今週Facebookは大きなプロダクトの提供を開始した。キャリアを重ねたソーシャルネットワークにとってそれは全く当たり前の動きかのように、塀で囲まれた庭でアルゴリズムによるデートサービスのスロットを回した。
これを聞いて浮かれた方は踊るダディのGIFをここから挿入できる。
Facebookのデートサービスへの参入はまるで中年の危機のようだー多くのアプリユーザーが、ソーシャルネットワークでの“ライフキャスティング”から、プライベートメッセージやグループ専用のメッセージ・共有アプリなどを使ったより広く共有できる形態のものに移行しつつある中で、このベテランのソーシャルネットワークはユーザーに受け入れられそうな戦略を必死になって模索している。
かつてのFacebookのステータスアップデート機能は、若いアプリユーザーにとって自由に選べるソーシャル手段の一つであるSnapchat(そして今やInstagramも)のストーリーに長い間お株を奪われてきた。もちろんFacebookは後者のプロダクトを所有していて、無情にもストーリーを模倣している。しかしFacebookは、インターネット時代にあって化石のようになっているその旗艦サービスを消滅させたいわけではない。
新しい目的をもたせたプロダクトとして復活させなければー。そうしてオンラインデートに行き着いた。
Facebook(いや、今や ‘Datebook’だろうか)はこのデートアプリの実験をベータマーケットとしてコロンビアで展開している。しかし明らかに、最近人気のオンラインデート分野で世界的メジャーになるという野心を持っている。eHarmonyやOkCupidのようなオンラインデートを長らく展開してきた会社、そして女性主導のアプリBumbleのように比較的新規で特化型のデートスタートアップと競合することになる。
しかしながらザッカーバーグはオンラインデートの代名詞的存在Tinderと競おうとしているわけはない。そして、単に“ひっかける”アプリにするつもりはないーFacebookがいうところのサブカテゴリーとは無縁でありたいと考えている。
それよりも、顔に平手打ちをくらうようなショックのあるBang with Friendsではなく、“石鹸カービング/犬のグルーミング競争/エクストリームスポーツなどに興味のある友達の友達と集う”的なものにしたいとFacebookは考えている(Bang with Friendsは6年ほど前にFacebookとセックスを組み合わせようとした実験的なスターアトップだーデートアプリを展開するシンガポール拠点のPaktorに買収され、再びその名を聞くことはないだろう。いや、Facebookがデートアプリ業界に参入するまでその名を聞くことはなく、今回いかにBang with Friendsが我々を笑わせたかを思い出させた)。
マーク・ザッカーバーグの会社はなにもわいせつなものを展開したいと考えているわけではない。違う、違う、絶対ダメだ。セックスなしでよろしく。我々はFacebookだ!
Facebookのデートサービスはセックスアプリと呼ばれないよう、注意深く立ち位置をとり、オンラインデート業界では風流なアプローチをとっている。たとえば、アプリはすでにつながっている友達同士をマッチングでくっつけないよう設計されている(しかしながら、Facebookは元カノ・元カレがきちんと除外されていない過去のコンテンツから‘フォトメモリー”をユーザーに見せる傾向があることを考えると、アルゴリズムで元カノ・元カレとマッチングされないというのは祈るしかない)。また、マッチングがうまくいった場合でも、ポルノ的なものがスルーするかもしれないため、フォトメッセージを交換することはできない。
FacebookがヌードNGなのは立派だ。しかし驚きはしないが、いや驚きかもしれないがそこからデートアプリを立ち上げた。‘オールドファッションの良き健全な’テキストベースのチャットつながりだけを(クリーンなFacebookコンテンツに関連するもの)ここではお願いしたい。
しかしながら、もしあなたが率直な結婚のプロポーズをテキストしたくなったらーソーシャルメディアでの紅茶占い、そしてミックスされた中から将来を共にする人生のパートナーを選び抜くFacebookのデータサイエンティストの腕前を100%信じるならーアルゴリズムはおそらくあなたに微笑みかけるだろう。
