち明ける。同社のエンジニアは低レイヤーのプロトコルの実装からプラットフォームサービスとしての実装、運用に至る高度な仕事をしている。その上、スタートアップ企業としてのリスクも背負っている。「給料を下げて、リスクも取ってやってもらうのは、アンフェアなゲームだ」と玉川氏は話す。
「シリコンバレーのスタートアップのように、うまくいけばスケールするビジネスモデルで、きちっとお金を集めて、きちっとした待遇でやっていきたい」。
ところで、ソラコムのサービスは、SORACOM Airが”A”、SORACOM Beamが”B”とアルファベット順に並んでいる。「次のサービスは”C”始まり。大分先までサービスができている」そうだ。西村編集長はここで「Androidみたいですね」と突っ込む。Androidのバージョンには、1.5の”Cupcake”から6.0の”Marshmallow”までアルファベット順に並ぶ愛称が付いているからだ。
今後出していくソラコムのサービスも、バーティカルな特定用途向けというよりも、プラットフォーム的に広めていく性格のものを考えている。「皆さんにとって共通に大変で重たいところはどこか。そこをサービス化していきたい」。
ソラコムのパートナー企業に関する説明もあった。フォトシンスのAkerunは、スマートフォンを「鍵」として使えるようにするサービスでソラコムのオフィスでも便利に活用しているとのことだ。キヤノンは複合機など事務機器と組み合わせる実証実験を進めている。車載機器の分野では動態管理のフレームワークスやカーシェアサービス向け応用を狙うGlobal Mobility Service(GMS)がいる。
小売業分野での活用例も要注目だ。リクルートライフスタイルのスマートフォン/タブレット向け無料POSレジアプリ「Airレジ」もソラコムと組む。AWSユーザーとして著名な東急ハンズも、店舗システムのバックアップ回線にソラコムのサービスを導入する。利用料金が格安で従量制のソラコムのサービスは、バックアップ回線としても合理性があるといえるだろう。
ソラコムは、その事業アイデアに基づく人材獲得、資金調達、サービス構築、パートナー獲得を、ごく短期間にやってのけた。利用者コミュニティの形成、エコシステム形成にも成功しつつあるように見える。TechCrunch Tokyoのセッションからは、ソラコムの活躍が日本のスタートアップ界隈への良い刺激になってほしいという願いが伝わってきたように思えた。