Facebookの言い分は、ネットワークのパワー(そしてそこから搾取されたデータ)で人々がより意義のある(新たな)関係を築くのを手伝うことで、結果として‘有意義な時間’を促進するという新たなミッションを果たすのにデートが有効、というものだ。
このミッションは、倫理的なもの、そして/またはモラルの成り行き(Bozが忘れなれないほどに記したように)を考慮せずに言うと、Facebookがこれまで展開してきた、この地球上の人間を同じく地球にいる別の人間とつなげるというものに比べるとはるかに高度だ。それはまるで、パゾリー二の映画「ソドムの市」のホラーを愛する精神を流そうと試みているようだ。または、人間ムカデかもしれない。
それはさておいて、最近Facebookは10代半ばの人に、大人なもの、少しは価値あるものととらえられたいようだ。なので、このオンラインデートでは‘カジュアルな出会い’というより‘結婚の材料’的に演出している。しかし、まあ、プロダクトがいつも意図した通りのものになるとは限らない。なので、このオンラインデートを活用するには勇気が必要かもしれないし、おかしなことにならないよう祈らなければいけないかもしれない。
ユーザーの観点から言うと、別の見方もある。近頃Facebookで必然的についてくる機能やサービスがどれくらいのものかというのを考えたとき、本当に急を要する問題というのは、良識のある人がマーク・ザッカーバーグにキューピッドの矢を放たさせるべきかということだろう。
彼は残念ながら、悪意あるクレムリンのプロパガンダと、ラテや赤ちゃんの写真のような通常のソーシャルネットワーキングとしての事業とを区別できなかった。ゆえに、彼が人の心の微妙なニュアンスをどうやって調整するというのだろうか。
オンラインデートというFacebookの戯れからできるだけ距離をおいた方がいいと我々が考えるその理由を下記に挙げる。
1.これは別のシニカルなデータ搾取だ
Facebookのターゲット広告ビジネスモデルは、絶え間ないユーザーの追跡の上に成り立っているーつまりそのビジネスにはユーザーのデータが必要なのだ。シンプルに言おう。あなたのプライバシーがFacebookの生き血になっている。Facebookは巧みに虫が来た道を戻り、そして/または人々の生活に食い込むようないやらしさを抑えた方策を見つけ出そうとしていて、それゆえにオンラインデートというのは、別の大きなデータ搾取を覆うための手軽な薄板にすぎない。“意義ある関係”を育むために独身者をマッチングするというのは、どれだけの個人情報を彼らが扱っているかを人々に忘れさせるための程のいいマーケティング装飾だ。さらに悪いのが、デートサービスというのは、ユーザーが明るみに出してもいいと思うようなものよりもっと個人的な情報をシェアするようFacebookが尋ねてくることを意味するー繰り返しになるが、この会社のビジネスモデルは、オンラインかオフラインか、またウェブ上で囲われた庭の中にいるのか外にいるのか、そしてFacebookユーザーかどうかも関係なく、人々の行動を追跡することで成り立っている。
これはまた、Facebookの元祖ソーシャルネットワークのユーザーがFacebook疲れを見せていた時に、さらには大きなプライバシースキャンダル後にユーザーがFacebookサービスの使用方法を変えつつあるときにすら行われている。なのでFacebookがデートサービスを行うというのは、Facebookを中傷する人に注意がいかないよう、ユーザーの目からこれ以上うろこが落ちることがないよう、新たに気をそらすための方策を意図しているとみられる。アルゴリズムでハート型の約束をしたターゲット広告ビジネスモデルについて巻き起こっている疑念を覆い隠したいのだ。
そこに横たわっている本当の情熱というのは、あなたのプライベートな情報をお金に変えたいというFacebookの激しい欲望なのだ。
2.Facebookのプライバシーを踏みにじってきたこれまでの経緯から単に信用できない
Facebookは長らくプライバシーへの敵対行為をとってきたーセッティングで、プライベート設定だったものをパブリックにデフォルトで故意に切り替えたりしたことも含まれる(このラチェットを押しもどすには行政介入が必要とされてきた)ーなのでデートサービスでは完全に別のバケツにデータを溜め込むことを意味するだろう。また、このサービスでシェアされる情報はユーザープロフィールの外に出ることはなく、Facebookのあちこちにいる広告がらみの特定の人にも表示されないとしているが、この点はかなり懐疑的に考えるべきだろう。
FacebookはまたWhatsAppユーザーのデータがFacebookユーザーのデータと混ざって一緒になることはない、としているーしかし実際に起こっていることに目を向けてほしい。
さらには、Facebookがアプリデベロッパーにプラットフォームからユーザーデータを気前よく渡していたという経緯もある。そこには(何年にもわたる)‘friend data’も含まれる。まったく生ぬるい話だ。しかしFacebookのフレンドデータAPIは、Facebookユーザー個人がたとえ特定のアプリの利用規約に同意していなくても、データが抜き取られるような仕組みとなっている。これが、ユーザーの個人情報があちこちに散らばることになる理由だーここにはあらゆる種類のあるはずのないところも含まれる。(Facebookはこの点に関し、ポリシーを適用しておらず、ユーザーデーターの抜き取りをシステム的に悪用することにもなるこの機能を何らかの理由で実行している)。
長くも短くもあるFacebookとプライバシーの歴史は、情報は一つの目的のために使用される、はずだったのが結局全てのものに使用されている、ということに終わっている。全てのもの、の半分すら我々は知らない。また、Facebook自身もなぜいま、最大のアプリ監査をしているのかわかっていない。にもかかわらずこのまったく同じ会社が、恋愛や性的な好みなどかなり個人的な情報を教えてほしいと言っている。考えた方がいい、本当に。
3.Facebookはすでにオンライン上の注意の多くを集めているーさらに注意を向ける必要があるのか。特に独身者のデートに関しては、驚くほど多様なアプリが展開されているのに…
西洋諸国においては、Facebookという会社から逃れるためのスペースはさほど多く残されていない。友達が使っているソーシャルシェアリングツールを使えるようになりたいと思っていればの話だ。そうした理由でネットワークの影響は極めてパワフルで、Facebookが所有している、人気で圧倒的なソーシャルネットワークは1つだけではなく、ほとんどを握っているといってもいい。それはInstagramやWhatsAppを買収したことに表れている(加えてそのほかにも買収していて、いくつかは廃止した)。しかしオンラインデーティングというのは、現在のところ、Facebookにとって歓迎すべき一休みとなっている。Facebookが関わっていなかったこの分野が、あらゆるタイプや好みに対応するスタートアップやサービスによって展開されてきたといのは、間違いなく偶然ではないだろう。黒人の独身者向けのデートアプリもあれば、ムスリムの人をマッチングするサービスもあり、ユダヤ人向けのものもいくつかある。クリスチャン向けのデートアプリも多数あり、アジア人のマッチングに特化したデートサービスも少なくとも一つはある。その他にも、中国系アメリカ人向け、怪しい女性専用のデートアプリ、男性向けのゲイデートアプリ(もちろんゲイも同様にアプリを利用している)。いくつかだが、マッチングゲームを提供するデートアプリもある。そうしたアプリは、思わぬものを発見する能力と、逸した機会(missed connections)を通じて知らない人同士をくっつける位置情報に頼っている。アプリでは、お試してしてマッチする可能性のある人とライブでビデオチャットをすることもできる。もちろん、アルゴリズムでマッチングをするアプリはたくさんある。こうしたデートアプリを使えば独身者はさみしくない。それは確かだろう。
だから一体全体どうして、独身者を楽しませるこの多様でクリエイティブな‘見知らぬ人とのやりとり”の業界を、ソーシャルネットワーク大企業に譲らなければならないだろうか。人々の注意を引くことではFacebookはすでに独占状態で、これを拡大させることができるだけだ。
どうしてこの豊富な選択肢を縮小させて、Facebookに利益アップさせる必要があるだろうか。もしFacebookのデートサービスが人気になったら、競合サービスに向けられていた注意をひきつけることになるだろうーおそらく小さなデートサービス事業者の多くが整理されることになり、よりスケールを大きくしようと統合し、重量800ポンドもあるFacebookゴリラに立ち向かうことになる。いくつかのサービス事業者は、より包括的に(そして大きく)独身者を囲い込むことを求めるマーケットのプレッシャーにより、これまでより特化度合いを緩める必要があると感じるかもしれない。また他の事業者は、事業を維持するのにこれ以上十分なニッチユーザーを集めることができないと感じるかもしれない。独身者が現在楽しんでいるデートアプリの選択肢が狭まるというのは泣きたいくらい恥ずべきことだ。これが、Facebookのサービス開始をここで冷たく扱う理由だ。
4.アルゴリズムによるデートサービスは空手形で、Facebookの監視をより人間的にしようというシニカルな試みだ
Facebookは、ターゲット広告を展開するために人々を追跡していたとして概して非難されている。人々を追跡することでユーザーに“関連のある広告”を提供することができるので人の役に立っていると主張している。もちろん、全てのディスプレイ上の広告が誰も見ようと選んだものではないことを考えると、それは紙切れ上だけでの議論で、それゆえにその人が本当に関わっているものから注意をそらすものが必要となる。
社会を分断するようなFacebookの広告、Facebookを介した悪意ある政治的プロパガンダの広まり、保護されるべきグループへの差別的なFacebookのターゲット広告、または実際に詐欺を広げているだけのFacebook広告など、Facebookの広告プラットフォームに伴う主要なスキャンダルにより、近年の緊張が高まるなかで出てきた議論もある。少なくとも、ターゲット広告会社が抱える問題のリストは長く、今後も増えるのは確かだ。
しかし、マッチング目的のデートとデータに関するFacebookの主張に目を向けると、Facebookはみんなの全行動を監視するという悪しき習慣を、愛を作り出すという形式に変えるアルゴリズム専門家を抱えていることになる。
なので、あなたに何かを売ろうという‘関連’広告を受け取るだけでない。Facebookの監視はあなたにとって大切な誰かを探すための特別なソースとなる。
正直、これは油断のならないこと以上の問題だ。(また文字通りブラックミラーエピソードだーこれは機能障害のサイエンスフィクションに違いない)。Facebookは、人々を監視するという不快なプラクティスをパッケージにして売るための新たな手段を必要としていて、そのためにデートサービスに参入する。ビジネスラインを正常化するための試み以上となることを期待している(たとえば監視は、人々がもしかしたらクリックするかもしれない広告をみせるために必要なものだ)ー広告プラットフォームが社会的問題のあらゆるノックオンを引き起こしていることを示していて、にわかに問題となっているーFacebookにあなたを毎日24時間監視させることで将来の幸せが確約されるかもしれない。というのも、アルゴリズムが絶えず1か0かで扱っているデータの中からあなたの好みに合いそうな人を選び、追跡しているからだ。
もちらん、これはまったくくだらない。何が、ある人に相手をクリックさせる(あるいはさせない)のかを決めるアルゴリズム的な決まりはない。もしあったとしたら、人がずいぶん昔に気づき、そして商売にしていただろう。(そして当然の帰結として恐ろしい倫理上の問題を抱えていただろう)。
人は数学ではない。人間というのは、パーツと興味の数が整然と合計されてできているわけではない。だからこそ人の暮らしというのは、Facebook上でみるものよりずっと面白いのだ。そして、だからこそ巷には数多くのデートアプリがあり、あらゆるタイプの人や好みに対応している。
残念ながら、Facebookにはこうしたことが見えていない。というか、認めることもできない。だから、デートアプリ立ち上げを正当化しようとする‘専門の’アルゴリズムマッチングと‘データサイエンス’に我々はナンセンスさを感じる。悪いが、それは全てマーケティングのためだ。
Facebookのデータサイエンティストが矢を放つキューピッドになろうとするという考えは、馬鹿げていると同時に不合理でもある。どのマッチングサービスにしても、そうした働きを放棄している。しかし、ランダムな結果の代償が絶え間ない監視だとしたら、このサービスはまったく不釣り合いなコストを伴うことになるー結果としてこれはユーザーにとってまったくフェアではなく魅力もない交換となる。繰り返しになるが、人々は見返りに何かを得るどころか、何かをあきらめることになる。
もしあなたが、同じ趣味を持つ人や同じ友達グループにいる人にフォーカスした方が“最適の人”を探すのは簡単だと考えているのなら、Facebookのデートサービスに頼らなくても、相手探しができる実在のサービスは山ほどある(クラブに入る。友達のパーティーに行く。または、趣味によるマッチングを行う既存デートサービスの結果からこれという人を選ぶなど)。
山にハイキングに行き、頂上で妻となる人に出会うことと同じだ(実際に私の知っているカップルがそうだったように)。愛に方式はないのだ。ありがたいことに。社会性のないデータサイエンティストがあなたのために素敵な人を見つけるとうたっているようなデートサービスをあなたに売りつけようとしている人を信用してはいけない。
Facebookの‘愛のマジック’の働きは、次のアプリベースのマッチングサービスと同じくらい良くも悪くもなる。‘デート可能’な独身者を引きあわせるだけでなく結びつけるのに方式はないー引きあわせるのはデートアプリやウェブサイトが何年も何年もうまくやっている。Facebookのデートサービスは不要だ。
Facebookはオンラインデートで、たとえばOkCupidよりもう少したくさんのことを提供できる。OkCupidはそれなりの規模で展開していて、マッチングにユーザーのロケーションと趣味を活用しているが、OkCupidにはなくてFacebookができることにイベントの組み込みがある。これは、実際にデートしようということで合意するより、よりくだけた環境でのお試しデートとなる。しかしながら、本当にこれらを計画して実行に移すというのはぎこちないことのように思われる。
Facebookのデートサービスへの包括的アプローチは、より特化したサービス(女性のニーズを満たすべくつくられたBumbleのような女性にフォーカスした事業者、または前述のとおり、同じ趣向を持った独身者に引きあわせるのにフォーカスしたコミュニティなど)の恩恵を受けている特定の独身者にとって物足りないものとなる。
Facebookは、デートサービスは規模の問題だととらえている向きがある。そして、さまざまなコミュニティに応えるサービスが展開されているこの業界で、Facebookは包括的に大きな存在となりたいようだ。多くの独身者にとって、全アプローチというのはタイプの人探しが難しくなるだけだ。
5.デートサービスはFacebookが取り組むべき課題をはぐらかしている
Facebookの創業者は‘Facebookを修理する’ことを今年の個人的な優先課題とした。これは、同社がいかに多くの問題が引き起こしてきたかをはっきりと示している。小さなバグ修理のことを言っているのではない。Facebookはプラットフォームにとんでもない量の地獄のような落とし穴を抱えていて、その過程でさまざまな人権を脅かしている。これは全くささいなことなどではない。本当にひどいものは、プラットフォームで暗渠のような存在となっている。
たとえば今年初め、国連はFacebookのプラットフォームがミャンマーで“けだもの”になったと非難したームスリム系少数派ロヒンギャに対する民族迫害を煽り、武装化させたというものだ。Facebookは、ミャンマーで民族憎悪や暴力を広めるのにソフトウェアが使われるのをやめさせようと十分な対策をとっていなかったことを認めた。人権団体は、ロヒンギャ難民の大虐殺を集団虐殺と表現している。
これは特異な例ではない。フィリピンでは最近、大きな人権危機がみられるー選挙運動でFacebookを利用した政府が、血まみれの‘麻薬撲滅戦争’で何千人も殺害しながら非難をかわすのにFacebookを使っていた。インドでは、Facebook傘下のメッセージアプリWhatsAppが複数の集団暴行や殺人に使われていたことが明らかになったーアプリを介して稲妻のように広がった嘘を人々が信じたのだ。そのようなひどい問題に反してーFacebookのプロダクトは少なくとも助けとはならないーFacebookが新たなビジネス分野に資源を注ぎ込み、全く新しいインターフェースとメッセージシステムを構築するのにエンジニアを使おうとしているのが見て取れる(メッセージシステムというのは、Facebookのデートサービスユーザーがテキストを交換できるようにするもの。いかがわしいものになるリスクをなくすため、写真やビデオは送れない)。
こうしたことから、Facebookがミャンマーで起こっていることに注意を払わなかったことは、本当に嘆かわしいー現地の機関は長い間、ひどい誤使用に歯止めをかけるためにプロダクトに制限を設けるべきだ、と要求してきた。
にもかかわらず、Facebookは5月にMessengerアプリに会話を報告するオプションを加えただけだった。
その時期にFacebookがデートサービス立ち上げに力を注いでいたというのは、いくつかのマーケットでプロダクトが人権侵害の暗渠となるのを防ぐのに十分な努力をしなかったことを意味し、これは少なくとも倫理に反するといえる。
Facebookのデートサービスを利用するだろうユーザーはそれゆえに、彼らのマッチングはザッカーバーグとその会社によって優先され、それにも増して、より強いセーフガードとガードレールがさまざまなプラットフォームに加えられるかもしれないと不安を感じるかもしれない。
6.デートサービスを利用してもらうことでFacebookはそれぞれのソーシャルストリームをミックスしている
Facebookのデートサービスで不安なのは、Facebookが既存ユーザーに(ほとんどが結婚しているか、長く付き合っているパートナーがいる)、包括的なソーシャルネットワークでは当たり前というようにデートのレイヤーをかぶせるのはまったく普通のことだと思わせることで、巧妙な動きを引き出そうと試みていることだ。
突然、場所が売りに出され、トレードされる。まるで人々が‘友情’を築いていたプラトニックな場所に、性的な機会が突然もたらされるかのように。もちろん、Facebookはデートをオプトインする要素をFacebookの中に隠すことで(そこでは、いかなるアクティビティもしっかりしまわれ、Facebookのメーンストリームには表れない[と言っている])、そうした欲望にかられた動きを完全に別のものとして区別しようとしている。しかしFacebookのデートサービスの存在は、Facebookを使っていて特定の付き合っている人がいるユーザーにデートアプリ会社と関わりを持たせることを意味する。
Facebookのユーザーはまた、オンラインデートに密かにサインアップする機会がつきまとうことになると感じるかもしれないーユーザーの配偶者がFacebookを利用しているかしていないかにかかわらず、配偶者にバレないように浮気のメッセージを密かに受けわたす役割を担うことをFacebookは約束した。
Facebookが不貞を支えることになるかもしれない、ということについてどう思うだろうか。どうなるのかはしばらく待ってみなければわからない。Facebookの役員は過去、Facebookは‘人々や時間を結びつける’ビジネスだと言った。なので、おそらく暗流として働く、そして人間のつながりの推進を駆り立てるようなひねりのきいたロジックがあるのだろう。しかし、Facebookはデートサービスの導入で自らの立場を“複雑なものに”するかもしれないというリスクを負うーそして結果としてユーザーの上に複雑な結果の雨を降らせる。(それは往々にしてビジネスの拡大という名のもとに行われる)。
なので、‘ストリームをミックスさせない’という代わりに、Facebookは近い平行線という形での社会的相互作用とは完全に反対のタイプの運営でデートサービスをスタートしようとしている。悪い方向に作用するかもしれない? または、‘別の’Facebookデートサービスの誰かがサービスで出会ってアプローチに応えなかった独身者を追いかけ回そうとしたらどうなるのか? (Facebookのデートサービスユーザーは本当のFacebookでの名前のバッジをつけることを考えると、‘超えて渡ってくる’のは簡単な試みとなるかもしれない)。そしてもし、秘密に保存されたところから感情の詰まったメッセージがFacebookメーンストリームに流れ込んだら、事はかなりめちゃくちゃな事態となり得るーそしてユーザーは強いられるというより、サービスによって二重に追い払われることになる。ここでのリスクは、Facebookがデートサービスとソーシャルネットワーキングを組み合わせようとしていることで巣を整えるより汚すだけに終わるということだ。(このさほど上品ではないフレーズもまた私の心に浮かぶ)。
7.ところで誰とデートしたいと思ってる?!
新興マーケット以外では、Facebookの成長は失速している。中年層におけるブームがあったが、ソーシャルネットワーキングは今や末期にあるようだ。と同時に、今日のティーンエイジャーはFacebookにまったく夢中ではない。若いウェブユーザーたちはビジュアルにかかわれるソーシャルアプリにもっと興味がある。そしてFacebookはこのトレンドに敏感な若い人たちを引きつけようと開拓作業を行うだろう。Facebookのデートサービスはおそらく悪い冗談のように聞こえるーあるいは子供にとってのパパのジョークのように。
年齢層についても少し述べるが、35歳以下はFacebookにほとんどひきつけられない。もしかしたら彼らはプロフィールは持つかもしれないが、Facebookはクールだとは思わない。一部の人は使用時間を減らし、ミニ休憩を取りさえするかもしれない。こうした年代の人が昔の学校のクラスメートといちゃつくのにFacebookを使っていた時代は過ぎ去った。また一部の人はFacebookのアカウントを完全に削除しているーそして振り返りはしない。このデートを最もする年代のグループが突然そろってFacebookのマッチング実験にはまるだろうか? それは疑わしい。
また、Facebookがデートサービスを米国外でデビューさせようとしているのは偶然ではないだろう。若くてアプリ大好きな人口を抱える新興マーケットというのは、漠然と面白いデートプロダクトをつくるのに必要な独身者を捕えるのにベストな環境だ。
しかしこのサービスのマーケティングとして、Facebookは20代後半の独身者をひきつけたいと願っているようだーしかしデートアプリユーザーはおそらくFacebookにとって最も気まぐれで扱いにくい人たちだ。そうすると、どういった人が残るか? まだFacebookを使っている、いずれ結婚する、結婚式や赤ちゃんの写真をシェアするのに忙しい、デートマーケットには入っていない、という35歳以上の人たちだ。またはもし彼らが独身であれば、デートアプリによく慣れている若いユーザーに比べてオンラインデーティングに関わろうとする傾向は少ないかもしれない。もちろん、デートアプリは人々が使ってこそ面白く、また魅力的なものだ。これは、競争相手がたくさんいるこの業界で成功するのにFacebookにとって最も大変なハードルとなるーというのも元祖のネットワークは若いものでもなければクールでもない、ヒップでもなければハプニングでもなく、しかも近年アイデンティティクライシスを抱えつつあるようだ。
おそらくFacebookは、中年の離婚経験者の中にニッチな需要を掘り起こすことができるだろうーそれはデジタルでかれらに手がかりを与え、デートゲームに戻ってくるよう手助けをすることでなし得る。(しかしながら、今週デビューしたサービスに何をしてほしいかという提案はゼロだ)。もしザッカーバーグが最も関心がありそうな若い独身者を本当に囲い込みたいのであればーFacebookのデートマーケティングから判断しているのだがー彼はInstagramにデートサービスを加えたほうが幸せだったかもしれない。つまり、InstaLovegramもあり得る。
イメージクレジット: Oliver Henze / Flickr under a CC BY-ND 2.0 license.
[原文へ]
(翻訳:Mizoguchi)